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Interview インタビュー 『雲南の妻』の村田喜代子さん
インタビュアー 鈴木 健次(大正大学教授)

村田 喜代子
(むらた・きよこ)

1945年北九州市八幡生まれ。85年、自身のタイプ印刷による個人誌「発表」を創刊。87年、『鍋の中』(文春文庫)で第97回芥川賞を受賞、同作品は黒澤明監督により「八月の狂詩曲」として映画化される。現在も北九州で執筆を続けている。著書に『白い山』(女流文学賞)、『真夜中の自転車』(平林たい子賞)、『蟹女』(文藝春秋・紫式部文学賞)、『望潮』(文藝春秋・川端康成文学賞)、『龍秘御天歌』(文藝春秋・芸術選奨文部大臣賞)『異界飛行』(講談社)、『人が見たら蛙に化れ』(朝日新聞社)等多数。




『雲南の妻』
講談社



『望潮』
文藝春秋



『龍秘御天歌』
文藝春秋



『蕨野行』
文春文庫

 
鈴木 この小説は雲南省に駐在している商社員の妻が、少数民族の若い女性と同性結婚をするという、それだけ聞くとショッキングな話ですけれど、読んでみると桃源郷をたゆたうような気分になりました。
村田 雲南は北京からは遠く、北京へ行くよりベトナムやラオスに行くほうが近いという土地です。中央政府の統治があまり及んでいない。例えば中国では一子政策ですけれど、少数民族に対しては三人までいいとか、普通は犬を飼うとすごい高い税金がかかるけれど、少数民族は貧しくてもたくさん犬を飼っているし、子どもも三人以上いるように見えます。
鈴木 米作民族に共通する何か既視感がある光景の中に、スーッと誘い込まれました。カンボジアへ地雷撤去のボランティア活動に通っている男が、現地で交通事故に遭って意識を失い、五カ月入院している間ずっと自分の現実とは違う生活をしている夢を見る。それが現地人の妻とその間に子供までいて、自然にとけ込むような生活なんですね。偶然その話を聞いた六十代の女性・敦子という主人公が、日本の自宅の庭の草花から雲南の跳舞草を思い出し、プルーストがマドレーヌのお菓子から「失われた時」を見出すように、中国駐在員だった夫と過ごした雲南での二十年以上前の夢幻的な生活を思い出していく。
村田 私は『鍋の中』から出たので、幻想的なことばっかり考えていると思われているんですけれど(笑)、決してそうではなくて現実的な人間でもあるんですが……。
鈴木 日本文芸家協会で毎年、秀作短篇を集めて『文学』というアンソロジーを出していますね。数年前、それに村田さんの「十二のトイレ│鶏頭」が載ったとき、秋山駿さんがその年の収録作には現実じゃないものを描いている作品が多い中で、村田さんは現実を書いている少数派の一人だと解説しています。
村田 エッ、そうですか。それはうれしい。幻想を書く人間って、わりと現実派じゃないかと思ってます。酒に強くないとしんから飲めないように……。
鈴木 『雲南の妻』は幻想的だけれども、既視感を誘うリアリティーがあると思いました。
村田 幻想を小説に書く、逆にあり得ないことをあり得るように書くには、リアリティーがいるように思います。
鈴木 防犯カメラのようなリアリズムではなくて、村田さんの中で発酵させたリアリティーですね。これを書くためにいろいろ勉強されたと思うけれど、それが村田さんの感性で濾過され、十分発酵させた中国茶のような味わいがあります。
村田 そうであればいいんですけどね。幻想的な小説を書く人は大勢いらっしゃるけど、初めから幻想だというのじゃなくて、私は現実の生活からじわじわ、じわじわ入るのが好きなんです。いかに幻想に入るか、入眠儀式のようなものをいつも考えるんです。−−入口の楽しみですね。
鈴木 ここでは地雷撤去の男の話と、跳舞草に歌を歌ってその花を開かせた雲南の若い女性、夫の通訳兼秘書だった英姫の思い出から中国での生活の記憶の扉が開き始める。
