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【シリーズ対談】松田哲夫の著者の魅力にズームアップ!
『64(ロクヨン)』横山秀夫著(文藝春秋)


「新刊ニュース 2013年1月号」より抜粋

横山秀夫さんの七年ぶりの新刊『64(ロクヨン)』は、たった7日間で幕を閉じた昭和最後の年“昭和64年”に起こった、D県警史上最悪の未解決事件にまつわる長編小説です。地方警察“D県警”を舞台に、本庁と地方、刑事部と警務部、広報室と記者クラブ、それぞれの思惑と矜持が交錯する中、さらに衝撃の展開が──。警察小説の真髄について、横山さんの思いをうかがいます。

作家 横山秀夫

1957年、東京都生まれ。国際商科大学(現東京国際大学)商学部卒業。1979年、上毛新聞社に入社。以後12年間の記者生活を送る。1991年に『ルパンの消息』が第9回サントリーミステリー大賞佳作を受賞したことを契機に退社。以後フリーランス・ライターとして『週刊少年マガジン』にて漫画原作(ながてゆか作画『PEAK!』など)や児童書の執筆などをする。1998年に『陰の季節』で第5回松本清張賞を受賞し小説家デビュー。2000年『動機』が第53回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。著書に『顔 FACE』『第三の時効』『クライマーズ・ハイ』『臨場』など多数。ドラマや映画の映像化も多い。この度、『64(ロクヨン)』を文藝春秋より上梓。

編集者 松田哲夫

1947年東京都生まれ。70年筑摩書房入社後、編集者として活躍。赤瀬川原平『老人力』、天童荒太『包帯クラブ』などのベストセラーを手がける。TBS系テレビ番組「王様のブランチ」本コーナーにコメンテーターとして13年出演したことでも有名。2010年6月に筑摩書房を退社し、フリーランスになる。『週刊ポスト』連載「松田哲夫の愉快痛快人名録 ニッポン元気印時代」、『新刊ニュース』書評連載「哲っちゃんの今月の太鼓本!」、NHKラジオ第1「ラジオ深夜便」私のおすすめブックスコーナーなど、編集者、書評家、ブックコメンテーターとして幅広く活躍中。著書に『「王様のブランチ」のブックガイド200』(小学館101新書)、『本に恋して』(新潮社)など。また『中学生までに読んでおきたい日本文学』全10巻(あすなろ書房)の編集を担当、続編シリーズとなる『中学生までに読んでおきたい哲学』全8巻が11月に完結。


  • 『64(ロクヨン)』
  • 横山秀夫著
  • 文藝春秋

  • 『看守眼』
  • 横山秀夫著
  • 新潮社(新潮文庫)

  • 『ルパンの消息』
  • 横山秀夫著
  • 光文社(光文社文庫)

  • 『深追い』
  • 横山秀夫著
  • 新潮社(新潮文庫)

  • 『臨場』
  • 横山秀夫著
  • 光文社(光文社文庫)

  • 『クライマーズ・ハイ』
  • 横山秀夫著
  • 文藝春秋(文春文庫)

全方位的に描いた主人公

松田 横山さんの作品はいろいろ読んで、本当に楽しませてもらっていました。だから、新しい作品が出るのを心待ちにしていました。『64(ロクヨン)』はちょっと時間があきましたが、本当に待ったかいがあった素晴らしい作品でした。

横山  ありがとうございます。松田さんにそう言っていただけると嬉しいです。この作品を最初に書いたのは大体11年くらい前だったんです。昭和64年に発生した事件の時効が成立する目前ですね。そのタイミングで出せれば、タイムリーな小説だったんですが、前作から7年あいてしまいました。

松田  そういう意味では『64(ロクヨン)』は執筆に長い年月をかけた作品ということになりますね。

横山 最初の設定などは当時のものですから、本当に構想十年≠ニいうことになるかもしれません。ただ、最初に思いついたミステリーの部分が十年以上誰にも書かれなくてよかった、と思っています(笑)。

松田 書き始めた時の設定は変化していないんですか?

