紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

「冷戦経験」を考え抜く

――大学は自由と自治の「最後の砦」になれるのか
石原俊氏インタビュー

 ■石原俊著『群島と大学――冷戦ガラパゴスを超えて』が共和国より刊行された。「群島」と「大学」、この二つはどのような関係にあるのか。一見、それほど関係がないようにも思えるが、実際にはどうなのだろうか。そして、「冷戦ガラパゴス」とはどういうことか。著者の石原氏に話を聞いた。(インタビュー日・5月12日、東京・神田神保町にて。聞き手・須藤巧〔本紙編集〕)

 ■「冷戦ガラパゴス」をいかに克服していくのか

  ――本書はいわゆる論文集ですが、ほぼ書き下ろしに近いですね。四部構成で、「第一部 同時代史という現場」「第二部 群島という現場」「第三部 大学という現場」「第四部 書物という現場」と、すべての部に「現場」という言葉がついています。「はじめに」には、去年に四九歳で亡くなってしまった道場親信さんに本書が捧げられると書いてあります。

 石原 「同時代史」「群島」「大学」「書物」はいっけんバラバラのように見えますが、本書に通底するテーマはハッキリしています。いまこの国で同時代史を考えるときに必要なキーワードは「冷戦(経験)」です。日本がなぜこれほどひどい国家や社会になってしまったのかを考えなければ、当然ながらそれを克服する途は得られません。その原因を探っていくと、冷戦の経験をきっちりと対象化してこなかった日本社会を、なお考え抜かねばならないという点に帰着します。冷戦崩壊から四半世紀以上たったのに、いまだに克服できていない冷戦経験こそが「現場」であると言わねばならない。本書の副題「冷戦ガラパゴス」はここから来ています。

 第二部で扱った小笠原群島や硫黄列島をめぐる問題は、沖縄に対して今もなお日本国家がやっていることと並んで、まさにその象徴的事例です。小笠原群島や硫黄列島では、沖縄を含む南方の島々とともに、日本帝国がその崩壊・敗戦の最終局面で地上戦に利用することを企図して、島民の多数を強制疎開させました。また日本軍は一部島民を軍務に動員し、硫黄島では多数の島民が地上戦に巻き込まれて亡くなりました。その後、冷戦体制下で日本はこれらの島々を軍事利用のためにアメリカに提供し、島民は故郷に戻ることができず難民化させられます。小笠原群島や硫黄島はアメリカの「秘密核基地」化されていきますが、日本本土社会は、アメリカの太平洋核ネットワークのなかにこれらの島々を投げ出し、冷戦の「捨て石」とすることによって、一定程度の脱軍事化と民需主導型の高度経済成長を遂げることができた。

 施政権返還後の一九七〇年代になると、小笠原群島では島民の帰還が認められ、米軍も撤退し核兵器も撤去されています。だが硫黄島では施政権返還後、自衛隊が全島を利用し、さらに米軍のFCLP(空母艦載機離着陸訓練)も実施されるようになって、一九四四年の強制疎開から七三年も島民の帰還が認められていない。硫黄島は、最悪の地上戦の現場であり、今も日本軍将兵の遺骨が多数埋まっている「終わらない戦争」の現場として知られています。だが、硫黄島が「終わらない冷戦」の過酷な現場であることを、大多数の本土住民は知ることさえない。私は近年、一九四四年の強制疎開以前の硫黄島で生活経験がある硫黄島民一世の人たちのお宅を訪ねて、かれらの生活史を聴き取るプロジェクトを進めています。この国で冷戦体制の底辺に置かれてきた人たちの経験を、拾い集めていく作業です。

 第三部「大学という現場」が現在抱える問題、ここでも意外かもしれませんが、「冷戦(経験)」が隠れたキーワードです。グローバリズムと国家主義が席巻するなかで、世界的に政官財から大学の教育・研究への介入や攻撃が起こっています。日本でも「(大学)改革」というマジックワードのもとに、大学が緊縮政策と国家主義の標的となり、教職員の雇用形態・労働環境の劣化が深刻になりました。競争的補助金を餌に、教育・研究内容そのものを国家の政策目標に従属させようとする圧力も高まります。最近、文科省OBの大学への大量天下りに対する処分が話題になりましたが、国立大学法人化以降、国家統制がむしろ強まってしまったなれの果ての姿です。そして今、政官財界は文科系・基礎科学系部門や地方大学を中心に、大学の部局さらには大学そのもののリストラに向けて、堂々と圧力をかけ始めています。

 また最近では、在日コリアンの教員や日本の戦争責任にかかわる教育や研究にたずさわる教員を標的として、民間の極右・レイシスト勢力から大学への組織的な攻撃が相次ぐようになりました。敗戦後の日本では、極右や極左が研究者個人を狙って脅迫をおこなう事件こそ日常的に起こっていましたが、この国の極右・レイシスト勢力は今、一教員の言動をめぐって、大学の建物を爆破する脅迫だとか、所属している学生を殺傷する予告だとか、とんでもないテロリズムの手法を確立したのです。かれらがテロリズムにうったえてでも否認しようとするのは、元「慰安婦」に象徴されるように、東アジア各国が民主化したポスト冷戦期になって日本社会が本格的に向き合うことを求められるようになった、さまざまな戦争被害者たちの声です。そこにあるのは、「冷戦ガラパゴス」の温室のなかにとどまりたい極右・レイシスト勢力の欲望にほかなりません。

