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大江健三郎はいつも熱い。若い。そしてまっすぐだ。シラケたり、斜に構えたり、すごんだりしない。子供のように懸命に時代状況に真正面から向き合う。 本書は一九六八年の一年間、ほぼ毎月一回、新宿の紀伊國屋ホールで行なわれた連続講演をまとめたもの。 紀伊國屋書店は東京オリンピックのあった一九六四年に現在のビルを新築し、通りからそのまま建物のなかへ入れるという斬新な構造(設計・前川國男)で若い世代に人気を呼んだ。ホールも新鮮で、演劇、映画の他に講演会もよく開かれた。私は六八年当時、大学生(留年中)だったので、このホールでの吉本隆明や大江健三郎の講演を聞きに行った。どちらも若者たちに凄い人気で場内は人があふれかえっていた。新宿が若者の町になっていた時代である。 一九六八年は世界的にも物情騒然たる時代だった。ベトナム戦争が激化し、アメリカだけではなく先進国では若者を中心に反戦デモが拡大した。パリでは五月革命が起き、それに呼応するかのように日本でも日大、東大を中心に全共闘運動が高まった。キング牧師、ロバート・ケネディが暗殺されたのもこの年。 大江健三郎の連続講演はその激動のさなかに行なわれた。当然、内容は時代の火の粉を浴びる。作家が書斎にこもるのではなく積極的に外に出てゆき、厳しい現実に身をさらす。明治百年問題、沖縄問題、ベトナム戦争、学生たちのデモ、全共闘運動……次々に起る事件に、大江健三郎は、真正面からぶつかってゆく。書斎から飛び出てストリートの熱気に飛び込む。 作家は、現実から遊離してしまっては言葉も想像力も鍛えることが出来ないと確信し、傷つくのもいとわずに大状況を考え抜こうとする。そして強権に対して異を唱え続ける。現代の若手作家にはない同時代感覚である。抵抗の精神といってもいい。 当時の学生に衝撃を与えた一九六七年十月八日(いわゆるジュッパチ・ショック)の羽田事件で死んだ学生(山崎博昭)に共感を示したり、日大と東大の全共闘の学生にまっとうな抵抗精神を見るところなど、いま読んでも熱くなる。といっても大江健三郎は運動家ではないし、政治家でもない。あくまでも作家である。作家が大状況を語るとはどういうことなのか。いつもその根本から考えようとしている。 だからときに口ごもり、言葉は揺れ動く。つまずき、矛盾に悩み、絶望におちこむこともある。しかし、作家の特徴はむしろ「鈍い」ことにあるのだと思い直し、党派性や大言壮語とはまったく別のところで個の言葉を突きつめてゆこうとする。そこが、熱く、若い。大江健三郎はつねに新しい文体を創り出してゆく作家で、その意味で永遠の前衛だが、それは「鈍い」ことを大事にしながら言葉の可能性を考え続けているからこそだろう。 あれから四十年近くたってしまった。若者たちもリタイアする。大江健三郎は最近、『中央公論』でのインタヴュー(4月号)のなかで「なにやら今は死が軽いように生も軽い」という感じがすると語っている。あの時代の熱い気持を取り戻すにはいまどんな想像力が必要か。
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