横山 設定は頭にありました。全体はシロナガスクジラみたいな長さですが、ミステリーとしての骨格部分や外皮の部分があって、内臓部分はほとんどゼロの状態で書き進めた小説でした。ただ、今回は登場人物が内臓部分をほとんど自分たちで作っていった、という印象です。

松田  主人公の三上をはじめ、敵役みたいな人間まで、登場人物は職業人として警察官であることに対してプライドを持っていますね。

横山  三上は仕事や家族のことも含めて全方位的に球体≠ニして描こうとしました。短編小説だと、どこか見えない部分は書かない、削らざるを得ないということがありますが、今回は少なくとも主人公については球体≠ナ書こうと。そうすると他の人間たちも三日月≠セったものが少なくとも半月≠ュらいに書ける。そういうバランスが生まれることで、それぞれの登場人物が持っている強い思いを書き込めたと思います。

松田  今までよりも登場人物を丁寧に書いていくことで、物語としての膨らみも広がりも出てきたという気がします。

横山 やはり警察組織は上層部の圧力が強いですから、短編だと三上の部下については書きづらい。そういう削る部分≠ノなってしまいがちな人たちも長編小説ということで、かなり書き込みました。

松田  三上は元刑事部で生粋の刑事マインドを持っていて、警務部広報室という今の職場に居心地の悪さを感じています。そこに、警務部と刑事部の一触即発の対立が起こり、自分がどちらの立場なのかを、日常的に問われていく…という設定は見事ですね。

横山  刑事部と警務部のどちらからも影響を受けますし、どちらにも足を置いていたいというか、置いていなければならないというのは厳しい状況ですよね。物語全体の流れからすると、三上は広報官ではあるけれども、実際は広報官の皮をかぶった刑事の状態でスタートするわけです。それをどうにか、自分の意にそぐわない広報官という職務に、投げやりでもなく無理やりでもなく対峙して欲しいというのが、小説を書いている自分の願いだった。いろいろなエピソードで彼から刑事の要素を抜いていくというか、広報官という職務に本気で向き合うシーンをどうにか描けないものかと思いながら、七転八倒して小説の途中の部分を書いていたような気がします。

松田  三上が、自分は広報官であるという自覚を持った時に、身体に染み付いている刑事の要素が役に立つのが面白いですね。

横山  最後の方は特にそうですね。刑事の仕事、事件の近くに広報官の三上がいるというのは、現実的には難しい。しかし、捜査一課長の松岡と三上の会話の流れで二人の関係がふっと浮き上がって、不自然さが無くなったら一気に書けたわけです。書き終わってから「あぁ、よかったなぁ」って、自分でも嬉しく思いましたね。



多彩な登場人物が作り上げた物語世界

松田 私は半分の手前くらいからドライブがかかってしまいました。クライマックスというかXデー≠ヘ決まっていて、そこまであともう数日しかないのに、まだこんなにページがある(笑)。一体どんなことが起こるんだろうか? とワクワクドキドキしました。

横山 14年前の事件と新しい事件がクロスするところ、その重要部分にいたる途中経過の流れみたいなものは、イメージしていたものとはまったく違ったものでした。あまりにも三上が背負っている負荷が多いので、考えもしなかったようなエピソードを連ねないと、その負荷を全体の物語として進めていくことが難しかった。一個一個の負荷については説明がつくけれども、それを背負ったり、引きずったりしながら進んでいくのが、前半部分は本当にしんどかった。どうやって負荷を処理していくのか、進めたり、切ったりしていくのかというエピソードをまったく考えなくて書き始めたものですから、三上本人だけでなく、部下や上司などの外的な要因が非常に必要だというのが、よくわかったというか、そうせざるを得なかったという感じです。

