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核イメージの現代史

核を描くポピュラー文化を相対化し、再配置するための参照項をたどる
山本昭宏氏インタビュー

 ■先ごろ人文書院から、スペンサー・R・ワート著『核の恐怖全史――核イメージは現実政治にいかなる影響を与えたか』が刊行された。アメリカを代表する科学史家の一人であるワート(一九四二年~)が、福島第一原発事故までの「核イメージ」の歴史を、核エネルギーと人間の想像力との関係を軸に描いた著書である。本書をめぐって、訳者で『核と日本人――ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』(中公新書、二〇一五年)の著者である山本昭宏氏に話をうかがった。(8月5日、東京都港区にて。聞き手・米田綱路〔本紙編集〕)

 ■核をめぐるユートピアと破滅のイメージ

  ――スペンサー・R・ワートの『核の恐怖全史』を訳された経緯、翻訳を終えての感想からおうかがいします。

 山本 私が本書の初版を最初に読んだのは大学院の修士課程の時ですが、第一に、まず驚いたのは、アメリカの科学史研究者はこんなにドライな目でものごとを見るんだな、ということでした。たとえば、ワートは反核運動の影響は限定的だと冷淡な評価を下します。それは、ワートが心理学的な説明を重んじるからです。恐怖感を持った人間は、その恐怖を否認するか、何か別のものでその恐怖を置き換えようとする。したがって、反核運動の盛り上がりは持続しないに決まっていると捉える。身も蓋もありません。もちろん、批判したい気持ちはあるのですが、アメリカの核の研究で有名な本は、こんなふうに書いてあるのだということにまず驚きました。日本とは逆で、その違い自体が考察に値すると思いました。

 第二に、本書を翻訳しようと思った経緯とも関わりますが、扱っている対象がものすごく広いことです。錬金術や魔女、ゴーレムなどの話が出てくると同時に、アメリカのテレビアニメシリーズ『ザ・シンプソンズ』も出てくる。核イメージに関わるものは何でも扱い、文学研究や心理学を方法論に取り入れる。その広さと貪欲さが、本書の大きな特徴です。私はこの点に大きな影響を受けました。

 それから第三に、より直近の動機としては3・11があります。これは日本一国で閉じる問題ではない、日米関係のなかで核イメージや言説を考えていかなければいけないという思いを強くしました。今回翻訳した原本である増補版が出て、これは訳さないといけないと考えたのです。

 本書の意義としては、アメリカの話を中心にしながら、日本についてもページを割いていて、ドイツやイギリスの反核運動、反原発運動も出てくるという横の広がりがある。そして、一九世紀から現代までを扱う時間的広がりがある。今は人文系、特に歴史学がそうですが、一国に閉じるのではなく、国際的な関係のなかでものやイメージに注目する研究の潮流が盛んです。核の恐怖についても、それがどのように作られたのか、どのように変化していったのかを国際的視野から考えるのは現代的な課題であり、本書はそれに応える研究であると考えて、訳しました。

 ――本書のテーマである核イメージの大きさは、ユートピア的であると同時に終末論的、黙示録的であるところに、端的に表れていますね。

 山本 最初に出した著書『核エネルギー言説の戦後史 1945―1960』(人文書院、二〇一二年)の副題を「「被爆の記憶」と「原子力の夢」」としたのですが、核には集団的な過去認識と、集団的な未来認識があります。過去の原爆被害をどう考えるのか、未来は破滅なのかユートピアなのかという点で、記憶と夢の両方がある。両者は、集団的な想像力やイメージとも重なります。それが社会全体を覆っていて、政治エリートから一般の大人、そして子どもたちまで、みんなが核について何らかのイメージや認識を共有している。

 そして核イメージが、原発をどこに置くのか、核不拡散条約をどうするのかといった具体的な現実政治に対する態度をどこかで規定している可能性がある。日本人は被爆を経験していますけれども、経験したことのない世界の終わりというイメージは、かつて現実政治の前提として広く共有されていました。核イメージは、多様な領域の研究者が協働してアプローチすることができます。本書にも出てくるウランの採掘場など、地域の問題からもアプローチできるし、核兵器禁止条約など国際政治の大きな問題として捉えることもできます。

