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『輝く日の宮』の丸谷才一さん
インタビュア 鈴木健次(大正大学教授)

丸谷才一(まるや・さいいち)
1925年山形県鶴岡市生まれ。東大英文科卒業。68年『年の残り』で第59回芥川賞受賞。『たった一人の反乱』(谷崎潤一郎賞)、『後鳥羽院』(読売文学賞)、『忠臣蔵とは何か』(野間文芸賞)、『樹影譚』(川端康成賞)、菊池寛賞等受賞多数。主な小説作品に『笹まくら』『横しぐれ』『裏声で歌へ君が代』『女ざかり』、評論・エッセイ集に『文章讀本』『言葉あるいは日本語』『古典それから現代』『挨拶はむづかしい』などがある。




『輝く日の宮』
講談社






『女ざかり』
文春文庫



『裏声で歌へ君が代』
新潮文庫



『たった一人の反乱』
講談社文芸文庫

鈴木 これはきのうの新聞広告ですが、個人の単行本でこんな大きい広告はめったにないんじゃないでしょうか。
丸谷 そうでしょうね。私も初めてかな。
鈴木 十年ぶり、待望の書き下ろし長編小説と謳われています。たしかに『たった一人の反乱』、『裏声で歌へ君が代』、『女ざかり』、そして今度の『輝く日の宮』と、ほぼ十年おきですね。これは主義ですか、それとも結果的にそうなったのですか。
丸谷 まったく偶然です。もっと速く書く方がいいですよ。読者はほとんど僕の名前を忘れてるんじゃないかな。
鈴木 とんでもない。その間にエッセイとか評論とかたくさん出されているし、それらがこの小説の中に流れ込んでいる(笑)。でも、丸谷さんの日本文学史三部作とか翻訳は長編のための準備ではなくて、それぞれ楽しんで書いていらっしゃるんでしょう。
丸谷 別に長編小説の準備として評論を書くといったことはないですね。でも、こんな長編小説は初めてでしょう? 僕が全部入ってる(笑)。前に『樹影譚』という短編にいろんなものを入れたことがありますが。
鈴木 あの作品には、外国文学関係のお仕事も多分に反映していると思いました。
丸谷 あの時、僕は日本の小説家という職業生活を全部書きたかったんです。だから創作ノートが入っていたり、今までに書いた短編小説の一部分も入ってたり…。
鈴木 でも、あそこに出てくる作家は丸谷さんらしい作家じゃないですね。
丸谷 そうじゃないでしょう。あの時は面白かったなあ。大岡昇平さんと小島信夫さんが、二人とも「あれは、俺だ」って(笑)。よっぽどカッコよかったんだなあ。とにかく『樹影譚』のときに遠慮しないでいろんなものを入れてみたら非常に面白がる人がいて、それもあって今度は長編でああいうことを景気よくやってみようかという気持ちはありました。でも、それは今にして思えばそういうことだったなというようなもんですね。
鈴木 『樹影譚』より『たった一人の反乱』や『裏声で歌へ君が代』が先ですよね。これらの長編にもいろんな要素が入っているという意味で共通の特徴があると思いました。そして主役はいつも魅力的な女性で、もてる独身男性が出てくる(笑)。
丸谷 そうでしょう(笑)。
鈴木 『輝く日の宮』の主人公は江戸末期から明治初期の日本文学研究者ですが、『奥の細道』や『源氏物語』についても学界やシンポジウムで独自の見解を発表して注目される。作中にいろんな学説や論争がどんどん入ってきますね。『女ざかり』でも『裏声で歌へ君が代』でも、普通の日本の小説には収まりきらないことを大胆に入れてらっしゃる。
丸谷 でもそれは西洋の小説だったら普通のことでしてね、日本の小説家が特殊なんです。
鈴木 もともと小説は詩に比べてその雑食性に特徴があったはずですが、次第に狭く純化されてしまって、いわゆる純文学は少数の人にしか面白くないものになっています。
丸谷 小説の型を作ってしまって、その型に従わない人は純文学じゃない、通俗小説だというふうにしてしまった。
鈴木 丸谷さんの小説を読むと、まず作者自身が楽しんで書いていらっしゃいますね。
丸谷 今回はことに後半、かなり自分で楽しかったですね。あのシンポジウムの章など、とくに楽しかった。
鈴木 まるで一編の戯曲ですね。初めの章は女主人公が女学生の時代に書いた泉鏡花ばりの短編、年代記ふうの章もあり、最後は失われた『源氏物語』の「輝く日の宮」の巻の復元。入れ子の箱みたいな細工を楽しみました。とにかく八章がそれぞれスタイルが違う。
丸谷 書いていて面白いですし、読者としても気が変わっていいと思うんですよ。ほら、コースで料理を食べるときに脂っこいものの後はさっぱりしたものが出るとか、温かいものの後に冷たいものが出るとか、そうすると食べやすいでしょう。あれみたいなものでね。
鈴木 池澤夏樹さんは書評に松花堂弁当と書いていたけれど、松花堂弁当みたいにちょぼちょぼではなくて、それぞれ堪能するだけの量があります(笑)。源氏復元の章に紫式部風の和歌まで書き込んであるのに驚きました。
丸谷 あれはね、岡野弘彦さんに手を入れていただいたんですよ。やはりプロが手を入れると、ぐっとよくなります。
鈴木 『新々百人一首』の選者の歌に朱を入れるとは、岡野さんも大変だったでしょうね。
丸谷 ほんのちょっと直すんだけど違ってくるんです。五七五七七の最後の七のところ、僕がつくった藤壺の歌は押しが弱いんだなあ。岡野さんはそこのところを直してくださった。
