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『空中ブランコ』の奥田英朗さん
インタビュアー 「新刊ニュース」編集部

奥田英朗
(おくだ・ひでお)
1959年岐阜市生まれ。雑誌編集者、プランナー、コピーライターを経て作家になる。デビュー作品はジョン・レノンをモデルにした『ウランバーナの森』。2002年『邪魔』で大藪春彦賞を受賞。ミステリーからユーモア小説まで幅広く執筆している。著書に『最悪』、『東京物語』、『イン・ザ・プール』、『マドンナ』、『野球の国』、『真夜中のマーチ』等がある。




『空中ブランコ』
文藝春秋



『イン・ザ・プール』
文藝春秋



『最悪』
講談社文庫



『邪魔 上』
講談社文庫



『邪魔 下』
講談社文庫



『野球の国』
光文社


―― 『イン・ザ・プール』に続く伊良部一郎シリーズの第二弾『空中ブランコ』が刊行されました。ファンとしては待望の二年ぶりの続編ですね。
奥田 『オール讀物』での連載がまとまったので続編が出ます。
―― 今回の五編もさまざまな精神的悩みを抱えた人たちが伊良部総合病院の地下にあるキテレツ精神科医・伊良部一郎のもとを訪ねます。どういう人たちかというと、相手が信用できなくて失敗し続けてしまう空中ブランコのフライヤー、先端恐怖症で刃物がダメなやくざ、伊良部の医大時代の同級生で強迫観念に悩まされている精神科医、新人選手入団のプレッシャーからまともにボールを投げられなくなってしまったプロ野球の名三塁手、売れ線を狙って不本意な小説を書き続けているうちにどこかでパクリをやっているんじゃないかと不安に陥る流行女流作家…、どの患者も職業喪失の危機にあるんですが、申し訳ないんですけど、その行動や心理描写に思わず笑ってしまいました。
奥田 前作『イン・ザ・プール』が症例別なら、今度は職業編でいってみようと。そうすればいろんな職業の世界を書けるし。それにどんな職業であれ、苦もあれば楽もあるということを描きたかったんですね。
―― 先端恐怖症のやくざの話(『ハリネズミ』)で、刃物はもちろん箸、鉛筆、爪楊枝にも脅えてしまう組頭は血判状に署名するにあたって土壇場で指を噛み切る大芝居を打ったり、読んでいて大笑いしながらも、どこか人ごとじゃない、何とも言えない怖さも感じました。ただ、奥田さんはそういう悩んでいる人を救おうというような気持ちが執筆の動機ではないでしょうけれど。
奥田 そういうのはないですけれど、この小説を読んで楽になってもらいたいとは思いますね。心の病って、実際に患った人にとってはものすごく深刻だし、笑い話にするのは不謹慎かもしれないけれども、深刻ぶったって治るものじゃない。それを笑い飛ばすぐらいの明るさで向かった方が救われるんじゃないだろうかと思ったわけです。ちょっと軽く考える知恵とでもいうのかな、そういうものが人間には必要だと思いますし。
 あと、伊良部みたいな人間が、やっぱり人を楽にしてくれるわけです。こんなやつがいる、じゃ、自分はましじゃないかと。みんな生まじめで誠実な人ばっかりだったらとんでもなく窮屈でしょう。ハチャメチャな人間がいて、それが潤滑油になるし、救いになるんですよ。
―― 伊良部のキャラクターは、『イン・ザ・プール』以来、変わりませんよね、患者に対して「いらっしゃーい」と脱力するような声で迎え、カウンセリングとは程遠い感じでキャッキャッとはしゃいでるし、注射フェチだし、おまけに看護婦のマユミちゃんもやる気がない(笑)。
奥田 そうですね。伊良部は要するに精神年齢が子供なわけで、患者は診察を受けるつもりで来たのに、いいように遊び相手をさせられて、そのうちになんとなく治ってしまう。
―― 最初は「来るんじゃなかった…」と後悔していた人もなぜか伊良部に惹き寄せられるんですね。伊良部のモデルのような人はいるんですか、いるわけがないとは思いますが(笑)。
奥田 モデルはいませんが、もう十年ぐらい前ですけれども、僕自身がプール通いに夢中になっちゃったことがあるんですね。その後体調を悪くして、病院へ行っていろいろ検査しても何にも見つからなくて、そのうち、どんどん疑心暗鬼になるんですよ。
―― ああ、それは前作『イン・ザ・プール』の雑誌編集者と重なりますね。
