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『金色の虎』の宮内勝典さん
インタビュアー 鈴木健次(大正大学教授)

宮内勝典
(みやうち・かつすけ)
1944年ハルピン生まれ。60年代末からインド、シルクロード、アメリカ大陸などを放浪。79年『南風』で文藝賞受賞。81年『金色の象』で野間文芸新人賞受賞。アメリカでの体験は『グリニッジの光りを離れて』に詳しい。80年代はニューヨークに定住し、『宇宙的ナンセンスの時代』(『鷲の羽を贈る』と改題)などを書く。同時に取材を重ねた『ぼくは始祖鳥になりたい』を雑誌連載後、8年の推敲を経て98年刊行する。現在、早稲田大学客員教授として若者たちに文学の火を伝えようとしている。




『金色の虎』
講談社



『ぼくは始祖鳥になりたい』
集英社文庫



『善悪の彼岸へ』
集英社



『海亀通信』
岩波書店



『裸の王様、アメリカ』
岩波書店

鈴木 プライバシー侵害かもしれませんが、奥様は『金色の象』の朋子のモデルですか?
宮内 そうです。あのときの家出娘です(笑)。
鈴木 初々しいヒロインでした(笑)。今日は『金色の象』じゃなくて『金色の虎』の話で伺ったんですが、『金色の象』で野間文芸新人賞を受賞されたのが昭和54年、僕の宮内さんのイメージはいつまでも60年代のヒッピーのままでした。今回、数えてみてびっくりしました。もうじき60歳ですね。
宮内 長い間、ずっと日本を留守にしていましたから、皆さんに『グリニッジの光りを離れて』の頃のイメージが固定している。だから会うと言われます、あらっ、こんなにお年を召されていたんですか(笑)。
鈴木 僕が宮内さんを知ったのも『グリニッジの光りを離れて』です。夫馬基彦さんとイメージが重なっていました。
宮内 友達です、夫馬さんが一つ年上ですが。
鈴木 あの方も10年くらいインドを放浪されましたね。藤原新也さんも同じ世代でしょう。
宮内 インド以来の友達です。30年ぐらいのつき合いでしょうか。
鈴木 船戸与一さんも昭和19年生まれだと思います。
宮内 仕事の分野はちがいますが、アンテナの向かう方向が、あっ、同じだな、と感じることがよくあります。
鈴木 昭和18〜9年生まれの方にアメリカやインドを放浪された方が多いのは、青春真っ最中が60年代ということもありますか?
宮内 ええ、その後も関心の方向性が似ているようですね。この間メキシコのチアパスというユカタン半島のジャングルで、差別されている先住民たちが抗議の反乱を起こしました。私は関心があって、行ってみたいんですがお金が要る。雑誌とかテレビから声が掛かるたびに、メキシコのラカンドン族を取材したいと言うんですが、そうすると必ず、「あっ、船戸さんの企画が通っています」(笑)。
鈴木 関心の方向といえば、夫馬さんは初期に『宝塔湧出』とか『金色の海』とか、インド放浪小説を書かれて、その後『紅葉の秋の』、『六月の家』など日本定住の方向に向かった。もともと細かな感性で書かれていましたが、連歌の世界まで行き着かれたようですね。宮内さんは初期の『金色の象』で、放浪生活から足を洗って朋子と結婚し、ツアーガイドなどやりながら日本的市民生活に自分を合わせようとしている青年を描き、小説も日本の伝統的な型に押し込めようとされているように感じました。しかし最近の作品は実に気宇壮大ですね。『金色の虎』を読んで、夫馬さんとは逆のコースを歩んでいらっしゃるようにも感じました。
宮内 一回は定着しようかと思ったけれど、家族をひき連れて日本を出てしまった。そして十年後に帰国したとき、中上健次が亡くなったのです。ショックでした。同世代ですから。それで、もうふらふらしている場合じゃない。この日本でがんばるしかないと決心しました。
鈴木 ところで『金色の虎』ですが、インドやヒマラヤ山中で修行している聖者たちを追って放浪しているジローが、その途上で聖と俗との極限を目指すシヴァ・カルパ・アシュラムという巨大な新興教団の噂を聞き、そこに乗り込んでいくという話ですね。私はジローがずっと主人公だと思って読んでいたら、途中三分の一ぐらいのところで……。
宮内 いきなり転調するんです。戸惑いますか?
鈴木 ずっと一人の視点で話が進んできたのに、急にもう一人、新興教団の教祖シヴァ・カルパの片腕になっている日本人精神科医のタジマが出てきて、すこし面食らいました。
宮内 あそこで一部と二部に分けるべきか迷ったんですよ。しかし考えに考えた結果、あえて転調させました。
鈴木 だいぶ分量が違うので、二部に分けてもバランスは安定しないかもしれませんね。
宮内 心地よくすらすら読める小説ではなく、心をかき乱す、混沌とした多面的な小説にしたかったのです。だからヒマラヤの氷の峰から、あえていきなり、地上の真っただ中へ突き放したのです。
鈴木 連載原稿を大幅に削られたそうですね。
