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【シリーズ対談】松田哲夫の著者の魅力にズームアップ!
歴史の脇役の家族を描く『ツリーハウス』
「新刊ニュース 2011年2月号」より抜粋
日常の物語からサスペンスまで、様々な作風の作品を発表されている角田光代さん。2010年11月に上梓された『ツリーハウス』は、終戦後に満州から逃げて新宿・角筈に中華料理店を開いた夫婦、その子どもや孫たち三世代の歴史を描いた物語です。作品に込めた思いを松田哲夫さんがうかがいました。
作家・角田光代
1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。90年「幸福な遊戯」で第9回「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で第18回野間文芸新人賞、2003年『空中庭園』で第3回婦人公論文芸賞、05年『対岸の彼女』で第132回直木賞、06年「ロック母」で第32回川端康成文学賞、07年『八日目の蝉』で第2回中央公論文芸賞を受賞。現在、文藝賞、野間文芸新人賞、小説現代長編新人賞、すばる文学賞などの選考委員を務める。他の著書に『森に眠る魚』『くまちゃん』『ひそやかな花園』など多数。2010年11月『ツリーハウス』(文藝春秋)を上梓。
編集者 松田哲夫
1947年東京都生まれ。70年筑摩書房入社後、編集者として活躍、赤瀬川原平『老人力』、天童荒太『包帯クラブ』などのベストセラーを手がける。TBS系テレビ「王様のブランチ」本コーナーのコメンテーターを13年務めたことでも有名。2010年6月に筑摩書房を退社し、フリーランスになる。大正大学客員教授、「新刊ニュース」書評連載「哲っちゃんの今月の太鼓本!」、NHKラジオ第1「ラジオ深夜便」わたしのおすすめブックスコーナーなど、編集者、ブックコメンテーターとして幅広く活躍中。著書に『「王様のブランチ」のブックガイド200』(小学館101新書)などがある。2010年11月、編集を担当した「中学生までに読んでおきたい日本文学」シリーズ全10巻(あすなろ書房)が刊行開始。
『ツリーハウス』
角田光代著
文藝春秋

『ひそやかな花園』
角田光代著
毎日新聞社
『なくしたものたちの国』
角田光代著、
松尾たいこ画
ホーム社発行/集英社発売
『福袋』
角田光代著
河出書房新社(河出文庫)
『マザコン』
角田光代著
集英社(集英社文庫)
『予定日はジミー・ペイジ』
角田光代著
新潮社(新潮文庫)
 
歴史の流れから逃げる人たち

松田 
角田さんは一作ごとに変化し進化する作家という印象がありますが、今回の『ツリーハウス』でも大きく進化されましたね。どのようなきっかけで書き始めたのでしょうか? 

角田 『ひそやかな花園』は毎日新聞の連載でしたが、その準備をしている間に、産経新聞からも急遽連載の依頼を受けました。話の内容を最初に決めてほしいと言われて、大急ぎで二つの案を出したうちの一つが『ツリーハウス』。書くことを決めてからは大急ぎで資料を読んで、わぁ〜という流れで。

松田 この作品の登場人物たちのように流されて(笑)。

角田 そうですね(笑)。前から書きたかったテーマでした。とても思い入れの強いテーマだったし、今まで書いたことのないタイプの小説だったので、私としてはもう少しゆっくり取り組むつもりだったんです。でも慌しい中で資料を読んだり、考えたりして、かえって書く踏ん切りがつきました。

松田 これまでの作品との大きな違いは歴史≠描いたことですね。物語の中心にいる藤代家という三世代家族は、戦時中の満州から敗戦を経て復興、安保闘争、バブル、そして現代に至るまで、大きな時代の波に影響されていく。歴史を物語の根幹に据えたのはなぜでしょうか?

角田 第二次世界大戦終結後60年を迎えた2005年、世界各国で戦争を題材にした小説が非常に多く出版されました。しかも書き手が30、40代の戦後世代の若い作家。これらの作品は平和を訴える色の強かった過去の戦争文学とは異なり、戦争というものと少し距離
を取って、物語にしているという印象が強かった。私も作家として、戦争を含めた戦後を、小説として書きたいという思いがありました。もうひとつ、私の世代は祖父が戦争で亡くなっている人がとても多い。私の両親も自分の父親を知らずに成長し、そのまま家庭を作った。そうした自分の状況も考え、庶民的な視点から戦後を捉えて書けないかと思っていました。  

松田 戦争文学というと、戦場の最前線にいたり、直接的な被害を受けていたりとか、いわば歴史の本流のヒーローやヒロインの物語が多いですね。しかし『ツリーハウス』の舞台となる新宿・角筈の中華料理店翡翠飯店≠開いた泰造とヤエの夫婦は、戦争という歴史の流れから逃げ出した、いわば脇役ですよね。脇役の視点で書いたというのは、いかにも角田さんらしい。ただ、すごく書きづらかったのではないかと思うんですが。

