【シリーズ対談】松田哲夫の著者の魅力にズームアップ!
『聖なる怠け者の冒険』 森見登美彦著(朝日新聞出版)
「新刊ニュース 2013年7月号」より抜粋
森見登美彦さんの三年ぶりの長篇小説『聖なる怠け者の冒険』は、社会人二年目の小和田君が狸のお面をかぶった「ぽんぽこ仮面」から「自分の跡を継げ」と迫られたことから始まる、果てしなく長い一日の物語です。京都・宵山を舞台に繰り広げられる奇想天外なストーリー、個性豊かな登場人物たち…。作家生活10年目、朝日新聞夕刊連載を全面改稿した長篇小説に込めた、森見登美彦さんの思いをうかがいます。
作家 森見登美彦(もりみ・とみひこ) |
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編集者 松田哲夫(まつだ・てつお) |
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全面改稿というベストな選択
松田 森見さんの三年ぶりの長篇『聖なる怠け者の冒険』は、京都の宵山を舞台にした一日の物語ですが、すごく充実した長篇小説だな、と感じました。
森見 ありがとうございます。
松田 今までの楽しい森見ワールド≠維持しつつ、もう一つ違う展開があって、物語の世界に広がりが出来たと言いますか。一方で、過去の作品、例えば『有頂天家族』などの要素も入ったりして、いろいろなテイストが味わえました。
森見 今作に出てくる「テングブラン」などもそうですが、今までも登場していたアイテムの名前を変えて使ってみました。
松田 それは朝日新聞連載の時からそうだったんですか。
森見 いえ、連載の時は今までの要素を織り込むということはそれほど考えていませんでした。単行本にする際、連載原稿のままではいろいろなお話、小さい断片が散らばっているだけで、それが一つにつながって世界を作るという風に出来ていなかったので、もう一度新しく書き直そうと。そうした時に、話を進めていく中で新しいアイテムをゼロから作るよりも、これまでの小説で作ったものをもう一度再登場させようと考えました。
松田 連載小説を全面改稿して、一から書き直したということですが、そういう書き方をしていって、結果としてどうでした?
森見 うーん…、連載原稿のままでは、多分本にはできないだろうと思っていたので、直せるところを直して本にできたことは、小説家としてベストだったと思います。
松田 まったく別の小説を書くという選択肢はありましたか。
森見 もちろん、ありました。むしろこれをどう直したらいいのかと変に悩んでいるより、まったくゼロから別の小説を書いた方がいいのでは、と思ったこともありました。ただ、これをこのまま「なかったこと」にすると、自分がスッキリしないまま次に行きそうな感じがあったので、完全に書き直して本に出来れば、悔いを残さずに次に進めると思っていました。
松田 「もう降りてもいいんだよ」という内なる怠け者≠フ声には負けなかった(笑)。
森見 負けませんでした(笑)。この小説は「内なる怠け者≠フ声に負けろよ」という話なのに、自分が負けてしまっては書けなかったので、仕方ありませんでしたね(笑)。よく担当編集者と「怠け者の小説なのに、なんでこんなに頑張って書いているんだろう」という話をしていました。ただ、僕が小説を書く時には、例えばチーズの塊があったとすると、そのチーズを真っ直ぐ進んでいって向こう側に抜けていくのが普通なんですが、この小説はあちこちからチーズを齧っている状態で、どれが本当の穴なのか全然わからなくなってしまったので、一度チーズを全部詰め直して一つの塊に戻して、そこに新しく一本の穴を通していかないと小説として完結出来ないということがわかっていたので、こういう形で単行本として出せたことがやはりベストでした。
松田 でも、収拾がつかなくなった物語というのも、それはそれで面白い気もするけれども、そういうものではないんですか?
