 |
|
児玉 清(こだま・きよし)
1934年東京都生まれ。学習院大学独文科卒業。東宝ニューフェースとして『別れて生きるときも』で映画デビュー。その後『東芝日曜劇場』『平岩弓枝シリーズ』『花は花嫁』『山河燃ゆ』『武田信玄』『太平記』『HERO』等TVドラマに出演多数。『パネルクイズアタック25』、本格書評番組『週刊ブックレビュー』での名司会者としてもおなじみである。今秋、書評やエッセイを集めた最初の本『寝ても覚めても本の虫』を上梓した。
|
|
 |
『寝ても覚めても本の虫』
児玉清/著
新潮社
|
 |
『マリー・アントワネット』上
シュテファン・ツワイク/作
岩波文庫
|
 |
『マリー・アントワネット』下
シュテファン・ツワイク/作
岩波文庫
|
 |
『配当』
ディック・フランシス/著
ハヤカワ文庫
|
 |
『大聖堂』上
ケン・フォレット/著
新潮文庫
|
 |
『大聖堂』中
ケン・フォレット/著
新潮文庫
|
 |
『大聖堂』下
ケン・フォレット/著
新潮文庫
|
|
 |
菅野 児玉さんは海外のミステリなど、おもにエンターテインメント系の本をいち早く原書で読んで、そのおもしろさを紹介されてきた。『寝ても覚めても本の虫』はそれをまとめた本ですが、親しみやすくて一気に読んでしまいました。植草甚一さんに『雨降りだからミステリでも勉強しよう』という名著がありますが、あの現代版のようですね。
児玉 ぼくの出す初めての本でしょう。これまでは毎月の連載なので責任が軽かったんですが、一冊にするとなると果たして読んでいただけるか、心配していたんです。
菅野 この本でいいなと思うのは、あくまでも児玉さんご自身がおもしろいと思われた本を取り上げているという熱意がいつも伝わってくることですね。
児玉 ただもう読みたい作家のおもしろい本のことしか書きませんから。ですからいつも舞い上がっていて、友達から褒め過ぎじゃないかと言われたりします。
菅野 児玉さんの読書好き、本好きの原点の一つは、子どもの頃に読んだ講談全集だったそうですね。
児玉 決定的ですね。とくに剣豪物語が好きでした。自分の流派を編み出すために辛酸を舐めながら武者修行を続け、あるとき天の啓示を得るがごとく、はっと編み出す。そういうアイデアや人間の機微が子ども心にもすごくおもしろかったんです。それから金持ちのいとこの家で読んだ少年少女文学全集。まだ見ぬ外国への憧れと世の中には美しいものがあるんだなということは少年少女文学全集から知ったことが多いですね。
菅野 それが小学校のころのことで、戦後は岩波文庫を読みあさり、山本一清著『海王星――発見と其の後の知識』に興奮したりして、やがて運命的にツヴァイクと出会うんですね。
児玉 そうです。岩波の一つ星を制覇しようとしていて、そのうちにツヴァイクの作品にぶつかったんですね。『マリー・アントワネット』が最初だったのか、『人類の星の時間』が最初だったのか。とにかくあのころツヴァイクの一連の作品がばーっと出てきたんです。その作品の影にある、彼自身はデーモンと言っている人間の神秘性といいますか宿命といいますか、そういうものに触れて、一遍に好きになってしまった。とくに『西洋将棋』という遺作のチェスの話にぼくはのめり込んでしまったんです。
菅野 それで大学ではドイツ文学をおやりになった。
児玉 ただ残念なことに、当時の文学部ではツヴァイクという作家は評価されていなかった。ちょっと貶められるようなところがあって、ようするにおもしろいものは文学ではないと。当時はドイツ文学が隆盛で、綺羅星のごとくいろいろな作家が翻訳されていたんですが、そういうドイツ文学の中にある透き通った部分にぼくは憧れたんですね。ぼくには少女趣味というか、そういう部分が好きなところがあるんです。
菅野 児玉さんの本の楽しみ方の大きな特徴に、原書で読むということがありますが、原書で読む最大の喜びはどこにあるのでしょうか。
児玉 ぼくがなぜ原書で読むようになったかというと、それまでは翻訳物を楽しんで読んできたんですが、それが目の前から料理がぱっと消えてしまったように無くなってしまったんです。
菅野 児玉さんが読み尽くしてしまって、楽しみにしている作家の翻訳物がなくなってしまったということですね。
児玉 そうなんです。向こうでは原書は出ているんですが、日本でいつ翻訳されるかわからない。それなら原書で読んでしまおうというのがそもそものきっかけです。その最初が忘れもしないディック・フランシスの『配当』だったんですね。
菅野 原文で読むのと翻訳で読むのとは違いますか。
