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乙武 洋匡
(おとたけ・ひろただ)
1976年、東京都生まれ。大学卒業後、「スポーツの素晴らしさを伝える仕事がしたい」との想いから、『NUMBER』(文藝春秋)にて連載を開始。野球やサッカーなど、さまざまな分野のスポーツ選手を取材し、執筆活動を展開している。また、現在は『Get
Sports』(テレビ朝日系)のスポーツナビゲーターを務め、多方面で活躍中。2001年12月には、自身のHPにつづられた2年間の記録をまとめた『ほんね。』を出版。主な著書に自伝『五体不満足
完全版』や初の
翻訳本『かっくん』(ともに講談社)など。
オフィシャルHP http://www.ototake.net |
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『W杯戦士×乙武洋匡』
文藝春秋
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『五体不満足 完全版』
講談社文庫
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『乙武レポート』
講談社
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『ほんね。 OTOTAKE
DIARY2000〜2001』
講談社
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―――スポーツライター・乙武洋匡の最初の単行本『W杯戦士×乙武洋匡』が刊行になりますが、その感慨はどうですか。
乙武 この本ははいままでの担当者の方に怒られてしまうかもしれないけれど、下世話な言い方をすればいちばん売れてほしい、多くの人に読んでもらいたい本です。『五体不満足』は非常にたくさんの方に読んでいただいたのですが、わがままな言い方をすればそれによって僕は非常に多くのものを背負わされたし、型にはめられたと思うんです。
―――『五体不満足』の「乙くん」というキャラクターから脱するのは大変だろうと思います。
乙武 ええ、だからこそ早くスポーツライターとして生きている自分を見て欲しいし、それは言うだけでは難しくて、実績として提示してはじめて自分の主張が意味をなすわけですから。この本は今後僕が活動していく大きな道標になっていくと思う。
―――素朴な質問ですが、乙武さんがスポーツライターを目指されたきっかけは何ですか。
乙武 大学四年生の時にテレビの夕方の番組でキャスターをやらせていただきまして、人にメッセージを伝えることの魅力を体感しました。ただ、その番組でも『五体不満足』という本があったからバリアフリー、福祉は乙武にという固定観念があったと思う。でも本当にそれを訴えていきたいのかと問われれば答えはNOだったんですよ。もう一度じっくり考えて、僕が子供の頃から一番好きだったスポーツに時間と情熱を注いでいこうと。スポーツとメッセージを伝える仕事がしたいという思いが合わさったんです。
―――意外な転身と受け取った人も多いと思いますが。
乙武 他の同業者、ジャーナリストからすれば面白くないんですよね、こつこつ地道に取材を続けてキャリアを積んだという自負がおありでしょうから。僕の場合はちょっと本を出して、それが売れたから今度はスポーツ選手を取材してると映るわけです。視聴率稼ぎにおまえは使われているんだ、と面と向かって言われましたし。
―――確かに「ナンバー」というメジャーな雑誌でぽっと出の大学生にそんなチャンスがくるかと言えばないわけですよね。
乙武 22、23歳の若い男が連載持たせてくださいって「ナンバー」に言ったら張り倒されると思うんですよ。それをやらせていただけたのは、僕に知られた名前があったからですよね、悔しいけれどこれは事実。だったら残した結果で認めてもらうしかないですから記事の一回一回が勝負でした。
―――スポーツノンフィクションにはいろいろな手法、アプローチがあると思いますが、インタビューということにこだわられていませんか。
乙武 僕が他のライターさんと大きく違う点は取材される側の立場でもある。そこでの実感はインタビュー記事は取材された側がもっとも納得できる手法だということ。多少違うなと思ってもインタビューから記者がそう思ったのなら納得できる。でも、ろくな取材もせず、推測の域を出ないところで書くようなことはしたくありません。それで僕自身ずいぶんと悲しい思いをしましたから。
―――私はこの本を25人のサッカー日本代表という乙武さんとほぼ同年齢の青春群像劇を一冊読んだ気がしました。というのも中田選手や川口選手の情報はいやというほどあるけれど…。
乙武 波戸君とか戸田君って案外知られていないでしょう。
―――そう、波戸って誰だみたいな感じですね(笑)。ワールドカップを目前に控えて、この本は選手を立体的に知るうえでの好著だと思いました。
