「お父(ど)は、吾(わ)がださ、おっかね時もあったども、人っこだば根っからいい人っこであった」等々、女優浅利香津代さんが凄まじい秋田弁で一九八〇年芸術祭優秀賞を受賞した「釈迦内柩唄」。
その訛りの温かさをこの書で得ることができますが、この作品は、郷土色を懐かしむというよりも、人間の美しさを重層的に描きだしたものというところに大きな特徴があるように思えます。それもそのはずで、万涙をさそう男女の愛を描きだしつづけた大家・水上勉氏が、『飢餓海峡』などで見せた社会派の角度から、日本の戦争と侵略、愛をはばむ差別などを、正面から丁寧に描き出しているのですから。
しかもこの書には、なぜこの作品を書いたかの二つの文章が収録されていて、国会図書館で検索すれば八三〇冊もの著書がある水上氏の本のなかでも作者の思い入れの強い、極めて異例な書籍になっています(過去に出された『釈迦内柩唄』は国会図書館にも所蔵ナシ)。
中心テーマには、中国人・朝鮮人強制連行事件で有名な「花岡事件」が座っているのですが、この事件の概要を示す資料なども水上氏自身が編纂し、装丁も自らがおこなうという念の入れようで、このような本づくりはこの書籍だけではないでしょうか。
逝去されてから三年目の命日(二〇〇七年九月八日)を前に、作者の想いを忠実に再現しようと編集したのがこの本でした。作者の抑制された、しかし非常に強い想いを示す言葉が「あとがき」にあります。その言葉に突き動かされての編集だったような気がします。
「この世には忘れてはならないことというものがあって、人間である以上は、何ども何ども語りつがねばならないことはあるものだ。戦争というものを二どと起こしてはならないならば、『花岡事件』は、日本人として忘れてはならないことの一つだ」。
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