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『夜のミッキー・マウス』の谷川俊太郎さん
インタビュアー 鈴木 健次(大正大学教授)

谷川俊太郎
(たにかわ・しゅんたろう)
1931年東京生まれ。52年、「文學界」に詩を発表して注目を集め、処女詩集「二十億光年の孤独」を刊行。みずみずしい感性が高い評価を得る。主な詩集には読売文学賞を受賞した「日々の地図」をはじめ、「ことばあそびうた」「定義」「みみをすます」「よしなしうた」「世間知ラズ」「モーツァルトを聴く人」などがある。また、絵本「けんはへっちゃら」「こっぷ」「わたし」や、日本翻訳文化賞を受賞した訳詩集「マザーグースのうた」やスヌーピーでおなじみの「ピーナッツ」などの翻訳、脚本、写真、ビデオなど様々な分野で活躍している。




『夜のミッキー・マウス』
新潮社



『風穴をあける』
草思社



『詩集』
谷川俊太郎/著
思潮社



『谷川俊太郎詩集(新版)』
思潮社



『谷川俊太郎詩集 続(新版)』
思潮社



『香月泰男のおもちゃ箱』
香月泰男作
谷川俊太郎詩と編
新潮社



鈴木 実はきのう東急文化村の文学カフェに参りまして、谷川さんと高橋源一郎さんのお話しと自作朗読を楽しませていただきました。
谷川 えっ、いらしてたんですか。声をかけてくださればよかったのに。
鈴木 若い人たちがジャズやフォークソングのコンサートみたいに楽しんでいるのでびっくりしました。谷川さんも実に若々しかったです。
谷川 よくそう言われます、自分じゃ全然意識していないんですけど。ただ昔のような老人にはなれていないっていう後ろめたさはありますね。
鈴木 ああいう詩の楽しみ方を、私はこれまで知りませんでした。
谷川 高橋さんが構成や演出を工夫してね、台本まで書いて、ちゃんと役者を二人つれてきて・・・・・・でも詩の話になるとやたら照れちゃってね、なかなか自分の詩を読まない・・・・・・。
鈴木 読みにくいでしょう、谷川さんの前では。
谷川 古い友達だから、そんなことはないと思うんですけどね。でもあの方は言葉についてよく考えてらっしゃる。何が詩か、みたいなことに疑問をもっているから、自分ではなかなかつくりにくいんじゃないかな。
鈴木 でも普段、「僕は詩人だった」と言ってますけれど。
谷川 そう、あの十九歳のとき書いた詩っていうのは、ちゃんとした詩になってましたね。
鈴木 実は、あの会に行きましたのは、今日、何を伺ったらいいかわからなかったからなのです(笑)。
谷川 じゃあ、何か材料を拾っていただけたでしょうかね(笑)。
鈴木 会場にいるうちに、そんなに気張ってインタビューしなくても、詩を楽しめればいいかなと。
谷川 そうですよ。こっちも、あんまり聞かれても答えられない。
鈴木 このインタビューはもう二十年近く続けているんですが、詩人のお話をお聞きしたことはないし、歌人のインタビューはやりましたが散文の作品を書かれた時でした。私にとって詩は、島崎藤村や蒲原有明どまりです。
水盤に/あまき露うけむ、/君がゑみ/花とさくその日。
胸に蒸す/にほひ眼にうつり、/君がゑみ/眞晝かがやける。
谷川 よく覚えていらっしゃいますね。
鈴木 この有明の詩は大好きでした。
谷川 いつごろ読んでいらしたんですか?
鈴木 高校の頃だったでしょうか。ところが、それからが全然進歩なしです。
谷川 いやいや、進歩っていうことじゃなくて、それはまあ、日本の現代詩っていうのがわけがわからないと悪名高いですから・・・・・・。
鈴木 現代詩はわからないものと決めていました。でも、この機会に谷川さんの詩を読んだり聴いたりして、ちょっと認識を改めました。とてもバラエティに富んでますね。
谷川 そうですね、いろんなものを書きます。
鈴木 あとがきに、「この詩集に収めた作は形も調べもさまざま」で、「同じ土壌から匂いも色も形も違ういろんな花が咲くように」いろんな詩が入っている、と書かれていますが、「この詩で何がいいたいのですか、と問いかけられる度に戸惑う。私は詩では何かを言いたくないから、私はただ詩をそこに存在させたいだけだから」とも書いてらっしゃる。こう言われちゃうと、質問のしようがありません(笑)。
谷川 「不遜を承知で言えば、一輪の野花のように、詩をそこに存在させたいだけ」。
鈴木 それで今日は、つまらない質問はやめて、谷川さんに自作朗読をお願いしようと思ってやってきました。このインタビューを読む人も、まず、どんな詩なのか知りたいと思うのですが、よろしいでしょうか。
谷川 ええ、ええ、それはもちろん。
鈴木 ではまず、「ふえ」とか「広い野原」とか、谷川さんご自身の・・・・・・。
谷川 「ふえ」は、一種、詩人の比喩ですね。
鈴木 私もそう思いました。「スイッチの入らない知識人」は他人のことですか?
谷川 まあ、自分も入っているんだけれど、やっぱりなんとなく「これは俺じゃない」みたいな気持ちで書いてますね。
