【シリーズ対談】松田哲夫の著者の魅力にズームアップ!
『正義のセ』1〜3 阿川佐和子著
(角川書店発行/角川グループパブリッシング発売)
「新刊ニュース 2013年5月号」より抜粋
阿川佐和子さんの新作小説『正義のセ』は、下町に生まれ育ち、子供の頃から正義感が強かった新人女性検事が主人公です。家族や同僚の助けを借りつつ“正義”を模索し、担当する事件に真正面から向き合うがゆえの苦戦、苦悩、葛藤の日々…。作品に込めた、阿川佐和子さんの思いをうかがいます。
作家 阿川佐和子 |
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編集者 松田哲夫 |
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リアルに描いた等身大の女性検事
松田 今回の小説『正義のセ』は女性検事・竹村凛々子が主人公ですが、とても楽しい物語として読ませていただきました。女性の検事を主人公にしようと思われたのは、何かきっかけがあったのですか?
阿川 ありがとうございます。それは、実際に女性の検事にお会いしたのがきっかけです。私は10年くらい前からゴルフを始めたのですが、そのゴルフ仲間の1人が主催したコンペで、一緒に組んだ4人のうちの1人が女性検事だったんです。検事という職業の人に会ったのが初めてで「検事って警察じゃないよね?」とか「検察庁って、いろいろ問題になった…?」とか、いろいろ思っていたのですが、その方は小柄で細くて、ものすごく美人で、ファッショナブルで、ミニスカートをはいてスイングを「エイ!」なんてやるような方だったんです。
松田 おいくつくらいなんですか?
阿川 私より15歳くらい下ですかね。彼女はゴルフがあまり上手くなかったんですが「今日、朝3時まで飲んでいたから!」とか「朝だから、もうOK!OK!」なんて言って、ミスショットしても全然めげない。しかもその内にどんどんいいショットを打ち始めて。とても明るくて、気が強くて、豪胆な女性だな、と。その夜も一緒にお酒を飲んだのですが、お酒も強くて「検事ってこんな人もいるのか」って思って、それ以来仲良くしている人です。
松田 すごい人ですね。するとその女性検事をモデルにされたのですか?
阿川 その方はベテランでしたから、彼女をそのままモデルにするのは無理なので、その弟子のような新人検事にしよう、と。事件もの≠ニか捜査もの≠セと難しいかもしれないけれど、私の視点を通して検事の世界で成長していく女の子の話は書けるかもしれない、普通の女の子が検事の世界に入り、失敗や驚きを経験し、成長していくという視点だったら書けるかもしれないと思ったんです。ただ、彼女に「どうして検事になったの?」と聞いてみると、やはり子供の頃からとても正義感が強くて検事になった話や、暴力団担当を希望して被疑者に負けまいと言い返した話、大変優秀な方なのですがいろいろと失敗を重ねてきた話などを伺って参考にした部分はあります。
松田 そうすると『正義のセ』の中に出てくるエピソードは、実際にああいうこともあり得るという話、検事のリアルな体験談ということでしょうか。
阿川 『正義のセ』を書くにあたっては、裁判所に行ったり地方の検察庁を見学したりしましたし、他の女性検事にもインタビューをしました。そうした中で、被疑者取り調べに立ち会う事務官との信頼関係が本当に大事であるという話や、一つの事件が終わった時、検察の取り調べ室で柿ピーと缶ビールで簡単な打ち上げをやって、直接その事件とは関係のない検事や事務官とも一緒に飲んで、守秘義務から出ない範囲でいろいろ相談したり、経験談を語り合ったりする、という話を聞いたので、そういう場面を書きました。
松田 確かにストーリーの中でそういうシーンが出てきますね。
阿川 でも、打ち上げについては、最近はやらなくなったらしいですよ。
松田 やってはいけないって言われているんですかね? 小説に書いても大丈夫だったんですか?
阿川 他にも話を作った部分がありますから、基本的に小説の内容については検事さんや知り合いの刑事さんなどにチェックしてもらいました。「これは、まぁ、あります」と言われる部分は良いのですが、「根本的にこれはない!」と言われると全部書き直しになることもあって大変でしたね(笑)。
松田 すると家族を相手に取調べをシミュレーションする、なんていうのもあり得るということですか?
阿川 事件の内容について他者に漏らしてはいけないのは当然ですけれど、家族や友人に「素人から見てどう思う?」という風に聞くことはある、という話だったので「小説に書いて大丈夫?」って言ったら「OK、OK」という返事でしたから、実際にやっているかどうかは別にして、許諾は得ています(笑)。
松田
映画やドラマの裁判のシーンでは被告や弁護士が人間≠ニして描かれ、検事は一番人間味のない機械≠フような存在として描かれることが多いですよね。小説では、そういった検事というイメージからすると、かなりくだけた部分が出てきます。
阿川 たいていのドラマでは弁護士の方が華のある感じですね。被害者の側に立っているのに検事はとにかく敵役にされることの方が多い気がします。でも、検事だって普通の家に育った普通の子が大きくなって、普通のOLと同じように悩んだり、戸惑ったり、合コンしたり(笑)という部分が土台にあった上で、検事という仕事と対峙しているんだということを描きたかった。ただ、それをシリアスに書いてしまうと面白くないので、凛々子もその仲間も相当くだけさせました。
松田 最初検事もの≠セと伺って、検事という探偵役がいろいろな事件を解決していく話かと思っていたら、一つの冤罪事件を中心にして周囲の人間が絡んでいく大きなドラマになっているお話でした。最初からこういう構成を考えていたのですか?
