紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

小津安二郎の作品と人、そして時代

――小津は理念を優先させた
評者:名取弘文

 小津安二郎に関する評論、研究書はたくさん出版されている。小津本人の日記も刊行されている。

 ここに新たに「芸術家として、認識者として」と副題をつけた『映画監督小津安二郎の軌跡』が出版された。小津ファンの私は、どんな小津論が展開されているのかと急いで手に取った。

 著者は一九五四年生まれ。会社員時代は主として経理関係の業務に携わったとある。二〇一〇年退職とある。貯め込んでいたことを一気に表わしたのだろう。

 著者は第1章「小津安二郎と小津映画」の中で「私は小津映画を三つの期間に分けたい。それは〈戦前期〉〈戦中期〉〈戦後期〉である。ただし、〈戦前期〉と〈戦後期〉は前期と後期に分ける」としている。「〈戦前期〉の代表作である『一人息子』はまさに文学的ではあるが、一方でアメリカ映画の雰囲気を感じさせる」と述べている。〈戦中期〉では「『父ありき』では共同の意識を導入した。これらの変化の過程で小津の映画作りは、より理念を優先する方法に変っていった」と言う。〈戦後期〉前期では『東京暮色』について「志賀的な映画の傑作であり、これをもって小津は戦争中の宿題を終え、戦争の影響を脱し、小津は自由になった」としている。後半では「最終的に小津が行き着いたのは、意識を中心とした小説化された世界であ」ったとまとめる。

 第1章「2 小津映画に対する批評」で著者は「小津は多くの批評家たちにとって難しい存在のようだ」と認める。が「戦後の小津映画に対する典型的な批評は、小津映画は美しいが中身のないブルジョワ映画というものであった。小津がエスタブリッシュメントであったという事実だけで非難されてもいた。そういう反小津の批評家たちでさえ、意地悪く言えば、海外の評判の良さを受けて、いやいや小津を再評価するようになった」と厳しい。

 批評家だけでなく映画愛好家にもそのようなことはよくある。黒澤明の『羅生門』もそうだし、アラン・レネの『二十四時間の情事』もそうだ。自分の眼でしっかり観て、自分の感想をきちんと持つことだと、心したい。

 第2章「小津安二郎と小説家」の中で著者は夏目漱石、永井荷風、志賀直哉、里見弴、谷崎潤一郎、芥川龍之介から小津が受けた影響について触れている。志賀直哉の影響は『風の中の牝 』『東京暮色』に色濃く出ているし、里見弴は『秋日和』の原作である。漱石、荷風の影響もあったという著者の指摘、谷崎との交流はなかったようだが、小津は谷崎の『文章讀本』を「あの中の言葉はそのまゝ脚本作法上の心得に持ち込むことも出来る」と語っていると紹介している。

 第3章「日本映画と溝口、小津、成瀬」で著者は溝口と成瀬の作品を詳しく紹介している。ほかにも、清水宏、山中貞雄のことにも触れている。欧米の映画作家としてチャールズ・チャップリン、ハロルド・ロイド、エルンスト・ルビッチなどの名前も出てくる。「小津はエルンスト・ルビッチを一つの目標として、長い時間をかけて小津のシステムに統合していったようだ」と述べている。

 本書には小津作品各々の要旨と解説が収められている。

 その中で著者は小津のギャグにも触れている。『生まれてはみたけれど』の父親が上司のカメラの前で滑稽な姿をしてみせる。それを映画で観た子どもが怒る。が、翌朝は子どもたちまでが上司の子どもにペコペコする。『出来ごころ』には“欠食児蔵”が出てくる。『突貫小僧』では子どもが人攫いを困らせる。

 著者は『長屋紳士録』の中で笠智衆がのぞきからくりの『不如帰』の口上を歌うのを「ずいぶん面白いシーン」と紹介している。まだ観ていないのでしたら、観て下さい。

 最後に著者は「溝口健二、小津安二郎、成瀬巳喜男の後を継ぐべき監督は存在しないし、今後数百年は、このクラスの映画監督は日本に現れないかもしれない」「残念ながら一九三〇年代のハリウッド映画や一九五〇年代の日本映画の時代は戻って来ない」と結ぶ。

 そんなことはないと私は思う。形態や方法や機材は変っても、すぐれた作品はたくさんあるし、芸術的な作家もたくさんいると思う。

 (おもしろ学校理事長)