宮内 千八百枚だったんです。ぜい肉を削って削りつづけて九百枚にしたんです。かなりのダイエットでしょう(笑)。おかげで本は随分スリムになりましたけど、作者の方はじーっと座りつづけで脂肪がついてしまった(笑)。
鈴木 単行本化まで時間がかかりましたね。
宮内 連載中にオウム事件が起こったことが大きかった。あれで予定が狂ってしまいました。最初のプランがあまりにも現実の事件と似てくるものですから。ジローが惹かれていくシヴァ・カルパの教団がオウムと同じになってしまったら小説の負けです。絶対にオウムには負けられない。どうしたらいいか、迷っているうちに長引いてしまって……。
鈴木 連載を読んでいなかった私は思い違いをしていまして、オウムを取材されて、それが小説に昇華したのだと思っていました。終わりまでこの本を見たら、連載はオウム事件より前の1992年7月に始まっているんですね。
宮内 よく気づいてくださいました。この小説の中で、シヴァ・カルパ教団が武装化して、警察の強制捜査が入るシーンがありますね。そこを書いて数カ月が過ぎたとき、地下鉄サリン事件が起こった。ショックでした。思考実験していたことが現実になってしまった。もう最初の構想どおりに展開していくことができなくなった。想像力と現実との闘いになってしまったのです。
鈴木 80年代の宮内さんのルポルタージュ『宇宙的ナンセンスの時代』に、ラジニーシ・プーラムというインド出身のグルが、シヴァ・カルパと同じように何十万人もの信者を惹きつけてアメリカに移り、荒野に東京二三区がすっぽり入るような広大なコミューンを開く、その取材記が入っていますね。シヴァ・カルパのように何十台ものロールスロイスを乗り回しているあの教祖も、当然モデルでしょう?
宮内 シヴァ・カルパはこれまで出会ってきたグルたちを総合して、私がつくり上げた架空の人物です。
鈴木 それでも、やっぱり読者は麻原を連想するでしょうね。
宮内 麻原よりも、シヴァ・カルパの方が遙かに大きくて、もっと深みをもつ人物だと思いますけれど。連載が終わったときに出版部の人が「どうしますか。すぐ本にしますか。すぐ本にしたら、オウム事件を予言した小説として話題になって売れますよ」と言われたんですよ。でも僕が迷っていることを知っておられたから、「もうしばらく考えたいということであれば、私たちは十年でも待ちます」と言ってくださった。そのときは感動しました。いまや文学は低迷しているといわれながらも、こんな人たちがまだ出版界に残っているんだと思って。十年はかからなかったけれど、書き直しに六年かかりました。オウムの問題にきちっと決着をつけようと思ったことも、単行本化まで時間がかかった理由です。
鈴木 それが『善悪の彼岸へ』の連載ですね。オウムは多くの人が論評しましたが、大部分は教団を社会問題として扱った。宮内さんの場合はタントラ密教の聖者めぐりなどなさるほどこの種の教えにご関心があったからでしょう、難解な教義に踏み込んだ分析を試みられ、最終的にオウムを批判をされた。殺人肯定思想と密教教義との関連まで突き詰められたのは、あまり他に例はないのではないでしょうか。
宮内 あの恐ろしい殺人肯定の思想を倫理的に批判するのは簡単で、誰だって反対です。しかしあれは仏教の影の部分でずっと何世紀も続いてきた教義なわけです。宗教が持つ暗黒面にしっかりと踏み込まずに、闇の部分を浅く越えてはいけない。社会的な現象としてではなく、闇の最深部まで降りていくのが文学者の仕事だと思っています。
鈴木 宮内さんは『ぼくは始祖鳥になりたい』の中でスプーン曲げの少年に、この世界がただ物質だけの場ではないということを訴え続けようとしてきた、と言わせていますね。『金色の虎』に出てくるグルたちも、結局そこを見つめている。この地球上に生まれて死んでいった二千億の人間の中に、二一世紀の今もヒマラヤの山中でその通過していった二千億の魂の行方を極めようとして修行している聖者がいるという事実は、すごいことですね。その例外的な人間がヒマラヤの山の上で通り過ぎていく人間の彼方に何を見ているのか、あるいはその彼方そのものが実は存在しないのか、そのことを宮内さんは書こうとしていらっしゃる。実に宗教的だとも言えるし、実はそれが宗教の破壊につながるのかもしれない。シヴァ・カルパは精悍で、ハーレムに大勢の女性信者を侍らせ、俗そのもののようないかがわしさもあるけれど、魅力ある人物として描かれています。その彼も、やはり精力を失って枯れ木のように死んでいく。彼はその肉体とともに消滅してしまうのか、そのことについては何も書かれていないけれど、それを宮内さんは考えておられるんでしょう?
宮内 そのことがいまだに僕を動かしているモチベーションです。人間はこうやってこの地上に二千億人の一人として生まれてきて、いろんな心の営みをして、知識や記憶やさまざまなものを形成していく。この精神はただ滅びていくだけなのか、それとも人類の長い営みの中に徐々に蓄積されて遠い未来へ引き継がれていくのか。それが僕を引きずっている最も強いテーマだと思います。シヴァ・カルパは、私たちに問いを投げかけるトリックスターです。愛すべきところといかがわしいところ、ありとあらゆる多面性を備えた人間で、偉いのかと思うと、とんでもないいかさま師かもしれない。でもこのトリックスターが投げかける問いの中で考えなければいけないのは、一番心血を注いだ部分なんですが、彼が悪魔の誘惑について語る部分です。