奥田 なにか複雑な病気なんじゃないかと思って。神経科にいくつか行ってみましたが、医者は心の病を治せないんですね。自分で治すしかないんですよ。要するに治そうと思わせてくれる医者がいい医者。僕の場合は、内科医の人と話が合って、「ああ、わかる、わかる」って聞いてくれた。それがうれしくて、しばらく通ったんです。逆に有名な精神科医にも診てもらったんですけど、けんもほろろという感じでね。その経験があって、精神科医は当てになんねえなと(笑)。
―― ある意味、奥田さんの体験的な理想の医師…。
奥田 いやいや理想とまでは言わないけれど、要するに話を聞いてほしいんですね、患者は。そういうのを考えたときに、伊良部みたいな医者がいたら一番楽なんじゃないかなとは思います。このシリーズの主人公は患者たちなんですね。伊良部の視点というのは絶対出てこないし、たまたま伊良部病院に行ってとんでもない目に遭うけど、それは話の器で、中に入れるものは毎回違ってくるんです。
―― それにしても、医者もの、病気ものといわれる小説はたくさんあるし、『空中ブランコ』も心の病を扱っているんですが、それはこの時代、やはりそれ抜きでは語れないという思いもおありですか。
奥田 まあ、ストレスの時代だし、だれもがかかる可能性のある病気ですよね。ただ、最初はユーモア小説を書きたい、笑い飛ばしたいというのが大きいですね。医者ものだと例えば人情小説や社会派的なものはあるけれど、こんなトンデモ医師を登場させたものはあまりないと思うんですよ。
―― 聞かないですね。悪徳医みたいな感じで描かれているものはあっても。
奥田 これは現代の病巣を鋭くえぐるとか、そういうものじゃないですからね(笑)。
―― でも、前作『イン・ザ・プール』が直木賞候補になった時の選評を読んで、私は、ちょっと違うんじゃないか…、というのもありましたけど(笑)。
奥田 みんなまじめですから。でも、笑いの中に往々にして真実があるというのは真理だと思いますね。まじめなものはどこか嘘くさいし、無理がある。だから『マドンナ』も『野球の国』も人間喜劇みたいなものをずっと書いているんですね。シリアス路線ではあるけれども『最悪』、『邪魔』もそうで、人間という滑稽な生き物とその生態です(笑)。
―― 生態を観察するその観察眼にいつも舌を巻きます、ふとしたずれを面白く取り上げられたり……。
奥田 人間は誰でもたいてい同じようなことを考えている、まあ、たいしたことないんです。……あまり人間を買いかぶらないということですね。それに縦割りで人間を考えるとどうしても類型になりますよね、男だから、女だから、警察官だから、泥棒だから……。そうじゃなくて横断的に、例えばくよくよしている人たちを考えると十四歳の女子中学生も七十歳の村長さんもみんな同じようにくよくよするわけなんです、くよくよする材料が違うだけでね。その辺はけっこう本能的に感じるんですよ。
―― なるほど。
奥田 よく男性作家が描くと、やたら都合のいい女が出てきたり、おまえ、ちょっとモテすぎなんじゃないかと言いたくなるような。そういうのは全部、ひっくり返そうと思ったんです。世の中、自分の都合のいいようにはいかないから。そういうのはかなり気をつけていますね。
―― ロードエッセイというのでしょうか、奥田さんがプロ野球のキャンプ地や地方試合を勝手に追いかける『野球の国』を読んで、高いホテルに泊まっても、そこでぜいたくをしてもちゃんとそのことを書いていますよね、誤魔化していないというか。高飛車でもなく卑屈でもないその佇まいが印象的でした。私は失礼ながら、これは天性のものなのかなと感じたんですけど。
奥田 『空中ブランコ』、『イン・ザ・プール』も、『マドンナ』も、いろんな登場人物を笑いものにしていけば、自分も笑いものにしなきゃバランスがとれないじゃないですか。それが『野球の国』にはあると思うんです。だからあの本は嫌いだという人もけっこういるんですよ。なんだ奥田ってこんなヤツだったのかって。でも、どこかで自分を俎板に乗せないと不公平だし、カッコつけてばっかりはいられないし、ユーモアの書き手としては一度やっておくべきことだったと思いますね。
―― 逆に言うとユーモア小説って難しいですよね。とにかく書き手が少ないですし。
奥田 笑わせるのは一番難しいでしょうね。涙のツボは大体共通しているんですけれども、笑いのツボってみんなばらばらだから。捨てられた小犬を見ると胸がキューンとくるみたいなことはみんなに共通しても、何にギャハハと笑うかはバラバラですから。それに、笑いでその人のセンスがわかるようなところもあるし。おまえ、これで笑うのかよ、みたいな(笑)。