阿川 いえ…実は私は構成というのを考えないんです(笑)。でも今回は検事≠ニいう舞台がまず軸にあって、その背景に家族や友人や恋愛などを設定したので、まずは検事の方が読んでも「こんなことないよ」と言われないような仕事の書き方をしないといけないと思っていました。だからそこの部分は先ほど申し上げたようにチェックを重ね、書き方についても相当手間をかけました。プロットは、小学生の子がある出来事をきっかけに検事になると決め、やがて国家試験を受けて検事になって、次から次へと与えられる仕事に立ち向かっていくものになる、と。検事というのは女性であっても転勤に次ぐ転勤で部署も変わり、人間関係も変わるというのが日常で、その時々に対峙する事件や人間関係でも大きくなることがあると思っていました。ただ、一つの事件を担当し、それを緻密に表現し、そこに本人の迷いとかプライベートな失恋などを加えていたら、どんどん膨らんでしまって(笑)。当初は一つの事件、一つの事件…と進むはずでしたが、一気に冤罪まで進んでしまいました。
松田 一番起こしてはならないことを起こしてしまった時、立ちはだかる壁をどうするかという大きな問題が出てきましたね。
阿川 この冤罪をどういう状況で作って、それをどう経験として掻い潜って行くのかという時に、小学校の時の同級生「明日香」を使うと面白くなるのでは、と思いました。最初から「こうしよう」と考えていたわけではないですが、試練を与える場面を作った時、その構成をどうするのかについては毎回編集担当者と一緒に考えていました。ストーリーの前半に出てきた人物をどうやって使おうか、組み合わせようかと、考えながら乗り越えてきた感じです。それが正しかったかどうかわからないですけれど(笑)。
松田 冒頭の凛々子の実家でのシーンはすごく楽しんで書いているな、と思いました。豆腐屋の小説を書くのではないかと(笑)。
阿川 確かにそれは言われました。「これ何の小説?」って(笑)。実際、お豆腐屋の取材では、豆腐が出来るまでがとても面白かったんです。ただ、朝がものすごく寒くて、お豆腐屋のご主人に「女性には出来ないですよ」と言われたので「じゃあ小説で妹にやらせてみようか」と思ったり、また別の方には「豆腐屋のシーンはたくさん出した方がいいですよ。阿川さんらしさが出ていますから」と言われて、豆腐屋のシーンを結構出したりと、周りの意見を取り入れるうちに話が膨らんでいったところがあります。
松田 そういう意味では、周りの人たちと一緒に書き上げたということですか。
阿川 はい、皆様のお陰でこの小説は成長しました(笑)。
松田 主人公・凛々子のキャラクターというのは、かなり阿川さん自身に近いような気がしますが。
阿川 どうでしょう。子供の頃に「融通が利かない」とか「まっしぐら」と言われたことはありますが。物事を柔らかく受け止めることが出来ない性格は凛々子に似ているかもしれません。でも、私はあれほど真面目じゃないですよ(笑)。
松田 欲を言えば、もう少し恋愛が絡んでも良かった、という気もしますね。
阿川 恋愛をもっとドロドロ書いた方が良かったですか?
松田 ドロドロというか…。読者の方は、今までの3作のイメージがありますから、もっと阿川さんの恋愛小説を読みたいという気持ちもあるのではないかと思うのですが。恋愛小説を3作書いて、同じ路線はもうやらない、という感じですか?
阿川 そんなことは何にもありません。自分が小説家としての路線を考えるほどの余裕はございません(笑)。
聞き上手≠フ「エッセイ」と聞くお仕事≠フ「小説」
松田 『正義のセ』の前に出された『聞く力』は、昨年の最大のベストセラーでしたね。たしか130万部ですか?
阿川 そうですね、今、刷っている部数として132万部です。
松田 内容的には聞く力≠ニいうよりは、聞き上手≠ニいう感じのエッセイ的な楽しみのある本ですね。
阿川 私がやっていることを、いろんな人たちに「こうするべきですよ」という断定は、私の力では出来ないと思ったので、ノウハウ本にはしたくないと最初に言っておいたんです。私が経験してきたことを章ごとにまとめて作ったので、仰るとおり、これは「聞く」というテーマのエッセイ本なんですね。
松田 『聞く力』は聞き上手≠フエッセイで、今回の『正義のセ』が検事もの≠ニいうことで、いわゆる聞くお仕事≠フ小説と言えますね(笑)。
阿川 たまたまですけどね。
松田 『正義のセ』をお書きになった時期と『聞く力』をお書きになった時期とは重なっているんですか?
