紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

SFだけじゃないヴェルヌ

――レーモン・ルーセル、ジョルジュ・ペレックから『天空の城ラピュタ』、初音ミクまで

対談: 石橋正孝×新島 進

 ■インスクリプトからこのたび「ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクション」の第一回配本『地球から月へ 月を回って 上も下もなく』が刊行された。本邦初訳を中心に、刊行当時の挿絵を全収録した、全五巻の愛読愛蔵版である。本コレクションをめぐって、訳者でヴェルヌ研究の世界的権威である石橋正孝氏と、同じく第三回配本『カルパチアの城 ヴィルヘルム・シュトーリッツの秘密』の翻訳を担当する新島進氏に対談していただいた。(2月21日、東京・神田神保町にて〔村田優・本紙編集〕)

 ■〈驚異の旅〉コレクション刊行の経緯

 新島 始めに、「ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクション」が今回、インスクリプトから刊行された経緯についてうかがいます。

 石橋 最初のきっかけは、同じインスクリプトからマリー・ンディアイの『みんな友だち』を出された笠間直穂子さんが仲立ちとなって紹介してくれたことです。ただ版元のインスクリプトとしては、ヴェルヌは今まで刊行されてきた路線とずれていたので、ためらいもあったのではないかと思うんですけど、五巻ぐらいなら出せるということで話が始まりました。それが今から十年近く前のことですが、その時点で収録する作品のラインナップそのものは意外とあっさり決まりました。この直前に新島さんが呼びかけ人となって日本ジュール・ヴェルヌ研究会が発足しており、顧問の私市保彦先生からアドバイスをいただけることもあり、五巻ならば何人かで手分けすればできるだろうという見通しもありました。

 五巻を選ぶとは、制約がある中で何をするか、という意味でヴェルヌ的ですね。『気球に乗って五週間』という感じで作中にも数字の制約がありますが、巻数の形で分量の制約があり、対象読者が決められており、なるべく舞台はダブらせず、と諸々の制約があった中でヴェルヌは小説を書いていました。〈驚異の旅〉六十作から五巻という狭い枠に何を入れるか、人によってまったく違う選択になると思うんですけど、私としてはなるべくテーマ的にもジャンル的にも舞台や発表時期の上でも偏りがないようにしたいという思いがありました。

 未訳の中でも、私個人としては『蒸気で動く家』(本コレクション第四巻収録)はとにかく入れたかったですし、ヴェルヌ作品として有名な『八十日間世界一周』と『海底二万里』、『地底旅行』はもう何度も訳が出ているので、この三作は外しました。次の有名どころで――本として売れるような作品を考えて(笑)――これまでのヴェルヌのSFのイメージに一番合うガン・クラブ三部作が第二巻に入りました。新島さんが『ヴィルヘルム・シュトーリッツの秘密』(第五巻収録)を訳したいのはすでにわかっていましたので、残りの二作は宇宙ものである『エクトール・セルヴァダック』(第三巻収録)、そして私市先生のご意見を聞いて『ハテラス船長の航海と冒険』(第一巻収録)を入れることになりましたね。ですから、いろいろとバランスを考えて自ずと五巻が決まりました。

 新島 なんと、「五」にはそんな象徴的な意味が……。しかし当初より『蒸気で動く家』を入れたかったというのは初耳で、驚きました。ともあれ、そうやって選ばれた作品の中で、このたび第一回配本として出た「月三部作」の読みどころはどんなところでしょう? また、この三作に関しては既訳がありますが、新訳の特徴は?

 石橋 まずは、タイトルを原題通りにしたところです。これは意外と大きいことだと思っています。

 新島 既訳のタイトルでは、たとえば『月世界旅行』などは、『地球から月へ』と『月を回って』のうちどちらを指すのか混乱を招いていましたね。『上も下もなく』は『地軸変更計画』(創元SF文庫)というタイトルになっていました。もちろん邦題はさまざまな要請を受けて決められますが。

 石橋 ヴェルヌの小説は基本的にタイトルでネタバレをしてしまっていることが多いんですけれど、ただ『地軸変更計画』に関しては、作品の半分弱までこの計画を謎として伏せているのに、最初からタイトルで出してしまうのはちょっとまずいというのがありましたね。ここはちゃんと原題通りにしたほうがいい。この三つの作品の関係も、すんなりと繋がっている感じでもないと思うんですよ。その点も考慮して、それぞれ独立性の高い作品としてタイトルも個別に訳しました。

 新島 『上も下もなく』の原語はフランス語の成句の駄洒落になっているので訳出はそもそも不可能ですが、かなり勇気のいるタイトルですね(笑)。この邦題は単行本では不可能でしょう。

 石橋 そうですね。これだけで出すのは非常に難しかったと思います。

 一点だけ補足しますと、三部作を一書にまとめたのが世界初ととれなくもない帯文になっていますけど、個人完訳を合本したのが初めて、という意味です。一応アメリカで、三部作を一冊にした本は出ていますが、訳者が違うし、厳密には完訳ではない。

 それから翻訳の底本、テクストの選択が本選集の大きな特徴としてあって、〈驚異の旅〉は基本的に三種類のバージョンのテクストがあります。草稿も合わせれば四つですが、一つは雑誌なり新聞なりの連載からのもの、次に挿絵のない単行本のもの、そして最後に大判の挿絵版です。大抵は挿絵版に基づいてこれまで再版や翻訳が行われてきました。草稿から挿絵版まで、この順番通りに作品ができていればそれでよいのですが、実は必ずしもそうではない。『地球から月へ』と『月を回って』は挿絵版が最後であることは間違いないので、これは既訳と大差ないのですが、『上も下もなく』で最終バージョンになっているのは通常単行本です。非常に細かいレベルではあるのですが違いがあって、単行本にはある冗談、たとえばゾラに対する嫌味ですとか、そういった部分が挿絵版では抜けています。一番大きな違いは、今回椎名建仁さんに訳してもらった、数式だらけの補遺「ごく少数の人たちだけが知ればよいこと」があること。これは通常単行本版にしか付いていない。やはり挿絵版だと、より子供向けということでこの補遺が入ることはない。そういう意味でも底本にはこだわっていることを強調しておきたいです。