紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

いつも心に革命を

――われわれは「未開人」である
鼎談:森元斎 栗原康 マニュエル・ヤン

 ■森元斎著『アナキズム入門』(ちくま新書)が出版された。ありそうで(久しく)なかったユニークな本だ。著者の森氏と、栗原康氏、マニュエル・ヤン氏による、本書をめぐるトークイベントが開催された。本稿はその採録である。(3月5日、東京・新宿イレギュラー・リズム・アサイラムにて。須藤巧・本紙編集)

 ■アナキズムの精神とは何か

  自己紹介から始めたいと思います。高校、大学と音楽をやっていました。そんな折、本書の冒頭に書いたように、ハキム・ベイの『T.A.Z』(インパクト出版会)やセックス・ピストルズに高校生のとき出会いました。また、二〇〇〇年代初頭当時、カルチュラル・スタディーズが流行っていました。「STUDIO VOICE」という雑誌があって、面白いことが書いてある。人名を見ると、酒井隆史、平井玄、東琢磨、上野俊哉なんて書いてある。音楽と社会的なことをつなげて論じている人がたくさんおり、刺激を受けまくりました。大学に入るとカルチュラル・スタディーズはやはり大流行りで、そうしたなかに、ドゥルーズ=ガタリといった名前なんかが出てきて、勉強しないとダメなのかなと思った(笑)。それで、わからないなりに、読むようになり、ドゥルーズやホワイトヘッドを勉強していくようになります。とはいえ、哲学の領域で、音楽と社会的なことをつなげて論じていくことをやりたいと哲学の教師に言ったら、ダメだと言われました。それでも、大学院まで行けばできるんじゃないかと勘違いします。で、大学院に進学してしまい、ストイックに厳密に哲学を読みなさいと言われ、ひとまず、博士論文までは、自分なりにホワイトヘッドを読解し、書きました。しかし、もう、我慢ができなくなってきていました。どうせ、このまま、生きていても、就職もなさそうだし、もういいかなと思うようになった(笑)。そういうときに、栗原康さんが、鶴見済さんの『脱資本主義宣言』(新潮社)の書評を「図書新聞」に書いていました(2012年10月6日号=3081号1面掲載)。大見出しが「やりたいことしかもうやらない」。大変ふざけているとしか思えない(笑)。栗原さんもぼくと同じような境遇で、大学院でストイックかつ厳密に文献を読んでいた(はず)。そんな訓練を受けた一方で、「やりたいことしかもうやらない」と言っている。栗原さんのその文章を読んだとき、ぼくのなかでタガが外れました。

 この間、ひょんなことから、先に名前をあげた酒井隆史さんの家に二、三年ほど住んでいた時期があり、酒井さんにいろんなことを教わりました。加えて、二〇〇八年、G8サミットが洞爺湖であったとき、反G8の活動家や思想家たちと数多く会って、自分のなかで世界が広がっていきました。アナキズムに入っていったのは、遅いかもしれません。そして真剣にアナキズムに向き合っていこうと思ったのは、二〇一一年の三月以降です。この年のこの月に子どもが産まれたことも、きっかけとなっています。共同体で、コミューンで、みんなで子どもを育て、畑を耕し、海や川や山で遊ぶ。そういう実践をする一方で、過去の歴史も学んでいきたいと思った。本書にも書きましたが、ヨーロッパでは、今も昔も、コミューンがある。例えば、スイスのジュラ山脈の横に時計職人などが集まって、様々な反対運動をしながらも仕事をつくっていく「ジュラ連合」というものがかつてありました。ぼくが求めているのはこういうものだと思った。生活も、思考も、助け合いながら、自分たちだけで何とか生きていこうという精神、それがアナキズムでした。

 ヤン 今日の三人のなかではわたしが一番年長で、境遇もかなり違うのですが、不思議なことにアナキズムとの糸口は似ているところが多くあります。高校時代の九〇年代初期、同じくセックス・ピストルズに出会い、大学に入るとピストルズのマネージャー、マルコム・マクラーレンがシチュアシオニストたちの影響を受けたことを知る。シチュアシオニストとは、一九六八年の「五月革命」と呼ばれるパリの民衆蜂起に寄与し、現在のアナキズムや蜂起派の原点を築いたアーティスト、プレカリアート、思想家の集団で、革命政党や組織が行う真面目な政治行動やオルグの仕方とはまったく異なる不真面目で挑発的な形で「革命的状況」、つまりシチュアシオンをつくろうとした。シチュアシオニストはアナキストではないですが、西洋の消費資本主義及びソ連や中国や第三世界革命にみられる国家社会主義を徹底的に批判した。根本思想にあるのは労働者評議会つまりソビエトが体現する直接民主主義。シチュアシオニズム、アナキズム、パンク音楽の関係を教えてくれたのは、ピストルズを同時代で聴くことでアナキズムとマルクスの『資本論』に到達したというテキサス大学教員ニール・ネーリングでした。イギリスのカルチュラル・スタディーズの本拠地であるバーミングハム大学に留学したネーリングも、やはりカルスタの薫陶を受けた人です。彼にシチュアシオニストのギー・ドゥボールやラウル・ヴァネーゲム、ヴァルター・ベンヤミン、レイモンド・ウィリアムズを紹介され、彼らを通じてポピュラー・カルチャーをラディカルに読み解き、現代社会の構造的矛盾と闘う思想を教わった。ピストルズやクラッシュに代表されるパンク音楽の階級闘争と、思想や理論における階級闘争は同一のものだという基礎認識がそこにはあります。

