紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

反レイシズム宣言

――戦後日本には存在しない「正義」としての反差別規範を打ち立てるために
インタビュー:梁英聖氏

 ■「一九五二年体制」とは何か

  ――本書第五章は「なぜヘイトスピーチは頻発しつづけるのか?」となっていて、三つの原因を挙げています。これに関連して「一九五二年体制」というものが出てきますが、これは何ですか?

  一九五二年体制はすごく重要なポイントです。法学者の大沼保昭さんの七〇年代からの議論ですが、一九五二年体制とは、戦後日本の入管法制をかたちづくった「三本の柱」なんです。一本目は入管法、二本目は外国人登録法(外登法)――現在では外登法は入管法に吸収されてしまっていますが――、三本目が法律第一二六号(略称・法一二六、正式には「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律」)。この三本の柱がどういう関係にあるかが重要です。入管法は出入国を管理する法律、外登法は国内に入ってきた外国人を登録し管理する法律です。これらは基本的に一般法で、日本国籍を持っていない人を在留管理で規律し、在留資格がなくなれば強制退去させるようなシステムです。実は三本目の「法一二六」が重要で、これは日本国籍を持っていないにもかかわらず日本に六〇万人もいる在日朝鮮人に対し、在留資格がないけど、別に法律ができるまでは特別にいてもいいよという例外法、特別法です。入管法と外登法は、日本国籍を持っていない人間は在留資格なしに日本にいてはいけないという一般的なルールであるのに対し、法一二六は在日朝鮮人を追い出さないために例外をつくった。在特会らレイシストがその廃止を主張する特別永住資格(一九九一年入管特例法)は、この法一二六対象者の子孫が対象です。一九五二年体制の三つ(現在では二つ)の柱の関係をみると、一般的な入管法が外国人を原則無権利状態に置き、永住権を認めるのは基本的に例外で、一般にかなり厳しい法律で管理する。しかし在日の場合は、入管法の厳しい管理に置かれることが大原則ではあるものの、他方で法一二六(いまは入管特例法)によっていくらか例外的に安定した法的地位として扱われる、という構造になっています。

 本書で取り上げた一九五二年体制は、大沼さんの議論を部分的に引っ張ってきています。サンフランシスコ講和条約(サ条約)が一九五二年四月二八日に発効したとき、在日朝鮮人や台湾人、旧植民地出身者の日本国籍は喪失したものとみなされるとの通達が出ました。一気に無国籍になってしまったわけです。いままでの議論や運動は、この五二年の無国籍にしたところを批判してきました。国籍を奪ったのはさすがにムチャクチャで――これは大沼さんも批判しているところですが――、サ条約の本文にそんなことはまったく書かれていないし、講和会議に朝鮮人は一人も出席していないし、憲法では国籍のことは法律で定めるとしているのに一つの通達でそれを奪っているので、その状態は基本的に違憲です。しかしここをどう批判するかというとき、従来の議論では基本的にモノサシが国籍剥奪批判になるんですね。つまり日本国籍を奪ったのはさすがにおかしいから、選択権を与えようという話になる。これは正しいんです。しかしかつての大沼さんは国籍剥奪批判とは異なる重要な批判、先に言及した五二年体制批判をしていたのです。つまり在日朝鮮人は入管法の対象であるという大前提そのものへの批判です。そもそも入管法は、パスポートとビザを持って外からやってきた外国籍の人が、事前に在留資格を持って入ってきて、その資格が切れたら出ていくという管理のための法律なわけですが、在日朝鮮人は旧植民地出身者なのでパスポートもビザもないわけです。だから入管法で管理すべき対象ではない。それを原則として入管法で管理しているのはおかしいだろうという批判をしていました。かつての大沼さんは国籍剥奪のみならず入管法原則全面適用がおかしいだろうという論理を立てていた。それを実践的に掬い直そうとして、味付けし直して私は議論を立てています。

 存在しないはずの「在日特権」なるヘイトスピーチがなぜ強力な影響力を持ってしまうのか。それは日本の法制度が「在日特権」的なものになっているからです。五二年体制が既に「在日特権」的なものを内包している。入管法制からすれば、日本国籍を持っていない限りは基本的に非常に不安定で、居住権つまり生存権が保障されない。しかし日本国籍を持っていないのに在日だけ例外的な扱いをしている。これは確かなんです。だから五二年体制が「在日特権」という史上最低に下らないヘイトスピーチを法制度として支えていて、現実的効果を与えているわけで、現在起きている現象を見るときに五二年体制についての理解は非常に重要なのです。

 それをトータルで分析するために、一九五二年体制を批判することは決定的な意味を持ちます。三つの側面からそれが言えます。一つは「レイシズムのカベ」との連続性という点。もう一つは五二年体制以外に差別禁止法やマイノリティ権利政策などの一般的な外国人政策が存在しなかったという点。三番目に、それ故に五二年体制という入管法制だけが戦後日本の外国人政策として事実上代用されてきたという点。

 一点目から説明します。これは鄭栄桓氏から学んでいますが、一九一〇年の韓国併合のときに日本国籍を押しつけて日本臣民にすることで、支配の枠組みに入れる。次に、それだけだと日本人と朝鮮人の区別がつかなくなるので、戸籍で区別する(朝鮮戸籍)。「国籍のカベ」で囲い込んで、「レイシズムのカベ」で差別する。その二つの「カベ」の巧妙な組み合わせが、在日朝鮮人の法的地位や日本の戦前戦後のレイシズム政策を見るうえで決定的に重要な視点であるし、その関係を見ることによって、ヨーロッパとアメリカと日本の種別性を焦点化できると考えています。

 では戦後はどうだったのか。常識に属することだと思いますが、五二年までのGHQによる占領時代はそれが基本的に継続します。一九四七年に外国人登録令(外登令)がつくられます。日本国籍であるにもかかわらず、在日を外国人とみなすと。田中宏さんなどはこれを、「あるときは日本人として、あるときは外国人として扱った」等と表現しますが、実はそれでは不正確です。これは、「そういうものとしての日本人」なんです。日本国籍のカベの内部に囲い込んで、義務は押しつけていく。しかし権利は与えないという意味で戸籍を使って「お前は朝鮮人だ」ということで、一九四五年一二月に参政権を停止したりします。

 植民地時代から続く「国籍のカベ」と「レイシズムのカベ」によるサンドイッチ的レイシズム政策が、五二年の国籍剥奪によってまったく違う意味を持つようになります。「国籍のカベ」が「レイシズムのカベ」の位置にズレるわけです。それにより従来のレイシズム政策を、以後は「国籍のカベ」を使った管理法である入管法制に偽装することが可能になりました。

 先の二点目、五二年体制以外の外国人政策がなかったという話です。差別禁止法もありません。人種差別撤廃条約上のマイノリティとして認められているのはアイヌだけです。さらに総合的な外国人政策も、担当省庁さえも存在しない。

 三点目。その結果、公的な政策なきレイシズム政策が可能となりました。アパルトヘイトのような法律や政策をつくる必要がないまま、入管法制と国籍条項で実質的なレイシズム政策をとることができるのです。だから批判する側も、「レイシズムのカベ」をぶち破るために反差別法をつくらせるというよりは、入管法や国籍条項をどうするか――「入管法をなくせ」というのはやはり難しい――を問うてきたわけで、だからこそ外国籍のまま、入管法の「例外状態」をどうつくるか、あるいは国籍条項をどれほどなくせるか、という闘争になっていきました。