村田 あの花は本当に歌を聴いて動くんですよ。夢のようですよ。日本で咲いているのはちょっと違うんですが、風蘭ですね。風蘭は全く根がないんです。例えばカマボコ板かなんかにひもでまいてぶら下げておいたら、もうそこで花が咲く。花はあるんだけど宙に浮いている。それがはるか夢の中になってしまった遠いかなたの雲南の象徴になっているんです。それとカンボジアで交通事故に遭い、麻酔をかけられている間に不思議な夢を見るという、あれは本当の話なんですよ。私の知人から、その話を聞いてずっと心に残っていましてね、今度この『雲南の妻』を書くときに、あれを最初に入れようと入り口は最初に浮かんだんです。『雲南の妻』を書きたいなと思ったのは、色々なことにつながりがあります。私に『蕨野行』という姥捨ての小説があるんですが、それをいま恩地監督が映画化しているんです。その恩地さんが映画化させてほしいと手紙をくださったとき、稲作の民を追って撮影で雲南へ行ったら、姥捨ての風習があって、それが姥ではなくて爺捨てだったというんですよ。六十になると爺さんは家を離れ山奥に入っていく。雲南ですから日本と違って果物は自然に生るし、土は豊かですから耕せば何でも実る。それで爺さんたちばっかりで小屋をつくって暮らして、きょうは魚釣り、あしたは畑、農繁期になると息子が村から呼びにくるんだそうです、手伝ってくれと。
鈴木 『蕨野行』と似ていますね。
村田 ええ、あれもやっぱり村に加勢に行くでしょう。恩地さんはそれを見たので、『蕨野行』を読んだときに、ああ、日本にもこういうのがあったんだというので記憶に焼きついたというんですね。私はそれで雲南って面白いところだと思った。そうしているうちに私、中国茶が大変好きなんですけれど、中国茶のことに詳しい方がいて、その人が雲南で「結婚しない娘たちの村」というのを見たというんですよ。中国には結婚したがらない女たちの流れがあったようです。結婚しないと一人前と認められないから結婚はするんですけど、次の日にはもうさっさと里に帰ってきて、夫が死ぬまで戻らない(笑)。広東のデルタ地帯では、昔から製糸工業が盛んで、日本では女工哀史といって非常に悲しい話がたくさんあるけれど、広東ではくわえたばこでジャンジャン仕事をしてお金を儲け、夫に第二夫人を買い与えて、自分はさっさと引っ込んでしまう。私そういう話も聞いていて、女性には結婚願望がある一方で、結婚拒否願望というのも強力だと思うんです。
鈴木 主人公の女性が結婚する英姫という若い女性は語学の才能があって、いろんなことに意欲的で村の生活におさまり切れず、仕事をつづけていきたいということもあるんでしょうね、男に縛られたくない。だから利害関係もありますね。同性結婚が実現すれば、英姫は仕事を続けられるし、商社員にとっても藍染めや茶の買い付けに都合がいい。
村田 そうです、そうです、初めはね。
鈴木 でも英姫は夫になってくれた敦子を好いているし、敦子も初めは変な話だと思うけれど、男との性的な意味も含めたわずらわしい関係とは違った、もっと静かな結婚生活を知ることになる。村田さんは結婚していらっしゃってこういう小説を書いた。なかなか男に辛辣ですね。女はひとりの方がサバサバと気持ちがいい、どうせ恋愛なんて時間制限がある。サカリがついたときだけ猫はギャアギャア鳴くけれど、用を足しちゃうとケロッとして、もう声ひとつ立てない。女性はたまに男が必要になるときがあるだけだと書いている。
村田 別に辛辣ではなくて、夫を持つ妻たちが公然と言っていることですよ(笑)。
鈴木 じゃ一体、結婚って何なのか(笑)。
