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【シリーズ対談】松田哲夫の著者の魅力にズームアップ!
『舟を編む』三浦しをん著(光文社)
「新刊ニュース 2012年3月号」より抜粋
三浦しをんさんが昨年九月に上梓した『舟を編む』は、新しい辞書を作るために奮闘する辞書編集部の人々を描いた作品です。女性ファッション&ライフスタイル誌『CLASSY.』で連載されたこの小説は、発売後数ヶ月経った現在も多くの読者に支持され続けています。辞書、言葉への愛に溢れる物語に込めた三浦さんの思いをうかがいます。
作家 三浦しをん
1976年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。2000年に書下ろし長篇小説『格闘する者に○』でデビュー。05年『私が語りはじめた彼は』で第18回山本周五郎賞候補、06年『まほろ駅前多田便利軒』で第135回直木賞受賞。他の作品に小説『風が強く吹いている』『仏果を得ず』『神去なあなあ日常』『まほろ駅前番外地』『天国旅行』『木暮荘物語』など。エッセイに『悶絶スパイラル』『あやつられ文楽鑑賞』『ふむふむ おしえて、お仕事!』『黄金の丘で君と転げまわりたいのだ 進めマイワイン道!』(岡元麻理恵氏との共著)など多数。2008年より太宰治賞の選考委員を務める。2011年9月、光文社より辞書編集部を舞台にした小説『舟を編む』を上梓。
編集者 松田哲夫
1947年東京都生まれ。70年筑摩書房入社後、編集者として活躍。赤瀬川原平『老人力』、天童荒太『包帯クラブ』などのベストセラーを手がける。TBS系テレビ番組「王様のブランチ」本コーナーにコメンテーターとして13年出演したことでも有名。2010年6月に筑摩書房を退社し、フリーランスになる。大正大学客員教授、『新刊ニュース』書評連載「哲っちゃんの今月の太鼓本!」、NHKラジオ第1「ラジオ深夜便」私のおすすめブックスコーナーなど、編集者、書評家、ブックコメンテーターとして幅広く活躍中。著書に『「王様のブランチ」のブックガイド200』(小学館101新書)などがある。編集を担当した『中学生までに読んでおきたい日本文学』全10巻(あすなろ書房)が版を重ねている。
『舟を編む』
三浦しをん著
光文社

『仏果を得ず』
三浦しをん著
双葉社(双葉文庫)
『木暮荘物語』
三浦しをん著
祥伝社
『黄金の丘で君と転げまわりたいのだ 進めマイワイン道!』
三浦しをん、岡元麻理恵著
ポプラ社
『あやつられ文楽鑑賞』
三浦しをん著
双葉社(双葉文庫)
『ふむふむ おしえて、お仕事!』
三浦しをん著
新潮社
 
辞書編纂の十五年を描く

松田 
『舟を編む』の舞台は、大手総合出版社玄武書房≠フ辞書編集部。新しい辞書『大渡海』の編纂に携わる人々を描いた物語です。言葉や辞書の話は、世代を超えた普遍性を持っているような気がしますね。  

三浦 言葉がない世界に生きている人間というのはいません。誰にとっても身近な世界ですから、興味を持っていただきやすいかなと思います。

松田 でも出版社や編集者を描くには、ある意味で一番地味な仕事ではないでしょうか。雑誌編集部などの華やかな世界と対極にありますから。

三浦 私はむしろ華やかな方が書きづらいんです。ファッション雑誌のカリスマ編集者の日常を想像するより、辞書編集部の方がとっつきやすく感じました。辞書編集は職人技のようなところがあり、出来上がるまでに約十五年という長い月日がかかるので、長編小説としてのドラマを作りやすかったんです。

松田 日々新しい言葉や用例に出会うという、小さな発見の積み重ねが長い年月を経て一冊の辞書になる。たしかにロマンがありますね。実際に岩波書店と小学館の辞書編集部を取材されたそうですが、主人公の馬締さんみたいな方もいらっしゃるんでしょうか。真面目で律儀だが、行き過ぎてしまうこともある。

三浦 そういう人ばかりではありませんが(笑)、辞書編集部で長年中心的な位置にいる方々は、辞書と言葉を真っ直ぐに愛する馬締さんのモデルになっています。馬締さんを書いたとき変人≠ニ言われたんですけれど、実は私は馬締さんを変人とは全く思っていないんです。こういう人って普通にいますから。 
 

松田 馬締さんは子ども向けのキャラクター事典『ソケブー大百科』も細部までこだわって周囲を戸惑わせる。ソケブー≠フモデルは、ポケモンですか?

