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『ザビエルとその弟子』の加賀乙彦さん
インタビュアー 鈴木健次(大正大学教授)

加賀乙彦
(かが・おとひこ)
1929年東京都生まれ。53年東京大学医学部卒。東京医科歯科大学助教授、上智大学教授等を経て、79年から文筆に専念。また、立原正秋らの同人誌「犀」に加わり、短編も発表する。フランス留学の体験をもとに、専門の精神医学を生かした作品を数多く執筆。『フランドルの冬』(芸術選奨文部大臣新人賞)、『帰らざる夏』(谷崎潤一郎賞)、『宣告』(日本文学大賞)、『湿原』(大佛次郎賞)、『永遠の都』全7巻(芸術選奨文部大臣賞)等著書多数。




『ザビエルとその弟子』
講談社



『宣告 上』
新潮文庫



『宣告 中』
新潮文庫



『宣告 下』
新潮文庫



『高山右近』
講談社文庫



『雲の都 第1部』
新潮社



『永遠の都』
新潮文庫


鈴木 『高山右近』をお書きになった頃から、ザビエルを書こうという構想をお持ちでしたか?
加賀 ええ。ライフワークとして三つキリシタン小説を書こうという気持ちがあって、まず一九九九年七十歳のとき、『高山右近』を書いたんです。これは新作能にもしたりして、あの数年間は高山右近びたりになっていたんですが、次にザビエル、というよりもザビエルの弟子を書きたいという気持ちがあったのです。『高山右近』を書き終えてからザビエル伝をいろいろ読んで構想を練りました。実際にはその前からザビエルというのは非常に興味があって読んでいましたし、いくつかのザビエルをもとにした小説なんかも読んで、自分は自分なりのザビエルを書こうと考え、それで弟子の立場から書いてみようと思うようになったんです。そうすると日本とヨーロッパとの接触がどんなものであったかということも書くことになる。これは日本と西洋との最初の接触ですから、接触の場面をなるべく生き生きと、リアリティをもって書くにはどうしたらいいか、というようなことを考えていたんですね。
鈴木 もしこの本が仏訳か英訳される場合は、「弟子」は単数扱いですか、複数扱いですか?
加賀 それは「弟子たち」ですね。
鈴木 いろんな弟子が出てきますが、いまお話を伺うと日本人の弟子アンジロウがまず頭に浮かびます。この小説は中国人神学生アントニオの視点から書かれているんですが、私はアンジロウの視点で書かれても面白かったのではないかと思いました。アンジロウの視点にするか、アントニオの視点にするか、迷われる、ということはなかったでしょうか?
加賀 それはなかったですね、アントニオという人物にも非常に興味がありましたから。アンジロウよりアントニオのほうが弟子としてははるかに上だという気がします。ああいう頭がにぶくちょっと物足りないような人物が最後までザビエルについて行く、その姿勢が私のキリスト教についての考えにぴたっと一致するんですよ。だから私の心づもりではアントニオが主人公でした。
鈴木 アントニオは性格も行動も地味ですから、最後のアンジロウの亡霊とザビエルとの対話のほうが強烈で、こっちを主にすることもありうるかと……。
加賀 アンジロウの視点から書くことは私も考えたけれど、彼は鹿児島でしかザビエルと一緒ではない。ザビエルが山口へ行っちゃったあとは消息不明です。いつの間にか消えてしまう。
鈴木 二人が出会ったのはマラッカで、ザビエルが彼をゴアの聖信学院に留学させ、それから日本へ連れてくるんですね。
加賀 それは史実です。日本とヨーロッパの出会いの仲介役はアンジロウです。彼がいなければザビエルは日本に来なかった。だから非常に重要な人物なんですが、ザビエルはその後中国伝道を考え、自分の命を捨てても行こうということになる。そうなるとアントニオの支えがなければ何もできない。彼の最後の日々を支えたのはアントニオです。自分の意志では何もしないけれど師の言うとおり忠実にその跡を追っていたアントニオ、彼みたいな人間が描けたらいいと思いました。それとアンジロウとを比較してみたいということもありましたね。題は倉田百三の『出家とその弟子』という作品がありますから前から考えていて、弟子は複数ですが日本語では複数でも弟子たちとしなくてもいいですからわざと弟子として、読者がどの弟子がよかったか考えてくださればいいというようなイタズラ心がありました。
鈴木 私はNHKの仕事でザビエルが日本まで来た道を逆にたどったことがございました。マカオは行きませんでしたが、マラッカ、ゴア、リスボン、ローマでイエズス会本部やヴァチカンの法王庁などまわりまして、最後にナヴァラのザビエル城まで行きましたので、この作品を読んでいろいろ思い出しました。しかし加賀さんの小説はザビエルの全生涯をたどるのではなく、最後の五ヵ月ほどに絞っていらっしゃるんですね。