 ワートの見立てによれば、我々は「第二の核時代」にいるわけですが、ふだん生活しながら、自分たちは核時代に生きていると思っている人は少ないでしょう。それを再認識するためにも、本書のタイトルにある「恐怖」について発信していく必要があると私は思います。たしかに、ワートがいうように恐怖は長続きしないかもしれない。けれども、想像力によって何度も復活させることはできます。それに関する情報やポピュラー文化にも事欠かきません。私たちはそれらに対するアンテナを広げていかなければならないし、広げてほしいという願いで、本書を訳したのです。

 ――原子力の夢とユートピアに対して、恐怖がせり出してくるのは、マンハッタン計画以降のことなのでしょうか。

 山本 ワートの見立てでは、核イメージのバリエーションが出そろうのは一九三〇、四〇年代です。核に関しては、すばらしい魔法と非常に怖い魔法という、両義的な二つのイメージがつねにあると彼はいいます。不安や恐怖、期待や夢は人類史を貫いて存在しており、核は基本的にそれを引き継いでいると述べています。

 日本について調べていくと、アメリカにおいて三〇、四〇年代の映画に表れたさまざまな核イメージの使われ方は、戦後日本のポピュラー文化での使われ方とほぼ同じであることが分かります。アメリカが三〇、四〇年代にさまざまに遊び尽くした核イメージを、戦後日本がそのまま引き継いでいったわけで、イメージの日米関係を考える時、これは非常に興味深い。ただし、大きく違う点もあります。それは、中沢啓治の諸作品の存在です。『黒い雨にうたれて』や『はだしのゲン』では、被爆地の惨状が描かれ、怒る被爆者が登場します。そのような作品はアメリカのポピュラー文化にはない。この点で、日米の差は明確にあると思います。

 これもまた身も蓋もない見解なのですが、ワートは、原発の恐怖と核兵器の恐怖は基本的に両立しないと述べています。どちらかが盛り上がれば、他方はしぼむ関係になっている。核エネルギーを人為的に解放し、有害な廃棄物を残すという点では、原発も核兵器も同根だと私は考えますし、日本でも非核の主張は存在しますが、社会的合意を得られていないのが現状です。同根だからこそ、原発を手放せないという側面も、否定できません。原発を考えていく時に、これは重い課題です。

 それから、地球温暖化という新たな危険が迫っている以上、原発があったほうがいいとワートはいいます。私の考え方とは違いますが、理由は単純です。補助金などで原発立地地域の人を金漬けにして、人びとに喜んでもらっているというフィクションを作り、どんどん原発を稼働させていくのは違和感があるし、やはりそこには差別と欺瞞がある。そのことが福島第一原発事故で明らかになった以上、原発を支持する理由はないと思います。

 他の先進国と同様、日本の場合も新自由主義で、たとえば四半期でGDPの上がり下がりに一喜一憂する。短期間で業績を上げ、目に見える成果を出すという思想が、もう隅々まで行きとおっている。そこでは、経済が下向きになることは恐怖の語彙で語られてしまっている。原発に関しても、経済の言葉で押し通せばみんな通ってしまうようなところがありますね。現代日本の原発との付き合い方は、もう麻薬みたいなもので、止めることができない。原発の海外輸出も、同じです。

 3・11を経験した日本がこのような状況なのは実に不可解ですが、ワートの本書をとおして見えてくることがある。ワートは原発容認派ですが、本書の原書タイトル“The rise of nuclear fear”のなかにfear(恐怖)という言葉がタイトルに入っているということを、私は重く見ています。科学者と議論する科学的根拠を持たなくても、多くの人びとが不安を感じて嫌だという声を上げること自体、誰も否定できない。不安や恐怖や怒りはとても重要な感情であり、過小に評価すべきものではありません。ワートは、人類史における恐怖のイメージに注目して、そのなかに核を位置づけているわけですが、その問題意識には共感しました。

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閉鎖都市で起きた惨事の先駆的分析

――まことにタイムリーな新版の邦訳
評者:室生孝徳

 いまからちょうど六〇年前の一九五七年九月二九日、現在のロシア・ウラル地方チェリャビンスク州にあった門外不出の「閉鎖都市」で、放射性廃棄物の地下貯蔵所が爆発した。きのこ雲状に立ち上った高濃度の放射能雲は、風に乗って北東方向に流れ、一〇〇キロ以上にわたる広範囲を汚染した。旧ソ連の原子力研究所が出した公式報告書(一九九〇年)によれば、汚染ゾーンには耕作地や放牧地、二一七の居住区が含まれ、二七万人が住んでいた。そのすべてを放射能に曝したのが、ウラルの核惨事、ソ連ではクイシュトゥイムの惨事と呼ばれた事故だった。