乙武 心に強く誓ったことがありまして、それは自分が書いた記事によって読者が選手を応援したいなと思ってもらいたい。もちろん冷静に試合やプレイを分析するライターの方もいらっしゃる。でも自分がこの仕事をするのは第一にスポーツ選手を尊敬し大好きだからなんです。だからまだその魅力が充分に伝えられていない選手がいたら、僕はなんとしトも伝えたいんですね。中田や川口だけじゃない選手たちの魅力、見えてこない努力もたくさんあるんですから。
―――選手たちは乙武さんをどのように受け入れましたか。
乙武 まったく僕の事を知らずに一取材者として接してくれた選手もいますし、おっ、乙武さんだ。いいんですか僕なんて取材していただいて…、まさに波戸君なんですけど(笑)、同年代の人目にさらされて頑張っている者同士みたいに接してくれた選手もいたり、まちまちですね。
―――なるほど。
乙武 僕が『五体不満足』のイメージを正直、疎ましく思っていたように選手も実体ではなくイメージで語られることに相当苛立っています。例えばGKの楢崎選手は物静かな男だと思われています。実際彼は喋らないんですけど(笑)、川口君と比べると自分を表現できないもどかしさもある。でもそれを認めてしまうと崩れてしまうような自分が分かるから、敢えて強がっていることを吐露してくれた。
―――中田選手などはパブリックなイメージができあがっていますが、そういうのとのギャップはありましたか。
乙武 うーん、僕もメディアでいわれているように彼の心を引き出せたかというと自信がない。
―――やっぱりむずかしい。
乙武 強敵なんですね。
―――柳沢選手のところが非常に面白かったですね。彼の理想のプレイと代表として求められている姿とのギャップがむちゃくちゃ葛藤しているのが分かって彼を応援したくなった。
乙武 そう読んでいただけたなら嬉しいですね。
―――『五体不満足』の乙武さんと思っているとあれって思いますよね、この本はまるでその痕跡をとどめていないから。
乙武 しめしめですね。最初は編集の方と『五体不満足』の乙武を起用している意味がないんじゃないか、と悩んだ時期もありました。でも『五体不満足』からは離れなくてはいけないけど、ライターとしては特色を出さなくてはならない、当たり前ですけど。
―――今、乙武さんの中の目標というのは。
乙武 やはり文章力ですね。インタビューはプレッシャーなく選手と向き合うことができるので、もちろんもっと向上できたらなおさらいいんでしょうけれど…。せっかく引き出せた彼らの宝石の原石のような言葉を自分の文章で損ねてはいないだろうかという思いが常にあるんです。
―――ワールドカップの取材ももちろんされるんでしょう。
乙武 はい。取材のスタイルがこういう形だけに客観的に観られないと思うんです、選手たちへの思い入れが強すぎて。シドニーオリンピックの時も、アメリカ戦で負けてしまって誰もいなくなったスタンドをなかなか立ち去れなくて涙をこぼしてしまったんです。その時は稲本君、中沢君、平瀬君の三人しかインタビューをした選手は出場していなかったんですが、その三人だけでも彼らがこんなプレイをしたかったんだよな、こんな思いで大会に臨んでいたんだよなって分かっていますから、もう彼らの無念さや悔しさが自分にのしかかってきちゃった。今度は25人でしょう、そういう意味で僕にとってどんな大会になるんだろうって想像もつかないですね。
―――冷静に観られそうにない?
乙武 僕はそういう柄じゃないです。
―――これだけの一流の選手たちと出会って感じたことはありますか。
乙武 なんといっても強烈なプロ意識を非常に感じましたね。つい日本代表のことを訊きたくなりますが、どの選手も口を揃えて言うことは、クラブの選手として雇われて、お金をもらっているわけですからまずクラブがあって、そこでの活躍があってこその代表である、と。
―――W杯はどうしても勝ち負けや戦術に興味が行きがちですが、どう楽しんだらいいんでしょうか。
乙武 きっと僕らが生きている間に日本でW杯が開催されるのって一度あるかないかですから、存分に楽しんでもらいたいですね。でもサッカーに興味のなかった人は楽しめって言われても難しいと思うんです。そのひとつの楽しみ方として、お気に入りの選手をつくるのってありだと僕は思う。この選手が見たいからW杯を見る、それでサッカーって面白いなと感じてもらう。それだけでも充分じゃないでしょうか。
―――乙武さんは非常にスポーツマインドがあると感じるんですよ。だからスポーツライターを目指されたのは案外自然な成り行きと思ったんですが…。
乙武 こういう体ですからよく驚かれるんですが、悔いが残っていたり、やりたいけどやれなかった事ってほとんどないんです。ただスポーツだけはまだやり足りなかった思いがある。逆に言うと、もし好きなだけ体を動かせて体力の限界までスポーツにチャレンジできていたら今の道にはいなかったかもしれない。この本はインタビュー集だし、僕はこんなことをいま思っている、なんてことは一言も書いていないんですが、逆に今までのどんな本より僕の強いメッセージが込められている本だと思う。だから多くの人に読んでいただけた迯。後の僕の糧になると思います。
―――そういう意味ではどきどきする乙武さんの勝負の本ですね。
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