鈴木 それではまず、ご自身の心情にいちばん近い詩をお願いいたします。
谷川 なるほど、いちばん心情に近いものね、ちょっと待ってください・・・・・・。やっぱり「広い野原」かな、数年前に書いた詩なんですけれど。じゃあ、読んで見ましょうか。
「広い野原」
広い広い野原だ/よちよち歩いているうちにおとなになった/オンナの名を呼びオンナに名を呼ばれた
いつか野原は尽きると思っていた/その向こうに何かがあると信じていた/そのうちいつの間にか老人になった
耳は聞きたいものだけを聞いている/遠くの雑木林の中にはどっしりした石造りの家/そこにいるひとはもうミイラ・・・・・・でも美しい
広い広い野原だ/夜になれば空いっぱい星がまたたく/まだ死なないのかと思いながら歩いている
鈴木 ・・・・・・私小説的な興味も惹かれる詩ですが、質問はやめて、もう一篇お願いします。
谷川 では、これは一人で読むとなんとなく読みにくいですけれど(笑)、気に入っているんで読みます。
「なんでもおまんこ」
なんでもおまんこなんだよ/あっちに見えてるうぶ毛の生えた丘だってそうだよ/やれたらやりてえんだよ/おれ空に背がとどくほどでっかくなれねえかな/すっぱだかの巨人だよ/でもそうなったら空とやっちゃうかもしれねえな/空だって色っぽいよお/晴れてたって曇ってたってぞくぞくするぜ/空なんか抱いたらおれすぐいっちゃうよ/どうにかしてくれよ/そこに咲いてるその花とだってやりてえよ/形があれに似てるなんてそんなせこい話じゃねえよ/花ん中へ入っていきたくってしょうがねえよ/あれだけ入れるんじゃねえよお/ちっこくなってからだごとぐりぐり入っていくんだよお/どこ行くと思う?/わかるはずねえだろそんなこと/蜂がうらやましいよお/ああたまんねえ/風が吹いてくるよお/風とはもうやってるも同然だよ/頼みもしないのにさわってくるんだ/そよそよそよそようまいんだよさわりかたが/女なんかめじゃねえよお/ああもう毛が立っちゃう/どうしてくれるんだよお/おれのからだ/おれの気持ち/溶けてなくなっちゃいそうだよ/おれ地面掘るよ/土の匂いだよ/水もじゅくじゅく湧いてくるよ/おれに土かけてくれよお/草も葉っぱも虫もいっしょくたによお/でもこれじゃまるで死んだみたいだなあ/笑っちゃうよ/おれ死にてえのかなあ
鈴木 文字で見るのと、また違いますね。わかりやすくなるような気もします。
谷川 読み手の解釈が入ってきますからね。
鈴木 人間の声の力を感じます。
谷川 文字がない時代から詩はあったわけですから。活字の方がずっと新参者ですね。
鈴木 谷川さんの詩を読んだり聴いたりしていると、散文の世界以上に、むしろ音楽の世界に近いっていう気がするんですが・・・・・・。
谷川 詩は本当に音楽に近いですね。
鈴木 谷川さんの詩にもエッセーにも武満徹さんがよく登場しますね。武満さんと谷川さんには、何か共通するものを感じます。
谷川 僕は詩を書き始めた頃は、そんなにたくさん詩を読んでいたわけじゃなかったんです。だけど音楽はなくては生きていけないっていう状態で、自分にとっては詩よりも音楽のほうがはるかに身近だった。音楽に非常に影響されているので、詩もなんか音楽と根っこが一つなんじゃないかなと思ってます。
鈴木 武満さんが自然や心の中の音を引き出してきたように、谷川さんも心の中の音っていうか、宇宙の果てからの音というか、そういうものの受信装置をおもちのように思うんです。「愛をおろそかにしてきた会計士」に、「男のからだは押されている/何百光年のかなたからとどいた恒星の光に」という一節がありますね。谷川さんと武満さんたちは「恒星の光」で交信できるのかな、と感じます。
谷川 武満は「音の河」っていうことをよく言ってた。なんか世界にはそういう音の河が流れていて、自分はそれに参加するにすぎないっていうふうに創作を考えていましたね。その点、僕なんかも考えが似てるんじゃないかと思います。自分の中から出てくるものも当然あるんだけれども、自分の周りにあるものに自分が参加していって詩をつくるんだっていう感触は、武満と似ているんじゃないかな。
鈴木 音といえば、谷川さんの作品には私的モチーフの濃密な詩とは別に、音そのものを楽しむ詩もたくさんありますね。例えば詩集『ことばあそびうた』の諸篇とか、この詩集にはあまり出てきませんが、「不機嫌な妻」の「口数が多くなって口も肥えた」なんて・・・・・・。
谷川 駄洒落っぽいですね。
鈴木 論理じゃないですね。
谷川 ええ、ことばあそびは言葉が木とか石のような一種の素材になって、それを職人的に組み合わせるっていう書き方ですから、他の詩と全然書き方が違います。
鈴木 「詩を、言葉を組み合わせてていねいに造られた工芸作品のように考えるほうが好きだ」とどこかに書いていらっしゃいましたね。
