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知将たちの合戦、武将たちの城」(波 2007年6月号より )
小和田哲男 『名城と合戦の日本史』  
諸田玲子
 戦国時代から幕末まで、全国各地の五十の城にまつわる合戦を、『名城と合戦の日本史』(新潮選書)は丹念に検証している。丹念ではあるが、一話一話はスピーディーでコンパクトにまとめられ、歴史通でなくてもわかりやすい。それでいて二百余ページの中には、重厚で深遠な、盛りだくさんの中身が詰まっている。
 歴史小説を書く際、あるいは読むとき、著名な合戦について史料を探すのは容易い。
 たとえば、天下分け目の関ヶ原の戦い。東軍西軍にどのような武将がいて、どんな陣容で、どうやって戦が始まり、いかなる経過をたどったか……これはわかる。が、ときを同じくして、東北を舞台に、西軍・上杉氏と東軍・最上氏による、長谷堂城をめぐる壮絶な攻防がくりひろげられていたことは、本書を読むまで考えもおよばなかった。たとえ規模は小さくても、合戦は相互にかかわり合っている。戦の大小にも特定の地域にも固執せず、多くの戦を同等の比重で検証することによって、合戦の推移がくっきりと浮かび上がり、その時代の様相や武将間の力関係が立体的に見えてくる。
 ――無名の戦いから、鮮やかな武将たちの戦略が検証できる。
 と、あとがきにも書かれている。これが本書の特筆すべきところだろう。それにしても、よくもまあ……と思わずつぶやきたくなるほど、戦、戦、戦の連続である。海千山千の武将たちのあの手この手の戦略に目をみはっているうちに、合戦そのものが生き物のように動き出している。
 ここに書かれているユニークな戦略をひとつ。
 毛利元就が天険の地にある銀山城を攻めたときのことだ。元就は農民たちに千足の草鞋をつくらせ、この草鞋に油をしみこませて火をつけ、敵城のある山の麓の川へ浮かべた。松明を手に軍勢が川を渡るように見せかけた囮作戦だったというから、まさに知謀の勝利である。
 信長も囮作戦を得意とした。
 信長の場合はさらに上手で、桶狭間戦の直前、今川軍によって丸根砦と鷲津砦があっけなく落とされたのを逆手にとって、今川方を油断させ、なおかつ「敵は疲れている」と吹聴することで味方の士気を鼓舞したという。
 秀吉は水攻めや兵糧攻めを得手とした。籠城する敵兵の眼前に立派な陣城を築いて遊興三昧というのは、いかにも派手好きの秀吉らしい。けれどこれほど無慈悲な戦もない。片や追い詰められて木の実、木の皮、死んだ者の人肉まで食べざるを得ない城内の人々を思えば、合戦とは勝つか負けるか、地獄と極楽が隣あわせになった壮絶な命のやりとりだと改めて知らされる。二万もの門徒が焼き殺されたのは長島一向一揆の中江城と屋長島城、降伏したにもかかわらず婦女子までが皆殺しにされたのは奥州攻めの九戸城……前者は信長、後者は秀吉による。いずれ劣らぬ残虐な結末である。
 残虐さもさることながら、裏切りや寝返りや騙し討ちなど、本書に記された五十の合戦が大なり小なり、フィクションではなく現実のものであることに震撼する。と、同時に、欲望・野望・怨念・嫉妬……と、人間の性を覗くようで、好奇心をかきたてられる。
 合戦の勝敗を左右するのは、もちろん武将の器である。が、もうひとつの要因は、なんといっても城そのものだろう。
 本書を読みながら、何度もなるほどとうなずいた。たとえば、信長が桶狭間へ討って出たのは、清洲城が今川軍の攻撃にもちこたえられるほどの城ではなかったからだ――という話。やむなく奇襲をかけ、奇跡的な勝利を得た。これなど、城自体が戦略を決める要因となった顕著な例である。
 合戦と武将、そして城には切っても切れないかかわりがある。だからこそ、三者を併せて検証することが大切だと、本書は教えてくれる。
 ――戦いというのは、ちょっとしたことで流れが変わることがある。
 本文の中の一節だ。
 そのきっかけが人であり、城である。
 一瞬の機転やひらめき、幸運のひとかけらで命を拾い、時代の波を器用に泳いで家名を存続させる武将もいれば、読みの甘さやわずかな油断、おごりから破滅してゆく者もいる。城もまた、主が替わるたびに変貌しつつ、存続するものあり、あるいは跡形もなく消え去るものあり。「へえ」とか「えッ」とか「ふうん」とか、一話ごとにうなずいたり驚いたりしながら読み終え、本を閉じると、静かな感慨に胸を打たれる。武将たちは、叡智をしぼって城を造った。その城を奪い合い、兵力と頭脳を駆使して戦った。人と城とが連動し合い、そこに自然条件や運不運が加味されて、生か死か、ひとつの結末が生まれる。これは合戦を満載した本ではあるけれど、なんだか私たちの人生そのものを覗いているような……。
 ともあれ、大小の合戦を網羅しながら、こんなに手軽に読める本は他にない。旅先で見知らぬ城趾に遭遇したときは、本書のページを繰ればよい。単なるガイドブックや学術書とはひと味もふた味も違って、合戦のありさまが臨場感たっぷりによみがえる。それは、合戦史の研究では並ぶ者のない著者のゆるぎない知識と、ときに目からウロコが落ちるような鮮やかな見解が、随所にちりばめられているからだろう。

  もろた・れいこ 作家
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