森見 最初から、これは収拾がつかなくなる物語だという風に考えて、そういうつもりで書いていたら良かったのかもしれないですけれど、そうではなかった。途中までは収拾がつきそうに見せかけたり、でも途中から別の方に変わったりして、自分の中でも「この小説はどういう小説なんだろう」とはっきりしないものになっていました。でも、やっぱりそういう感触のものは寂しいし、もう少し小説としての核が欲しくて、これなら核があると言える、一つの世界として認めていいだろうと思えるように書き直しました。
松田 逆に新聞連載の時と変わっていないものはありますか。
森見 タイトルは連載時と同じです(笑)。それからぽんぽこ仮面≠ニ小和田くん、恩田先輩と桃木さん、その他単行本に登場する人たちは基本的には、連載の時からほぼいました。ただ、連載の時にはもっと登場人物がいたんですが、その人たちは次々に退場させられてしまいましたし、残った人物もキャラクターがまったく違う人もいます(笑)。
松田 ぽんぽこ仮面≠竢ャ和田くんも、連載の時は違うキャラクターだったんですか。
森見 連載の時の小和田くんは、全然落ち着いていなくて、事件に巻き込まれて右往左往する人間でした。ぽんぽこ仮面≠ノ「諸悪の根源はお前だ」と言い掛かりをつけられて、ぽんぽこ仮面≠ノ追われて逃げていました。単行本でも小和田くんは、一応逃げているのは逃げていますが、ぽんぽこ仮面≠熬ヌわれて逃げているという。全面的に書き直しましたが、ぽんぽこ仮面≠ニ小和田くんは、何としても守りたかった。
松田 ぽんぽこ仮面≠チて、語感がいいですよね。
森見 これは京都を散歩している時に、偶然「八兵衛明神」というところを見つけて、何となく小説に出したいと思っていて狸をイメージした怪人を思いついたんです。しかも何故かぽんぽこ仮面≠ニいう名前をパッと思いついて、あっさり決めてしまった。もう少しちゃんと考えるべきだったかな、とは思います。
松田 恩田先輩と桃木さんは、『夜は短し歩けよ乙女』の乙女と先輩のその後の姿かな、なんて思いました。
森見 ぽんぽこ仮面≠竢ャ和田くんを中心にいろいろと話が動いている中で、一日をきままにデートして楽しんでそのまま終わるという暢気なカップル、何かアホなカップルを書きたいな、と思って登場させました。
松田 「蕎麦処六角」の主、津田さんはいかがですか。
森見 津田さんは全然違うキャラクターでしたが、名前だけ流用して出しました(笑)。
松田 ただ怠けているだけの浦本探偵と、週末探偵で方向音痴の玉川さんは。
森見 浦本探偵は単行本にする時にいなくなる予定だったのですが、書いているうちに存在感が増してきて、やはり必要だということになりました。何となく小和田くんのパワーアップバージョン≠ンたいな役割というのがはっきりしてきて「ああ、この人はこの人で必要なんだ」と、思えるようになりました。
松田 浦本探偵がいると、玉川さんが活きてきますね。浦本探偵のお陰で玉川さんが浮かずに済むという。
森見 その通りですね。玉川さんは浦本探偵がいるから、何度も道に迷ったりウロウロしたり出来るというのもありました。そういう感じで、この人はどうしても活かしたいとか、この人には残念だけど退場してもらうとか、いろいろ判断しなくてはならなかった。ただぽんぽこ仮面≠ヘ何とか入れなくては、と思っていました。
怠け者≠ニ冒険≠ニいう哲学的な組み合わせ
松田 いろいろなご苦労があって完成した労作だと思いますが、そういう森見さんの苦悩も含めて(笑)、ある意味では哲学的というか、単純に面白いだけではなくて、考える楽しみもある物語になったと思います。
森見 あんまり自分の苦悩が小説の中に出るのはよくないかな(笑)。隠し味程度に、少しだけ混ざっている方がいいかなと思います。今回は、小和田くんという怠け者を真ん中に置いて、主役であるかのように小説を書きたかった。小和田くんという理想的な怠け者、アグレッシブな怠け者というか、積極的な怠け者というか、漠然と怠ける状態になっているのではなくて、断固とした意思をもって怠けているキャラクターをどうしても作ってみたかった。そういうのにすごく憧れていたんですね。でも、そもそも「怠け者に冒険させよう」と思った時点で、どうしても哲学的になってしまうだろうとは思っていました。
松田 大いなる矛盾ですね。
森見 矛盾ですね。そもそも小説を書こうとしている前提がすごく逆説的というか、本来なら成り立つはずのないことですよね。怠け者が怠け者であることによってヒーローになって冒険をする話、動きたくない、冒険したくないという人がそれを言い続けると結果的に冒険していましたという話になるわけですから、そこを突き詰めていくとだんだん哲学的な雰囲気になってくるわけです。今の自分の日常的な考え方から飛躍しないとどうしても小説のコンセプトが実現しない、話に一本筋が通ってくれないので「怠け者とはなんぞや」という感じになってしまった。それはそれで面白いとは思いますが、かなり力技だったかなぁという感じはします。
松田 『聖なる怠け者の冒険』というタイトル自体が矛盾を内包していますよね。怠け者が聖なるはずがなく、さらに怠け者が冒険するはずがないわけですから(笑)。
森見 このタイトルも、たまたまフッと思いついたタイトルなんです。最初はやっかいなタイトルを選んでしまったなぁと思っていましたが、振り返れば結果オーライかな、と。
松田 森見さんのほとんどの小説は京都が舞台ですが、これからも京都を書き続けていくつもりでいらっしゃるんですか?