阿川 『正義のセ』の連載を始めたのは2011年の東日本大震災より前です。『聞く力』は震災後ですから、『正義のセ』を連載している途中でした。
松田 小説家になる、小説を書くようになるというのは、昔から思っていたんですか?
阿川
いえ、全然(笑)。国語の授業も好きではなかったし、作文を褒められたことがない人間が文章を書くようになるとは思ってもいませんでした。たまたまテレビに出るようになったら「原稿を書いてみませんか」という依頼を受けて、月1回、小説家にインタビューするという仕事を始めたんです。その内に「エッセイを書いてみましょうか」と言われて、でもエッセイというものもよくわからなかったので、向田邦子さんや田辺聖子さん、落合恵子さんなどの作品を参考にしました。
松田 エッセイストとしても有名な方たちですね。
阿川 小説も「そろそろフィクションを書いてみませんか?」と言われて、ちょっとファンタジックな話で『ウメ子』を書いたんです。でも、その次の次が『小説新潮』への連載で、もう泣きそうになりました。周りに一流の作家が書いた本当の小説≠ェ並んでいるんですよ。そこに私が書いていいわけ?って…。
松田 そこで、いい意味で背伸びをしたのが良かったのではないですか?
阿川 そうですか? 大人の小説≠ニいう感じで、今までエッセイを書いていた時とはまったく違う注意をたくさん受けました。随分鍛えられたと思います。登場人物の髪型や服装、クセ、仕草などをどのシーンで書くか、ただ説明的に書くのではなくて、ふっとした仕草の時に書くとか、経験を積んでいかないとわからないことがいっぱいありました。
松田 昔の小説を読んでいても、二葉亭四迷でも夏目漱石でも、さりげなく服装とか仕草とかを書いていますよね。
阿川 部屋の色とか、箪笥の造りとかね。
松田 良い小説というのは、後の時代に読むと、その時代の文化というか、佇まいが伝わってきますから、そこまで自然に書き込めていると、やっぱり小説としての深みも出てくるんでしょうね。
阿川 はい。精進します!(笑)。
松田 今回の『正義のセ』というタイトルですが、「正義(セ・イ・ギ)」とは堂々とは言えないけど、その三分の一、つまり「セ」くらいは持っているぞ、という心意気みたいな感じでしょうか?
阿川 何で『正義のセ』を思いついたのかと言われると、もはや覚えていないんですけれど(笑)。まだ新米なところの意味も含めて、最初の一歩、みたいなイメージですね。
松田 この表紙はどのように決めたのですか。
阿川 本を作る時には表紙をどうするか、自分の心も決まっていなかったんです。ただ、荒井良二さんにお会いする機会があって、その時に拝見した『あさになったのでまどをあけますよ』という絵本の中にある町の景色がすごく魅力的で、荒井さんに表紙をお願いしたら「描きますよ」と。しかも3冊もあるとお伝えしたら、「じゃあ3冊で構成しましょう」と仰ってくださいました。そこで、1冊目が「朝」のイメージで黄色、2冊目が「昼」のイメージで青色、3冊目が「夕方」のイメージで赤色になりました。
松田 この絵は、月島と言われれば月島のようでもあるし、どこか違う国だと言えばそうも見える、不思議な空間ですね。
阿川 一応、絵の向こうに海が見えて、よく見ると「豆腐屋」って書いてあるんです。
松田 本当だ。「豆腐」みたいな看板がありますね。
阿川 虫眼鏡で見てくださいっていう(笑)。
松田 次の小説はお書きになっているんですか。
阿川 いえ、何も書いていません。ちょっと『聞く力』で忙しくて(笑)。でも今、書いていないということは、あまり良いことじゃないんですけど。
松田 『正義のセ』は、まだ続くんですか?
阿川 それは角川書店さんに聞いてみないとわからないですね!(笑)。
松田 検事っていう職業の特異さというか、笑いを誘うシーンなんかでも、そのギャップが面白いですし、登場人物が動いてきているので、もっと見てみたいという気もします。
阿川 そうですね。まず検事もの≠書くということで、文章自体は堅くならざるを得ない部分は出てくるとわかっていましたが、それでは読者もこちらも息が詰まってくるので、そういう四角四面な部分に欠落があった方が、書いている私も楽になるし、読者も楽になると。そこでフッと親近感がわくというところがあると思ったので、そこの対比をやはり作らなくてはいけないなと思っていました。ドジをやったり、バカにされたり、突っ走ったり…。本人は真面目でも周りから見たら「何やってるんだろう?」っていうようなことが散らばっていないと、取調べ室での話というのは逆に活きてこなかっただろうと思います。もし続編を書く機会があれば、意識的か無意識かは別にして、凛々子や家族のそういうところを自然に入れていきたいと思います。
(三月一日、東京都千代田区・角川書店にて収録)