【対談】 2012年 天文“金”の年!
はやぶさ 金環日食 宇宙から未来へのメッセージ
「新刊ニュース 2012年5月号」より抜粋
今年は5月21日に起こる「金環日食」をはじめ、珍しい天文現象が多く見られる年です。空を見上げ、遠い宇宙に思いを馳せる方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。今回の対談は2003年に飛び立ち、7年後の2010年に地球に帰還した惑星探査機「はやぶさ」を導いた元プロジェクトマネージャー川口淳一郎教授と、国立天文台副台長の渡部潤一教授に、宇宙の魅力、次世代への希望について語っていただきました。
![]() |
国立天文台 副台長 教授 |
1960年福島県生まれ。理学博士。専門は太陽系天文学。83年東京大学理学部天文学科卒業。87年東京大学大学院理学系研究科天文学専門課程博士課程中退。94年国立天文台広報普及室長、2006年天文情報センター長、2012年4月より国立天文台副台長に就任。天文学の広報普及活動に尽力し、テレビ等のメディアへの出演も多い。著書に『天文・宇宙の科学 恒星・銀河系内』『天文・宇宙の科学 宇宙・銀河系外』(大日本図書)、『夜空からはじまる天文学入門』(化学同人)、『ガリレオがひらいた宇宙のとびら』(旬報社)、『新しい太陽系』(新潮社)など多数。「金環日食」関連書籍・雑誌や、観察用の「日食メガネ」の監修を多数手掛けている。 |
![]() |
宇宙航空研究開発機構(JAXA)シニア・フェロー |
1955年青森県生まれ。宇宙工学者、工学博士。京都大学工学部機械工学科を経て、東京大学大学院工学系研究科航空学専攻に進学、1983年に同博士課程修了、旧文部省の宇宙科学研究所に勤務。2000年に教授に就任。ハレー彗星探査機「さきがけ」「すいせい」、工学実験衛星「ひてん」、火星探査機「のぞみ」などの科学衛星に携わる。1996年から2011年まで、「はやぶさ」プロジェクトマネージャー。現在、独立行政法人 宇宙航空研究開発機構(JAXA)シニア・フェロー、宇宙科学研究所(ISAS)宇宙飛翔工学研究系教授。主な著書に『はやぶさ 世界初を実現した日本の力』(日本実業出版社)、『はやぶさ、そうまでして君は』(宝島社)、『「はやぶさ」式思考法』(飛鳥新社)などがある。 |
ロボット研究とジャコビニ流星群
渡部 今年の5月21日に「金環日食」という大変珍しい天文現象があります。6月6日には「金星の太陽面通過」、8月14日の早朝には「金星食」も起こります。「金」の字がつく天文現象が続く年なので、私たちは2012年を「天文金≠フ年」と呼んでいるんですよ。
川口 全国で部分日食が見られ、「金環日食」は関東・東海から近畿・四国・九-州と、日本列島を縦断する各地で見られるんですよね。こんなに広い地域で「金環日食」が見られるのは、平安時代以来のことだとか。
渡部 1080年以来、932年ぶりです。正しい観察方法を知っていただき、子どもたちをはじめ、多くの人たちに「金環日食」を楽しんでもらいたいと思っています。私は1969年のアポロ11号の月面着陸や火星の大接近など、少年時代に見た宇宙のイベントがきっかけで星や宇宙に興味を持ちましたから。
川口 私の子ども時代はアメリカのマーキュリー計画(※1)、ジェミニ計画(※2)、アポロ計画(※3)があって、一ヶ月に一度は宇宙関連のニュースがありました。まあ、私自身が宇宙に目を向けたのはアポロが理由ではないんですが──。
渡部 宇宙開発分野を目指された直接のきっかけは何だったんですか?
