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川上弘美(かわかみ・ひろみ)
1958年東京都生まれ。お茶の水女子大学理学部生物学科卒業。中学・高校の理科教員を経て94年「神様」でパスカル短編文学新人賞を受賞し作家デビュー。96年「蛇を踏む」で第115回芥川賞を受賞する。著書に『神様』(ドゥマゴ文学賞、紫式部賞)、『溺レる』(伊藤整文学賞、女流文学賞)、『椰子・椰子』、『センセイの鞄』(谷崎潤一郎賞)、『光ってみえるもの、あれは』等がある。 |
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『ニシノユキヒコの恋と冒険』
新潮社
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『光ってみえるもの、あれは』
中央公論新社
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『溺レる』
文春文庫
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『センセイの鞄』
平凡社
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−− この連作短編集『ニシノユキヒコの恋と冒険』は、一編をのぞき「小説新潮」に連載されたものですが、執筆はこの順番だったのでしょうか。
川上 いえ、本にするときに並べかえています。最初の「パフェー」は五年前に書いたもので、もともとは独立した短編でした。ニシノくん(西野幸彦)という主人公が面白くて、連作にすることにしたんです。
−− 「パフェー」の持つ不思議さは私には親しみ深いというか、まさに川上作品といっていい小説世界だと感じましたが、二作目以降の、ニシノくんの中学生から五十代までの恋の遍歴には、今までの川上さんの小説とは違う新しい印象を持ちました。
川上 そこは難しいところなんですけどね、違うけれども通じるところもあるだろうと思います。
−− 以前のインタビューで「不実な人間を書くのは私にとって初めての試み」とおっしゃっていましたが、今までにはないタイプの人を書くことって書きづらいものですか。
川上 不実な男というか、モテる人。なかなか女の人に自分をぜんぶ与えてくれない人という感じ。最初の何編かは女性の方に寄り添いながら、こんな男は……と半ば思いながら書いていたのですが、だんだんとニシノくんのかなしみのようなものがわかるようになってきて、最後には、「ああニシノくんの人生ってなんだったんだろうな」と思いながら締めくくったので、ニシノくんの気持ちもわかるような気がしましたね。
−− ニシノくんは恋に対してクールなようでいて、ドラマチックというか波瀾万丈な顛末をくり返しますが、こういう人が居たらいいような、大変なような思いを感じながら拝読しました。実際に私がニシノくんに出会ったらどうなるのか…(笑)、川上さんの好きなタイプの男性なのでしょうか。
川上 いえ(笑)、そういうことはないんですけど。これは小説ですから造形は極端なところもありますけど、男性の中にはどこかニシノくん的なところがあると思うし、女性の中にもあるかもしれないと思いながら書きつないでいきました。
−− 現代版源氏物語とでもいいますか…。
川上 源氏物語や伊勢物語のように、一人の男がたくさんの女の人とかかわる話を読むたびに、どうして女の人たちはこんなに女好きの男と喜んでつき合うんだろうという不思議さがありましたし、今もちょっとあるのですが、ニシノくんの物語を書いていてそれがわかる気がした。もちろんニシノくんは、光源氏や在原業平とは全然違って、恋愛においては小物というか(笑)、ごく普通の人だし、別に貴族でもなんでもありませんが、人間が恋愛をするときの原型として昔からこういった形はあるものなんですね。
いい人だから好きになる、大事にしてくれそうだから好きになるというものでもないでしょう、女の人は。……男の人もかな。ニシノくんにすれば逆に女性がけっこう不実に思えるかもしれません。この物語は女の立場から書いていますから。そこはもうお互い様というか。
−− ニシノくんの恋愛に落としている影は、「草の中で」をはじめ何か所かで語られる十代の時に死別したお姉さんの存在が無視できないと思いますが。
川上 最初はそのエピソードが彼にどの程度の影響を及ぼしているかは私にもわからなかったんです。ただ、それが原因でニシノくんのような人間がつくられていったという書き方をしようとは全然考えませんでしたね。もとからそういう人だったんじゃないかな。
−− ニシノくんの人生が、かかわってきた女性によってさまざまなところから切り取られていきます。思わずページを戻って確認したり、途中で人物相関図を書きたくなりました。
川上 最初からカッチリと登場人物を決めていたわけではないです。だんだんと全貌が明らかになっていったという感じですね。
−− いろんな女の人が出てきますけど、「ぶどう」の初老に差し掛かったニシノくん(彼女は西野さんと呼んでいますが)と出会う加瀬愛が印象深いです。そう言えばこの作品ではニシノくんや西野さん、あるいはユキヒコといったように表記が変わりますね。
川上 どうしてだと思います? 国語の授業みたいですけど(笑)。
−− えーと、そうですねえ。女の人も「私」「わたし」「あたし」になっているし、やはりそれぞれの思いは違いますから、呼び名も変わるのでは?
