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吉田 修一
(よしだ・しゅういち)
1968年長崎県生まれ。法政大学経営学部卒業。97年『最後の息子』で文學界新人賞を受賞しデビュー。2002年『パレード』で山本周五郎賞、『パーク・ライフ』で芥川賞を受賞。主な著書に『7月24日通り』、『春、バーニーズで』、『ランドマーク』、『東京湾景』、『熱帯魚』などがある。
★2月19日午後8時より、WOWOWにて『春、バーニーズで』がドラマ放映。(出演:西島秀俊、寺島しのぶ他)
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『ひなた』
光文社
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『パーク・ライフ』
文春文庫
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『7月24日通り』
新潮社
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『春、バーニーズで』
文藝春秋
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大島 このたび上梓された『ひなた』という作品は、浩一と桂子という夫婦、そして浩一の弟・尚純と恋人のレイの四人が順々に語っていく物語です。春夏秋冬の四章にわかれていますから、四人が四回ずつ登場して、それぞれの視点で語っていくという構成です。
吉田 今回の作品は、まず構成ありきでした。連載が「JJ」という女性誌で、回数が十六回と決まっていましたので、うまくわけることができないかと考えた結果、そういう構成になりました。
大島 小説の舞台は東京の茗荷谷から小日向周辺ですが、この場所を選ばれたのには理由があるのでしょうか。
吉田 小日向という町の名前が出てくるのは連載が始まって少し経ってからで、最初はどこか山の手あたりをイメージしていて、特に設定していませんでした。書いているうちに、この家族がどこに住んでいたら似合うのかと考えるようになって、実際に小日向周辺を歩いてみたら、ぴたっと合ったんですね。
大島 吉田さんの小説には、場所や固有名詞が実名で出てきますね。京王線沿線や品川埠頭、お台場、日比谷公園、スターバックスなどですが、これには何かねらいがあるのですか。
吉田 僕は他の何かに言い換えることができないんです。例えば、京王線という言葉を使わないで、他の言葉で表現しようとすると、説明的になってしまったり、余分な感じがしてしまうんです。小説の中に登場する場所を知っているかどうかで、読む気分は変わってくるかもしれませんが、読者全員にその場所をわかってもらうのは難しいですよね。かといって百人中二人にわかってもらえばいいということでもありませんから、その辺は自分なりに考えて書いています。
大島 取材は頻繁にされるのですか。
吉田 小説で描く場所は歩いてみたりしますが、人に会って直接取材するということはあまりしませんね。
大島 『ひなた』は家族小説ですね。それも『熱帯魚』のような擬似家族ではなくて、血もつながっているし、籍も入っている本物の家族を描いています。
吉田 これまでは、家族的なイメージをネガティブに捉えるというか、重きを置かない作品が多かったんです。ところが、「JJ」という雑誌を読んでみると、女性のほとんどが、羨ましがられる家庭像を目指していると感じました。いい男と結婚して、ハワイにコンドミニアムを持つような家庭を夢みているんです。それは、僕にとってちょっとした驚きで、自分が今まで書いてきた小説に共感を覚える人は実は少数派で、世間とズレがあるのではないかと思ったんです。ですから、今回の作品では、あえて本物の家族というのを描いてみました。
大島 でも、かなり危ない家族ですね(笑)。浩一の父と母にはそれぞれ浮気という過去があるし、浩一自身にはバイセクシュアルの気がある。桂子は昔の男との関係がいまだに続いていて、尚純には出生の秘密が、そして、レイには元ヤンキーという過去があります。登場人物のそれぞれがとてもユニークで、読んでいてハラハラしました。
吉田 現実はこんなもんじゃないかと僕は思っているんです。みんなが羨ましがるような家族というのは、それほど多くはありませんからね。それぞれが何かしら隠したり裏切ったりしながら、親子として、夫婦として、兄弟としてつき合っていくんだと思います。嘘のない家族なんて現実にはありませんけど、嘘もつき続ければ本当になる、という感じですね。