 私は法人化翌年の二〇〇五年に「国立大学」教員として初職を得て、教授会メンバーになったのが二〇〇七年という、「完全に遅れてきた世代」ですが、ここ数年、専門分野から少し離れてでも、満身創痍となってしまったこの国の大学の現場性とは何かを考えざるを得ない状況に置かれてきました。極右・レイシストからの学問の自由や大学の自治に対する攻撃に、容易に屈してしまう大学が続出しているのはなぜか。教員や教授会による教育内容・カリキュラム・研究内容の自己決定権さえ、学長が「トップダウン」で否定する権限があるという、憲法二三条に明らかに違反している学校教育法九三条の大改悪を、なぜ許してしまったのか。それは結局のところ、この国の研究者が学問の自由と大学の自治の歴史的意味をきちんと対象化してこなかったからではないか。

 大日本帝国憲法下では、大学や高等教育機関における自治や自由は、大学構成員の長い闘争によって少しずつ獲得されてきました。ファシズム期にはそれが非常に激しい弾圧を受けた。そのことを踏まえて日本国憲法には、思想の自由(一九条)や表現の自由(二一条)とはわざわざ別条で、第二三条「学問の自由は、これを保障する」という条文が作られました。その意味で、「戦後」日本の大学が保障された自由と自治は、「戦前・戦中」の闘争と犠牲の上に成り立っていたと言えますが、他方で空間的にみれば、「冷戦期」日本が置かれていた特権的状況がこれを許した側面も無視できません。冷戦期の世界において、学問の自由や大学の自治がそれなりに保障されていたのは、西欧・北米・日本などの西側先進諸国、つまり地球上のごく一部地域に限られていました。東側諸国はもちろんのこと、西側でも冷戦の軍事的前線に置かれた当時の発展途上国の大半では、軍事政権や独裁政権のもとで、学問の自由は認められていないか、きわめて脆弱であった。韓国が典型例ですが、世界の過半の地域において、学問の自由や大学の自治は、冷戦下の長い民主化運動の過程で、夥しい血が流された結果として獲得されたものです。ところが冷戦期の日本には、そうした経験がなかった。

 日本の研究者の大半は、冷戦期に自分たちが置かれた空間的条件を相対化することなく、学問の自由や大学の自治の歴史的意味を考えることを怠ってきたのではないのか。たしかに一九六〇年代のいわゆる大学紛争の過程で、学問の自由や大学の自治の内実は、当時の学生たち(と教職員の一部)から厳しく問われました。にもかかわらず、その後大学に残った研究者の過半は、むしろ意識的・無意識的に自由や自治を抑圧する側にまわってきたのではないでしょうか。韓国ではこの十年間、李明博と朴槿恵が大学に対するすさまじい国家主義的介入と緊縮主義的リストラを進めてきており、学問の自由と大学の自治に対する攻撃は日本より激しいわけですが、それに対する教員や学生の抵抗も日本と比較にならないぐらい強い。二〇一五年には、朴槿恵政権が補助金カットをちらつかせて教員らによる総長選挙を廃止させようとしたことに抗議して、釜山大学の教授が学内の建物から投身自殺しました。韓国の大学における総長選挙は、冷戦期の民主化闘争の過程で勝ち取られた大学の自治の象徴的制度だとみなされています。この悲劇的な事件をきっかけに、全国から千人以上の大学教員が国会議事堂前に集まり、大学の国家主義的統制に抗議する座り込みをしました。そんなことは日本で起きる気配もない。「ガバナンス改革」の名のもとに同じようなことがいま日本の大学で進んでいるのに。自分自身を含め、日本の大学教員にとってこれは恥ずべきことです。

 いま日本では、リベラル・デモクラシーそのものが危機的な状況にありますが、韓国などと全く異なり、いやアメリカやヨーロッパとも異なり、大学という場所は自由と自治の拠点には全くなりえていない。私はSEALDsを特別視する者ではありませんが、二〇一五年の安保法制反対運動においてSEALDsがアイコンの役割を果たしたのは間違いない。たしかにSEALDsの主要メンバーの多くは、私の勤務先の学生を含む大学生・院生たちでしたが、かれらの活動の拠点は大学にはなかった。それは「学生運動」を基盤とした運動でさえなかった。

 以上のように、本書のテーマは「冷戦ガラパゴス」をいかに克服していくのかを考えることにあります。そして、指摘いただいた通り、本書は道場親信さんに捧げられています。道場さんは研究者や活動家の世界では「戦後日本の社会運動史」の専門家として知られていますが、生前の彼が一貫して問い続けたテーマは「戦後日本」というよりも「東アジア冷戦」です。道場さんに捧げたのは、本書をまとめている最中に彼の死に出会ってしまったという直接的理由もありますが、それ以上に、道場さんが歴史認識のさまざまな「現場」の最前線で、敗戦後日本の社会史・思想史を「戦後」というかたちで閉じることなく、あくまでも(東アジア)冷戦のなかで考える社会科学的な枠組みを、この四半世紀間、ほぼ独力で作り続けてきたと、改めて思い知らされたためです。私は非常に幸運にも、二〇〇〇年頃から道場さんが亡くなるまで一五年以上、「〈帝国と思想〉研究会」でご一緒させてもらっていました。この研究会の当初のテーマは、帝国日本という視点から「戦前・戦中」の社会史や思想史を捉え直すことにありましたが、二〇〇〇年代後半になると、東アジア冷戦のなかの日本という視点から「戦後」の社会史や思想史を考える作業へと移行していきました。道場さんが亡くなった今、私たちは未解決・未清算の「冷戦経験」を考える作業を、微力ながら継続するしかありません。私も力不足は承知しつつ、冷戦後日本の社会(思想)史というべき性格を持っている第一部「同時代史という現場」を、本書のために書き下ろしました。また第四部「書物という現場」は本紙掲載記事も多数含む書評群ですが、通底しているのは「帝国日本」「冷戦」「ポスト冷戦」をどう捉えるのか、それによって「冷戦ガラパゴス」をどう克服するのかというテーマです。