 チェルノブイリ原発事故や福島第一原発事故に次ぐ、レベル6に相当する規模のこの核惨事は、公式には三〇年以上もなかったことにされていた。しかも正確にはウラルの町クイシュトゥイムで起きたのではない。軍事機密上、地図上には記載されない私書箱四〇番、ロシア語で「ソロコフカ(都市四〇)」という符牒で呼ばれた閉鎖都市の、プルトニウムを抽出する放射化学工場「マヤーク(灯台)」から排出された放射性廃棄物の貯蔵タンクが爆発したのである。ソ連が公に事故を認めたのは、グラスノスチが進んだ一九八九年になってからだ。

 一九七九年に英語版で初版刊行されたジョレス・メドヴェージェフの本書は、ウラルの核惨事を明らかにした記念碑的な一書である。兄のロイとともにソ連のディシデント(異論派)科学者として知られ、七三年に国籍を剥奪されたジョレスは、主に機密解除されたCIA文書などから、事故現場がどこかを特定することに成功し、事故の経緯を復元して、その影響を分析した。かつて八二年に邦訳が刊行されたが、本書は二〇〇四年刊のロシア語選集版を底本とし、その後の論文や福島第一原発事故を踏まえて書かれた「クイシュトゥイム―チェルノブイリ―フクシマ 次はどこか?」などの論文を増補したもので、彼の先駆的な研究の歩みをより総合的にうかがい知ることができる。

 二〇一七年というこのタイミングでの新版は、まことにタイムリーである。昨年にはドキュメンタリー映画「City40」(サミラ・ゲッチェル監督)が公開されている。閉鎖都市に入ったカメラは、現在の内部の様子や人びとの暮らしを映し出した。昨年にはまた米国の歴史学者ケイト・ブラウンの『プルートピア』(髙山祥子訳、講談社)も邦訳された。米ソの核兵器開発の指導者たちが冷戦対立の下で“協同”してつくり上げたプルトニウムの理想郷「プルートピア」を明らかにしたもので、ソ連の核開発からクイシュトゥイムの惨事、その後と現在までを知ることができる。3・11後を生きる私たちはいま、メドヴェージェフの本書を読む好環境にある。

 メドヴェージェフが本書の端緒となる報告をしたのは七六年、英国の雑誌「ニュー・サイエンティスト」においてだった。その報告はセンセーションを巻き起こしたが、米英の主だった原子力科学者たちは「想像の産物」「作り話」等と切って捨てた。「仮にこれほどの規模の事故がソ連で実際に起きたとするなら、われわれが知らないわけがないだろう」(本書)という理由からだ。マンハッタン計画で原爆を開発した米国のロスアラモス国立研究所で、水爆開発を主導したエドワード・テラー所長がメドヴェージェフにした話が興味深い。南ウラルに広範な放射能汚染地域が存在することは疑いなかったが、テラーはそれでも放射性廃棄物の爆発を認めようとせず、他の原因説を持ち出した。英国の原子力委員会議長ジョン・ヒル卿も、彼の報告を「単なる科学的ファンタジー」と決めつけた。つまり、ソ連をはじめ米英の当局も核惨事を否認し、真相を歪曲し続けたのである。そこには閉鎖都市のプルートピアをつくり上げた米ソに通底する、冷戦の壁を越えた国際版原子力ムラ、プルトニウム・インターナショナルな核コミュニティの利害や価値観が絡んでいた。

 この核コミュニティは、二〇世紀の新たな階級社会を構成した。メドヴェージェフが指摘するように、マヤークの建設作業に当たったのは収容所群島の囚人たちだった。爆発した核廃棄物貯蔵所近くのラーゲリにいた彼ら囚人たちと、軍の施設作業員が最も酷く被曝した。囚人は西シベリアのラーゲリに移送され、兵士は除染作業に従事させられた後、「国家機密保持の念書」を取られて除隊し、散り散りになった。彼らの被曝の実態は明らかにされないまま闇に消された。当初は住民にも事実が知らされず、一部は移住を強いられ、本書によれば三二カ所の村と開拓地が永久に放棄された。チェルノブイリ原発事故の風下の「埋葬の村」が、それより三〇年前に生み出されていたのである。