松田 三上の部下である広報室の3人もそういうところから膨らんでいった感じはしますね。

横山 私は、ある意味彼ら3人を記号のような存在としか思っていなかったのかもしれません。でも、三上の心理変化をもたらすには上層部だけではなくて部下も必要だった。刑事の要素を抜いていくためのエピソードとして彼らがどうしても必要になってきたので、3人がどんどん立ち上がってきてくれた、ということでしょうか。

松田 部下の一人・蔵前が、交通事故で死んだ老人のレポートを書きますが、三上は最初、取り合わない。しかし後日、匿名報道に関する重要なシーンでこの老人の話をするわけです。最後の謎解きにも間接的に関わるのですが、このエピソードだけを読んでいても心和むものがありますね。

横山 今回は全面改稿、といっても何十回書き直したかもわからない作品なので、この蔵前の部分も厚みがどんどん増してきました。書いていくうちに削る部分も出ますが、蔵前だけでなく美雲婦警のエピソードなども三上にとって必要だというので増えていった感じです。三上に、匿名報道について大きな決断をさせるには、それなりの前段が必要ですし、蔵前のエピソードがないと、ただ三上が突っ走っただけ、となってしまって記者の方も受け止められず、話として成立しなくなってしまうわけです。そういった意味で、三上にも、記者にも、両方にとっていろいろな準備と心を動かすためのエピソードが必要だったんだ、と書いていて驚きました。

松田 小説ならではのストーリー展開だな、と思いましたが、三上としてはかなりの綱渡りでしたね。

横山 綱渡りも、綱渡りですよね。だから、小説っていいなぁ、って書いていて思いました(笑)。

松田 リタイアした先輩達も登場しますが、警察というのはああいう風に人間関係が密な組織なんですね。

横山 警察官を辞めても警察人≠ニいうような言われ方をしますけど、警察官は死ぬまで警察官だというのはありますね。逆に今回登場した仲人親の元刑事部長のように、警察組織から忘れられてしまうような人もいるわけです。そういった人からみると、警察人≠ニして生きている人が多いだけに疎外感たるや、他の企業を辞めた人たちとはまた違うかな、というのは想像できます。結構、いろいろなことを書きましたね(笑)。

松田 読み終わって、フランドルの画家・ブリューゲルの大作を見ているような感じがしました。非常に大きな画面に、多くの人物がいて、それぞれにいろいろなことをしているけれど、全体が一つの世界を作り上げている。細部も丁寧に書かれていて、それが組み合わさって大きな世界が見えてくる、見事な作品だなぁと。この読後の充実感というのは、そのせいではないかな、という気がします。

横山 書いている最中は、個別の部分についてはじっくりと書き直している気分になっていたんですが、全体が絵のフレームにどうにも収まらない、バランスの悪い状態もありました。だから全体の物語として、他の登場人物たち、部下の3人もそれぞれの役割を担いながら、その枠の中に入ってこられるように書くのが難関でした。しかしブリューゲルの絵とは、褒められすぎです(笑)。



「組織VS個人」の舞台としての「警察小説」

松田 横山さんの小説には「警察小説」が多いですね。ここのところ「警察小説」が人気のジャンルとなって読者も広がっています。横山さんが警察を舞台に小説を書かれたきっかけは何ですか?

横山 上毛新聞を辞めてアルバイトをしながら、最初は「刑事モノ」のような話を書いていたんですが、実際書いていて、自分としてはそんなに面白くなかったんですね。つまり私は、登場人物に強い負荷をかけて、その負荷がかかった人間がどう動くか、ということに実は一番興味があった。刑事にとって事件が起きるということは、当たり前の出来事であって負荷ではないわけです。一方で「組織と個人」ということを書くには、警察という組織は格好の材料だとは思っていて、いわゆる「刑事小説」の事件というものを、警察官の周囲に起きる、警察官に身近な職務にかかわる問題に置き換えたら、また新しい「警察小説」が書けるのでは…?と、ピン!と思いついたんです。それで書いてみたら、これが自分の肌にぴったりだった。「事件」自体が、その警察官という役職に付いているものですから、主人公にとっては最大の負荷がかかっているわけです。そういう状況で、組織の中を生きる個人という、自分が前から思っていたものと非常に合致して、ストーリーも人物も動き出した瞬間があったんです。