―― 自分を俎板の上に乗せるということでは『空中ブランコ』に収録されている『女流作家』には作家・奥田英朗がかなり投影されてるんじゃないですか。
奥田 作家側の苛立ちと、でも出版社の立場もあるという温度差ですよね。その辺はわりと主人公を借りてかなり正直に書いていますね、あれは。まあ、『イン・ザ・プール』も『マドンナ』も主人公たちは全部、少しずつ自分の一部だろうなとは思いますが。
―― 『東京物語』などは岐阜から上京した青年の70年代〜80年代グラフティ的な作品で、そこには当然奥田さん自身が描かれているはずなのに不思議なことに私小説という気配は感じられない。
奥田 そうですね。とにかく生まじめなものってダメなんですよ。世の中のものって全部多彩だし、笑いにしても、なるべく一色でない笑いを提供したいなと思っていますからね。
―― テレビなどは笑いも一色にしようとするじゃないですか。そういえば『野球の国』のなかで最近プロ野球がつまらなくなったと言っている人は、恐らくテレビの巨人戦の中継だけを見ている人だろう、と書かれていましたが、けだし名言だと思いましたね。
 ユーモア小説というお話を今いただいたんですけれども、例えば『邪魔』や『最悪』がミステリーとしての高い評価を受けて、その路線でずっと行かれるのかと思うとまったく違う『空中ブランコ』のような作品を書く。間口が広いというか、節操がないというか(笑)。
奥田 節操ないですね。でも戦略的に書き分けているのではないんです。毎回同じことをやるのはあまり好きじゃないのと、人間、おちゃらけるときもあればシリアスになるときもあるし、書き手としてもいろんなことをやった方がいいんじゃないかと思うんですよ。
―― でも、『最悪』『邪魔』を読むと、この路線で書いて欲しいというのも読者としてはもっともな要求ですよ。
奥田 『最悪』や『邪魔』で評判を得たときに、いや、違うんです、私、そんなのを書いていきたいんじゃないですって言いたかったんですよね(笑)。『最悪』『邪魔』を書いて、さらに一、二作書いたら、もう違うことはできなかったんじゃないですか。だから早い段階で手の内を見せて、自分はこういうことをやりますというメニューをバーッ広げて見せたんですよ。もう、うちは大衆食堂ですからって(笑)。
―― 大衆食堂って一時すたれたけれども、今また復活しているじゃないですか。それは作家の方にも当てはまるんじゃないかなという気がして。ミステリーの中でも密室ものとかノワールとかマニアじゃないとついていけない敷居の高さを感じることがあります。それよりは、今度の奥田さんの作品は面白いなとか、ちょっと俺のテーストじゃないな、という感じで読める方が、健全とは言わないですけれど、読む方は受け入れやすい。
奥田 ストーリーを練って書くタイプじゃないから、漠然とこんなものという感じで書き始める。だから、枠に自分から入っていこうとは絶対に思わないですね。とにかく等身大の人間を描こうとしているんだと思いますね。
―― デビュー作『ウランバーナの森』は三十九歳の主夫ジョン・レノンがモデルでしたがロックスターでも反戦活動家でもない普通の三十九歳の男として。
奥田 ええ、そうですね。まあ、特殊なものが一番描きやすいのかもしれないですが、僕はやっぱり、どこにでもいる人間が一番共感を持てるので、伊良部シリーズでも、伊良部はキテレツな変人だけど、そこを訪れる普通の人たちの視点で伊良部を描いているわけです。だから、普通の人間を等身大で描いているのが僕の小説だと思いますね。
―― それは今後もずっと変わらない?
奥田 ええ、そうですね。それと僕の小説の特徴をいうと、深追いしないというのはあるかもしれないですね。問題作や衝撃作みたいなものはあまり好きじゃないんです。人間の暗部をえぐるみたいなもの。そんなのはみんな分かっているんですよ。分かっていることを書いて、だめを押すようなことはできないんですね。何か逃げ道をつくってあげたいんです。
―― とことん追求するのが文学だという意見もありますか…。
奥田 そうですね。でも僕はしません。別に文学でなくても構わないですから(笑)。

(4月20日 東京・天王洲アイルにて収録)

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