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Interview インタビュー 『終りなき始まり』の梁石日さん
インタビュアー 鈴木 健次(大正大学教授)

梁石日(ヤン・ソギル)
1936年、大阪市生まれ。10代は詩作に熱中する。高津高校卒業後、各地を転々としながらタクシー運転手など様々な職に就くが、四十代半ばで『タクシードライバー日誌』で注目を集め、『族譜の果て』『夜を賭けて』等の力作を発表、98年『血と骨』で山本周五郎賞を受賞する。著書に『タクシー狂躁曲』『睡魔』『Z』『死は炎のごとく』『修羅を生きる』等多数。




『終りなき始まり 上』
朝日新聞社



『終りなき始まり 下』
朝日新聞社



『血と骨 上』
幻冬舎



『血と骨 下』
幻冬舎



『夜を賭けて』
幻冬舎文庫



『タクシードライバー
日誌』

ちくま文庫



鈴木 自伝『修羅を生きる』と併わせて読むと、『終りなき始まり』は詩人・梁石日の誕生と、それからかなり長い文学的な沈黙期、若い愛人との追いつ追われつの日々を経て、小説家・梁石日の誕生までの事実をベースにして書かれていることがわかります。
 私の年代は六〇年安保世代です。在日朝鮮・韓国人の場合は、闘争に直接かかわったわけではないんですが、その影響はいろんな形で受けている。一方ここに登場してくる若者たちは一九八〇年代に二十代前半ぐらいの人たちで、もちろん安保闘争は経験していない。八〇年というのは日本の高度経済成長がピークへ向かう時ですが、何かある種のむなしさみたいなものがありますね。自分の目的というか、アイデンティティを必死に探している、そういう世代です。そこにその若い世代の女性と僕との不倫の恋がからまっていく。ここに出てくる女性は八〇年代の若者の一つの典型的な生き方ではないかと思うのです。
鈴木 作中の朴淳花ですね。
 ええ。彼女の場合、子供の頃おやじが日本籍に帰化しちゃった。で、高校時代に目覚めるわけです、自分は韓国人だということに。それでおやじに反発して必死に韓国人になろうとするんです。
鈴木 カヤ琴を習ったりするわけですね。
 それでもなかなか韓国人にはなれない。そういう狭間で六〇年安保、七〇年安保世代を生きてきた主人公と不倫の恋をし、乖離を埋めようとするけれども、実際には埋まらない。
鈴木 芥川賞を受賞した李良枝さんの『由熙』という作品がありますね。在日で、アイデンティティを求めて韓国に留学するけれども、その生活に親しめず帰国してしまう。
 実は淳花のモデルは彼女なんですよ。
鈴木 そうではないかと思いました。李良枝も朴淳花も賞を受けてすぐ死んでしまう。でも『由熙』という作品から受ける作者の印象は、奔放な朴淳花と大分違う。だから、梁さんのつくられた人間像かとも思いました。李良枝さんは淳花のような人だったんですか。
 そうですね。非常に闊達で、才気煥発ね。
鈴木 淳花と主人公の恋は、詩人の誕生、小説家の誕生と同時にこの作品の大切な主題ですが、梁さんと李さんの関係は事実なのか、それともフィクションなのか、あえてプライバシーを侵してお尋ねします(笑)。
 いや、事実なんです(笑)。かなりフィクションも入っていますし、デフォルメもされていますけれども。彼女の問題は今の若者もずっと引きずっている問題だと思うのです。どうしても自分のアイデンティティ、一種の自分探しを避けて通ることはできないですね。私は在日二世ですが、ここに出てくる若い人たちもほとんどが二世です。それぐらい一口に二世といっても幅があるんですが、私の年代だとパチンコ、風俗営業、マチ金、あるいは土建と、大体職種が決まっていた。それが八〇年代の若者の世代になると、芝居、映画、テレビ、音楽、美術、パソコン、そういう業界に世界がぐーんと広がっていっている。
鈴木 梁さん自身は一九三六年のお生まれですから、私とほとんど同じ世代です。これを読んでいると岩波文庫の白帯の共産主義関係の本を読んで発展段階説を信じたり、その一方で実存主義に惹かれたり、僕自身と世代の共通性を感じます。ただ、私が感心するのは、『修羅を生きる』を読んでも『血と骨』を読んでも、ものすごい生活ですよね、梁さんの現実はおそらく普通ならその日を生きることでいっぱいになってしまうはずなのにすごい読書量です。それが結局、詩人、小説家としての梁さんにつながっていくんだと思うのですけれど。
 いや、そう言われますとちょっとね(笑)。僕は詩が好きだったんです、中学生ぐらいから。高校生時代にはもう詩を一生懸命書いていました。そして、「ヂンダレ」というサークル誌をとおして金時鐘という詩人と出会うわけです。これが決定的だったと思いますね。
鈴木 『修羅を生きる』に、蒲原有明が好きだったと書いていらっしゃる。梁さんが書かれているすさまじい日常と、蒲原有明みたいな詩がどうして結びついたのか。
 まだ若かったしね、まあ、どっちかというと、そういう詩に対してのあこがれだったんですね。けれども「ヂンダレ」に入って金時鐘と出会って、僕はいわゆる戦後詩と接触する。これがやっぱり非常に大きな転機だったと思います。長谷川龍生、黒田喜夫、そういう何人かの優れた詩人たちと出会って、自分が今まで蒲原有明、石川啄木、萩原朔太郎なんかに漠然と抱いていた叙情的な詩に対する考え方が根底から崩れていったんです。
鈴木 政治と文学の関係が大いに論じられた時代でしょう。
 政治の季節でもあるし、文学の季節でもあった。そういう論争に参加し、組織とやり合っていましたから、どうしても理論武装しなければならなかったのです。