松田 なるほど。捜査に政治家などから圧力がかかるという意味での軋轢を描いた物語はあったような気がしますが、警察組織の中にある日常的な反目とか、対立とか、それがタテとヨコと両方からあるわけですよね。そこに眼をつけたというのは、横山さんの大発見ですね。

横山 これはイケるんじゃないかな?って感じました。小躍りこそしなかったですけれど(笑)。書いてみたら自分の書きたいものの方向性にぴったり、しかも話のネタはいくらでもあるぞ、と書きながら思いました。「警察組織内小説」みたいなジャンルとしても成立するんじゃないか、と思った記憶があります。

松田 それまでの「警察小説」は、基本的には刑事が犯人をつかまえる探偵役の「探偵小説」が多かった。横山さん以降の「警察小説」というのは組織内の問題みたいなものを何らかの形で絡めていくというのが当たり前になってきています。警察という組織、巨大な権力構造の中での個人の戦いというか「組織と個人」の対立という部分を描く。そういう意味で横山さんは「警察小説」をここまで普及させ、面白くさせ、いろいろな作家に影響を与えて、一つのジャンルを作ってきた。大変なパイオニアだと言えますね。

横山 そんな大それたことは考えていません(笑)。ただ、自分の思いつきには先があるな、とは思っていましたし、「警察小説」は本当にいろいろなアプローチの仕方があって、その一つを見つけた、という自負心は持っています。

松田 実際に上毛新聞に勤務している時に警察回りをされていた経験はあるんですね?

横山 あります。その時に感じたことが作品の土台になっているか?とよく聞かれます。土台になっているのは当たり前ですが、ノンフィクションの世界からフィクションの世界に行くときに様々な葛藤もありましたし、自分としてはノンフィクションの世界をフィクションの世界に持ち込んで書こうという気はさらさらなかった。広くて深い河を渡ってフィクションの世界に行ったという思いがあるので、実際に記者時代に経験したことを参考にはしますが、何か現実と似たような構造にとことん加工するというような流儀をとっています。

松田 そうすると、「D県警」イコール群馬県警ではないということですね。

横山 そうです。だから「D県警」の「D」は何だってよく聞かれました。なかなか恥ずかしくて言うのはいやだったんですけれど(笑)、あれは「ドラえもん」のどこでもドア≠フ「DDD」なんです。つまり、群馬県警かもしれないですし、山梨県警かもしれない。福井だか、福島かもしれないわけです。ある種の普遍性を持ってすべての地方警察にドアとドアでつながっているのだという思いで作り上げた地方警察です。地方の警察のことを調べて、まさしくこれが地方警察の標準形≠ナあろうという作り方をしました。

松田 実際に、警察の方から「ああいうことは書くなよ」とか言われませんでしたか?

横山 最初『陰の季節』が出た時は、やはりそういうようなことはありました。でも、今はもう大人気ですけど、私(笑)。

松田 ではこの『64(ロクヨン)』も間違いなく、大人気になりますね。

横山 どうでしょうか。ただ、今回7年ぶりの新刊で再デビュー≠ンたいな形になりましたが、私にとって書店というのは戦場≠ナすから、そこにまた自分の戦士≠、自信を持って送り込めるというのは幸せなことだと思っています。

松田 これからの出版のご予定は?

横山 少なくとも長編を3冊出そうと思っています。短編も5社くらいで3本か2本書く予定です。『陰の季節』シリーズや『第三の時効』シリーズで、書き足していくと1冊になるというのが5社分くらいあります。

松田 横山さんの新作がコンスタントに読めるのを、楽しみにしています。


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