紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

今後50年出てこない仕事

国民文学である『源氏物語』を広く、正しく知ってほしい
中野幸一氏インタビュー

 ■『源氏物語』を理解するために本書を使ってほしい

 ――現在『源氏物語』は世界文学として捉えられたり、またサブカルチャーと関連させて言及されたりしています。そうした状況について、先生自身何か思うところはありますか。

 中野 『源氏物語』は国民文学だから、どんなかたちで読まれてもよいと思います。まずは源氏に触れることが大切です。おそらく、もしその人が最初に触れたものがいい加減なものだったら、そこで満足せずにやがて本物に触れるようになるかと思います。だから本当に漫画でも、どんなものでもよいです。今の若い人たちは皆『あさきゆめみし』から源氏の世界に入ってきているわけでしょう。

 ――それでは、『源氏物語』研究についてはどうでしょうか? 現在は最新の文学理論やジェンダー論を用いて、様々な角度から『源氏物語』を論じているように思いますが。

 中野 現代の研究動向について、今は学会などにも出なくなったので詳しいところはよくわかりませんが、いかにも『源氏物語』本文を読んでいない。いわゆる『源氏物語』に出てくる現象や表現について細かく突いて比べているだけで、それを研究だと思っている。そこから出発しているんだろうけれど、こういった状況は若い人にとって少し気の毒にも感じます。まず『源氏物語』というものを粗方でもいいのでつかんでから研究に進まないといけません。今やパソコンをいじれば何でもできる時代ですが、それだけでは前後の文脈や意味を見逃してしまいがちですし、草子地問題にしても、『源氏物語』の草子地としてはどうなのかということまできちんと考えなければならない。

 ――そこにはそもそもの教育の問題が関わってくるかもしれません。高校で多くの人が『源氏物語』に触れますが、学校ではほんの一部だけ読み進め、本文の素晴らしさよりも逐語的な訳の仕方だとか文法構造の解説ばかりしています。中にはそこから国文科に進学する人もいるでしょうが、これだけでは『源氏物語』のよさが広く理解されないように思えます。

 中野 そうですね。私も桐原書店で高校教材をつくっていますが、何年か前に「若紫」の藤壺の里下がりの文章を入れました。この場面を教材として使用しているのは今も桐原だけだと思います。あれはいわゆる罪の問題だから、女学生が読んでどう捉えるのか、編集委員会でもずいぶんともめましたが、私としてはこれこそが『源氏物語』だと考えていました。この件について、文部省のある人が、桐原さんも思い切ったことをしましたね、と言っていました……褒めているのか揶揄しているのかはわかりませんが(笑)。

 普通、「若紫」の巻は紫の上を初めて見つける章として有名ですが、紫の上は出てきても「若紫」という言葉は一つもない。「空蝉」とか「夕顔」は女の名前ですからすぐにわかります。ではなぜあの表題になっているのか。

 ここで当時の教養のある読者ならば「若紫」と聞いたときに、「春日野の若紫のすり衣しのぶの乱れ限り知られず」の歌を思い出すわけです。若い紫の上も「若紫」と言えるでしょうが、「しのぶの乱れ」という箇所にピンときたら、相手を偲ぶ心で乱れる、それは藤壺への恋が罪になることをも指し示しているのです。つまり、「若紫」にはこうした両面性があるのですが、そういう解説はほとんどされていません。皆かわいい紫の上が登場する巻だとばかり思っていますし、教育現場でもそれ以上教えることはない。

 結局のところ、現在の学校教育の古文は文法の材料にすぎません。教科書には『源氏物語』だけでなく、『竹取物語』や『伊勢物語』なども入っていますが、現在の指導方針では古文のよさを味わうことができません。高校の古文の切り取り方が古文そのものを毒してしまって、学生のためにもなっていない。ですので、より深く『源氏物語』を理解するために本書を一巻でも使っていただけたらと思います。源氏は国民文学なのだから、皆その物語を広く、正しく知ってほしいですね。

 ――中野さんは齢80から『源氏物語』の現代語訳に取り組み、このたび無事刊行が終わりました。最後に、次にやろうとしていること、新しく始めようとしている仕事などがありましたら教えてください。

 中野 それはもう寿命との問題にもなってきますよ(笑)。ただ、源氏を訳している間、正直言って我慢していたことがいくつかあります。これまでは現代語訳をしているということでまわりの人たちが遠慮していたと思うのですが、この仕事が終わった途端、一斉に他の出版社などから先生あれを、これを、とたくさんの仕事を持ってきます。一体、人の寿命をいつまでと考えているんでしょうか(笑)。そのうちのいくつかは、こちらも体が衰えてしまわないうちに引き受けると思います。

 私自身がやりたいことは、まぁちゃんとしたかたちにならなければ話したってしょうがないのですが、今後は『源氏物語』の享受資料をまとめていきます。これは源氏を享受した、源氏以後のものだけでなく、源氏が享受したものまで含めています。ほとんど半世紀かけた仕事で、まだ三分の一ぐらいしか進んでいませんが、現代の『源氏物語』研究において必要な資料であることは間違いありません。

 (了)