同世代の女性が集まると、きまって母親の話に花が咲く。曰く、「結婚相手は年収二千万以上じゃないと許さない、って泣かれた」「私なんて、老後の面倒どころか、墓の管理まで押しつけられて」……云々。こういうものは怪談と同じで、怖いけれどちょっぴり楽しい。
いや、こんなふうに笑って話せるなら、まだましだ。親を悪く言うのはよくないと、苦悩を打ち明けない娘もごまんといる。面と向かってはむかおうものなら、倍返しの逆襲と罪悪感が待っている。〈墓守娘〉たちはせいぜい、飲み友だちと自らのダメさ加減を嗤うほかに、抵抗のすべはないのだろうか。
本書は、過干渉の母と娘の膠着した関係を、徹底的にみつめた一冊である。なぜ娘はNOと言えないのか、なぜ母は束縛するのかを鋭く分析し、さらにはアダルトチルドレン・虐待というテーマにとりくんできたカウンセラーらしく、魔の手から逃れるための方法も、抜かりなく盛り込んである。
母=慈愛に満ちた存在、という方程式を信じたい人にとっては、危険思想かもしれない。しかし、きれいごとでは解決しないと、本当は多くの人が気づいているのではないだろうか?
そのことを肌で感じる出来事があった。この本は月刊誌『春秋』の連載がベースになっているのだが、連載開始時から想像を上回る反響があったのだ。『春秋』は知る人ぞ知る、地味なPR誌である。いくつもの書店や図書館を駆け回り、バックナンバーを探し出してくれた人。「もっと早く読んでいたら私の人生は変わったのに」と編集部に連絡をくださる人。三十代キャリア女性から、親の介護に奮闘する団塊世代まで、たくさんの共感が寄せられた。そして、単行本化されると、たちまち四刷となったのだ。
これをどう見るか。「とかく女同士は難しい」と片付けることも可能だろう。けれど、切実な声を知る担当編集者としては、墓守娘たちが静かに狼煙をあげ始めたように思えてならない。「自分たちは一人ぼっちじゃない」という思いが、日本中に広がっていくことを願っている。
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