川口 大学生だった1975年にバイキング1号、2号という高性能な火星無人探査機が打ち上げられました。無人で着陸するのはもちろん、穴を掘って土壌を採取し、それを人工培養してデータを地球に送ってくる、高性能なロボットです。そういうロボットに関わってみたいと思ったのがきっかけですね。
渡部 川口先生が大学院在学中の1981年には、初のスペースシャトルが飛んでいますね。
川口 スペースシャトルの出現によってロケットがいらなくなり、日本の宇宙開発もなくなるのではないかと言われていましたよ。日本では1970年の人工衛星「おおすみ」を最初に、一年に一度くらいは衛星が打ち上がりましたが、アメリカの惑星探査や有人飛行とは全くレベルが違いましたから。何とか日本の衛星開発が続いている間に関わりたいと思って大学院でもロボットの研究を続け、ちょうどその頃に始まったハレー彗星探査計画に参加できたんです。
渡部 元をたどればロボット研究から「はやぶさ」が生まれたんですね。私が天文学者を目指した一番のきっかけは、小学生の頃に経験した1972年のジャコビニ流星群です。国立天文台の前身である当時の東京天文台が、たくさんの流れ星が雨あられのように流れると予測していて、面白そうなので夜中に観測をしようと思ったのに、結局一つも流れなかったんです。星のことは偉い先生が何事も予測出来るものだと思っていたので、当たらない、分からないことがあることに衝撃を受け、自分も天文学をやってみたいという強い動機になりました。
川口
天文現象はいい意味でも悪い意味でも裏切られることも多いですよね。私が印象的だったのは1994年のシューメーカー・レヴィ第9彗星(※4)の木星への衝突です。自分が生きているわずか数十年の間にあのような現象が起きるのかと驚いた。あのとき面白かったのは、専門家は「何も起きない」と予測していたのに、実際には小型望遠鏡でも観測出来るくらいのとんでもないことが起こった(笑)。
渡部 人類が最初に経験することだったので、私を含めて世界中の研究者が正確に予測できなかったんです。ジャコビニ流星群のときと同じことをやっていますね(笑)。流星群の研究は進んで予測は正確になってきましたが、他の天体現象の予測は今でも難しいです。
川口 宇宙は人間の世界と全く違う、壮大なスケールで生きていますからね。天文の研究は辛抱強くないとできないと思います。天気が悪くてもいけませんし。
渡部 すばる望遠鏡のような大型設備は一年に一晩くらいしか使わせてもらえないので、その日に曇ったら辛抱するしかない。天気が悪くても「次の日にどうぞ」とはならないので。
川口 天文学者というといつも望遠鏡を覗いているイメージでしたが、今は全く違いますね。望遠鏡も巨大な機械になって、直接レンズを覗くわけではなく、遠隔操作で動かしたり──。
渡部 今、チリ共和国北部にあるアタカマ砂漠に日米欧共同で建設中の「アルマ望遠鏡」は、パラボラアンテナ66台を組み合わせる干渉計方式の巨大電波望遠鏡です。今まであまり観測されていなかったサブミリ波という波長の電波で宇宙を調べようとしています。このアタカマ砂漠は天文観測に最適な場所なんですが、初めて発見したのは我々日本の国立天文台で、ここに日本独自の望遠鏡を作りたいと思っていたんですよ。ただすぐには予算がおりず、国際学会で発表したら、欧米がすぐに動き始めてしまった。日本も何とか予算をつけてもらって共同プロジェクトにしましたが、非常に悔しい思いをしました。
川口 私も「はやぶさ」の前に計画した「小惑星ランデブー」のアイデアがNASAに先を越されて悔しい思いをしました。日本独自の計画を、という思いで作ったのが「はやぶさ」です。私はいつも、ナンバーワンではなく、日本にしか出来ない「オンリーワン」の存在にならなければいけないと考えています。
渡部 そうなんです。こういったプロジェクト案を出すと「なぜ日本が作らなければならないのか? 外国にやらせておけばいいじゃないか」という意見も出ますが、日本独自の星の見方、観測の仕方があるので、オリジナルの視点で研究することが重要なんだと思っています。
宇宙を目指す次世代の育成
渡部 「はやぶさ」が多くの人に夢を与えたのは、まさに日本独自の技術で宇宙に行って還ってきたということです。「はやぶさ」の映画が3本公開になりましたが、それを聞いたときには「国立天文台も何か映画になる話題はないか」という話になりました(笑)。「はやぶさ」のブームが起きて、宇宙に目を向ける子どもたちが増えたことは、関連分野の研究者として非常に嬉しいですね。
川口 「はやぶさ」発想のきっかけは、私があまのじゃくで、人とは違うことが出来たら面白いと思ったからなんです。研究者は「ここを研究したら次はそこを見たい」と、同じ分野を深く掘り下げていく方が多いと思いますが、私は「この研究をしたらもうやらない。別の分野をやる」という心情で物事を考えています。若い人は学生時代が終わって社会に出たら、今の世の中にない≠烽フを作って欲しいですね。広い意味でのオリジナリティの発揮を志すことが何よりも大事、これが今の日本全体に欠けています。
