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 ◆ 3321号(9月30日発売号掲載)

思想的提案の書

絶望の中に希望を見出そうというメッセージ
評者:塚原 史

 強烈なイメージのタイトルは誇張ではない。本書はまず最近二〇年ほどの無差別大量殺人者(集団自殺者も含む)たちの名鑑(写真入りだ)であり、つぎに彼ら(なぜか男だけだ)の犯罪の動機や背景の分析を通じて、現代社会のノーマンズランド(著者の表現ではないが、ここでは敵と味方、加害者と被害者の対立が意味を失う場面の意で用いる)に侵入する思想的提案となっている。著者のベラルディ(一九四九年生まれ)は「一九七〇年代アウトノミア運動の戦闘的活動家」(訳者)として出発し、「現代資本主義、ITと社会変容についての独自の視点からの分析で世界的に注目されている」(本書カバー)イタリア有数の現代思想家で、二〇〇八年には洞爺湖サミット反対運動に関わって来日している。評者の関心から少しだけ補足すると、彼はボードリヤールのシミュラークル論とドゥルーズ=ガタリの欲望論を結びつけているという解釈もある(ノースイースタン大学准教授マルコ・デセリス)。

 このモンスターたちのフェイスブックに登場するのは、掲載順に二〇一二年コロラド州オーロラ事件のジェームズ・ホームズ(一二人殺害、『バットマン』上映中の映画館を襲撃し本書執筆のきっかけとなった)、一九九九年コロラド州コロンバイン高校事件のエリック・ハリスとディラン・クレボルド(一三人殺害、マイケル・ムーアが映画化)、二〇〇七年ヴァージニア工科大学事件のチェ・スンヒ(三二人殺害、この事件は著者を犯人の祖国韓国へ向わせる)、二〇一一年ノルウェー連続テロ事件のアンネシュ・ブレイボーグ(七七人殺害、犯行前に反イスラムの狂信的な『ヨーロッパ独立宣言』を執筆)らであり、9・11同時多発テロ事件やパリのシャルリ・エブド襲撃事件の実行犯も含まれる。犯人の思想や人生についての著者独特の記述は、モンスターたちの人間としての生と死を直視するために重要であり本書の価値を高めるものだが、今回の書評の範囲を超えるためここでは立ち入らないから、ぜひ直接読んでいただきたい(自殺についても、著者はインドで二〇万の農民がモンサント社の遺伝子組み換え種子購入ローンの破綻で死を選んだ事実や、巨大通信企業フランステレコム社員数十人の連続自殺事件から、日本の七〇万の若者が「自殺の変異形」である引きこもりに陥っている事態まで、多くの実例をあげて「人類学的な破局の時期」の到来を警告している)。

 「ダークヒーロー」という表現には、一九七七年のデヴィッド・ボウイのシングル『ヒーローズ』への著者自身の思いが込められている。(この年には)「ヒーローたちはいなくなり、実在しないものに変身したのである。以降、人類は見せかけの電磁気だけでできた偽物のヒーローたちに騙され、イメージの際限なき増殖だけを信じ始めた」と、ベラルディは述べているが、彼の言葉はそうしたイメージの増殖の裏で、実在の(リアルな)大量殺人犯が安全と便利さを売り物にする消費社会を暗転させる「影の英雄」として多様なメディアに受容されている現実をも示唆しているだろう。この意味で、本書は「殺人鬼名鑑」の装いを越えて、著者も引用する「(将来は)誰でも一五分は世界的有名人になれるだろう」という、巨大メディアが大衆に「主役」の幻想を与えて社会を管理する時代のウォーホルによる予言(一九六八年)がITやSNSの地球規模の覇権を通じて過剰に実現し、銃器の無秩序な拡散とともにこの種の犯罪の自作自演のスペクタクル化が進行している情報化社会の状況を、生々しく反映しているのである。こうしたダークな現実が、体制の管理者側から提供されるエンターテインメント映画を通じて表現される傾向があることは意味深く、著者はミヒャエル・ハネケ『71フラグメンツ』、ゲイリー・ロス『ハンガー・ゲーム』、ジャ・ジャンクー『罪の手ざわり』、ジェフ・ニコルズ『テイク・シェルター』などを取り上げて、映画、文学、美術など「現代の美的記号は、暗い脅威のパノラマとなっている」と鋭く指摘する。

