紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

「共謀罪」法案に映し見る、横浜事件の記憶

――私たちが横浜事件の犠牲者の立場になりうる日は遠くない。いまこそ読まれるべき権力犯罪の記録
評者:新庄孝幸

 “平成の治安維持法”ともいわれる「共謀罪」法案をめぐって、国会で野党と政府の論戦が続けられているが、「組織犯罪集団」の「テロ対策」ばかりを強調して押し通そうとする政府の答弁を聞いていると、憲法に保障された思想・良心の自由や表現の自由はいまや風前の灯火であると改めて感じざるをえない。憲法を破壊する現政権は、国民の内心に手を突っ込むことを合法化しようとしているのだ。しかし、私たちの危機意識はまだまだ弱い。共謀罪が現実のものになれば、どのような社会になるか、具体的にイメージしにくいからだろうか。もしそうだとすれば、憲法記念日を前に、とりわけ出版や言論、ジャーナリズムに関わる者にとっては基点となる歴史的事件を想起する時であろう。戦時下最大の言論弾圧事件、いや近現代日本出版言論史上最大の権力犯罪として知られる、横浜事件のことである。

  横浜事件では思想・良心や表現がターゲットにされた。神奈川県警の特高は、共産主義活動や共産党再建運動をした治安維持法容疑で出版人や言論人、新聞人など六十数名の共謀をフレームアップし、芋づる式に逮捕した。獄中で激しい拷問を加えて自白を強い、五人を獄死(保釈後の死亡者一人を含む)させた。

 そもそも治安維持法の成り立ちを見ると、法案審議のおりに当時の政府は天皇制と私有財産を守ることを保護権益とし、それを脅かす組織団体の結成や加入を犯罪とする法案だと説明した経緯がある。この治安維持法が拡大解釈され、反体制の言論や反体制組織の一員と見なした一人ひとりを一網打尽に弾圧する法律になった歴史的教訓は、強調してもしすぎることはない。共謀罪が「準備行為」という曖昧な概念で犯罪実行前の「合意」を処罰することを目的とした法律である以上、やはり拡大解釈に歯止めなどなく、犯罪の準備行為や合意を探るために監視や密告や盗聴を強化し、内心の自由やプライバシーを侵害し、基本的人権を破壊する危険性は高い。「テロ対策」という名目であらゆる捜査や取締が可能になる時代は、「国体護持」という名目ですべてを可能にした時代と二重写しにならないだろうか。共謀罪とは戦後の刑事司法の仕組みを根本的に変化させ、言論、表現、思想の統制に道を開く、世紀の悪法であることはいうをまたない。

 横浜事件の発端の一つとなったのは、総合雑誌「改造」一九四二年八月号に掲載された評論家・細川嘉六の論文「世界史の動向と日本」だった。この論文で細川は、「奴隷の言葉」で検閲をすりぬけながら、日本軍国主義の民族政策を批判した。掲載誌が発売されるや、同論文は大きな反響を呼んだが、右翼や陸軍報道部などが激しく批判し、警察は「改造」を発禁にするとともに、細川を治安維持法違反容疑で逮捕した。さらに、細川が日頃世話になっていた同誌や「中央公論」の編集者や研究者たちを郷里の富山県泊町の旅館に招待した旅行を、共産党再建を準備した「泊会議」として捏造し、旅行の参加者を一斉に逮捕したのである。両誌の発行元だった改造社と中央公論社は、一九四四年に「自発的廃業」という名の解散へと追い込まれた。

 権力犯罪は敗戦後も続く。ポツダム宣言受諾前に、当時の政府は公文書の焼却方針を閣議決定したが、横浜地裁は連合軍が上陸するまでの間に、事件についてきわめて拙速かつ粗雑な裁判を進めたうえ、裁判記録を急いで焼却したのである。このことが、横浜事件の再審開始の道を戦後長らく閉ざし続ける原因となった。警察と検察と裁判所が一体となったこの権力犯罪は、冤罪の証拠をもみ消し、責任を逃れ続けたのである。

 第一次再審請求で横浜地裁の裁判官は、同地裁が裁判記録を湮滅したことを認めておきながら、判決書がないため審理できないとして請求を門前払いした。再審の扉が開いたのは第三次再審請求からだった。本書『横浜事件と再審裁判』と『資料集成 横浜事件と再審裁判』は、この第三次再審請求の請求人と弁護団の論文、および法廷に提出された書面などの裁判資料をまとめたものだ。弁護団の森川文人弁護士は本書で「国は、決して司法の責任を正面から認めない。この国家及び司法の姿勢は、過去も現在も変わらない」と述べる。「体制は、どの時代も「安全な」思想と、「危険な」思想を分断する。現在も同じである。危機の時代になればなるほど、体制に異議を唱える自由な思想を許さない。どのような時代でも、考えること、思想をもつということは「抵抗」である」と。同じく弁護団の岡山未央子弁護士は、「横浜事件のような歴史的出来事は忘れられてはならない、このような国家的犯罪の被害者はきちんと法的に救済されなければならない、同じようなことは繰り返されてはならない、そのためにも司法は過去の誤判をまっすぐに認め、自らの手で改めねばならない」と述べる。

 再審裁判は免訴となった。裁判記録がないので再審できない、よって免訴にするという形式論であり、司法は権力犯罪の不当性を認めて無罪の言い渡しをしなかった。一方で二〇一〇年二月、裁判所は刑事補償を決定し、犯罪事実は存在せず、元被告は無罪だと証明した。四半世紀におよぶ再審請求は実質的な勝訴となったが、その蔭には請求人と弁護団のたゆみない努力と真相追及の意志があった。

 横浜事件から四分の三世紀がたったいま、私たちは共謀罪に直面している。国家及び司法の姿勢は過去も現在も変わらない――私たちが横浜事件の犠牲者の立場になりうる日は遠くない。いまこそ読まれるべき事件記録である。

(ノンフィクションライター)