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池永 陽(いけなが・よう)
1950年愛知県生まれ。岐阜県立岐南工業高等学校卒業。グラフィック・デザイナーを経てフリーのコピーライターとして活躍。98年『走るジイサン』で第11回小説すばる新人賞を受賞し作家デビュー。サムシング・エルスを感じさせる独特の作風で注目を集める。2002年『コンビニ・ララバイ』が「本の雑誌」が選ぶ上半期ベスト1に選ばれた。主な著書に『殴られ屋の女神』、『アンクルトムズ・ケビンの幽霊』、『水の恋』、『ゆらゆら橋から』等がある。 |
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『でいごの花の下に』
集英社
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『殴られ屋の女神』
徳間書店
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『コンビニ・ララバイ』
集英社文庫
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『走るジイサン』
集英社文庫
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石川 書き下ろし長編小説『でいごの花の下に』は、フリーライターの燿子が失踪したカメラマンの恋人・嘉手川重吾を沖縄まで探しに行く物語です。タイトルに使った「でいごの花」というのは、沖縄独特の花ですね。
池永 はい。真赤な色をしたきれいな花です。沖縄の県の花でもあるんですけど、沖縄そのものをあらわす代名詞ではないかとも僕は思っています。でいごの木の下、つまり沖縄の下には何が埋まっているのか、ということをこの小説で書きたかったんです。
石川 嘉手川の残したメモを手がかりに燿子は沖縄へと向かいます。そしてメモと一緒に残されていた使いきりカメラ。嘉手川は果たして生きているのか、カメラには何が写されているのかなど、物語はミステリーのように展開されていきます。
池永 僕が物語をつくる時は、最初にキャラクターを設定してからストーリーに入っていきます。今回の作品に関していうと、着手した時点では僕自身、沖縄についてよく知らなかったんです。知っていたのは基地の島であり、そして沖縄戦があった、ということぐらいでした。何回か沖縄を訪れるうちにいろんなことがわかってきました。そういった背景が物語の構成に反映されているのではないかと思います。
石川 小説は燿子が沖縄に到着した日から始まります。最初のシーンでは市場の情景が描かれていますね。沖縄というと、例えば基地や青い海、または砂糖きび畑などが考えられますが、なぜあえて市場を選ばれたのでしょう。
池永 初めて沖縄の市場に行った時に、小説の冒頭にもあるように《「ここは異国だ」》と思ったんです。けた外れに大きくて洒落てない、また、日本離れした匂いもして、内地にはない雰囲気を感じました。また、本文にもありますが《むき出しにされた命のにおい……。》も強く感じたんですね。それが、市場を最初に持ってきた理由です。
石川 市場を彷徨う燿子にサーターアンダギーを揚げる老婆が《「マブイを落したんじゃないねえ」》と声をかけ、落したマブイ(魂)をひろい上げてくれます。とても不思議なシーンで読んでて少し驚きました。
池永 小説の中に《沖縄は骨の島》という言葉が出てきますが、同時に沖縄は神の島でもあって、いたる所に神様が存在しているんです。読者の方にもその雰囲気を感じて欲しいと考えてあの場面を書きました。
石川 読者は燿子とともに、沖縄という島、そして沖縄の歴史について知ることができますね。
池永 沖縄について書く場合、内側から書く場合と外側から書く場合とがあると思うんです。僕は外側の人間ですから内側から書くことはできません。そう考えると燿子というのは内地(外側)の代表になるんですね。彼女は嘉手川を追いかけて探し出そうとすることで、嘉手川の過去を知り、そして沖縄のさまざまなことについて知っていくわけです。
石川 嘉手川とは対照的に燿子の過去についてはまったく表現されていませんね。
池永 内地の人間が沖縄に入っていくという流れですから、彼女の生い立ちや過去というのは、小説の中に必要なかったんです。
石川 燿子と嘉手川は、東京でライターとカメラマンとして出会い、二人は程なく結ばれます。ある日、セックスの後で燿子は嘉手川の手が欲しいと思うようになります。このシーンはクライマックスへの伏線になっています。
