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かわかみ・ひろみ
1958年東京都生まれ。お茶の水女子大学理学部生物学科卒業。中学・高校の理科教員を経て94年「神様」でパスカル短編文学新人賞を受賞し作家デビュー。96年「蛇を踏む」で第115回芥川賞受賞。著書に『いとしい』(幻冬舎文庫)、『神様』(中央公論新社・ドゥマゴ文学賞、紫式部賞)、『溺レる』(文藝春秋・伊藤整文学賞、女流文学賞)、『椰子・椰子』(絵=山口マオ、新潮文庫)、『おめでとう』(新潮社)等がある。 |
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『センセイの鞄』
平凡社
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『蛇を踏む』
文春文庫
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『溺レる』
文藝春秋
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『おめでとう』
新潮社
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石川 何より私は川上さんのファンというのが先にあって、川上さんの小説の魅力をわかる方には「わかるよね、わかるよね」みたいなノリで話せる代わりに、わからない、という人に対してうまく説明できるか自信がない。だからインタビュアーとして適役かどうかわからないまま、ファン精神のままでお話してしまうかもしれないです。
川上 いえいえ、ありがとうございます。誰も説明できないから大丈夫ですよ(笑)。
石川 最新刊の『センセイの鞄』を読んで共感する箇所は、切ない恋をしたり、叶わない恋をした友達同士が、「わかるわかる」「それってあるよね」みたいな感じで話をするのに似ているかもと思いました。
川上 そうかもしれないですね。恋愛がうまくできないというか、不器用で、相手を想う気持ちはあるんだけど伝えるのが下手だとか、私にもある部分なのですが、世の中でマイナスといわれている性格を持っている人が恋愛をしたらどんなふうかなと思って書いたんです。年の離れたふたりというのが特徴ではあるんですけど、それよりはふたりの本質的な性格、恋愛小説には出てきにくいタイプの人を書けたらいいなという気持ちからですね。
石川 川上さんのデビュー作は『神様』という作品ですが、その後の芥川賞を受賞された『蛇を踏む』もそうですが、最初の頃はそれほど恋愛小説は多くないんですよね。私は『物語が、始まる』が最初の川上作品体験で、そこから川上さんにはまったんです。あれは恋愛小説の要素があるからか、昔の自分の初恋が思い出されて涙が出そうになりました。なんか個人的な感想になってしまっていますが…(笑)。
川上 『物語が、始まる』は恋愛と言っても人ではありませんし、かわいそうな話ですよね、あれは…(苦笑)。確かに恋愛が始まる以前の、そういう思いを描いたものが多いかもしれないですね。恋愛ってそんなにうまくいくものじゃないというか、うまくいかない時間が殆どじゃないですか。そういうところを書こうと努めているところはありますね。ただ、あとから振り返るとその時間が一番いい瞬間だったってことはありますよね。ふつうはもっと先があるんだ、ゴールがあるんだと思って先へ先へと急いでしまいますけど、あとで落ち着いてみると、あの瞬間がよかったんだという感じですね。それをうまく書ければいいなあと思います。
石川 うん、うん、すごくよくわかります。まさにあの瞬間というのは何ものにも代えられないですね。『センセイの鞄』のなかでも共感できるところや気に入っているところはリアリティがあって、人ごととは思えないくらいで。どこが好きか語ってしまうと、自分の恋の話になりそう(苦笑)。
川上 どこの箇所でしょう、是非聞かせてください。
石川 センセイと島に行った話のところです。一緒に旅行に行ったけど、部屋は別々で、センセイの部屋に呼ばれるときにツキコさんが「期待するなかれ、期待するなかれ」とくり返すところです。
川上 まあ、あの状況になって、俳句を詠むというのもちょっと変ですけどね(笑)。
石川 友達にあとで話をしたら「それ絶対変だよ」って言われるような恋愛は身に覚えがありまして(笑)。でも恋愛ってもともと特殊状況というか個人個人のものですから、みんな変だと思っているんですけどね。
