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幸田真音
(こうだ・まいん)
1951年滋賀県生まれ。米国系銀行や証券会社で、債券ディーラーや外国債券セールスなどを経て、95年『ザ・ヘッジ 回避』(文庫版は『小説 ヘッジファンド』と改題)を上梓し、作家に転身。国際金融の世界を舞台に、時代を先取りするテーマで次々と作品を発表し話題になる。主な著書に『周極星』、『あきんど
絹屋半兵衛』上・下、『日銀券』上・下、『コイン・トス』、『凛冽の宙』、『日本国債』上・下などがある。 |
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『タックス・シェルター』
朝日新聞社
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『周極星』
中央公論新社
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『あきんど 絹屋半兵衛』上
新潮文庫
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『あきんど 絹屋半兵衛』下
新潮文庫
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『日銀券』上
新潮社
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『日銀券』下
新潮社
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『表の顔と裏の顔』
小学館
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青木 『タックス・シェルター』は、実直なサラリーマンが、税の抜け道に迷い込んでしまう物語です。今回、税金をテーマにされたのはなぜでしょうか。
幸田 日本の問題は、すべて根っこの部分でつながっています。国債は簡単に言えば国の借金で、国が抱える膨大な借金に対処するためには、金利が低いほど有利になります。逆なのが『代行返上』で書いた年金問題。その金利政策については『日銀券』で書きましたが、歳出をまかなうには税金による歳入が必要で、いつか税金について書いてみたいと思っていました。税金には、とられる≠ニいうイメージがありますが、そもそも税金とはどんなもので、どう向き合うべきものなのか原点から考えるきっかけになればと思ったのです。
青木 主人公の深田道夫は証券会社の財務部長で、急死した社長の秘密口座を処理するために、古い友人・坂東勝人の力を借ります。そして、坂東とその友人が勝手に資金を運用し、二十億円まで増やしてしまいます。その莫大な利益を隠さなくてはならず、大金を前に呆然とする主人公が面白いです。
幸田 税金を物語にするのはとても難しいんです。映画「マルサの女」のように、査察官を主役にしたものはありますが、私はごく普通の人が税金に向き合う話を書きたかったので、実直さだけが取り柄の男を主人公にしました。根っからの善人なのに、恩人のために租税回避をしてしまう、善人を善人でなくするお金の怖さを物語にしたかった。実際、意図しないで善意で脱税の道に踏み込んでしまう人も相当数いるそうです。
青木 四十二歳・独身の深田が恋をする宮野有紀は、皮肉にも国税局の国際税務専門官です。有紀の仕事ぶりがリアルに描かれていますが、取材はどのようにされたのですか。
幸田 暴力団の関連企業で、震えながらも一歩も引かなかった話もそうですし、大手米国系銀行の役員たちが自家用ジェット機で来日し、トイレにも行けないまま十二時間も議論し続けた話も実話です。そのまま書いたら作り話みたいで、どのようにリアリティを出すか困ったくらい、いろいろな話を聞きました。私は非常に無謀な仕事の仕方をしていて、連載期間が一年なら、その小説のために一年以上取材を続けながら執筆しています。まず、テーマと核になる人物を決めたらひと通り取材をし、書きながらその都度取材を重ねてディテールを補強していきます。人に会って話を聞くのは面白いし、現場の生々しいセリフを聞くと、いつか小説で使いたいと大事に取って置いたりもします。
青木 有紀が仕事に悩んでいるときに、先輩の女性職員が教えてくれる「八十五万三千円」という数字は印象に残りました。すごく具体的でしたね。
幸田 毎年、子ども一人当たり八十五万三千円の教育費が国税と地方税からまかなわれている、という話ですね。最近発覚した岐阜県庁の裏金問題など、マスメディアは公的資金の不正使用といったマイナスのことばかり強調しますが、トータルとして税金がどう使われているかは、あまり知られていないんです。税金を徴収する仕事は嫌われがちで、そんななか国税局の人が仕事のモチベーションをどう上げているのか、きちんと書いておきたいと思いました。
青木 大金を手にした深田は、試しに二十五万円のルイ・ヴィトンのブリーフケースを買ってしまいます。そして、エルメスのスカーフを部下にプレゼントし、自分には七万円の靴を買い、外見がみるみる変わっていきます。お金を持つと、どうしてそうなるんでしょう。