鈴木 「限りぞと思ひたえなむ逢ひ見てし夢の名残の身をせむる闇」。原作はどうなっていたんですか。
丸谷 忘れちゃった(笑)。あんまりよくなると、元のは忘れてしまうものなんですよ。
鈴木 丸谷さんはジョイスの翻訳などをなさっているので難しい小説を書くのかと思っている人も多いのではないか。でも読み始めると引き込まれてどんどん読めます。知的なユーモアがあって、常に読者を楽しませることを意識してらっしゃるように思います。
丸谷 面白いでしょう。小説っていうのは面白いものだと思うんですよ、僕は。日本の小説家がわざと面白くなく書くのは間違っている。僕は文学賞の選考委員をやるとき、まず目をつけることが三つあるんです。筋が面白いか、作中人物に魅力があるか、それから書き方がおもしろいか。筋は大事だけれど、筋がいくら面白くても出てくる人間がロボットみたいだとつまらない。筋がよくて作中人物がよくても、書き方に新しい工夫がなくて古臭い書き方を踏襲しているのは、僕はやっぱり惹かれないんだなあ。
鈴木 丸谷さんの長編の場合、しばしばユーモラスな話や人間像で読者を楽しませながら、『女ざかり』ではジャーナリズムと政治の関係とか、『裏声で歌へ君が代』だと台湾独立運動の話から国家とか、いつのまにか現代社会の大問題に目がいくように書かれている。作者はたいへん綿密な計算も楽しんでいらっしゃるように感じます。この作品では学者の世界といいますか、文献至上主義でイマジネーションがちょっとでも入ると学問ではないと否定してしまうような学会の体質、そういう学問への丸谷さんの批判が読みとれますが。
丸谷 それはもちろんありますよ。当然のことです。だいたい定説とかなんとかよく言うでしょう、あてにならないんですよ。僕は新古今の勉強をするときに、関係の本をずいぶん読んだわけです。ところが新古今の学者の中でうんと優秀な人は十人くらいしかいないなあ。新古今学者は二千人はいるわけですが、千九百九十人人くらいはどうってことはない人たちです(笑)。そういう人たちが何かみんな同じようなことを言っている。だから学会の定説なんて意味ないですよ。新古今に西行の「よしの山さくらが枝に雪ちりて花おそげなる年にもあるかな」という歌がありますね。僕は子供のときから、どうして「桜の枝」じゃなくて「桜が枝」なんだろうと思っていたんです。そうしたら十年くらい前かな、折口信夫の慶應大学での新古今の講義ノートが出版された。その中で折口はこともなげに、「の」を使わずに「が」を使ったのは西行がその頃ずっと吉野に籠もりきりだったからだと書いてあったんです。
鈴木 どういうことですか。
丸谷 万葉の文法にはね、内扱いの「が」、外扱いの「の」っていうのがる。
鈴木 そうすると、「わが家」は内だから「が」なんですか。
丸谷 そうです、それなんです。「おらが春」って言うでしょ。「おれ」だから内扱いで「が」がつくんですよ。「梅が枝」は、梅が自分の家の庭に植えるものだからです。桜は本当は山に咲くものだから「桜の枝」なんですよ。ところが西行にとっては吉野山が自分の庭みたいなものだったので「桜が枝」になった。新古今の歌人たちは万葉をずいぶんよく読んだから、万葉の使い方を真似たわけです。折口さんは万葉学者だったから「が」とあればすぐピンとくるわけですよ。ところが現代の新古今学者は新古今ばかりやっているからわからない。いちばん新しい「新日本文学大系」の新古今にも、「桜が枝」に注がないです。折口信夫を読んでいないんです。そういうふうに不勉強なんですよ、専門家っていうのは。
鈴木 丸谷さんは新古今を研究されて、『後鳥羽院』で読売文学賞、『新々百人一首』で大佛次郎賞を受賞されていますね。そのほかにも様々な賞をもらっていらっしゃるのに、十年一作の長編では最初の『たった一人の反乱』で谷崎潤一郎賞を受賞されただけで、その後の長編は賞の対象になりませんでした。これはやはり、日本の小説の常識への反乱と関係があるのではないか。巡り合わせも大きいとは思いますが。
丸谷 まあ、本人にはわからないですよ。それに、おっしゃるように運一つですよ、文学賞なんて。
鈴木 丸谷さんは芥川賞をとられた『年の残り』でも、わざと書いた字の上に二重線を引いて消したりしていらっしゃいますね。
丸谷 ええ。『輝く日の宮』の女主人公が学界に対して喧嘩を売るように、僕の小説は近代日本の小説の書き方に反抗しているですよ。
鈴木 たった一人の反乱≠ナすね(笑)。主人公の杉安佐子は文学研究者だけれども、想像力も創造力も旺盛で小説も書き始める。まさに丸谷さんご自身です。
丸谷 まあ、そうでしょうね(笑)。ボヴァリー夫人はわたしだというあれですよ(笑)。
鈴木 安佐子が源氏の失われた部分を書くという設定で、丸谷さんご自身が「輝く日の宮」を復元する試みをなさりたかったのでしょう?
丸谷 それはありました。でも、それだけではない。動機は非常に複合的なものでして、僕は日本文学史全体が一つの小説になるような小説を書きたいという気持ちを持っていました。ですから、紫式部や芭蕉ばかりでなく村上春樹『ノルウェイの森』とか俵万智『サラダ記念日』とか井上ひさし『父と暮せば』とかも出てくる。そういう、日本文学史が全部入る小説を書きたかったんです。
(2003年6月16日 東京・目黒にて取材)

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