加賀 そうです。彼はいろいろな仕事をして四十六歳で死にましたけれど、最もザビエルらしいのは最後の数ヵ月で、彼らしい信仰のあり方を選んで死んでいく。実に見事です。彼が死んだサンチャン島に行って取材したときに、やっぱり中国大陸まで後一歩のここを舞台にして書きたいと思いました。マラッカに行ったときにはマラッカを舞台にして書こうかと思って、一時そういうのも書いてみたんですがどうもうまくいかず、やっぱり死にいく人の最後を描きたいと思うようになった。私は能が大好きで、世阿弥の夢幻能の方法を使って小説を書けないか、ということを考えたんです。
鈴木 アンジロウの亡霊が出てくるところなど、まさに夢幻能ですね。
加賀 シュールハンマーといういちばん詳しいザビエル伝を書いた人が、彼はいよいよ死ぬとき熱病でずっと寝込んでいたのに、ある一日だけ非常に落ち着いて頭もはっきりしていたと書いている。私はそこにアンジロウを登場させようと思ったんです。アンジロウは亡霊ですから、世阿弥の夢幻能のように死者の霊がザビエルを訪れるという発想が最初からありました。ですから能なんです、この小説は。
鈴木 『群像』に発表されたとき、亡霊が出てくるところはアンジロウがザビエルに「わたくしめを思い出してくださって光栄です」と言うだけですが、単行本では「今、あなた様がわたくしめを思い出してくださったため、霊の力に吸引されてここにやってまいりました。光栄です」と加賀さんは書き換えていらっしゃいますね。それを読んで、ああ、これは夢幻能だ、と初めて連想しました。
加賀 夢幻能ですから、死んだ人間が生きている人間の知らないことを語りかける。そういう構造なんです。雑誌に発表してからいくつか批評が出たんですが、皆さんそこで躓いていらっしゃる。不自然だというんですよ。ザビエルが知るはずのないことをザビエルの意識が見ることはおかしいとか、ザビエルは死にかけていて幻覚を見ているわけだから、あんな幻覚が病み衰えた人間に出るのはおかしいとか。そういうふうに読まれちゃったら、この小説は全然わからないと思うんです。近代的自我の衰弱の中で幻覚があるんじゃない。最初から構成として死んだ人間の霊が生きた人間に語りかけているんです。
鈴木 日本の伝統的手法ということになるのでしょうか。ところで先週、映画の『パッション』を見ました。あれもキリストを最後の数時間に絞って描いていますね。映画が公開されたのはこの小説が発表された後ですが、ザビエルの迫害と苦難の最後と、死後、生けるが如き遺体という奇跡が起こるというのは、加賀さんのなかで、どこかキリストの受難と復活に重なっていたのではないかと……。
加賀 最初からオーバーラップしていました。下敷きになっているのは聖書です。そして最後の月夜の場面、つまり死ぬ直前は、十字架のキリストですね。ですから全体としてキリストのパッションを下敷きにして、アタイダの迫害から非常に苦しんで、苦しんで、苦しんで死んでいく、そういう最後を描いたんです。ただキリストと違うのは、キリストはまったく孤独でしたが、ザビエルはアントニオとアンジロウが支えてくれた。まあ、そういう構造を書きたかったのであって、決してあのザビエルとアンジロウの対話をザビエルの意識として書いたわけではありません。ザビエルの意識が幻影と語っているのではないんです。だからわざわざ対話形式をとっている。最初から対話形式の部分が多いのは、最後のザビエルとアンジロウの対話を書くための伏線として、なるべく不自然でないよう考慮したんです。
鈴木 イエズス会のアルーペ神父が訳されたザビエルの書簡集には、解説というかたちで簡単な彼の経歴が紹介されていて、それと加賀さんがお書きになった小説とは、客観的事実については重なるところが多いわけですが、対話のところは史実の桎梏から自由になって、作家としての加賀さんのお考えを、史実と曖昧なかたちで混交させることなく表明する手法として採用されたのかと考えたのですが……。
加賀 ええ、それもあります。やっぱり対話がいちばん小説のなかで重要で、対話を書くのにどうも地の文があって会話があるという小説の形式では書きにくいですね。十八世紀以前は戯曲というものしかなかったわけで、それに地の文が加わって小説という形式ができたわけだけれども、それを元に戻してみたかった。例えば能の台本みたいなものは、みんなそうなっていて、そういうものを意識して書いたわけです。心して世阿弥に戻ろうじゃないかという気持ちですね。そういうかたちでなければザビエルというあの不思議な人間は書けないのではないか。ザビエルについて調べれば調べるほど、奇妙な人間で、あの人がよくもまあ、日本に来てくれたと思うんです。実に神秘的な体験がいろいろある。イグナチオ・ロヨラもそうですね。この二人の神秘主義者の一人が日本に来た。ところが、これまでのザビエル観はそうじゃない。ヨーロッパの文明を移入してくれたとか、理性的な人間であったとか、欠点のない聖人であったとか、そんなのばかりでして……。