角田 そうなんです(笑)。私が書きたかったのは、戦争がただただ嫌で逃げた人たちの話。逃げる≠ニいうキーワードが、現代の私たちと通じるところがあるのではないかと思ったのですが、戦争の時代にありながら戦争に関わっていない人たちの話は書きづらかったですね。泰造とヤエは戦前に日本から逃げて満州に行き、敗戦後また日本に逃げ帰ってくるんだけど、故郷から逃げ出したから帰る場所がない。

松田 角筈のような場所はいつも人が入っては流れていき、とても故郷になるような場所ではない。「簡易宿泊所」という言葉が出てきますが、藤代家に限らず、戦後の日本人、特に東京に住む庶民はみんな根無し草≠ネんじゃないかという気もするんですがね。

角田 まさにそれが書きたかったので、すごく嬉しいです! 私はあの戦争で、日本人は物理的にも心理的にも全ての土台を失ったという印象があるんですね。戦後、全く土台の無いところから大急ぎで復興し、結果的に成功したけれども、そのときにもう一度土台を造り直すのを忘れたんじゃないか。『ツリーハウス』というタイトルも、ヤエと泰造が故郷を失って角筈で住むという設定も、今の日本人の土台の無さを書きたかったんです。

松田 夫婦の四男の太二郎は引きこもり、孫の良嗣はニート。藤代家三世代の男性陣に土台の無さ≠フ影響がはっきりと表れていますね。角田さんの作品は女性が中心のものが多かったのですが、この物語はヤエ以外はどの世代も女性より男性が目立っている。

角田 私の書きたかった現代の土台の無さを表すには、男性の方が良かった。女性ならば今の時代でも、家事手伝いで家にいてそんなに不思議はないと思うけれど、男の人が何もしないで家にいるのはものすごく不安なこと。デラシネ感(※1)は男性の方が出しやすい。これほど男性が中心になった小説は初めてですね。

松田 満州移民の頃から現代まで、だいたい70年間の物語が書かれていますが、様々な時代の資料をお読みになったのでは?

角田 実は歴史にとても弱くて、満州のこともまるで知らなかったんです。7〜8年前ぐらいに川島芳子(※2)についての本を読んで、興味を持って調べ始めました。多くの資料を読みましたが、その中の満州にいた人の記録で、戦争が激化した当時も楽しそうで、ロシアが来たときはロシア兵と仲良くなったという話を読んだんです。もちろん辛いこともあっただろうし、楽しかったと大っぴらには言えないけれど、そう感じる人もいたというのは少し意外でした。

松田 江戸川乱歩が空襲のことを美しい≠ニ書いている文章があります。空襲のせいで人は死んでいるのですが、乱歩は壮大な花火みたいだと思ったんでしょう。戦争のような極
 限状況でも、人々の反応は一様ではないんですね。それに、泰造やヤエは戦争の被害者ですが、加害者の部分も当然あります。戦後も、同じ一人の人間が被害者であり、加害者でもあるという事件が起こりました。この作品の中にも描かれていますね。

角田 学生運動、新興宗教、バスジャック事件などは、ただただ時代に流されていった結果、こういう化け物みたいな事件が出てきたという印象を受けたものです。人が造ったというよりも、否応なく時代が造ってしまったような事件を書いたつもりです。

松田 いろんなものから逃げるにしても、逃げ方が大事なんだということなんでしょうね。ヤエの「闘うことも逃げることもせず、やすやすと時代にのみこまれんな」という言葉。逃げるよりも、その社会に順応してしまった方が楽なわけです。戦争の時代だと、ここにいれば死ぬ、ひどい目に遭うから、より楽なところを探して逃げていくわけだけど、今は何から逃げるのか、どこに逃げるのか、わかりづらい時代ですよね。

角田 ヤエの言う「逃げる」は「抗う」という意味だったと思うんですね。とにかく戦争から逃げ続けるということが、戦争に流れていく時代に抗うことだった。現代は「逃げる」というと、どうしても楽な方向に行く、時代にやすやすと与してしまうという意味になってしまう。「逃げる」ことは、本来は「闘う」ことなんじゃないの、という思いがあります。


若い人に読んで欲しい
戦争の物語


松田 戦争や家族の物語というと、年配の読者が手に取ってくれるかもしれないけれど、若い人にこそ読んで欲しいという気もしますよね。

角田 昨年から刊行されている松田さんのアンソロジー「中学生までに読んでおきたい日本文学」にも、戦争の物語が入っていますね。

松田 第二巻の『いのちの話』に、島尾敏雄の『島の果て』や長谷川四郎の『鶴』を収録しました。

角田 『ツリーハウス』のように、戦争そのものを描いた作品ではなく、戦争の脇役だった人たちの物語ですね。第一巻の『悪人の物語』もとても面白かったです。ただ悪いことをした人が出てくる小説が並んでいるわけではなくて、読んだ方が「罪や悪って何だろう」と考える仕組みになっている。
 
松田 『悪人の物語』に収録した宮沢賢治の『毒もみのすきな署長さん』に出てくるのは、一番悪い犯罪を自ら率先してやって、「あの世でも悪いことをやり続けるぞ」と
言って死刑になる警察署長さんの話。『雨ニモマケズ』と同じ人が書いたとは到底思えない(笑)。賢治の童話は、悪に対しても単純に切り捨てるんではなくて、悪の輝きを真っ正面から見つめていくから深く心に残るんですね。

