紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

敵は時間だ

――現実の壁と闘うため、地下壕で生きる死者たちと交流する言葉を想像する
対談:崎山多美×中村隆之

 ■沖縄で刊行中の総合誌『越境広場』。作家の崎山多美さんが書いた「創刊の辞」には、「思索の源泉を沖縄の歴史体験から汲み取ることを前提にし、沖縄を活動の起点」としながら「沖縄を越え世界とつながる思想を獲得するため、近隣の、台湾、韓国、中国、そして「日本」など、東アジアとの交流を広げ、つながることの重要性」が表明されている。同誌は、沖縄の言論が硬直し、一部で排外主義的傾向が見られることを強く危惧する。そうした硬直化を引き起こす主要な要因は日本の政治にある以上、この国の住民は当然無関心ではいられない。〈越境〉への誘いは、カリブ海研究の立場から沖縄について考える私にも向けられているのではないか。そうした想いが届いて崎山さんとの対談が実現した。崎山さんはエドゥアール・グリッサンの『痕跡』を、私は崎山さんの『うんじゅが、ナサキ』を話題にした。言葉と思考の全般的貧困化に歯止めがきかない今こそ〈文学〉の力が問われている。(中村隆之)(対談日・2月17日、沖縄県那覇市・ロイヤルオリオンホテルにて)

 ■見えない記憶の言葉たちを想像する

 中村 本日、崎山さんには雑誌『越境広場』での活動と、小説『うんじゅが、ナサキ』(花書院、二〇一六年一一月)について主におうかがいしたく思います。『越境広場』は毎号二つ以上の特集を組んでおり、とても読みごたえがあります。ぼくのような沖縄に住んでいるわけではない『越境広場』の読者が共通して感じるだろうことは、この雑誌から受けるエネルギーのようなものです。「やむにやまれず」というところも含めて、発言、表現しなければいけないという雑誌の必然性が、たいへん伝わってきます。

 崎山 『越境広場』は二〇一五年三月に創刊〇号をつくりました。なぜ、〇号かといいますと、「お試しでやってみよう」だったからです(笑)。沖縄の現実をどうにか発信したいと、気持ちの通じる仲間を集めて、どうなるかわからないまま、「出航」しました。幸い、手に取ってくださる方が思いがけなくいて、増刷にこぎつけましたので、これはいける、と一号を出したのです(一五年一二月発刊)。

 沖縄を考えるきちんとした媒体が、ここ一〇年以上も、ありません。沖縄の総合文化思想誌として続いていた『新沖縄文学』(沖縄タイムス社刊)が一九九三年に休刊して、入れ替わるようにして出された、仲里効さんの『EDGE エッジ』も、二〇〇四年夏に休刊したあと、新沖縄フォーラムの『けーし風』と同人誌の他は、媒体が新聞に限定されてしまっています。沖縄が政治的に困難な状態にあることに対して、先人の思想を受け継ぐ住民運動としての粘り強い抵抗運動はありますが、残念なことに、ここ沖縄でも、「運動」「言説」の現場で起こっているのは、「分断」です。「基地はいらない」という主張に限っても、例えば、「ナイチャー(本土に住む人たち)は出て行け」「基地をヤマトに持って行け」などという、ヘイトスピーチレベルの逆差別的排除の言葉が投げられる。これはまずいでしょ、と思ったのが、『越境広場』発刊の直接的なきっかけです。そんな空気のなかで、若い人たちが表現活動をしようと思っても自由な発表の場所がない。それで、『エッジ』休刊のあと、ちょっと寂しそうにしていた仲里さんに声を掛けて、「また雑誌やらない?」と(笑)。貧乏所帯で、沖縄大学の我部聖さんには、研究室を使わせてもらっています。

 「越境」という言葉は、いまはありふれた感がありますが、『越境広場』は東アジアへの目線を意識するところから始めています。台湾、韓国、中国、インドネシア、ベトナム……そして、九州、東北、北海道、東京……地域だけではなく、人と人とのつながりとして活動が続いていければ、と思っています。

 中村 ここ十年、二十年、日本はあまりに変わりすぎて、自分たちが培ってきた感性によって「こういう言葉を投げかければ通じるはずだ」というのが通じない。そうした感性は前の世代からの継承によって育ってくると思いますが、いまの二十歳くらいの子たちに言葉が届かない。これは決して学歴の問題ではありません。こういうところにも分断があると思います。

 崎山 私の予備校講師としての経験から大雑把な括りで言うと、いわゆる偏差値の高い子ほど社会や他者への感度が鈍い。対して、進学校ではない高校の生徒は、投げ掛けられた言葉に対する「食いつき」がいい。そのことはずっと気になっていたので、私は、ときどき教室で受験の問題を無視して言いたいことを語ることがあります。初めは迷惑そうにしていた生徒も、そのうち考える顔になって、思いがけない社会問題を問い掛けたりする。若い子たちが他者の声に耳を傾けたり考えたりする環境を与えるのは、情報や言葉を提供する側の責任だという気がします。

 中村 崎山さんの『うんじゅが、ナサキ』や、『越境広場』一号に掲載された短編「キユぬピィば」(註・お祝いの席で出てくる、「今日は誇らしい日ですよ」といった意味の言葉)を読んでいると、リズムを形成していくような擬音語がよく出てきたりします。地の文に自然と声が入ってきたりもしますよね。崎山さんが生活のなかで触れている言葉と、創作の言葉の使い方は関わったりしますでしょうか?

 崎山 影響は受けていると思います。中村さんの今度の翻訳のお仕事、エドゥアール・グリッサンの『痕跡』(水声社)は、地の文と会話文が一緒くたになって、雑多な人物の絡みのなかで、不思議な言葉、謎めいた言葉が物語を牽引する力になっていて、改行なしに最後までつながっていきますね。読み手としては、分かりにくいは分かりにくいですが、たぶん作者は分かりやすくしたくなかったのではないでしょうか。複雑な抑圧の歴史を辿ったカリブの世界で生きてきた人々の世界が、すんなり伝わるはずはないと。だから、分かったふりをしないで、なぜそこに分からない言葉があるか立ち止まって考えてくれ、そして、見えない記憶の言葉たちを想像してくれ、と。