鈴木 政治と文学は観念的な問題だけでなく、組織による同人誌への圧迫、そして廃刊、復刊、また廃刊といった非常に現実的な渦中に立たされたわけですね。
 私たちも自分たちでは左翼だと思っていましたが、日本の左翼運動の中心には相変わらず共産党が位置していて、我々在日の組織が抱えていた問題、つまり組織の非常に教条主義的な官僚主義と日本共産党の持っている体質は全く同じなんです。そういう共通の悩みを戦後詩の詩人たちと僕らは議論していたんですけれど、違うところは、我々の場合は朝鮮民主主義人民共和国という社会主義社会体制がすでにあったということなんですよ。
鈴木 今この小説を読むと、在日の方たちの実現した社会主義共和国に対する強いあこがれには複雑なものを感じますね。私は一回、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に行ったことがありますが、考えさせられる旅でした。この小説で在日の方が金日成様、金日成様と言っているのは印象的でした。
 実際に当時はみんなそうでしたからね。僕らは文学は自立したものであると主張し、組織とするどく対立していたけれども、表立った金日成批判はできなかった。その辺が僕らの矛盾でした。金日成は我々の英雄であり、唯一の旗ですよ。それを否定すれば何もなくなっちゃう。ただ当時の左翼的な日本人の詩人や作家たちの間にスターリニズムに対する強い疑義があったように実は当時から金日成批判は僕らの内部にはありましたが。
鈴木 ペンは政治の下ではない。しかし実際にはそううまくいかないんですね。梁さんたちはどうして文学に対する政治支配を拒否できたのか。
 やっぱり文学の普遍性を信じたからだと思いますね。
鈴木 そういう文学に対する強い信念、愛着がありながら、梁さんの場合、『カリオン』が廃刊後、長い期間、文学と無縁な生活をされた。それは本当に何の不自由もなかったんでしょうか。
 私の個人的な考え方ですが、作家は文学を非常に聖域化していたと思うのです。例えば作家も民衆の一人であると言いながら、やっぱり一段高いところから民衆を見下ろして啓蒙しようとしてきた。にもかかわらず、大多数の民衆はほとんど本など読んでいない。文学を誰のために、何のために書いているかということがあるわけです。
鈴木 それはわかりますが、ものを書く人間が、生活に追われていたということはあれ、書くことをせずにまったく不自由も感じないということに疑問を感じました。
 いや、別に何の不自由もないですよ。二十何年間、私はほとんど本も読まずに市井の人たちと同じ生活をしていたわけで、文学のことなど考えたことなかったですよ。
鈴木 友人と編集者にたまたま酒場で出会って、おまえ、タクシーの運転手をやっているんだったら、その裏話を書けと言われなければ、一冊の詩集以外は何も生まれなかった、と。
 そうですね、多分(笑)。いや、ほんとですよ。
鈴木 もしそうだとすると、それは梁さんの小説の特徴だと私が感じることと関係があるかもしれません。非常に即物的というか、事柄そのものの力でグイグイ押してくるわけですよ、梁さんの小説は。
 そうですね。まあ、僕の小説は非常に即物的な面がありますね。
鈴木 だから、梁さんのお書きになっているものには自伝的要素が多分にあるけれど、いわゆる私小説とはまったくちがうと思います。
 私の文学に対する考え方はそんなに崇高なものではないんですよ。昔の作家は文士といわれて、とにかく机の前にかじりついて書いていた。今も書くには部屋にこもって机に向かわなければならないですが、一方では音楽、芝居、映画、いろんな世界の人たちとつながって、そういう人たちの中で新しいものを生み出していくことが必要だと思うんです。八〇年代に若者だった人たちはまだ四十代ですよ。この世代が実は在日の中でいろんな分野に広がって自己実現している。もちろん挫折した人もたくさんいます、一流大学を出てもなかなか受け入れられなかったんですね。ましてや一般的にはみんなアウトローですよ。大多数は底辺に散らばっていきますから。そういう中から躍り出てくるのは、芸能、スポーツ、そして文学、いわゆる芸術の世界です。これは日本社会のすそ野が広がってきて可能になったことです。在日朝鮮・韓国人問題というのは実は日本社会の問題でもあったんです。
鈴木 在日韓国・朝鮮人文学はこれからどうなっていくとお考えですか。
 在日という枠組みは一世の文学には非常に強かったわけですが、今はもうそういうものはないと思っています。例えば僕の『血と骨』は、もちろん主人公もそのほかの登場人物も在日ですけれど、金石範さんが「この小説はギリシア悲劇的な小説だ」というようなことをおっしゃっていました。それは、人間の普遍的なドラマだという意味です。在日文学とか、日本文学とかそういう枠を超えていくことを今の若い人たちはみな目指しています。韓国の側からは、在日文学というのは日本語で書いているから日本文学だけれど、在日コリアンは同胞だから特殊な韓国文学として認めてもいい、などと言われます。私にはそういう配慮は要らない(笑)、別に認めてもらわなくてもいいんです。特殊な文学でもなんでもないんですから。何を言うてんの、あんた、それでも文学者か(笑)。枠をつくって分類するのはおかしい。文学というのはそんな狭い世界ではないはずです。
 
(2002年7月19日 東京・阿佐ヶ谷にて収録)

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