 マヤークと、隣接するプルトニウム製造用の軍事用原子炉からなる一大原子力コンビナートは、ソ連の原子力開発のシンボルだった。ソ連は一九四九年に原爆、五三年に水爆の実験に成功して米国の核独占を破った。それに対抗して米国は原子力の「平和利用」を提唱したが、ソ連側は自分たちこそが「平和利用」を先導していると宣伝した。ちなみにメドヴェージェフは、この軍用原子炉の「平和利用」化がチェルノブイリ原発事故の構造的原因になったことを本書で明らかにしている。そして、こうした核開発を支えたのが、ウラルのコンビナートだったのだ。その建設は四六年から始まり、プルトニウム製造・抽出を続けて拡大した。排出された放射性廃棄物は近隣のテチャ川にたれ流され、カラチャイ湖に投棄された。同湖は高濃度汚染のため、後にスメルトニキ(決死隊員)の手で埋められる。チェルノブイリで爆発した四号炉の収束作業に当たったスタルケル(ストーカー)の知られざる前任者たちである。

 ソ連政府は、国家の中の国家といわれた閉鎖都市ソコロフカの科学者と家族を特権的に優遇し、放射性廃棄物の処理よりも都市内部の暮らしを向上させする一方で、厳しく監視し、外部から隔離した。収容所群島に囲まれ、囚人が造った陸の孤島のプルートピアは先進的な社会主義のモデルとされた。ザミャーチンが一九二〇年代に小説『われら』で描いたユートピア/ディストピア、自由を捨てて幸福を得る/自由を求めて幸福を捨てる、というディコトミーの反世界が、ソ連内の汚染ゾーンでも現出したのである。ただし放射能汚染はゲートや有刺鉄線では遮断できない。その内外を自由に行き来する放射能に被曝しながら、外側の労働者や住民よりも、隔離された内側の人間が優越感や満足感で幸福になる。こうしたプルートピアが、核惨事以降のソロコフカだったのである。

 ソロコフカという符牒に代わって、オジョルスク(湖の町)という正式な地名が与えられたのは、ソ連崩壊後の一九九四年である。映画「City40」に映し出されたオジョルスクは、美しい湖に囲まれた、きわめて緑ゆたかな都市に見える。だが、湖は「死の海」「プルトニウムの湖」と呼ばれ、マヤークは軍事用原子炉の停止後も、ロシアの原発や原潜などからの放射性廃棄物の再処理・埋葬作業を続けている。オジョルスクは事実上、核の墓場と化したプルートピアなのだ。

 付言すれば、「City40」とブラウンの『プルートピア』の双方に登場する中心人物の一人で、オジョルスクの人権活動家ナジェージダ・クテポワは、政治警察のFSB(ロシア連邦保安局)に迫害され続けたのち、外部からの取材に協力したかどで産業スパイ行為と告発され、子どもたちとともにフランスへの政治亡命を余儀なくされた。FSBの仕事は「ディシデントを黙らせることで、安全保障を守ることではない」というクテポワの言葉に、かつてソ連時代、メドヴェージェフがKGB(FSBの前身)に迫害されたソヴィエト体制の現在形を聞く思いがする。

 たとえ名前を与えられても、閉鎖都市の本質は何も変わらない。『ウラルの核惨事』は、こうした核時代の歴史と現在を考えるまたとないテクストであり続けている。

(ロシア思想)

新潟県の旧巻町と柏崎刈羽地域の事例分析からポストフクイチの社会構想を展望する

――丁寧な聞き取りを重ね、住民の語りによって意思形成の背景を浮かび上がらせる
評者:新庄孝幸

 二一年前の一九九六年八月、新潟県の巻町(「平成の大合併」で現在の新潟市西蒲区)で、原発建設計画の是非を問う全国初の住民投票が行われた。結果は建設反対が六割を占め、巻町での原発建設は困難になった。住民投票の歴史に残る、原発拒否の住民の意思が示されたラディカル・デモクラシーの実践である。