 それでは、ベラルディの思想的提案はどのようなものだろうか。著者は終章で「このおぞましい本は、始まったばかりのこの世紀の進化の感性的・意識的アスペクトである」と記して著作の「主観性」を認めながら、その目的は「社会的想像力が凍てつき、企業的想像力の結合体に従属している、この荒廃した土地の地図を描くことだ」と述べ、そのために有効な概念装置として「痙攣」に注目する。それは、「企業的想像力」を構築する情報テクノロジーの発展の加速化と、「社会的想像力」を支える身体的運動の空間の縮小の同時進行がもたらす「カオス状態から新たな秩序への移行において私たちが生きることになる極度に複雑なテンポ」の表現(巻末の著者と廣瀬純氏との対話)であり、ガタリの「カオスモーズ的痙攣(カオスから新たなリズムが生み出される過程で生じるパニック的対応)」に由来する思想だが、ベラルディは本書の末尾で「私は犯罪や自殺を扱いながら現代の痙攣を語った」と述べていた。

 ややわかり難い表現なので、ベラルディと交流のある杉村氏の次の言葉で著者の意図を補足しておこう。――「われわれを袋小路に追い詰める『絶対資本主義』(金融システムが無制限の絶対的支配力を持つシステム)の権力によって、絶望と暴力にさらされた個人的・社会的身体の究極の姿がここにある。そこからどうやって脱出するか、それこそが現在、世界的に問われている根源的な課題である」(「訳者あとがき」)。

 ここで思い出されるのは、ボードリヤールが『透きとおった悪』の冒頭に記した提言である。彼が「世界は錯乱的な状況にむかっているのだから、われわれも錯乱的なものの見方にむかわなくてはならない。極限で苦しむより、極端なことをして滅びたほうがよい」とうそぶいたのはもう二十数年前のことだったが、そんなニヒルな反語が反語として通用しなくなった現在、「(本書では)野獣を凝視しながら、正常に呼吸しようとした」というベラルディの言葉は、素直に読めば絶望の中に希望を見出そうというメッセージとして伝わってくる――「危険があるところには、救済もまた生まれる」のだから(著者によるヘルダーリンの引用)。

 (現代思想・表象文化論)

徹底的に現代アメリカと日本について語る

――わかりやすく志の高い書
評者:鈴木義昭

 異常気象を上回る異常なニュースがアメリカから連日発信されている。ドナルド・トランプの奇行とも言えるような言動が、毎日毎日、トップニュースで流されている。まさに世も末の世界が続いていると言っても過言ではない。いったい、このままいつまでトランプは、アメリカ合衆国第45代大統領を演じ続けるつもりなのだろうか。全くもって不可解な事態が続いている。だから、今になって、なぜ、このような特殊な人物が大統領になってしまったのかを分析する本は、ようやく次々に出ているが、本書のようにわかりやすくかつ志の高い書は他にはないだろう。今や戦後派ジャーナリスト最後の生き残りの感がある田原総一朗と、アメリカ社会の裏の裏までを知り尽くしたアメリカ学の巨人といわれる越智道雄が、徹底的に現代アメリカ、そして日本について語った。遡るのは、真珠湾攻撃からだ。

 田原総一朗は言う。「とにかく僕たちの世代はみんな軍国少年でしたよ。日本が敗けるなんて考えたこともなかった」田原より二歳年下の越智道雄は言う。「僕はグラマンの機銃掃射を受けた父から翌日、裏庭に呼び出されました。そこで『お父さんにもしものことがあったら、母さんを守ってくれ』と言われたんです。一人っ子だったから父がいなくなったら、僕と母だけが残されるわけですからね」。アメリカは、日本にとって真珠湾の「敵国」として始まったが、戦後民主主義を運んできた国でもある。60年安保という政治の季節を経て、日本人とアメリカ人の距離感は遠くなるように見えながら不可分の同盟国となっていった。以来、ベトナム戦争をはじめとしてアメリカが抱える問題は、すぐに日本の進路を左右する問題となった。一方で沖縄が核武装の最前線になっていたことなど、日米関係の深部について日本国民は全く知らされていないままだった。冷戦という言葉通りに、冷たく暗い戦争の淵が、日本列島のすぐ近くまで押し寄せていたのである。何を今さら北朝鮮の核ミサイルの脅威を言うのかと訝しくなるくらいだ。その意味でも、ドナルドのおしゃべりは異常である。