幸田 やっぱりお金は怖いんですよ。主である人間を、お金が操るようになるんです。私は、三十代の頃は国際金融市場の世界にいましたが、日々何千億という大金を動かして金銭感覚が麻痺している人、極度のプレッシャーと欲で自分を見失ったり、精神に異常をきたしたり、自殺してしまった人を何人も見てきました。お金に踊らされないようにするためには、強固な意志を持っていないとダメですね。
青木 書きながら取材をし、ストーリーが広がっていく場合、初めに構想した小説の核を見失わないようにするには、どのようにされているのですか。
幸田 物語の背筋を通すために、最後のシーンだけはいつも頭の中に映像として置いておきます。私は「旗を立てる」と言っていますが、ラスト以外は細かくストーリーを考えないで、旗に着くまではどこに寄り道してもいいし、むしろ紆余曲折があった方が面白いと考えています。予定外の人が登場して話を転がしてしまうこともありますが、その人が意外に好評だったりすることもあるんです。
青木 幸田さんの小説を読むと、精神的にギリギリのところで頑張っている女性が出てきますね。『日本国債』の多希はふっと電車に飛び込みそうになるし、この小説の有紀も、心ないことをさんざん言われ苦い経験を重ねています。
幸田 職場の性差別はずいぶん改善されているようですが、ニューヨークでも日本でも、社会進出をした女性が感じる摩擦、不自由さはまだまだありますよね。つらい気持ちを伝えられない環境にいることを悔しく思いながら、帰りの電車の中でぽろっと泣いてしまうような場面を書くと、「同じ経験があります」と女性からメールや手紙をいただいたりします。弱音を吐かずに、仕事にきちんと向き合っている女性はたくさんいます。そういうごく普通の女性の姿が書かれた小説は意外に少ないんです。私自身が経験してきたことでもありますから、意図せず自然に小説に出てくるのかもしれませんね。
青木 幸田さんは、プレッシャーをどのように乗り切ってこられたのでしょう。
幸田 乗り切れたのかというと、私は乗り切れなかったと思います。ストレスで病気になってしまい、三十八歳で会社を辞めざるを得なかった苦い経験をしていますから。仕事のチャンスがたくさんあるのに自分の体がいうことをきいてくれない悔しさです。ただ、今から振り返れば、あそこで病気にならなかったら小説を書く私はいないから、苦い経験をネガティブにはとらえていません。私はジェットコースター人生≠ネんて言ってますが、人生ってマーケットと一緒で、上がるだけでも下がるだけでもなく、バランスよく、つじつまが合うようになっているんですね。プラスとマイナスの両方を知っていることは、作家としてもものすごく大切なことだと思います。
青木 小説を書くモチベーションはどんなところにあるのですか。
幸田 私は「小説の力」に魅入られているんだと思います。作家になってから「小説の力」を知り、どんどん小説にのめり込んでいます。連載が終わりに近づいて、頭の中に描いていたラストシーンの舞台を実際に探しに行くと、小説のラストそっくりのS字カーブとかが、現実に存在していたりするんです。小説の神様に導かれているとしか思えない、不思議な出会いがしょっちゅうあるんですよ。
青木 小説を書くほどに何かが起きると。
幸田 起きてますね。『タックス・シェルター』では、原油先物取引についても必死で勉強したのですが、税金がテーマでしたから原油やエネルギーのことはほとんど書けなくて、次はエネルギーをメインに書いてみたいと思っています。そういうふうに、ひとつ小説を書くと、次々に新しいテーマに出会ったり、書きたいものが生まれたりと、自然につながっていくんですね。
青木 デビューから十一年ですね。今後の執筆予定を教えてください。
幸田 書き続けてきて思うのは、経済も恋愛も家庭生活も、同じ人間の営みだということです。出会いが起きたり、親子のように強固な関係があったり、やはり面白いのは人間の姿そのものなんです。『藍色のベンチャー』(文庫版で『あきんど
絹屋半兵衛』に改題)で時代小説に挑戦しましたし、現在「週刊文春」で連載中の「バイアウト」では、舞台は企業買収ですが、むしろ親子という人間の本質的なことを考えて書いています。年末にスタートする連載は、切口が金融経済ではなくなるでしょうし、これからは経済に限らないで、もっと膨らんだテーマにチャレンジしていきたいと思っています。
青木 短編連作の『eの悲劇』は、人間ドラマそのものですね。落ちぶれた主人公の篠山孝男がかっこよかった。
幸田 かっこ悪い人がかっこいいんです(笑)。私もそういうのが大好きです。タカさん≠主役にした『コイン・トス』では、二〇〇一年九月十一日に起きた同時多発テロについて書いています。マーケットは日々移り変わっていきますが、風化させちゃいけない事件、物事というのもたくさんあると思っています。私には、書きたいテーマがまだまだたくさんあって、常に取材、書く、構想のチェイスなんですよ。
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