児玉 今の翻訳の方はすばらしいですし、むしろ原文を越えるんじゃないかという人がたくさんいます。ところがある原書を読んでぼく自身がすごく感動して、友達に伝えたところ、翻訳を読んだらあまりおもしろくないぞといわれたことがある。そこで気がついたのは、ぼくの読み方というのは、主人公に肩入れするというか、感情移入するというか、全部そういう読み方なんですよね。だから思い入れがものすごく入る。ところが訳す方はなるべく感情を抑え、正確に訳そうとする。
菅野 児玉清流読み方というわけですね。
児玉 ぼくが惹かれるのは、事実やサスペンスもさることながら主人公。だからどちらかというとイギリスの作家がタイプからいうと好きなんですね。ネルソン・デミルもスコット・トゥローもどちらかというとそういう傾向がある。
菅野 原書を探すときに、これはおもしろいぞと狙いを定めるコツのようなものがありますか。著者の顔写真で判断することもあるみたいですが。
児玉 ぼくは顔はすごく大事だと思う。ジョン・グリシャムを“発見”したのも顔だったんですよ。『ザ・ファーム』のときですが、面構えといいますか、幕末の志士が胸をはだけ、刀を横において「なんだ」というような顔なんです。(笑)
菅野 それから児玉さんですごいと思うのは本がいくら厚くても平気だということ。厚い本は読むだけでうんざりという向きもありますが。
児玉 厚いから楽しいんで、むしろ薄い本のほうが頼りないですよ。やはりおもしろい本は長く続いてほしい。
菅野 本の中の世界と現実の世界がありますが、児玉さんにとって本の世界はかなり重要な世界なんでしょうね。
児玉 最高ですね。本を読むことのベースにあるのはぼく自身が観念的な男で、ほんとに行動力とか実行力がないんですよ。しかも臆病だし、どうも汚いところ、例えばジャングルだとかに弱い。だから自分ではどうしてもそういうところに行けない。それで本の中に逃げ込むというわけではないんですけれど、本の中にはめくるめく冒険がある。で、主人公といっしょに冒険する、主人公といっしょに恋愛する、主人公と一緒に危機を乗り越える。ぼくにとってはそういう観念的な世界がたとえようもなく楽しいんです。
菅野 いつもどこで本を読みますか。
児玉 どういう本の読み方が好きかというと、寝そべって読むのがいちばん好きなんですよ。寝転がっておもしろい本を読むのが最高の幸せです。
菅野 寝てどういうふうに読むんですか。
児玉 英語の本は体の右側を下にして寝て読む。そうすると英語は左から右に書かれているから、目の動きが自然なんですね。ただ、五百ページ以上の本は困る。最初のうちはいいんですが、だんだん支えている左手が苦しくなる。(笑)
菅野 ケン・フォレットの『大聖堂』を三冊も買ってしまったと聞きましたが。
児玉 『大聖堂』はパトナム版を買って読んでいたんですけど、千ページくらいあって、七百何頁か読んだときに、取材で外国に行く用事ができた。かばんの中にその厚い本を入れようとしていたら、かみさんが「ばかみたい、わたしだったら絶対に持っていかないわ」というその一言で持っていくのを止めたんですが、飛行機に乗ったときから後悔しました。あと少しだったと思うと他の本が全然おもしろくない。ロンドンに着いて、空港内の本屋を見ていたらぱっと目に付いたのが、マクミラン社版の『大聖堂』。装丁も違うし、いい本なんですよ。それでたまらなくなってそれを買ってしまった。喜んだけど、その翌日、こんどはベルリンに行くことになった。一晩で帰ってくるというから、こんな重い本はいいやと思って置いていってしまった。そうしたら二晩だったので、ドイツ語版の翻訳があったので、えいっとそれを買って、最後はドイツ語版で読み終わった。アメリカ版で始まって、イギリス版で読み継いで、ドイツ語版で読み終わった。(笑)
菅野 ずっとNHK―BSの「週刊ブックレビュー」で司会をされていますね。
児玉 「週刊ブックレビュー」は今年で11年目ですが、ぼくに話があったのは三年目でした。うれしかったですね。なぜならば本の番組がなぜテレビでないのかという思いがずっとあったんです。本を読む楽しさを語りあえる場がテレビにあっていいんじゃないかと。それでお引き受けしたんですが。
菅野 一回何冊くらい読まなくてはならないのですか。
児玉 五、六冊です。月に二回となると12冊くらい。これがけっこう大変なんですよ。ところがこの四月からはありがたいことに四週に一回になったものですから、ずいぶん楽になりました。思わぬところで「週刊ブックレビュー」を観ていますよといわれることがあって、先週も新幹線に乗って名古屋に行ったとき、隣の席の女性から「あっ、本のおじさんと一緒」と言われて、ありがたいなと思いましたね。
|
|