 新潟県には柏崎刈羽原発がある。本書は巻町の政治過程と、韓国の全羅北道扶安郡における放射性廃棄物処理場建設計画をめぐる住民運動との比較研究に加え、柏崎刈羽地域の分析をとおしてポストフクイチ(東京電力福島第一原発事故以降)の社会構想を展望する研究である。とりわけ巻町の事例は、住民投票によって原発建設計画を白紙撤回させた一方で、行政主導の住民投票では新潟市への編入合併を選択したという、地域の自立や住民の自治意識などの点で極めて興味深い。本書は地域住民への丁寧な聞き取りを重ね、住民の語りによっその背景を浮かび上がらせる。

巻町もまた日本の地域保守政治に典型的な、地縁と血縁、会社など所属組織関連の「社縁」に拘束される、上意下達の関係で結ばれた地方だった。その選挙は「西蒲選挙」と呼ばれ、前記の「縁」を動員しての集票マシンが勝敗を決してきた。著者も指摘するとおり、こうした地域社会の日常的な関係が末端部を形成し、それが重層的に積み上がってピラミッドを構成していくのが日本の保守政治の構造だった。巻町もその例外ではなかったのである。

 巻町に貫徹された地域保守政治の強固な枠組みを結果的にずらし、住民投票を可能にしたのは、主に二つの住民層の力だったことを本書は明らかにする。一つは、地域の伝統的規範や前記のさまざまな「縁」の中で生業を営み、折り合いをつけながら、それでも自己決定をしようと模索した団塊の世代、当時四〇代の住民層である。もう一つは、従来の地域保守政治では意思決定から疎外されてきた主に三、四〇代の女性層である。女性たちは上意下達の関係や意思決定スタイルに拘束されていないために、主体性や自由意志で行動することができた。保守政治の中で自己決定を模索していった前者と異なり、女性たちにとって自己決定は当然の権利であったが、ジェンダー規範の秩序化が強固な地域では、彼女たちが意思決定の場面に登場するうえで多くの障壁が立ちはだかる。それを突破した論理に、著者は家族とりわけ子どものいのちと生活を守るという「母性にもとづく主張」があったとし、それが原発反対運動参加の正当性を担保したと見る。女性たちは従来の反原発運動とは異なる日常的な生活の延長線で、身近な問題として意思表明の場を創出していったのである。

 それはポストフクイチの脱原発の動きを先取りする可能性としてとらえ返すことができる。この女性たちの動きの出現が前者の質的革新を導き出し、両者のコラボレーションが地域保守政治の枠組みを相対化して新たな住民自治モデルをつくり上げた――本書のこの指摘に頷かされる。

 住民の質的革新は突然に登場してきたものではない。地域の団塊世代の男性層は既存秩序に対するプロテストではなく、秩序の枠を踏み外さずに後者の女性たちの質的革新をそれとすりあわせながら、漸進的に自己の意思を実現していったのである。著者は彼らの価値観や行動様式を「折り合い型政治文化」、女性たちのそれを「新しい政治文化」と呼んで、この二つのタイプが共存しながら新しい地域社会モデルを構築していったとする。巻町の住民が原発の建設を推進する保守政治と既存秩序に対し、反対多数という結果を出した背景には、こうした二つの文化のコラボレーションによって新しい住民自治のかたちが生まれ、それが政治を変える力になるという経緯があったのである。

 その一方で巻町は新潟市との合併を選んだ。「平成の大合併」は新自由主義的行財政改革の一環だが、地域社会ではさまざまなコミュニティが溶解していく現状がある。そこで注目されるのは、原発立地の地元である柏崎刈羽地域だ。他の立地地域とは大きく異なり、ここには原発推進派だけでなく反対派、中間派の住民が一堂に会して議論できる「地域の会」がある。二〇〇三年の東京電力によるトラブル隠し問題をきっかけに生まれた、住民の監視と提言の場だが、著者はこうした「場の創造」を重視し、そこに巻町での住民自治モデルとともに、ポストフクイチの地域社会が持続可能な公共圏を構築する可能性を探っている。

 政府は原発再稼働を進め、立地地域は経済や雇用面で原発との「共存共栄」を続けようとする。では、地域社会はこれからどのような公共圏を構築できるのだろうか。本書はさまざまな住民の声をもとに核と対峙する地域社会を分析した、その構築のための土台となる一書といえるだろう。

 (ノンフィクションライター)