鈴木 涅槃という仏教の根本に迫るところですね。悪魔は、釈迦が渇愛を脱却して涅槃に入ったということは、自分の与えた誘惑に負けたということなのだと言う。
宮内 宗教が否定する愛欲とかさまざまな葛藤は、結局、人間の欲望につながるものです。しかし私はいつも思うのですけれど、宗教が乗り越えようとするものの側に宇宙の本当の姿があるのではないか。仏陀をはじめ我々人間はみな性愛によって生まれてくるわけですから、欲望を否定することは絶対に不可能です。それを否定することで宗教は教義のシステムを持ちますけれど、宇宙の本当の姿は、宗教が否定するもの、悪魔の側だとされるものの中にあるのではないか。タントラ思想の中に汲むべきところがあるとすれば、ヒンズー教が否定し、仏教が排除しているものの中に人間の本質があるということだと思うのです。人間のエネルギーの根源は食欲であり、性欲であり、人に評価されたいとか、そういったさまざまな欲望によって動いている。いきなり欲望を否定しなさいと言われたって、それが人間なんだから、僕は否定できないと思うのです。瞑想して悟りを開いてそれを捨てられる人間は、長い人類の歴史の中で何人いるかわからない。ならばその欲望は肯定して、その欲望をもっといい方向へ持っていこうじゃないかと考えるべきだと思うのです。それがシヴァ・カルパに語らせたかったことです。人間の欲望の全体を肯定しながら、それを地上や世界への愛に変えていけばいいんじゃないか。僕はあの世があるかないか、全然わからない。仏陀だってそういう問いを弟子たちに禁じています。僕が涅槃思想をなぜ否定したかというと、超越性というか、超越的な観念のエリート主義になっちゃうからですよ。そういうところからオウムが生まれてきた、と僕は思うのです。
鈴木 宮内さんはカウンターカルチャーが花開き、既成の価値体系が大幅に崩れた60年代に青春を過ごされた。いまその社会が経済至上主義に戻ってしまったという現実があります。宮内さんはその後も60年代的志向を執拗に追い、そこに小説のテーマを求めている。そのまま宗教の世界に行ってしまってもおかしくないと思うのですが、90年代になって、文学に戻ってこられた。しかし、文学はかつての文学ではなくなっている。文学の危機が言われて久しいですが、なぜそこにあえて帰っていらっしゃったのでしょう。
宮内 私はカウンターカルチャーの中で青年時代を過ごし、それを信じて反戦運動をやってきた世代です。しかし僕らが夢見たものはすべて敗れました。でも時代というのはシーソーゲームのように、こっちに傾斜すれば、いつか反対側に比重が変わるかもしれません。学生運動が連合赤軍のようなかたちになって破滅し、宗教もオウムのようなことになって、若者たちはいま社会変革もだめ、内面の探求もだめということで、何も希望がなくなっている。でも時代のシーソーがもう一回傾いた場合に備え、僕らは証を示しておかなければいけない。この世界を見限ってはいないんだと、若者たちがポストモダン後の精神性を求めた場合に示せるものを準備しておこうと思ったのです。カウンターカルチャーがなぜ滅びたのか。あまりにも無知すぎたんです。私は80年代は宇宙飛行士に会ったり、NASAを訪ねたり、先端科学などを学びながら小説の準備をしました。いま経済至上主義に起因する病は日本じゅうに広がっています。いろんな犯罪が起こり、若者たちは無気力になった。『金色の虎』は一見宗教的な小説ですけれど、本当のところはシヴァ・カルパというトリックスターを通して、宗教の息の根をとめようとしているのかもしれません。でも我々はどこから来て、どこへ行くのかといった永遠の問いかけはやはり大切だと思うのです。それを新しいかたちで次の世代の若者たちに提出すること、それが自分の仕事ではないかと思っています。
鈴木 今の無力化したと言われる文学で、それができるでしょうか?
宮内 現代は致命的に文化が空洞化しています。文化とは何か。一言でいうなら意味の体系です。その意味を担ってきたのはやはり文学だったと思うのです。浜崎あゆみや宇多田ヒカルのCDが何百万枚売れたとしても、意味の空洞を満たすことにはならない。こんなこと言ったらドン・キホーテだと笑われるだろうと思いますけれど、文芸復興をやりたいと思っているんです。我々が全力を振り絞れば状況は変えていける。僕は大学で若い人たちと毎日つき合っていますから、その手応えを感じています。
(2002年12月20日 東京・高島平の自宅にて取材)

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