谷川 ええ、そういうふうにしたいという気持ちがある。詩は自己表現だ、自己表現だって、みんながあまり言うもんですから。そんなに自分というものが豊かじゃないんじゃないかって思うようになったんです。
鈴木 あまり論理的に考えないで、単純に音や言葉の並びを楽しむような詩があってもいいし。
谷川 基本的に詩っていうのは言葉のものですからね。日本語のもっているすごい可能性みたいなものを、いろいろやってみなければ損だって気がしますね。
鈴木 もちろん谷川さんの感性が剥き出しで出てる、というようなものもありますが。
谷川 う〜ん、それはやっぱり出ちゃうんでしょうね。ただ高橋源一郎さんがおっしゃってたけれども、詩はフィクションですから、ある詩を読んでそこに作者の感情とか思想とかを読み取ろうとするのは、そういうことができる詩もあるけども、私の場合には無理だと思います。私生活的なことを書いていても、それが自分に対して正直であるかというと、やはりそこで詩を作ってますね。
鈴木 「カメレオンマン」という言葉がありましたが、詩人はカメレオンのように変幻自在、その時その時に自己を変えている?
谷川 まあ、そうも簡単にはいかない時もあるんですが、カメレオンに通じています。
鈴木 この詩集にも、社会的な問題とか風俗現象と切り結んでいるような詩がありますね。
谷川 やはり非常に時代のプレッシャーを感じています。それをどういうかたちで詩に出すか。直接、戦争反対とか環境破壊反対とかいうメッセージ的なものを含んだものは書きたくないんですけれど。
鈴木 日本の場合、第二次大戦中に戦意高揚のために多くの詩人が詩を書いた。それに対する反動で、極端にその種の作品を書くのを嫌うということがありますか?
谷川 それもある程度はあったでしょうが、今はもう事情がちがっていると思いますね。つまりそういうふうな詩が、力をもつとは誰も信じてないです。それをさんざん繰り返して何の役にも立たなかったんだから。僕の場合、自分の意識のいちばん深いところに影響してきた時代っていうものを、意識下の世界から取り出そうと思っています。一見社会的なものを何も扱っていないように見えても、どこかに時代というものの影響があるんです。「三人の大統領」なども、新聞を読んでいるとアメリカをはじめとしていろんな国の大統領がいるわけですね。なんとなくそういうものの印象が、あの詩に入っていると思います。
鈴木 僕は大学に勤めているいるので、論文の審査だとかなんとか、とにかく言葉は論理、論理、なんです。自分もどうしても論理で武装しようとする。谷川さんの詩を読んで、ふと、何か解放されたように感じました。
谷川 詩を書く人間というのは、言葉は非常に不完全なものだって思っている人が多いんじゃないでしょうか。言葉で百パーセントなにかを表現できるとは思ってませんね。
鈴木 これも「愛をおろそかにしてきた会計士」ですが、「曖昧さこそ現実そのものだ」とありますね。詩もその曖昧なもので、こうもとれるかな、ああもとれるかなと、多義的な表現の面白さをそのまま受け取ればいいのかもしれない、と思いました。
谷川 教科書なんかでは、詩を理解しよう、理解しようとしますけれど、詩人の側からいうと、別にわかってもらえなくても、味わってもらえればいいっていう感じがあるんですよ。どうもみんな解釈したがりますね。
鈴木 これは何を意味してるんだろう、なぜこの言葉の次にこの言葉がきてるのか、すべて納得しないと気がすまない。それで現代詩は難解だということになってしまいます。
谷川 それが言語というものの非常に困ったところじゃないでしょうか。不完全であることの証拠ですね。現実は本当に矛盾していて曖昧なものなのに、言葉でそれが割り切れると思ってしまう。詩は基本的に、割り切れるものじゃないところに何か生きていることのリアリティをさぐりたいっていうのがあるような気がするんですよ。
鈴木 そう思って谷川さんの詩を読むと、言葉は悪いけども、ミーハーでも楽しめるような作品もあります。
谷川 そう、なにしろ僕は他に定職を持ちませんでしたからね、書くことで食わなければならなかった。だから、できるだけたくさんの人に読んでもらいたいっていうのが若い頃から一貫してあるんですよ。
鈴木 現代詩は自分にはわからない世界だと思っていたのに、谷川さんのおかげで、おもしろいな、と思えるようになりました。最後にもうひとつ、読んでいただけますか。
谷川 じゃあ、「五行」という連作の中から一つだけ。
その人の悲しみをどこまで知ることが出来るのだろう/目をそらしても耳をふさいでもその人の悲しみから逃れられないが/それが自分の悲しみではないという事実からもまた逃れることは出来ない/心身の洞穴にひそむ決して馴らすことの出来ない野生の生きもの/悲しみは涙以外の言葉を拒んでうずくまり こっちを窺っている
鈴木 ありがとうございました。

(2003年9月18日 東京・新宿にて収録)

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