森見 いえ、そんなことはないです(笑)。が、やっぱり自分がよく知っているところを舞台にしないと書きにくいというか、自分が普段散歩などをしているところで、思いついたことや見つけたものを小説にするという傾向はあります。僕がよく知っている街としては生まれ育った奈良と、大学時代を過ごした京都、転勤でしばらく住んでいた東京くらいでしょうか。『ペンギン・ハイウェイ』も具体的な地名は出てきていないですけれど、あれは奈良が舞台です。抽象的に書いているのでわからないとは思いますが。
松田 京都という街は、ああいう物語が自然に生まれてきてもおかしくないという雰囲気があるような気がします。
森見 小説を書く時に、京都の街からいろいろ想像するからというのもあるでしょうし、読者も「まぁ、京都だからいいか」という感じで、結構、僕が不思議な出来事を書いてもそれなりに読んでくれるというのもあると思います。
松田 京都には、学生や学者などの学問をしている人に対して、世の中のルールから少し外れていても良いみたいな、いい意味で甘やかしてくれるような雰囲気がありますね。
森見 さすがに最近はそういう雰囲気が少しずつ変わってきたらしいのですが、確かにそういうダメな雰囲気というか、ゆっくりとした時間の流れというのはあるかもしれません。僕も特にアホな学生を主人公にした小説を書いていたので、『近世畸人伝』という江戸時代の変わった人物を紹介している本を読んだ時に「アホな学生のパワーアップ版が江戸時代におる!」と思って(笑)、何とかこれを小説に使えないかと思っていました。『近世畸人伝』に出てくる人もほとんど京都にかかわりのある人で、そこは近しいものを感じましたね。単純に怠け者であるとか、意味の無いことに夢中になっているとか、基本的には困ったことなのですが、それが一目置かれるレベルになるというのはどういう状況なのか、どういう世界なのか、どういう点でみんなそれを求めるのだろうか、そういうのに興味があります。そもそもは学生の時にアホな友達がいたというだけなのに、それをどんどん辿っていくと、旧制高校とか『近世畸人伝』みたいになって、さらに遡ると中国の荘子、老荘思想になっていくので、そこに憧れというか影響があるんだろうなと。なんだか壮大な話になってしまいますが、別にそんなややこしいことではなくて、なんとなくそういう系譜があるという感じです。
松田 この『聖なる怠け者の冒険』の中でも、訳のわからないシステムの先に、はっきりとは見えてこないけれど、すべてがそこで雲散霧消していくような境地、言ってみれば「仙人の世界」みたいなものが出てきますね。今のお話を伺っていると、最後は「仙人の世界」に行ってしまうのかなぁと思いました。
森見 ずっと辿って辿って仙人的な世界まで行くと、役に立つとか役に立たないとか、怠け者であるとか怠け者でないとか、そういうことが全部無意味になってしまう、すごく怠け者であることによって向こう側の世界に突き抜けてしまうと、そういう違いが全部どうでもよくなってしまう、というのを書きたかったのかもしれないですね。
松田 そういう意味で深いなと思いました。怠けるというところからスタートしてぽんぽこ仮面≠ニの対立があって、そこで終わらないで「仙人の世界」までずっと行く。その世界を成り立たせている構造みたいなものも見えてくる。この世界観の内側や外側にまだまだ面白い物語がころがっていそうな予感がします。これの続編ではなくてね。
森見 そうですね。
松田 最後に、新聞連載をお読みになった読者が「本になったんだ」と思って手に取られて読んだ時の心情などは、どのように予想されますか。
森見 新聞連載で読まれていて、あれがまとまった本だと思っていらっしゃる方に対しては本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。でも単行本も面白いと思うので、ぜひ読んで欲しい。多分、単行本を読んでもらえれば、連載の時の記憶は薄れていくと思います(笑)。単行本としてこっちがベストなので、ぜひリセットして欲しいですね。
松田 ワンタイトルで二度おいしい。二度目の方がより美味しいということで。
森見 はい、ぜひ上塗りして欲しいです(笑)。
(五月十日、東京都中央区・朝日新聞社にて収録))