角田 ラインナップを見て、読んだつもりでいても全く知らない短編がいくつもあるなと思いました。一つ一つの話の並べ方によっても、読み手の側にもう一つの物語ができますよね。

松田 それぞれ独立して面白い短編をテーマにそって並べていくと、そこに違うものが見えてくる。南の海の『島の果て』と北の大地の『鶴』を並べると、戦争末期の空気がにわかに漂ってくるんですね。編集の楽しいところです。

角田 「中学生までに」と限定しなくてもいいのに(笑)。

松田 逆にそういうタイトルにすると「中学生までに読んでおけばよかったなあ」という人も買ってくれるかなと思って(笑)。角田さんは日本の作家では、どういう人の作品がお好きな
んですか?

角田 私は内田百間、志賀直哉、あと太宰治も好きです。一時期、太宰を好きだ
った自分が恥ずかしくて離れていましたけど(笑)。30歳を過ぎて読み返すとやはり面白いですね。言葉の使い方がとても新鮮。私が好きなのは、短編の『待つ』や『女生徒』。女性が語り口のものが好きです。

松田 『十二月八日』も面白いですね。開戦日の出来事を太宰の奥さんの視点で書いている。政治のことはわからないし、戦争に賛成でも反対でもない、ただ戦争になるとひどい目に遭うのではないかと心配する女性の心を書いた。日常レベルで開戦を捉えている点では、『ツリーハウス』に近いかもしれない。そういう視点を男の太宰が持っていて、書けるというのがすごいですよね。


進化し続ける作風

松田 角田さんは長い作家歴の中で、様々な作風でお書きになっていらっしゃいますが、ここで何かが変わったなと感じたときが3回ありました。最初は『対岸の彼女』でした。

角田 ありがとうございます。この小説は初めて書いた長編小説でした。

松田 二人の女性を主人公に、過去、未来も含めて時間軸を自覚的に入れていった小説でしたね。現在の話と過去の話を同時並行に進め、しかも別の人を描くという相当難しいことをおやりになった。

角田 自分としてはそんなに大変ではありませんでしたが、それまでの小説は自分の内側、もしくは自分の「信じていること」を書いていたという印象がありました。この小説は自分より外側に目を向けて「信じたいこと」を書くように、意識的にしたと思います。

松田 『対岸の彼女』で直木賞を受賞された後に仕事場におじゃまして書棚を見たら、犯罪に関する書籍がたくさんあった。それまでの角田さんの作風からすると意外な感じがしたんです。そしたら「好きでよく読んでいます」って。

角田 そうなんです。昔から犯罪もののノンフィクションが大好き。自分の仕事とは関係なく、単純に読む楽しみとして好きだったんですけれど。

松田 『八日目の蝉』以降の作品ではその読書歴が生きていますね(笑)。二つ目の転機と感じたのがこの作品。角田さんの小説で初めて犯罪に走る人物が登場する。驚きましたね。

角田 それまでは日常の小さな出来事を書くのが好きで得意。あんまりにもそれが続いて、編集者や評論家も含めて周囲が飽きてきて(笑)。じゃあ、日常の対極にあるものを書こうと思って選んだテーマが犯罪でした。

松田 角田さん自身も日常の物語を書くことに飽きていたんですか?

角田 飽きてはいないんですが、当時、日常をテーマにした小説で自分が出来ることが、ある程度わかってしまったんです。今度は出来ないことをしなきゃという気持ちがとても強かった。

松田 誘拐した女の人生と、誘拐された女のその後の人生がオーバーラップしていきますよね。この構成も進化していると感じました。

角田 この小説では母性の問題を考えたかったんですけれど、そうすると母性を与える側だけではなく、与えられた側も書かないと問題が浮かび上がらないと思って二部構成にしました。

松田 『八日目の蝉』以降、『森に眠る魚』、『ひそやかな花園』もサスペンスタッチで緊迫感のあるお話。その間に出た『くまちゃん』のような、日常のスケッチ的な作品。この2つのタイプがそれぞれにいい味を出していて、今後も楽しませてくれるのかなと思ったら、全く違うところにポンと着地したのが『ツリーハウス』でした。同時代的な横への広がりもありつつ、それを縦に貫く歴史≠描いた。この作品は今までの作品全体に背骨を通した作品だと感じました。大胆で迫力のあるチャレンジでしたね。でも、この先どう変貌していくのか怖いような感じもします。

角田 『ツリーハウス』はずっと書きたかったテーマで、重石のようにあったもの。とりあえず書いて離れることが出来て良かったという思いがあります。今も次々と新しい興味が沸いています。書いたことのないものを書きたいという思いが強く、非常に自分が変わったなと思います。

松田 今後はどのようなものを書いてみたいですか?

角田 ミステリーにすごく憧れがあって、いつか書いてみたいという気持ちが強いですね。
(十一月十一日、東京・千代田区にて収録)

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