紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

今後50年出てこない仕事

国民文学である『源氏物語』を広く、正しく知ってほしい
中野幸一氏インタビュー

 ■ここではまだ終わらんぞ、という思い

  ――『正訳 源氏物語』は、中野さんの長年の研究成果の集大成と捉えることができる大きな仕事ですが、やはりこれほど長大な物語を一から訳すとなると相当の決心が必要だったのではなかったかと思います。この訳業を試みる、そもそものきっかけは一体何だったのでしょうか。

 中野 やはり源氏研究者としてはいつか現代語に訳してみたいという思いはありました。日本全国の人たちも、『源氏物語』を高校で習い、いつか読みたいと思いながらそれが果たせず皆死んでいきますが、これは研究者にとっても同じです。いつかやりたいと思いながらなかなか実行に移せませんでした。

 しかし私の直接のきっかけは、80歳の祝いの席のときですね。おめでたいおめでたいと言いながら、多くの人たちが盛大に祝ってくれて、そのときはとてもいい気分で会が終わったのですが、ふと、それこそ本当に終わった、というような雰囲気を感じてしまいました。いやいや、私自身はまだ終わっていないのに(笑)。皆私のために会を催してくれたのでしょうが、こちらとしてはここではまだ終わらんぞ、という思いが強くなりましたね。それから80、81、82とかけて『源氏物語』の現代語訳に取り組んだわけです。

 ただ、先にも言いましたが私はカルチャー講座の講師を長い間務めてきました。今現在も受け持っています。そこで何度も『源氏物語』を読み返していますので、これまでもちゃんとした文章のかたちにはなっていないけれども、頭の中にはしっかりと自分自身の現代語訳があるわけです。だから、パッと読むとさっと言葉が出てきます。カルチャー講座では本文を離れることはありませんので、訳も正確になりますし、さらに辞書を片手に訳すわけでもないので、スピードもはるかに早くなる。そういう意味ではこの仕事はカルチャー講座のおかげだと言えますし、カルチャー講座向けのものができたわけです。

 本当は自分の力で『源氏物語』を読んで、そこから得たものを自分の言葉で〈翻訳〉する、これがこれまでの皆の『源氏物語』訳です。私のものは〈口語訳〉で、それが他とは違うところです。

 ――中野さんが現代語に訳すにあたって、意識した作家はいますか。

 中野 もちろん私も好きな訳はあります。谷崎さんのものは好きですが、円地文子さんの訳はちょっと荒っぽいですね(笑)。ただ、そういう既訳を意識してしまうと、こちらの調子も狂ってしまう。そのため、自分が訳しているときは見ないようにして、こちらでは一気に訳してしまうんです。その結果、3年で訳し終えました。瀬戸内寂聴さんは訳すのに7年かかったそうですから、私はかなりせっかちですね(笑)。瀬戸内さんの訳も丁寧でいいですよ。これは彼女も寂聴塾という、一種のカルチャー講座を自分で持っているから、『源氏物語』を読み慣れているんですね。

  ――それでは、『源氏物語』において学術的な立場から意識している、あるいは影響を受けた研究者はいますか。

 中野 それは昔から玉上琢弥さんです。ただ、意識しているとか影響を受けたというのとは少し違いますね。いわゆる学恩を被ったわけです。玉上さんは論が他の人より一歩先に進んでいます。その中でも物語は目で読むものではない、という「物語音読論」を発表しましたが、この音読論は現在でも有効なものです。

 実は私は若い頃、大学院生時代に「物語音読論批判」なるものを書いたことがあります。ただ、その後かなり経ってから玉上さんに会ったときに、なんと「あなたが一番僕の論を読んでいますね」と言って私のことを褒めてくれました。つまり、批判するぐらいなら自分の全部の論を読んでいなくちゃいけない、ということだったのでしょう。そうした批判をもって学問がさらに進歩していくんだから、皆が自分の論をそうだそうだと肯定ばかりしているだけではさみしい、ともおっしゃっていましたね。

 ――その「物語音読論批判」とはどういうものでしょうか。

 中野 たしか「東屋」の巻だったと思いますが、浮舟が匂宮の一件があって少し憂鬱だったときに、中の君が絵巻を見せて慰めようとしました。その傍で右近が物語を読んでいることに対して、玉上さんがこれこそ物語の本当のたしなみ方だ、つまり女房に物語を読ませて、自らは絵を見ながら享受するものだ、と主張しました。これが物語音読論の最初です。

  しかし、もう少しよく文章を読んでほしい。右近に「ことばよませて」とありますが、この「ことば」は物語本文ではなくて実は絵巻の詞書のことです。だからこれは第二次享受なんですね。『更級日記』の菅原孝標女のように、「几帳の内にうち臥して」、「昼はひねもす夜は夜もすがら」……といった物語の読み方こそが第一次享受で、高貴な御方や姫君とかのそれは第二次享受だと私は考えています。だから、私は玉上さんの主張する物語音読論は第二次享受であると批判したわけです。

 享受の現場を考えてみると、まず自分が書いた物語に読者がいないと話にならない。読者は自分で読むこともあるけれども、今度はまわりの者に物語を見せたり聞かせたりしていく。そういうところで語りの場が生まれていきます。それから伝播していきますので、やはり語りの場というものは実際にあるわけですね。『紫式部日記』でも、帝が「ものがたり聞かせたまひて」、つまり女房に物語を読ませて自分が聞く、という文章がありますね。ただ、私に言わせると物語を音読して聞かせるのは帝や皇后、姫君といった高貴な御方だけで、孝標女のような中流の受領の娘なんかは自分で几帳の中で読むことが普通であっただろうと思っています。

 こんな反玉上論、どこも採用してくれないだろうから大学の紀要に載せたのですが、それでも非常に大きな反響がありました。こうして批判もしているわけだから、玉上さんに全面的に影響を受けた、とは言えませんね。