鈴木 ザビエル城に参りますと、税金を払わなかった領民を幽閉する地下牢などもありますね。城のすぐ隣に教会もあって、これは後に建てられたものかもしれませんが、中にザビエルが洗礼を受けた時のものだという聖水盤がありましたが、もしナヴァラ国がスペインとの戦争に負けなければ、彼は騎士として貴族のような生活を送ったのではないか、世俗的野心も強かった人間ではないかと思いますが。
加賀 私もそう思います。彼が聖職者になったのは、非常に野心的な動機からだった。
鈴木 あの頃はまさに『赤と黒』の時代ですね。戦士がダメなら黒い衣を着て権力を手にしようとする。
加賀 ただ、彼はそうした世俗心ををだんだんに捨て去ってイエスの真似をはじめるんです。イグナチオ・ロヨラの書いた『霊想』という本の中に、ちょうど『パッション』という映画のように、イエスの受難を事細かに思い出し、その苦痛を自分の苦痛として引き受けるための黙想の記述があるんです。イエズス会の人は一定の時期に一週間の黙想に入るんですが、その時イエスが最後の受難のときに深い黙想に入ったのに倣う。イエスのむち打ちの痛み、茨の冠の痛み、そして重い十字架を背負う痛み、釘を打たれる痛み、そして死んでいく痛み、すべての痛みを思い出しなさい、そしてそれを生き生きと自分の痛みとして体験しなさい、というのがイグナチオの『霊想』です。
鈴木 ザビエルにとって、イグナチオ・ロヨラの影響というのは決定的に大きかったんでしょうね。私はイエズス会というのがよくわからなかったんです。学生時代にフランス語を少しやりましたが、「ジェズイット(イエズス会士)」というとモリエールの作品などでは「偽善者」という意味ですね。しかし、イエズス会の本部に行って大いに認識を改めました。たいへん知的な、活気のある集団ですね
加賀 ジェズイットはヨーロッパで、ずいぶん誤解されて迫害を受けました。一時はローマ法王庁からも迫害されて、全員活動停止という時代もあったんです。いまだかつてジェズイット出身の教皇というのは一人もいません。
鈴木 ザビエルとアンジロウの対話が非常に興味深いのは、それがジェズイットの性格なのかカトリックの性格なのかわかりませんが、ザビエルの布教の仕方に対してアンジロウが手厳しい批判をしていることです。ザビエルはゴアの聖信学院のゴメス院長を非寛容のゆえに罷免しますね。ザビエルはアンジロウにゴメスの罷免に関して、人を導くにはその土地の習慣とか気質をわきまえなければならないからだ、と説明しています。ところがそのザビエルがアンジロウから、同じ理由で批判される。
加賀 キリシタン時代がザビエル来日からわずか六十五年でもって徳川家康によって息の根を止められてしまうのは、やはり布教のやり方に問題があったのではないかということですね。その過ちは、そもそもザビエルから始まっている。土着の宗教など、その土地の人々の尊重しているものをよく窮めた上で、お互いに尊敬しながら布教していくというのが本当の姿勢であるべきで、それがそういう具合にカトリック教会が変わってくるのは、一九六〇年代の第二ヴァチカン公会議以降のごく最近のことなんですよ。私はカトリックの洗礼を受けたんですが、第二ヴァチカン公会議以前のあの硬直した布教精神だったら、私はカトリックにならなかったのではないかと思います。
鈴木 アンジロウのザビエル批判には、加賀さんの思いが重なっていると感じました。いったん地獄に堕ちたら救いはないと言うザビエルに対してアンジロウは、それは一生懸命祖先の供養をする日本人の心情からは受け入れられないと言います。これは重大な問題ですね。プロテスタントでもカルヴァン的な救済予定説には批判があって、それが教派の分裂の原因にもなっています。
加賀 いまの時点からザビエルを見直すと、アンジロウの言うようなことが見えてくる。しかしそのことは皆さん遠慮して書かない、聖人ですからね。日本のザビエル伝やザビエルを主人公にした小説は、どれも彼を完全無欠な聖人として書いているのばかりで、それは、やっぱり小説家の私としては面白くない。ザビエルにも欠点はある。周りの人間としょっちゅう衝突しますし、土俗の宗教について軽蔑感もつよい。そういうことはみんな隠して完全なザビエルにしているんですが、それは変だと思う。歴史の中の存在として正しくザビエルをとらえるべきです。私としては、聖人伝を書く気は全然なかったんですよ。『ザビエルとその弟子』は、私としては小説の構造についてものすごく冒険したと思っています。人間ザビエルを書こうと思うと、どうしてもこういうかたちになってしまう。この小説がちょっとでも成功しているといいと思っているのは、ザビエルというのはああいう欠点のある、しかし面白い人物だということがわかってもらえたらと思うからです。遮二無二イエスの真似をして、日本へ来て、それから中国へ行こうとして挫折した。そういうダイナミックな人物で、神秘的な、不思議なところもあるとともに、欠点もある人物だった、そんなふうに読んでいただければありがたいんです。

(6月14日 東京・本郷の加賀乙彦さんの仕事場にて収録)

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