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「大人の知恵」(波 2007年6月号より )
養老孟司 内田樹 『逆立ち日本論』  
池田清彦
 敬愛する石原吉郎に「定義」と題する詩がある。この短い詩は「辞書をひらけ そして/つねに正確な定義を/さがすのだ」というフレーズで終る。石原は生涯をかけて、たとえば、戦争とは何か、あるいは宗教とは何か、といった定義を探したのだと思う。当然のことだけれども、定義はついに見つからなかった。人生はプロセスであって定義ではない。探すというプロセスが、石原に沢山の名詩を書かせたのだ。最初から定義がわかっていれば、詩を書く必要なんてない。そもそも生きる意味がない。
 ところで、人はなぜ定義を探し求めたりするのだろう。「名」は何らかの同一性を孕み、頑張れば、この同一性を厳密につかまえることができると考えるからだろう。この考えは科学の根拠となり、科学の成功に伴い真理のごとく扱われてきた。確かに「名」は同一性を孕むけれど、この同一性が不変であるという保証は、実はどこにもないのだ。物質(名)は稀有な例外なのだ(本当は、科学者がそう信じているだけかもしれないけどね)。
「名」が同一性を孕み、しかもこの同一性が不変でないならば、つまるところ、「名」は時間を生み出す形式である、ということになる。昔、そういうことを考えて、本に書いたことがある(『構造主義と進化論』海鳴社、一九八九)。私はひとり悦に入っていたけれど、他の人たちには余り受けなかったようだ。
 養老孟司と内田樹の対談本『逆立ち日本論』を読むと、こういった話を当然のこととして理解している人たちだということがわかり、うれしくなる。最初の方で議論されているのは「ユダヤ人」論である。「ユダヤ人」はポジティブに定義できない、という所から話がはじまる。
 石原吉郎ではないけれども、人は何であれポジティブに定義したがる。しかし、すべての人が同じ定義に同意すれば、話はそこで終わってしまう。もはや誰も考えることをしなくなる。定義したくて仕方がないのに定義できない何ものかは、人に考えることを強い続け、ついにそれはブラックボックスのように畏怖すべき巨大な概念として、人々の頭に棲みつくようになる。
 その典型が「ユダヤ人」というわけだ。「ユダヤ人」という定義不能な概念は長い間ヨーロッパを引きずり回し、多くの戦争を引き起こし、現代科学を押し進め、ホロコーストの原因となり、あげくはイスラエルという国家まで作ったのだ。この世界では、わけのわかるものは長い時間に耐える権勢を保つこともできなければ、魔性や聖性を帯びることもない。
 今年の三月の終わりから四月の頭にかけて、本書の著者の一人である養老孟司とラオスで虫を採って遊んでいた。そこで聞いた話は、ラオスの中で一番高位の坊さんは、一般のラオス人とは接触をしないというものだった。接触をすれば、もしかしたら只のジイサンであることがバレてしまうかもしれない(もちろん、立派なジイサンには違いなかろうが)。ブラックボックスにしておかなければ、聖性が保たれないという知恵がここにはある。
 開かれた皇室などと言っていると、そのうち天皇制は崩壊するぞ、ということで養老と私の意見は一致した。もっとも私は天皇制には反対なので、崩壊しても痛くも痒くもないけどね。いずれにしても、私の命は天皇制の崩壊を見届けるほど長くはないから関係ないか。
 本書の大半は「ユダヤ人」論をダシに展開した日本及び日本人についての議論である。二人とも大手ではなく搦手から攻める人たちだから、臆面もなく「美しい日本」などと語るノーテンキな人たちにはうまく伝わらない恐れなしとしない。すべて厳密にルールを設定して、その通りにやらなければいけないという青臭い考えが、いかに日本を腐蝕させているか。そろそろ真面目に考えた方がよいと思う。
 正義、清潔、過度の順法のいきつく先は、極めて硬直化した住みづらい社会であることに、もういい加減気づいたらどうか。生命はそもそもポジティブな同一性に回収できない、矛盾無限繰り込みシステムなのだ。生命体である人間が作る社会システムもまた、厳密な無矛盾性を維持できるはずがない。無理に無矛盾性を追求しようとすれば、いずれクラッシュを免れない。
 熱力学の第二法則は、秩序ある物は無秩序に向かって進行せざるを得ないことを教える。局所的な秩序を保とうとすると、それに見合う無秩序がどこかで発生してしまうのだ。アメリカが法と秩序と叫べば叫ぶほど、テロが横行し、社会のルールをよく守ってみんないい子になりましょう、と子供たちをコントロールすればするほど、陰湿ないじめや自殺が増えるのだ。
 法律を無闇に作ったり、憲法を改定したり、新しいシステムをやたらに立ち上げたりするのは滅びの徴候なのだ。「二十五歳でリベラルでない者は情熱が足りない。三十五歳でコンサヴァティブでない者は知恵が足りない」と言ったのはチャーチルだが、コンサヴァティブ(保守)とは、現行のシステムをすぐに変えようとしないで、ダマシダマシ使う大人の知恵のことだ。
 この国に近頃跋扈している無矛盾大好きな青臭い政治屋さんたちには、是非、本書から大人の知恵を学んで頂きたい。

  (いけだ・きよひこ 生物学者)
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