大島 桂子は雑誌編集者で、レイはフランスの有名ファッション・ブランドの広報部員。どちらも女性が憧れる職業で、銀座にオフィスがあります。一方、男の職業は浩一が信用金庫に勤めていて、尚純は就職しないでバイト暮らし、浩一の親友の田辺は製薬会社の営業マンでしたがリストラされてしまいます。連載が女性誌だったこともあるとは思いますが、男の仕事ぶりというのが出てきませんね。
吉田 女性の職業を中心に置いて『ひなた』をスタートしたからかもしれません。でも、実際にモデルがいるわけではありません。僕の実家は酒屋で、まわりにいる人たちは肉体労働者ばかりでしたから、サラリーマンをイメージすることができないんです。ですから、ありきたりの設定になってしまったかな、と思うところもありますね。
大島 浩一と桂子は大学時代の同級生。尚純とレイは小学校時代の同級生。この二組は偶然の再会を通じてそれぞれの関係が築かれていきます。また、浩一と田辺も高校時代の同級生という設定ですね。
吉田 同級生との再会という設定にしたのは、遠ざかっていた風景や記憶が、再び戻ってくるような雰囲気を出したかったからです。東京は大きな街ですが、小説の舞台にした小日向という場所は、下町っぽくてこぢんまりしているように感じて、なんだかみんな、狭い生活範囲で生きているのではないかと思ったんです。そういう思いというのも、人物設定に少なからず影響しています。
大島 浩一は趣味で素人劇団に参加していて、演じる芝居が家族の愛憎劇を描いた戯曲「熱いトタン屋根の上の猫」です。この家族の関係と意図的に重ねていますね。
吉田 はい(笑)。みんな嘘をついて、演技しているような家族ですからね。浩一は実生活のなかでも演技をしながら、芝居という別のところでも演技の練習をしている、という構造を書きたかった。
大島 小さな仕掛けはいろいろとありますが、今回は大きな仕掛けというのは特に用意されていませんね。
吉田 今回はつくりませんでしたね。単行本にするにあたって、かなりの書き直しをしていますが、これまでの作品のような終わり方はしていません。ある家族の一年間をポンと切り取って、来年もまたこうして続いていくんだろうな、という感じが出せればと思っていました。終わらないというところが不気味なんですよ(笑)。
大島 確かに、この家族がこれからどうなるのか心配です。
吉田 でも、きっと変わらないんでしょうね。現実はこうして区切られることなく続いていくんだと思います。
大島 印象的なセリフがあります。桂子の母親が「お母さん、ずっとお父さんに愛されてなきゃいけないのよね」と呟きます。夫婦関係を持続する不安感が描かれています。
吉田 幸せな結婚を目指すというのは、かなりリスキーな選択だと僕は思っています。そして、人に好かれ続けなきゃいけないと気づいた瞬間に、きっとつらく感じるのではないでしょうか。
大島 ところで、吉田さんは二〇〇二年に山本周五郎賞というエンターテインメント系の賞を受賞され、同じ年に芥川賞という純文学系の賞を受賞されました。これはとても珍しいケースだと思うのですが、吉田さんのなかでは、純文学とエンターテインメントをどのように区別されているのですか。
吉田 賞をいただいた当時は、正直言って両者に違いはないと思っていましたし、そういう答え方もしていたんですが、その後、小説を書いていくうちに、やっぱり違いはあるんだと感じるようになりました。だけど、どこがどう違うのかということには、答えるのはやっぱり難しいです。
大島 例えば「文學界」に発表する作品と「小説新潮」や女性誌に書くのとでは違いはありますか。
吉田 小説を書く以上はひとりでも多くの人に読んでもらいたいので、その辺の気はつかっています。ただ僕の場合、エンターテインメントを書こうと意識しすぎるとエンターテインメントにならないし、純文学を書こうと意識しすぎると純文学にならないんです(笑)。ですから、ジャンルにこだわることはしないで、文章を意識しながら書き分けていこうと思っています。
大島 二〇〇五年はアンソロジー以外の作品は出されませんでしたね。
吉田 前年に四冊も出しましたので、少し仕事のペースを緩めるというか、仕事の量を減らしたんです。
大島 二〇〇六年はどのような予定になりますか。
吉田 今回の『ひなた』のほかに、三月と六月にも新刊が出ますし、新聞小説も始まります。忙しい一年になりそうです。
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