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「サン・レオンでの出会い」(波 2007年6月号より )
津田正夫/監修 奥本大三郎 『ファーブル巡礼』  
安野光雅
 ファーブル昆虫記は五指に入る大好きな本である。だから、アビニオンの橋を渡ってレザングルの丘へ行った。例の聖タマコガネがいると思ったためだが、残念ながら時代が変わって絶滅していた。この上はファーブルが移り住んで最後まで過ごしたセリニアンへ行ってみるほかないと、全く気まぐれに思い立ったのだ。
 オランジュでは、「ファーブル」を連呼してみても「ギター弾きかい?」といわれるのがおちだった。本屋なら知ってるだろうと思い、そこを訪ねたが、答えてくれたのは背後にいた新聞記者だった。わたしはセリニアンでファーブルの旧宅・博物館を探し当て、後になんども会うことになる館長のテオッキさんに会えた。ただし彼はフランス語しかしゃべらなかった。
 そこで、無理をすれば、サン・レオンつまりファーブルの故郷へ日のあるうちに行けそうだとわかった。サン・レオンは山の彼方の彼の生地で、山の谷間に息づく小さな村だった。ファーブルの生家が見えた。そのすぐ下に村長のガバルダさんとそのお母さん、ガバルダ夫人が住む家がある。
 ガバルダ夫人が、女教師としてこの村に赴任したとき、「ファーブルの家になにやらプレートをつけているので、何かと思った。後にファーブルが書いた詩が新聞に載っているのを読んで、感激し爾来、ファーブル研究に一生を費やし、その会の会長などを務めていたが、さすがに歳で引退した」(そのとき93歳)といわれた。では、その新聞に載った詩というのは? と聞いたら、朗々とその詩を暗唱されたのち、ファイルの中から一枚の紙片をさっと抜いてわたしにくださった。夫人の直筆でファーブルの詩が綴られていた。わたしはおそれおおいので、日本に帰ってからコピーをとって早速送り返した。わたしには読めないそれを今日まで大切にしている。読めなくても、そんな幸運に出会えたのはわたしがはじめてだと思っていたが、よくきくと、なんと、津田正夫という熱心な大先輩があって、このかたが、わたしより何年もまえに「ファーブル巡礼」をなされ、その著書もあった。わたしは、後日その本を読み、またサン・レオンへ行ったのだった。
 そのときも、少し山道を行って街道のボア・ド・フールという所のホテルへとまった。夜になると近隣の農民や、近くに住む男爵までワインの匂いに寄ってきた。わたしとは顔なじみになっていた宿のご夫婦が、津田さんのことをとても懐かしそうに話し、大切にしまってあった津田さんからの手紙、日本の絵葉書などをだして、みせてくれた。その紙片一つ一つに、津田さんの心がこもっていて、宿の人たちはみんな感謝していた。
 わたしはガバルダ夫人と宿の主たちに、日本へ帰ったら必ず津田さんに伝言すると約束した。日本に帰って電話帳を調べ、まず電話したが、残念なことに病床についておられた。しかし言葉は実にはっきりしていて、懐かしそうにいろんな話をきかせてくださった。しばらくして津田さんは亡くなられたそうで、その電話での会話がわたしには最後となった。
 お目にかかれなかったけれど、その後、あんなに密度の濃い話をしたことはない。

  あんの・みつまさ 画家
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