紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

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「図書新聞」の紙面で紹介した書評や、対談記事をご紹介します。【週1回更新】
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 ◆ 3304号(5月20日発売号掲載)

ロシア革命から100年 人民の犯罪を煽動せよ

――マフノ猿軍団
インタビュー:栗原 康

 ■こん棒をもった猿の群れ

 わたしはボルシェビキがきらいだ。社会正義をふりかざして、ひとを支配しようとするからだ。でも、レーニンが敵をディスったことばは、けっこう好きだ。たとえば、こん棒をもった猿の群れ。そんなのきくだけでも、もうウキウキしてしまう。もちろん逆の意味でだ。これはレーニンがナロードニキを揶揄したことばで、当時、ロシアではインテリたちが、ヴ・ナロード(人民のなかへ)といいながら、農村にはいっていって、一揆や暴動を煽動しようとしていたのだが、そんなのうまくいったとしても、猿が武装したようなもんだ、すぐにやられてしまう、ほんきで帝政をうちたいならば、近代的な軍隊をつくってたたかわなくちゃダメなんだというものなのだが、どうだろう。ほんとうのところ、とつぜん猿がこん棒をもってむかってきたら、超つよそうじゃないだろうか。だれも猿がこん棒をもつなんておもっていないから、不意をつかれた人間たちはひとたまりもなく、やられてしまう。最強だ。だから、レーニンのことばの力もあるんだろうが、なんだかディスられている側のほうが、すごそうにみえてしまう。…続きを読む

いきと風流をめぐる、新たな導きの書

――人間間の有りようをみていくとき、いきと風流は確かに、どこかで息づいている
評者:澤村修治

 どうにも気になって仕方ないが語るに抵抗を感じるものがある。いきと風流はその代表であろう。「いき」を説明すると「いき」でなくなるといわれるくらいで、整序し腑分けし、ましてや分析しだすともういけない。かの繊細な様相が却って遠のく困惑に、語るほう(私のこと)がおののきだす始末だ。とはいえ、人間間の有りようをみていくとき、いきと風流は確かに、どこかで息づいている。古典に接すれば古き日本人が大事にしてきた価値だと判るし、現代でも、人の生き方・ふるまい方に対する「好ましさ」の有無を探っていくとき、無意識のうちに、いきや風流をその人の存在の根に重ねて理解している自分に気づく。となれば、論や分析に躍起となる野暮は避けたいものの、「捉える」試みは必要なのではないか。…続きを読む

“世界とたたかう”ための矜持

――高橋和巳の文学と思想は、いまだに〈現在性〉としてある
評者:久保 隆

 わたしは、高橋和巳の文学、そしてそこに胚胎する思想に、青春期(高校一年生時の冬、刊行されて三ヶ月後の『憂鬱なる党派』を、一学年上の先輩に薦められて読んだのが始まりだった)、大きな影響を受けただけでなく、自分自身の思考の原基をかたちづくる契機になったと思っている。以後、五十年以上にわたり、折に触れ、作品や評論等を繰り返し読み直している。作品でいえば、『邪宗門』、『憂鬱なる党派』、『悲の器』、『散華』、『堕落』、『日本の悪霊』であり、評論なら「暗殺の哲学」、さらには、本書で高橋和巳アンソロジーの巻頭に配置した「非暴力直接行動について」である。わたしにとって、高橋和巳の文学と思想は、いまだに〈現在性〉としてある。…続きを読む