村田 そうですね、何なんでしょう。もともと結婚というのは強い男にも弱い男にも、優れた男にも優れていない男にも平等に女性を分配するためにできた制度だというのを読んだことがあります。それに狩猟時代なんか、女は力が弱いから食べ物をもらうために男性が必要だった。男のほうはそれで子孫を残す。でも時代が進んできたら女でも食っていけるようになった。江戸時代でも農村ではもっと自由で、十八回結婚したとか、つまり十七回離婚したわけですよね、そういう女はたくさんいたらしい。明治以降、庶民までみんな名字もできましたし、簡単に別れたりするのが難しくなったんじゃないかと思いますね。家庭とか家族なんというのはつい最近の概念で、我が子がかわいいとか、そういうことはあったと思いますけれど、子孫を残すといっても、私も自分の実家のことを考えると、もらい子ばっかりなんですよ。自分の子供が生まれなくても、産み過ぎる家があったんです、昔は。だからもらっちゃうんですよ。私は母の子ですけれど、母は祖父と祖母にもらわれたんです。祖母の妹も子供ができなくて養女をもらっている。結構やりとりが頻繁でした。ですから、子孫を生むのもそれほど重大なことではなかった。『雲南の妻』を書きながら思ったのは、女同士でいるということの居心地のよさです。今日も九州から飛行機に乗って来ましたけど、ツアー旅行の女性たちがいっぱいで、それはもう楽しそうでしたね。旅行には行くけど夫とは行きたくない(笑)。これって何だろうというのがずっと私の中にあるワクワクするような疑問だったんです。結局、男というのは女にとって異種なんです。やっぱり同種がいい(笑)、異種だから結婚するんですけどね。女は男なんて嫌だ嫌だと言う、その嫌だ嫌だと言うところが女性らしいと言った男の人がいました。かわいそうに男性の方は、女がいい女がいいといって後を追っかけ回すじゃないですか(笑)。それが男らしい。どうしてそうなのかというと、つまり女は種を孕む大地で、男は一生懸命種を蒔きたがる。大地の方が入れてくれ入れてくれというのは絶対にない。泰然自若として「あら、入れるの。させてあげるわ。蒔きなさい」と、自然は決して媚びない。今の家庭の形は歴史の中のほんの短い期間のことですよ。雲南というところは面白くて、いろんな少数民族がいて、村一つ違うと結婚の風習も違う。自分のところはこうだけど、向こうはそうであるということがわかっていて、相手の文化を許してつき合っている。
鈴木 この小説を読んで、村田さんのこれまでのお仕事は、『蕨野行』では老人が集団で人里離れたところに一つの共同体をつくっていますよね。『望潮』では老人が集団で、海岸のカニの群れのように箱車を押して車に当てられて補償金を得ようとうろうろしている。『龍秘御天歌』は慶長年間に連れてこられた朝鮮の陶工たちの子孫が、自分たちの文化を守りながら、異文化衝突の歴史を生きている。そういうふうに共同体を書かれた作品が多いですね。稲作民族の共通の郷愁につながるような記憶、広くいえば人間共通の暮らしの原点の記憶みたいなものにご関心があるんじゃないかと思いますが。
村田 とてもありますね。自分の中のファクターとしてそれはとても大きい。私は祖父母に育てられ、血はつながっていないけれどとてもかわいがられた。身内にももらいっ子やらなにやら多かったんですけど、強い女系の共同体でした。あれは何だったんだろうというのがあるわけですよ。自分の中の幻想ですが、人が群れると神になるというような感じです。人間一人一人が生きているのを見ても何ともないけれど、一つの何かのまとまったものになると、神様がすそを長く引きずっているような、そういう神々しいものを感じるんです。私はその引きずっているものを書きたいんですよ。
鈴木 一種の現代の神話をつくるという意識がありますか。
村田 ええ、それはあります。時代が変わっても、やっぱり神話というのは存続できると思います。人間は一人でいるときの姿とみんなが集まったときの姿とでは、何かもう一つ違った面を出すんじゃないかなって思うんです。そこが私はとても好きなんですよ。
(10月9日 東京・品川にて収録)

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