池永 嘉手川の手というのは、沈んだ廃墟的な写真を撮る手であり、凄惨な過去を秘めることになった手でもあり、いろいろな意味を内包した手なんです。人は行動を起こす際にまず手を動かしますから、手というのはその人の生き方そのものが最初に表れる部分だと思うんです。当時の燿子は嘉手川の過去を知りませんでしたが、何かを敏感に感じ取ったために、嘉手川の全て、すなわち彼の手が欲しいと思うようになったのではないでしょうか。
石川 それにしても作中の出来事や人物の振る舞い、象徴などにしても、この作品には「死」というものが蔓延していますね。
池永 沖縄戦では二十万人という夥しい数の人が亡くなりました。そういった事実を考えると、作品の中で「死」というものを無視することはできませんでした。沖縄というところは海も空も本当にきれいなんですよ。その美しくて平和で穏やかなところに、かつてはあんなにも悲惨な戦争があり、その歴史を積み重ねて今にいたっている、ということを読者の方たちにぜひ知って欲しいと思うんですね。
石川 燿子は「ちゅらうみ」というペンションに滞在します。そこでオーナーの照屋、その孫の祐月、祐月のボーイフレンドの圭たちと出会います。とりわけ照屋と圭の二人は、嘉手川と共通した部分を持っているように思われます。
池永 圭は父親がアメリカ兵であるという点で嘉手川と同じ境遇ですよね。また、照屋も嘉手川と同じように凄惨な過去を背負っているという部分において、ある種同類といえるでしょう。燿子が内地(ヤマト)の代表だとしたら、二人は沖縄(ウチナー)の代表として描いたつもりです。
石川 そして、燿子は圭に嘉手川の面影を重ねるようになり、彼を誘惑します。ここから燿子と圭と祐月の三角関係が始まり、物語に別の色あいがそえられていきます。
池永 失踪した恋人を沖縄まで探しに行くという燿子の行動は一種の美談なんですけど、今時そんな話はありませんよね。ちゃんと生きた人間を書くためには、美談だけではなく、いやらしい部分もないと困るんです。中学二年の少年を誘惑するなんて嫌な話ですけど、なるべく等身大の人間を書きたいと考えて、こうした行動をさせました。
石川 燿子の生々しさに比べて祐月は毅然としていますね。
池永 彼女も沖縄の代表選手だと思って下さい(笑)。本来なら東京から来た女に自分のボーイフレンドを誘惑されたりしたら、毅然となんてできないと思うんですけど、〝こんな女に負けてたまるか〟という強い思いがあるんでしょうね。沖縄の女性の強さではないかと思います。
石川 ちゅらうみの宿泊客に「中井夫婦」がいます。この二人は実に謎めいた存在です。
池永 彼等は死に場所を求めて沖縄に来たわけですが、陸軍式の敬礼をしたりして、そもそも夫婦かどうかも怪しいですよね。この二人は曖昧な存在なんです。読者にはいろいろと想像していただけたらと思います。
石川 山場の一つに、照屋の回想シーンとして地獄のような沖縄戦が描かれており、照屋の過去が明らかになります。この場面には紛れもない狂気が描かれています。
池永 このシーンで描いた出来事は、特別なことではないと思っています。沖縄の人たちの中には、〝太平洋戦争に負けてアメリカ兵が入ってきてホッとした〟という方もいらっしゃいます。それくらい沖縄戦ではひどいことがまかり通っていたそうです。あの小さな島で二十万人近くの人が死んでいった、という事実を知ることは、僕らの義務ではないかと思うんです。
石川 戦後六十年の今年に、この書き下ろしの作品を上梓しようとお考えだったのですか。
池永 実は偶然なんです。できれば今年よりも去年、去年よりも一昨年に出したかったんですけど、結局四年もかかってしまいました。
石川 池永さんは以前コピーライターをされていましたが、その経験が小説にいかされているように感じます。池永さんの小説の書き出しは、鮮やかな一つのセンテンスで始まっていて、それから物語が進行していきますね。
池永 ことさら意識はしていませんが、たぶん影響はあるんでしょうね。最初の一行はキャッチフレーズで、それからボディコピーが入るというような流れをつくっていますね。とにかく一行目は大切にしないといけないし、なるべくなら短い言葉で響く文章がいいと思っています。原稿を書く上では一枚目が一番大変で、時間もかかってしまいます。でも、最初の数行がきっちりと決まると、後の文章は自然に流れていくんです。
石川 今後はどのような作品を読者に届けたいとお考えですか。
池永 僕がいつも心がけているのは、生身の人間を書くということです。先程、燿子についてお話ししたように、人間はいいことも悪いこともします。そういった生身の人間の姿というものを、これからも意識して描いていきたいと思っています。
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