 ピストルズは七〇年代のバンドです。イギリス経済が衰退し、サッチャー政権が誕生する直前――若者たちは失業しカネがなく、ピストルズのジョン・ライドンが叫んでいたように「未来がない」どん底から自分たちの文化をつくり始めていた。そこから生まれてきたピストルズの「アナーキー・イン・ザ・UK」を初めて聴いたのはダラスの郊外で、中国系の同級生レオ・ツァオの家でした。レオはいまドイツでアフリカやヨーロッパのミュージシャンと活動しているアナキストのDJですが、高校の頃はドラッグばかりやって絵を描いていました。ドラッグ幻覚にインスパイアされた前衛的絵画に囲まれたカオスのような彼の部屋に響きわたる、絶対的拒絶と虚無と怒りが見事に混ざり合うジョン・ライドンの声に打ち震え、「オレはアナキストだ、オレは反キリストだ」という叫び声から始まるこの歌は一体何だと思いました。それを突き止めたくて、ネーリングに紹介されたロック評論家グレイル・マーカスのLipstick Tracesという本を読みました。ピストルズやパンクの話を皮切りに、一五三〇年代のミュンスターの反乱に加わりコミューンを組織し処刑された再洗礼派ヤン・ファン・ライデン、第一次世界大戦を引き起こした西洋文明や芸術を破壊しようとしたダダイストの群像、レーニンの前衛主義に異を唱え大衆ストライキによる革命を提唱したローザ・ルクセンブルクをパンクの先行者として位置づける、教科書や正史には絶対出てこない想像力豊かで壮大な文化抵抗の歴史です。

 テキサス大学で出会ったもう一人の教員にハリー・クリーヴァーという「自律マルキシスト」経済学者がいます。アナキスト系反グローバリゼーション活動家の必読書『「資本論」を政治的に読む』を執筆したクリーヴァーは、最近翻訳が出た『キャリバンと魔女』(以文社、本紙3面に書評掲載)の著者シルヴィア・フェデリーチの同志です。クロポトキン論も書いていて、そこでリバタリアン的伝統を受け継ぐマルクス主義がアナキズムと本質的に共振していることを指摘している。では、マルクスの思想とアナキズムの違いは何か。マルクスは資本主義を歴史的に分析しているので、資本主義が終わると同時にマルクスの思想も過去の遺物になるとクリーヴァーは言う。それに比べアナキズムの思想は歴史的な時間のスパンがもっと長く、資本主義以前・以後の時代にも存在する権威や権力を絶対的自由の観点から問い直す。クリーヴァーを通して知ったハキム・ベイの「存在論的アナキズム」はそうした絶対的自由の息吹を、イスラム神秘思想、海賊、ユートピア社会主義など歴史上弾圧され消えていったあらゆるものの中に見出しています。

 クリーヴァーはまた、一九九四年に起こったサパティスタ反乱をアメリカで真っ先に支援し始めた人です。当時は冷戦後初の民主党大統領ビル・クリントンの政権が台頭し、クリントンの「新しいリベラリズム」に期待する人が多くいましたが、彼が実際にやったことは、レーガン政権が八〇年代を通じて繰り広げたシカゴ学派の市場原理主義が正当化した規制緩和の優先、そして社会福祉を解体するトリクルダウン経済政策の延長でしかなかった。NAFTA(北米自由貿易協定)をメキシコと取り結んだ当日、メキシコの最南部にあるチアパス州で、覆面をつけた先住民族の武装集団が蜂起し、ネオリベラリズムという新しい形態の資本主義に対して宣戦布告した。これがサパティスタです。サパティスタは従来のゲリラ的革命民族解放戦線ときわめて異なり、国家権力の掌握を拒んだ。軍隊だから上下関係はあるけれど、様々な政治的決定は村落共同体で行いながらメキシコ政府と交渉し、草の根民主主義を実践していました。彼らは世界中から活動家を呼び集め、集会を定期的に開催し、反グロ運動の下地をつくった。国家資本主義の抑圧的イデオロギーだったマルクス・レーニン主義に終止符が打たれた冷戦後、米国の軍事政策と資本主義を追認し続けるリベラリズムへの対抗軸としてサパティスタがあらわれ、思想的な枠組みとしてアナキズムが再び想起され、運動界隈の人口に膾炙した。さっき森さんから、アナキズムの思想を経て反グロ運動などと関わりを持つようになったという話がありましたが、つまりアナキズムがわたしたちをつなげたわけですね。

 栗原 いいはなしですねえ。

  今日はもうこれで終わりにしましょうか(笑)。

 栗原 ぼくは大学生のころからアナキスト、大杉栄の研究をしています。さいきんは大杉のパートナー、伊藤野枝の評伝とか、近々ではなぜか一遍上人の評伝を書きました。一遍にはアナキズムの元祖とよべる部分があるとおもいます。さて、ぼくはこの『アナキズム入門』にオビ文を書かせてもらいました。「森元斎は友が飢えていたらパンをかっぱらってでも食わしてくれる。魂のアナキストだ。アニキ!!」というものです。

 ヤン アナキズムのジャン・バルジャン!

 栗原 アナキストは、自分の欲望をみたすために猛烈にうごく。でも、まわりに困っているひとがいたら、損得抜きで食わしてくれるんですね。森くんもそういうひとです。