「ほんのまくら」フェアが面白かった
小説の書き出しだけを見て文庫を買うというスリル(紀伊國屋書店新宿本店で7〜9月に開催)。今回の「太鼓本」も書き出しを紹介。
松田哲夫(まつだてつお)
1947年東京都生まれ。編集者。書評家。「週刊ポスト」で「松田哲夫の愉快痛快人名録 ニッポン元気印時代」を連載中です。著書に『印刷に恋して』、『「本」に恋して』。
イチオシ!モノにまつわる懐かしくも優しい物語
〈そこは世界で一番小さなアーケードだった。〉父親が大家で、「私」はここで生まれて育ちました。アーケードには小さな店が並び、そこで扱われている品は、衣装の端切れ、使用済みの絵葉書、義眼、遺髪のレースなどささやかだけど風変わりなモノばかりです。訪れるお客は、愛する者を失った人びとです。「私」も親しい友を、そして父親を失ってしまいます。そうした深い悲しみと喪失感を、この空間と品物たちが優しく包み込んでくれるのです。読み進むにつれて、この場所への既視感が強まってきます。旅先でふと迷い込んだ、あるいは夢の中で彷徨った、そんな気持ちになってくる、懐かしい物語です。ここのところ、ビジュアルの表現者とのコラボレーションに積極的な小川さん、これは有永イネさんの漫画の原作として書き下ろされた連作長編小説です。
第147回芥川賞の受賞作
〈十時発のこだまに乗らなければ、と奈津子は思った。〉夫が脳の病で働けなくなって八年、奈津子は夫と出会う前の「あんな生活」よりもまだましだと思っています。そして、母親と弟、そして自分もとらわれている「過去」と直面しようと、夫との短い旅にでかけるのでした。
映像的言語感覚で捉えた広島
〈人間の顔は、じっと、じっとみつめて、その骨格の輪郭を目で追っていくと、その人のされこうべが透けて見えてくる。〉伯父さんの体験談をもとに、映画監督ならではの感覚を駆使して、敗戦前後の日本の風景と人びとをじっくりと見つめ描写した、不思議な味わいの小説。
特別な理由がない離婚とは?
〈そうだ、こそどろ。〉結婚十年目の森子は、ある日「好きじゃなくなった」から離婚したいと、夫の祐一に告げます。別居生活を始めてみると……。結婚生活が始まったころの日々と別居後の日々が交互に出てきて、夫婦の繋がりって何だろうという問いを読者に投げかけます。
狭い茶室から森羅万象を覗く
〈私が茶室を手掛けはじめたとき、それは実に消極的なスタートだった。〉ところが、博覧強記な建築探偵にして野蛮ギャルドな建築家でもある筆者がひとたび興味を持つと、あら不思議。茶と茶道と茶室について、時空を超えて大胆な論を展開して読者を喜ばせてくれるのです。