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三木 卓(みき・たく)
1935年東京都生まれ。早稲田大学文学部露文科卒業。詩人、作家として詩誌「氾」「現代詩」を中心に詩作活動を行い、67年に詩集『東京午前三時』でH氏賞、71年『わがキディ・ランド』で高見順賞を受賞。また73年に小説『鶸』で芥川賞を受賞。主な著書に『ぽたぽた』(野間児童文芸賞)、『馭者の秋』(平林たい子文学賞)、『路地』(谷崎潤一郎賞)、『裸足と貝殻』(読売文学賞)などがある。99年紫綬褒章受章。 |
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『柴笛と地図』
集英社
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『裸足と貝殻』
集英社
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『砲撃のあとで』
集英社文庫
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『路地』
講談社文芸文庫
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鈴木 今日は『柴笛と地図』のお話をうかがいに参りました。この作品は五年前に刊行された『裸足と貝殻』と一直線につながっている自伝小説ですね。
三木 二作はペアです。平成六年に心筋梗塞で倒れて手術を受け、何とか生還しましたが、それからは残り時間がどれだけあるか、と考えるようになったわけです。それで、これだけは書いておきたいと思ったのがこの二作だった。初期の『砲撃のあとで』の連作に連動する世界ですが、作者としてはそれをできるだけ生き生きと、いま目の前にあるように書いて、昭和二十一年から二十九年までの時代にこういう少年が生きていたということを、肌で感じてもらいたいというのが一番の望みでした。
鈴木 年譜を拝見すると、三木さんは昭和十年生まれ、二歳の時に満州の大連に渡り、十歳で敗戦、翌年新聞記者だった父上が亡くなって祖父母と母上とお兄さんとで引揚げ列車に乗るわけですが、途中でおばあさんも衰弱死し、一家四人が博多に上陸、静岡の母方の叔母の許に身を寄せる。小学校の五年に転入、昭和二十三年に静岡市立の中学校に入学、この間に料理屋の下働きや助産婦をして一家を支えていた母上が教員になり、昭和二十四年にようやく市営住宅に入居できて、一応生活が安定する。
三木 そこまでが『裸足と貝殻』に書いた時期です。それからが『柴笛と地図』の時代で、昭和二十六年に静岡県立静岡城内高等学校(後の静岡高校)に進学して社会科学研究部に入部し、何もわからずに函南村丹那盆地の農村実態調査に参加したりしました。
鈴木 社研というのは当時、最もラジカルな生徒が集まるところでしょう。
三木 そうです。いちばん怖いところです(笑)、新聞部とか社研とかね。
鈴木 作中の主人公は豊三という名前になっていますが、民青に加入している先輩に見込まれて生徒自治委員長に立候補するようお膳立てされる。ところがちょうど共産党が内部分裂していた頃で、最終的に暴力革命肯定派がコミンフォルムに認められると、豊三はその戦術に疑問を抱き、迷ったあげくに立候補を辞退しますね。
三木 たまたま無灯火で自転車に乗って警官に追っかけられ、すっかり警察が怖くなって脱落してしまうんですよ(笑)。硬派から軟派に転向して文芸部へ(笑)。
鈴木 政治も文学も主人持ちは嫌、ということがあったんでしょう。
三木 政治と文学の問題など、すべて個人をどう守るかに苦しんだとも言えますね。
鈴木 豊三が文芸部時代に書いた「ジェリコオの筏にて」と「この露地の暗き涯を」という二作は、三木さんの年譜にそのままの題名で載っています。それを書き上げてから受験勉強を始めて東京大学文科二類(いまの三類=文学コース)を受験して失敗、浪人生活を決意するところで『柴笛と地図』は終わります。これも年譜通りですね
三木 物語にするわけですから多少の再構成はやっていますが、本質的には事実です。
鈴木 私は三木さんと同世代で、同じ時期に静岡高校と野球の定期戦をやったりした神奈川県立湘南高校の生徒でした。われわれは実に真面目だったと改めて感じました。
三木 真面目でした。誰かが突出して真面目なんじゃなくて、みんなが真面目だった。僕は不良になれなかった。第一、不良になると金がかかる(笑)。
鈴木 とにかく懐かしかったですね、読んでいて。名曲喫茶「らんぶる」とか、クラシック音楽にも熱心だった。何分も続かないSPの掠れた音に聴き入って(笑)。
三木 あの霧のなかから聞こえてくるような音が、非常に神秘的でねえ(笑)。
鈴木 そしてLPの時代へ。大学出の初任給が一万円の時代に一枚三千円、高嶺の花でしたが、無理して僕はハイフェッツを一枚買いました。それから二眼レフ。
三木 リコーフレックスに憧れたんです。あれが買えるようなら不良になれた(笑)。
鈴木 時計屋の息子から買った腕時計というのも不思議な代物ですね。
三木 文字盤はシチズンだけど中の機械はセイコー(笑)。あったでしょう、そういうの。いくつかのクズ時計を組み合わせてつくる。あの頃のは防水が効いてないですからね、汗が入り込んで錆びないように腕に包帯をぐるぐる巻いてから嵌めていた。みんな汗かくでしょう、若いからね。覚えありません?