川上 そうですね。その人がニシノくんをどう呼ぶか、その人のニシノくんへの気持ちや距離をあらわしていると思います。
−− ふと思ったのですが、川上作品に多かった飲食の場面が減っていますよね。
川上 少ないかもしれないですね。というのはニシノくんはお酒が飲めない、甘党なんです(笑)。そこは確かに他の作品とは違いますね。
−− ニシノくんはよど号事件の年の生まれですから、一九七〇年生まれ。中学2年生から五十代も書かれていますから小説上を流れる時間はじつに一九八四〜二〇二〇年、まさに『ニシノユキヒコの恋と冒険』というタイトルがしっくりしますが、近未来まで時間軸を延長したのはどうしてなんでしょうか。
川上 近未来を描くという明確なねらいがあったというよりも、書いているうちに自然に小説内の時間がそこまで流れたということです。
−− 「草の中で」のだんだん家が建ちはじめて失われていった空き地の感覚というのは、私個人の中で非常に印象深いのです。年齢がニシノくんの設定とさほど変わらないからなのか、最後の「水銀体温計」に出てくる公園内の野原に放っておかれた土管の描写もそうですけど。
川上 ついこのあいだまであったのに、いつのまにかなくなってしまった原っぱ、東京郊外のお話という感じですね。やがて年を追うごとにだんだん都会の話になっているし。
−− そういう意味で最後の「水銀体温計」でまた郊外に戻っていくような原風景に回帰するような意味が込められているのかと思ったのですが。
川上 うーん、そう読んでいただくのも読者の方の自由だとは思いますが、一番最初は冒頭の独立した短編があっただけなんですよ。さきほども申しましたように、最初の頃は、なんでニシノくんはこんなに浮気性でどんどん女の子を渡り歩くんだろうと、多少反発みたいな気持ちもあったんです。もちろん自分のつくったキャラクターですから嫌だってことはないんですけど、どちらかといえば不思議だなあという感じで見ていたんです。それが書き進むうちにだんだんとニシノくんの人生が身近になってきたし、彼のふるまいも「ああ、そういうのもあるんだなあ」とわかるような気持ちになってきた。最後の場面は、ずっと書きついできたからこそ出てきたものでしょうね。それが小説を書く面白さでもあります。
−− 川上さんの小説は今回の作品だけでなく、いつも書かれていない部分や後日談的な世界が非常に広がっている気がするんです。『センセイの鞄』のつながりに『パレード』があったように・・・・・・。
川上 でも、それは私だけではなく、小説家ならだれだってそうだと思いますよ。書かれた場面だけということはないと思います。
−− 「氷山の一角を書く」ですよね。
川上 そうですね。
−− だからだと思うんですが、一編一編の小説の中でも、どうなったかその後を知りたい人が何人もいます。
川上 それは私も知りたい(笑)。
−− 「まりも」という専業主婦の五十代のおばさんの視点から書かれた話も印象的でした。ニシノさん、あっ、さっきまではニシノくんと呼んでましたけど…、二人の間に特別な関係があったようななかったような、年齢はひと回り以上彼が歳下なんですけど、あらためて恋の形もセックスを伴なうばかりではないし。
川上 ・・・・・・「おばさん」って言葉はつかいたくないんですよね。「まりも」ではササキサユリさんは妙齢の女性と書いていますけれど、「おばさん」として切り捨ててしまいたくないなというのが作者としてあるんです。自分で揶揄しているようなところもありながら彼女は誇りを持っている。
それはこの連作短編集のすべてに共通することなんですが、女の人たちの良さを書きたいなと思ったんですね。どの人も気っ風がいい、表だって格好いいというわけではないんだけど、恋愛では悩んだ末にぱっと決断を下せる、そういう良さが女の人たちにはあることを書きたかった。だから「まりも」のササキサユリさんも、若くもないし、誰もが目を引くような人ではないことはわかっているんだけど、わたしはとても好きですよ。素敵な人だと思うんです。
−− そうですね。
川上 出てくる女性はどの人もいろいろな局面で決断をしていますよね、潔いくらいに。思い悩んでも、その時はそうは思えなくても、あるところでは冷静に判断できているような気がするんです。それが女の人の素敵さにつながっているのではないでしょうか。もっともそれは怖さにも通じるのかもしれませんけど。
−− ニシノくんはあれだけ女性と恋愛をしながら、最後はいつも女性に棄てられてしまいますものね。
川上 どちらかといえば男の人の方がロマンチックですよね。ぽわんとした感じで。さきほども言いましたが、これは女の人のほうから書いているから、ニシノくんの立場で書くとまた違うのかもしれませんが。いろんな人が出てくるけど、敢えて表現するならどの登場人物もみんな一本芯が通っているってことを言いたかったのだと思うんです。
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