三浦 そうなんです。小学館の辞書編集部の方が異動になって児童誌の部署に行ったら、「辞書を作っていたのだったら、ポケモンの大百科も作って欲しい」と言われたと(笑)。

松田 ノウハウが使えると言えば使えますけれどね。それにしても辞書の編集は難しそうですね。言葉に対してのモラルが必要です。その上、柔軟性を持ち合わせなければならない。馬締と、後にファッション誌編集部から異動してくる岸辺は「恋愛」という言葉の解釈について同じような疑問を抱き、議論することになる。自分の言語観で「これは間違い」と切り捨てられる学者とは違うわけですね。

三浦 正に辞書の編集者の方がそうおっしゃっていました。辞書編集者は言葉が好きだけれど、言語学の研究者に向いている能力とはまた違うと。その言葉を大勢の人がどのように使っているか、という視点で考える必要があります。


言葉の薀蓄をスパイスに

松田 ベテラン編集者の荒木と、監修者の元大学教授である松本先生が『大渡海』の編集意図を語るところは本当に素晴しい文章だと思います。荒木が言う「辞書は、言葉の海を渡る舟だ」とは、日本初の近代的国語辞典『言海』の名につながるものがありますね。それにしても、辞書にまつわる話となると、とかく言葉の薀蓄をどんどん書きたくなってしまいそうですが、いい意味で寸止めしているところが見事ですね。

三浦 私がそこまで辞書に詳しくないのが良かったのかもしれません。この小説では言葉の薀蓄を「この人はこういうキャラクターだ」と分かってもらうためのスパイスのように使いました。『言海』の編纂者、大槻文彦氏の生涯を書いた『言葉の海へ』や、『新明解国語辞典』の不思議さを書いた『新解さんの謎』などに、辞書の面白さや薀蓄について溢れるくらい書かれていますから、小説の中では薀蓄を違う形で使いたかったんです。辞書にもいろいろ個性がありますが、松田さんはお気に入りの辞書はありますか?

松田 私はあまりこだわりはないですね。『日本国語大辞典』は語源を調べたり、用例を調べたりするのには便利です。インターネットのジャパンナレッジなどで、いろんな辞書で意味を引いて比較することも多いですね。

三浦 今は小学校低学年で紙の辞書の引き方を勉強する授業があると聞きました。引いたページに付箋を貼っていくんですって。小学校教育の初期で辞書に触れるのはとてもいいことですよね。

松田 紙の辞書は調べる言葉の前後を読むのが楽しいですね。


三浦 そうですよね! 調べようと思っていた意味以外のところが面白くて、何を調べるのか結局忘れてしまったり(笑)。本屋さんに行って本棚を眺めていて、思いもよらなかった面白い本に出会えるのと似ています。

松田 『中学生までに読んでおきたい日本文学』を編集中に、言葉の注釈を細かくつけようと思って辞書を引いて調べると、この歳になるまで意味をよく理解しないで使っていた言葉が随分あることに気づきました。「ほだされる」という言葉の意味、ご存知ですか?

三浦 「言いくるめられる」とか「同情する」という意味ではないかと思っていましたけれど。辞書で引いてみましょうか……。「束縛される。特に、人情にひかれて心や行動の自由が縛られる」(※1)。こんなにマイナスのイメージが強い言葉とは思っていなかったですね。

松田 人情などの温かいものが元になっているけれど、それを振り切ることが出来ないってことなんですね。

三浦 漢字で書くと「絆される」と書くんですね。「絆」という字はいい意味で使われることが多いけれど、そのせいで雁字搦めになるときもあるってことかな。本当に辞書って面白いですね。


人情ものと職業小説

松田 装丁が素敵です。この装丁にもちゃんと意味があることが、物語を読み終わると分かるのですが……。装丁家の大久保伸子さんのいい仕事ですね。

三浦 ばっちりの装丁にしていただきました。カバーを外した表紙や帯には『CLASSY.』連載時の雲田はるこさんのイラストを使わせていただいています。

松田 『まほろ駅前多田便利軒』シリーズの挿絵は下村富美さん、『仏果を得ず』の挿絵は勝田文さん。三浦さんの本や連載には漫画家さんのイラストが使われることが多いですね。

三浦 漫画が好きでよく読むので、このお話に挿絵をつけていただけるならこの人、ということを常に想像しています。好きな漫画家さんに描いていただけると、それをモチベーションに連載を乗り切っているような気がします。