鈴木 僕は高校生時代に時計なんて買えませんでした。貧しさまで懐かしく、共感して読みましたけれど、私自身は社会的関心が希薄でしたので、豊三のような階級意識や暴力革命に対する逡巡や自分の行動力についてのコンプレックスはまだありませんでした。大学に入学したとたんに同級生たちが演習基地反対のアジ演説をしたりするのを聴いて、周りがひどく大人に見えたものです。豊三の政治的関心は高校生としては先鋭的ですね。
三木 いま振り返ってみると、旧制静高というのがかなり影響していたと思います。みんな旧制高校に憧れていたんですね。静高というのはご存じのようにいろんな事件が起こって退学者が出たりして、過激な学校だったですから。
鈴木 三木さんの場合、階級意識は早くに父親を亡くされ、引揚げなどで辛い体験をされたという生活のなかで育まれたのでしょうか。
三木 僕自身はそうです。それで共産党に親しみを抱いたんです。しかし周りにいた連中は銀行家や弁護士の息子で、いい家の子が多いんですよ。いま考えてみると、そういう子が親に反逆する方法として社会主義に関心を持ったように見えます。
鈴木 三木さんの父上は詩など書かれて文学者と交友があったり、母上は教員になられるような方で、決して労働者階級ではありませんね。
三木 父は小地主の息子でしたが家が倒産して何もなくなって、若いときから貧乏していたんです。ただ父親の父親も文学好きで、だから文学は私で三代目なんですよ。
鈴木 三木さんの場合は父親に対する反感ではなくて、むしろ文学好きだった父上への共感というか、憧れで文学の世界に入られたんじゃありませんか。
三木 私が反抗する歳になる前に父は死んでいますしね。何か親父がかわいそうだったような気がするんです。父は『歴程』の前身の『学校』というグループにいまして、草野心平さんなども仲間だったし、満州では木山捷平さんともつき合っていましたが、四十代になったばかりで死んでしまい、何か仕事を残せたわけでもありませんしね。
鈴木 これを読むと、高校生に対する文学の影響力が実に大きかったと感じます。
三木 テレビやゲームがない分だけ外から来る刺激が少なかったから、内から膨らむものが大きかったんでしょう。文学が生き生きとした世界を予感させたんです。
鈴木 高校生が静岡弁で文学を語り、音楽を語り、政治を論じる。いまの高校生は肉体的に成長が早くなっているし、知識の面でも情報過多と言ってもいい状態ですから、私たち世代とは違った何かがあるんでしょうが、共通の教養といったものを失ってしまったのではないでしょうか。ここに登場する人たちのような真面目さ、ディーセントな生き方というものが急速に消えつつあるように感じるんです。現在、高校生はなかなかこういう小説を読まないと思いますが、自分たちの父親、いや、じいさん時代の高校生はこんな生活をしていたのかと、彼らに驚いてほしいと思いますね。
三木 そういう気持ちはあります。身体と身体を接して心の交感ができない時代になっていますからね。いまが特殊とは言えないかもしれませんが、一つの時代の青春グラフティーを知ってほしい、世代間の橋渡しをしたい、という意識がありました。
鈴木 現代詩人が書いたとは思えないほど読みやすいですね(笑)。若い人たちにもわかってもらうために、小説のインパクトというか濃密さを多少犠牲にしても解説的な部分を入れざるをえなかったという悩みもあったのではないかと思うんですが。
三木 それはあります。僕と同い歳の人が読んだらなくてもいいことが書いてある。でもリコーフレックスと書いただけでわかってもらおうとしても無理で、最低の説明をするのは現代作家としてやらなくてはならないことだと考えているんです。ただ、主人公の視点だけはブレないように書きました。そうでないと小説にはならない。
鈴木 三木さんは中学・高校時代にすでに評論や小説を書かれましたが、世間的にはまず詩人として認められましたね。やがてその詩の世界を短編小説として再構築するようになり、次第に作品の世界を広げてこられましたが、この二作で再び初期の詩と短編の世界に戻って、それを今度は長編小説にまとめ上げたと言えるかと思うのですが。
三木 詩と共通する主題でしたが『砲撃のあとで』という短編連作はどうしても書いておきたかった。あれは散文でなくては書けないですね。詩では気持ちは書けても細部が書けない。そして短編を書いても、まだ細部が残っているんですよ。象徴的にではなく、実際に僕たちがどのように時代と関わり、互いに影響しあいながら自己を確立していったかを、また長編で書き込みたかったんです。戦争はもういいじゃないかと言えば一冊で終わりですが、僕の文学はある意味では戦争ばかりかもしれません。
鈴木 グルーっと回ってそこに戻ってこられた。見事な円環を完成されたと思います。しかし大学生になってからの話も読みたいですね。まだ主人公は浪人中ですから(笑)。
三木 まあ、面白い話もないわけではないんですが、二作を書き終わって、自分としてはこれ以上はちょっとできないという感じで、一応満足しています。
鈴木 別のかたちであれ、ぜひまた書き続けてください。楽しみにしております。
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