今年は、大賞と特別賞の受賞作以外に、水村美苗さん『母の遺産』(中央公論新社)、小川洋子さん『最果てアーケード』(講談社)、窪美澄さん『晴天の迷いクジラ』(新潮社)、木内昇さん『ある男』(文藝春秋)といった女性作家の力作にも、それぞれ賞を差しあげたい気持ちでした。その他、番外の賞として、笑って考えさせられた天下の奇書、南伸坊さん『本人伝説』(文藝春秋)に「抱腹本賞」を贈ろうかと考えました。さらに、書き出しの一行だけで本を買ってもらおうという、読書の原点を思い出させてくれた素晴らしい企画「ほんのまくらフェア」(紀伊國屋書店新宿本店・伊藤稔さんとそのチーム)に「太鼓本屋賞」をなんてことも思っていました。
松田哲夫
(まつだ・てつお)
1947年東京都生まれ。編集者(元筑摩書房専務取締役)、書評家。著書に『印刷に恋して』、『「本」に恋して』など。編著に『中学生までに読んでおきたい日本文学』『中学生までに読んでおきたい哲学』がある。
警察小説ブームの火付け役である横山秀夫さんの最新作。これまでの横山作品をスケールでも緻密さでも凌駕している大力作です。組織対個人(人情)の対立を中心に据えて、主人公たちをギリギリと締め上げていくのですが、そのサスペンスがたまりません。そして、敵役もそれなりに意地のある人物として描かれているので、組織と組織の対立には生半可ではない迫力が感じられるのです。警察官たちのミクロの物語と、巨大組織のマクロの物語が同時に描かれていて、まるでボッシュやブリューゲルの大作を見ているようでした。七年ぶりの復帰を祝し、これからの健筆を祈って、ここに「大賞」を贈ります。
これは、平凡な主婦の金銭感覚がしだいに狂っていって、大金を横領してしまうというお話です。この小説が恐ろしいのは、ごく普通の人たちにも同じような衝動の芽が潜んでいることが明らかになっていくところです。このあたりの描写は、読んでいて背筋がゾクゾクしてきます。これは、生半可なホラーなど比較にならないほど恐ろしい物語なのです。そして角田さんは、この一年間に『紙の月』の他にも『かなたの子』、『曾根崎心中』、『月と雷』、『空の拳』とテイストの違う傑作を次々に発表し、柴田錬三郎賞、泉鏡花文学賞を受賞しています。ますます冴え渡る筆致に感謝を込めて「特別賞」を贈ります。
● ● ● 受賞者・角田光代さんの言葉 ● ● ●
読後感のいい本では、けっしてありません。私も書いているあいだずっと、お金とは、恋愛とは何かを考えていました。いい気分ではもちろんなかったけれど、考えることができてよかったと思います。松田さん、読んでくださった方、ありがとうございます。
【プロフィール】 角田光代(かくた・みつよ)
1967年神奈川県生まれ。2012年『紙の月』で第25回柴田錬三郎賞、『かなたの子』で第40回泉鏡花文学賞を受賞。近著に『空の拳』(日本経済新聞出版社)、『月と雷』(中央公論新社)などがある。
町のざわめき、風のそよぎ、わらべ歌や太鼓の音……芝神明宮の門前町「風待ち小路」に暮らす人びとの姿が、活き活きと目の前に浮かんでくるようです。そして、この町でくり広げられる人間模様には、しっとりとした情感がこもっています。だから、江戸時代の物語を読んでいるというよりも、いつのまにかこの町に迷い込んだような気分になるのです。さらに、町民の物語に敵討ちと恋の物語をからみ合わせ、大立ち回りの末に大団円に持っていくストーリー展開も鮮やかです。デビューしてまだ二作目ですが、この筆力は注目に値します。時代小説の次世代エースに成長することを期待して「新人賞」を贈ります。
● ● ● 受賞者・志川節子さんの言葉 ● ● ●
ありがとうございます。江戸庶民のささやかな喜びや悲しみに触れて、読者にほっとひと息ついていただけたら。そう思いながら書きました。ひと足早い春風が吹いて、風待ち小路の人々も喜んでくれていると思います。
【プロフィール】 志川節子(しがわ・せつこ)
1971年島根県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。会社勤めのかたわら小説を執筆し、2003年に『七転び』で第83回オール讀物新人賞を受賞。著書に『手のひら、ひらひら』がある。2012年、二作目となる『春はそこまで 風待ち小路の人々』を上梓。
● ● ● 受賞者・横山秀夫さんの言葉 ● ● ●
松田さんのお話を伺っていると、書き手の意識下の情動まで読み破られているようで恐ろしくなります。その松田さんから賞をいただけるとは! こんな嬉しいことはありません。勇気凛々、今後も精進いたします。
【プロフィール】 横山秀夫(よこやま・ひでお)
1957年東京都生まれ。1998年『陰の季節』で第5回松本清張賞を受賞、2000年『動機』で第53回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。12年11月に7年ぶりの新刊となる『64(ロクヨン)』を上梓。