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『父でもなく、城山三郎でもなく』
井上紀子
毎日新聞社 出版局図書編集部 大場葉子さん


 
初めて見る父の顔とは


 この本は、次のような井上紀子さんの言葉から始まった。
「父の最期の顔は穏やかな笑みに満ちていました。こちらの心まで温かくなるような、初めて見る父の顔でした」
 それは、・素の表情・に見えました。父でもなく、城山三郎でもなく──。井上紀子さんは、作家・城山三郎さんのひとり娘である。傘寿を目前に間質性肺炎に倒れた父親との別れの日々について、紀子さんはその様子を包み隠さず話してくださった。二〇〇七年、初夏のことである。
 その中でも胸を突いたのが、冒頭の言葉だった。「初めて見る」って、どういうことだろう? いったいどのような笑顔だったというのだろう。
 「見たとたん、すぐに連想したのは幼児でした。それも、保育園児がやっと迎えに来てくれた母親を見つけた瞬間のような、安堵の表情です」
 それは亡き母に向けた微笑みでした、と井上さんはおっしゃった。「亡き母」とは、二〇〇〇年二月に亡くなられた城山さんの妻、容子さんのことだ。井上さんの一語一語を耳にしながら、今、私の目の前にいる人は、紛れもなく「城山三郎の娘」なのだという思いが頭に焼きついたことを憶えている。その観察力、記憶力、描写力、そして愛情。まさにそのすべてが作家の素質といえよう。
 迷うことなく「今、感じていることを文章にして頂けませんか」とお願いした。それから毎月一回、茅ヶ崎のご自宅近くまで原稿を受け取りに行った。三回ほど原稿を頂いたある日のこと、井上さんは言った。「書くことが供養になっている」。書くことで、再び父を知り、母を知り、自分を知り得た気がすると。やはり、目の前にいるのは城山さんと同じ眼を持つ、一人の書き手だ。そう強く感じた。
 収録したエッセイは七篇に及ぶ。最終章は一周忌を描いた〈天国での誕生日〉。結びの言葉がまたすばらしい。この境地に辿りつくまで、読み手である私たちは幾度となく逝ってしまった人々への思いを活字で体験することができる。ぜひ、お手にとって確かめて頂きたい。


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