川上 ほんと、そうですよね、みんな特殊なんですよね。それが表せてたらうれしいんですけど。
石川 今回の小説で珍しいなと思ったのは、野球の巨人―阪神戦の話が出てきて、長嶋の采配はいいですね、とあったから、ああ、これは今現在の話なんだなというのが、意外な感じでした。川上さんは、あえて現代を強調する小道具を描いていないと思いこんでいたので。ケイタイとかは登場人物と無縁の世界だと思ってました。
川上 長嶋監督はもう長いですからね(笑)。抽象的なものが最初の頃は多かったですけど。この頃は現代の話をよく書くんです。わりと具体的に。いろいろ難しいところはありますけど、例えばこないだある本を読んでいたら「たまごっち」が出てきたんです。いま読むと「ああ懐かしいな」って思って。小説内での物の扱いはそういう意味でなかなか大変ですね。ケイタイやインターネットももっと先になって読むとどういうふうに読まれるかなって考えながら書くところはあります。
石川 広辞苑などの「こういう言葉は次の版で載せるか載せないか」っていう作業に似ている感じがしますね。
川上 今を書くっていうのは難しいことで、結局そういう風俗的なことにあまり触れないほうがかえって今を書けるという場合があるんですよね。たとえば最近読んだ河野多惠子さんの『秘事』は、結婚した男女の話で、奥さんが亡くなるまでを書いたものなんですが、とくに現代を裏付けるようなことについては書いていないのに、すごく現代っていう感じがするんです。どういう細部を描いていくと「今」になるのか、読んでいる読者にとっての「いつも、今」が描けるのか、とても難しい問題で、それはその作家の力量なんでしょうけど、ひとのなかにある普遍的なものをどうやって取り出すかで「今」が表せるのかなと。反対に細部細部で攻めていくこともできるわけで、小説というのはそういう意味で本当に面白いものですね。
石川 細部といえば、川上さんの小説はいつもお酒や料理の描写があって美味しそうで、真似して食べたくなります。実際に試したものもありますし。生活に密着しているという感じで実用にも役立ちます(笑)。
川上 そうですね、わりと日常のなかのものを描くって言われますね。まあ、自分の日常が出ちゃうんでしょうね。ふつうに生活しているんで。
石川 日常というか親しいお友達がそばで生活しているような感覚がありますね、今でこそなかなかできませんが友達に電話をかけて「ねえねえ聞いて」なんて言って個人的な恋愛話を打ち明け合うような…。電話するかわりにこういう恋愛小説を読んでひとりでうんうんと頷いています。
川上 そういう電話ってもうしないんですか?
石川 仕事している友達は忙しいしで、結婚した友達も忙しいだろうし、自分も忙しいしで、昔はそういう電話ばかりでしたけど。もう迷惑かなあなんて思って。若い頃の特権っていうか。
川上 えーまだ若いじゃないですか(笑)。そうか、電話かけないのかあ。そういう友達はひとりかふたりは確保しておかないと苦しいですよ(笑)。
石川 学生のときはそんな話が好きだった友達でも、結婚などをして状況が変わると、そういう話をするのが嫌いになっちゃったそうで、少し寂しい思いをしたことがあります。
川上 相手に同じような経験がないと言えないってこともありますし。だから、また状況が同じになれば、できるようになりますよ。そのときそのときで。職場のひと同士が言うような仕事の愚痴とかと一緒で(笑)。
石川 なるほど。今日は川上さんに恋愛の相談を聞いていただいてるみたいで、ありがとうございます。
川上 いえいえ(笑)。この話は初めは恋愛小説じゃなくするつもりだったんですよ。まあ、恋愛になってもいいけど、もうちょっと微妙な心の触れ合いっていうか、触れ合いっていうと恥ずかしいですけど、心のつながりみたいなものを描いてみようかなって思ったんですよ。自然に最後は高まっていったので恋愛になりましたけど。いつも言っていることなんですけど、恋愛を書くのは人間関係を書きたいからで、恋愛というのがいいサンプルだから。もちろん「恋愛」だけが人間関係ではない、いま新聞に連載しているものは「家族」が主テーマになっていますね。ひとつの型ばかりじゃなくて自分の中では変化させて新しいものを書いていきたいなと思っています。
(7月12日 吉祥寺にて)
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