松田 帯にも書いてありますが、昨年の九月に発行されて、現在十万部突破(取材時)。最近の文学作品で言えばかなりのスピードです。そして、間違いなく本屋大賞の有力な候補になるでしょうね(※2)。

三浦 いえいえ、それはどうでしょう(笑)。

松田 「面白い小説ない?」と問いかけられたときに、どんな世代の人にも男女問わずすすめられる小説だと思います。小説にうるさい人も含め、皆さんが「いい、いい!」と言ってくれるので、すすめた私としてもとても嬉しい。一緒に仕事をしている編集者が、読もうと思ったら隣の人に持っていかれたと悔しそうに言っていました。

三浦 ありがとうございます。私は新刊が出るとインターネットで読者の感想を検索するんです。勝手なことを言いおって≠ンたいに腹を立てる時もありますけれど、『舟を編む』は好意的な感想の方も多くてよかったな≠ニ思っています。

松田 三浦さんの作品は『舟を編む』はもちろん、『風が強く吹いている』『仏果を得ず』『まほろ駅前多田便利軒』と、物語のタイプは違うんですが人情もの≠ェ多いですよね。

三浦 意識して人情ものを書いているつもりはないんですが、もしそういう風に読めるとしたら、たぶん身に染み付いた昭和臭のせいかな(笑)。『木暮荘物語』に出てくるような古い木造アパートが好きです。単なるレトロへの憧れではなくて、実際自分の身近に常にあったからでしょうね。

松田 いろいろな職業の人の物語をお書きになるのも三浦作品の特徴です。

三浦 元々、ものを作り出す人の佇まいを知ったり、仕事の話を聞くのがすごく好きです。小学校時代の社会科見学に行くときなんか、遠足以上に昂ぶっていました。

松田 私も『印刷に恋して』『「本」に恋して』で印刷・製本・製紙などの現場の方にお話を伺いましたが、物を作っている人のお話は聞けば聞くほど驚きがあって素晴しいですよね。『舟を編む』にも馬締が恋する女板前の香具矢さん、究極の紙♀J発に取り組む製紙会社の宮本など、様々な職業の人が登場します。いつも個性的なキャラクターが次々登場しますが、書きづらいキャラクターというのはいるんですか?

三浦 他人にも自分に対しても誠実ではなく、徹底していない人は本当に嫌いなので書けないですね。馬締の同僚でいつもチャラチャラしている西岡も、実は彼なりに悩んで周囲の人と誠実に向き合おうとしていく。

松田 西岡はただのチャラい男だと思ったら、意外としっかりしていて後々まで『大渡海』の完成に貢献するんですね。ダメ人間は書かないんですか?

三浦 ダメ人間さが徹底していれば大丈夫です。自分がダメなことに気が付かないで「俺ってイケてない?」という人には全く興味がないです。愛というにはあまりにも浅薄なものを愛だと信じ込んで、いい気になっている奴は腹立って書けないんですよ。周囲の人間を「こいつ本当にダメだ!」って愉快な気持ちにさせるくらいの人ならいいんですけれどね。

松田 『舟を編む』の続編があったら面白いのではないでしょうか。読者からすると「せっかく素敵なキャラクターが生まれたのだから、もう少し活躍させて」という気持ちもあるでしょう。

三浦 そうですね、でも辞書の編纂は長いスパンで同じサイクルを繰り返しているので、ストーリーラインが同じになってしまいますから。一冊書く間に馬締たちとは集中して向き合ったので「もういいかな」と思うんです。「この人たちはこの後どうなるのかな」と惜しまれつつ一冊が終わるくらいが、ちょうどいいと思います。

松田 今後はどのようなものをお書きになりたいですか?

三浦 今は『神去なあなあ日常』の続編を書いています。『まほろ駅前狂騒曲』の連載が終わって手直しをしていて、今年中に出せるといいなと思っています。最初の頃に比べ、読んだ人が楽しいと思ってくれるエンターテイメントを考えて書くようになり、その路線が職業小説でした。今後はエンターテイメントでも、もう少しとんがりがあるものを書きたいですね。

松田 人情話に終わらせないエンターテイメント、ひときわ面白い三浦しをんワールドが広がりそうで楽しみですね。




※1 西尾 実、岩淵悦太郎、水谷静夫編『岩波国語辞典 第七版』岩波書店、2009、1380頁
※2 対談収録後、『舟を編む』は2012年本屋大賞にノミネートされました。大賞作品は4月10日に発表されます。


(一月十八日、東京都世田谷区にて収録)

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