渡部 今の若い人を見ていると、社会が自分に何をしてくれるのか待っている人、受け取るのが当然という人も多いような気がするんです。そうではなく、先人を追い抜いて視野やフロンティアを広げていって欲しいと思いますね。
川口 ただ、宇宙開発を目指す若い人のビジョンに関しては、我々の世代にも責任があると感じるんです。最近高校生に講演をすることも多いのですが、「宇宙へ行く」と言えばロケットで人を打ち上げる、という何十年も前のイメージを未だに持っている。本当はその次のビジョンがなくてはいけません。我々が「次の宇宙開発はこういう世界がある」と具体的なイメージで伝えていかなければならないと思いますね。
渡部
私もこれまで国立天文台の広報室長として、様々な発見や成果を伝えてきました。その中から宇宙・天文分野を支える次世代が育ってくれれば嬉しいと思います。「はやぶさ」の映画でも描かれていましたが、どの分野のプロジェクトでも、チームワークが重要です。マネージャーがいて、サポート役がいて、実際手を動かして検討する人たちがいる。その中で自分が社会にどう貢献していくか、広い視野で考えて欲しいと思っています。
川口 若い人の意識を変えていくには、子どもたちの教育にも目を向ける必要がありますね。「オンリーワンを作るんだ」という人材育成が進めば違う世界が待っています。小学校、中学校にいる間は先人の知識を受け取り、学んでいくことも必要です。しかしこれからは、子どもたちの興味を伸ばし主体的に考えていくことが出来るように、大人が引っ張っていかなければと思います。例えば平安時代、果たして何人の人々が金環日食に気づいたのだろうか、気づいたとしたらどうやって観測したのか、記録を残した人はいたのか──とかね。そういうことを我々が子どもたちに語りかけて「どうだろう?」と考えるきっかけが作れればと思います。
渡部 JAXAには「宇宙教育センター」という組織があって、学校教育に宇宙を盛り込む取組みなどに尽力されていらっしゃいますね。宇宙開発のスケールはだんだん長くなっていて、今携わっているプロジェクトが実現した頃には自分が引退しているケースが増えてきます。少しつらいことですが、それを次世代につなげていきたい。
川口 定年が近くなって一番寂しいのは、自分が携わってきた分野がしぼんでいくことです。これはある意味、後進の育成を怠ったと言えなくもない。次世代の育成が出来ているかを自分で点検しなければならないということなんですね。今後、宇宙の絵本を作る予定なんです。科学的に根拠がある宇宙の未来図を、子どもたちに分かりやすく示したい。詳細は私の著書『はやぶさ 世界初を実現した日本の力』(日本実業出版社)に書きましたが、私は将来「太陽系大航海時代」が来ると考えています。「深宇宙港」という宇宙の港に、多くの宇宙船が集まる──そんな時代が来るのです。今まで宇宙の絵本というと星や宇宙船が描かれるのが大半でしたが、人がたくさんいる宇宙を子どもたちに見せたいですね。
知と行動のフロンティアを目指す
渡部 星を見て宗教や哲学と結びつけたり、星占いをする人がいたり、天文や宇宙というのは人にとって身近で、いろいろな捉え方をされる分野です。例えばすばる望遠鏡できれいな写真が撮れたり、新たに天文学的な発見があると、新聞への掲載率が非常に高い。同じ理学分野である物理や化学の研究者にうらやましがられます。だからこそ、国立天文台も天文の科学的な成果を広く伝えていくことが義務ではないかと思っています。
川口 「はやぶさ」は人間の技術の結晶ですから、やりがいがある仕事でした。と同時に、科学技術の巨大な広告塔の代表が、宇宙開発であり天文であると思うんです。「宇宙開発を何のためにやっていますか」と聞かれれば、科学技術や文化の発展、産業経済発展など、理由はたくさんある。その中で一番大きいと思うのは人材育成です。私たちが子どもの頃に望遠鏡やラジオを作ったように、ものづくりやエンジニアリングの巨大な象徴として、「はやぶさ」を見た子ども達が将来を考えるきっかけになればいいと思うんです。
渡部 今回の「金環日食」も、子どもたちが宇宙へ目を向けるいいチャンスです。天文研究は未知の領域も大きいですが、夢が実現して成果が得られたときが一番嬉しい。「こういう結果が出るはずだ」と思ったのにその結果は出なくて、思わぬ別の方向の何かが分かる喜びもあります。知のフロンティアに立つがゆえに発見する喜びを次世代に伝えたいですね。
川口 私は行動のフロンティアというところでしょうか。人間が地上にいても知のフロンティアの拡大は進みますが、行動範囲は実際行かないと広がらないもので、これが宇宙開発を広げる大きな柱です。2014年には「はやぶさ2」が更なるフロンティアに向けて飛び立ちます。人類の活動範囲を広げるために新しい到達点を目指し、更なる「オンリーワン」の宇宙開発に取り組んでいきたいと思います。
(三月十五日、東京・千代田区にて収録)