 トランプは、暴言をくりかえす。本書暴言集には、次のようなものが並ぶ。「アメリカは一歩引いても、日本は防衛できるだろう。日本は中国との戦争に勝ち続けてきた歴史があるんだからね」「メキシコという国は、ベストではない人々、問題があり麻薬や犯罪を持ち込む人々を送り込んでくる」「米当局が事態を把握できるまでの間、イスラム教徒をアメリカ入国禁止にすべきだ」……。まだまだあるし、日々更新されている。こんなヘイトスピーチをくりかえす米国大統領というのは、史上初めてではないだろうか。西部劇の世界ではない。信じがたいが、これが今日の合衆国プレジデントの言葉なのだ。

 田原と越智は、日米関係を洗い出す。アメリカは、どこへ行くのか。日本人にとっても大問題だからだ。それは、そもそも真珠湾攻撃は、アメリカの罠だったという議論に至る。真珠湾は、アメリカが撒いた「エサ」であり、日本が真珠湾に奇襲攻撃を仕掛ける計画はルーズベルトに筒抜けだった。アメリカは戦争を準備していたのだ、と。

 トランプが登場する背景には、ニクソンからの流れがあり、茶会派の動き、共和党内部の問題があり……。まさに、アメリカの悲鳴が聴こえる。しかし、それでもアメリカは偉大だと締めくくる。いや、二人は、そうあって欲しいと願っているのかもしれない。

 アメリカン・ニューシネマの時代に育った僕らは、キャプテン・アメリカことワイアット(ピーター・フォンダ)と、ビリーことビリー・ザ・キッド(デニス・ホッパー)の二人組が、新しい西部劇を模索して走り出した『イージーライダー』という映画を想い出す。それは、それまでの西部劇では見たことのなかったアメリカの深く暗い病んだ姿だった。トランプの時代、アメリカには、いくつもの新たな重い病が蔓延しているようである。今また、分断されてしまったアメリカ大陸を疾走するライダーに倣って、アメリカン・ニューシネマの時代のように、僕らもまた、真実のアメリカを探し出す旅に出なければならないのかもしれない。本書は、その道案内になるだろう。映画の本を多く出版するキネマ旬報社からこのような本が出たことの意味も大きい。時に、さまざまなアメリカ映画が引き合いに出される。田原が触れた牛山純一や大島渚のドキュメンタリーを見直したくなった。

 (ルポライター)

新宿っ子が綴る、〈新宿〉むかしいまの物語

――さまざまな文士、異色の酒場、音楽喫茶、映画館……。
不幸な生涯を送った女性たちへの作者の優しい視線。行間に滲み出る〈新宿〉愛
評者:志村有弘

 副題〔私の新宿物語〕の「私の」という語に作者の強い思い入れを感じる。堀江は新宿の「ごった煮のような」・「洗練されない」街、「人間臭さ」が「好きだ」という。

 新宿は堀江の生まれ故郷で、通った大学は高田馬場にあったことからコンパや映画は新宿歌舞伎町。大阪にいた二年間、里帰りすると「必ず新宿を徘徊」し、「街の佇まいに青春を偲」んでいたという。

 堀江が親しんできた〈新宿〉の歴史、とりわけ歌舞伎町の歴史が詳細を極める。堀江の父(詩人上野壮夫)や先輩たちが「哀惜を込めて語った」新宿東口駅前のハモニカ横丁が何度か登場する。堀江もまた、過ぎ去った新宿の歴史を「哀惜」を込めて綴っている。タイトルに「センチメンタル・ジャーニー」と、執筆意図が感傷的な青春回顧の旅であることを示してもいる。

 新宿の歴史の中からおりおりの物語を抽出し、その中に自分が直接見た〈新宿〉物語を綴る。堀江は「北新宿のマンション」に住み、そこからも新宿の町を眺めてきた。目前に人工の美と競いあうかのような自然の美が現出する。とはいえ、人工の美と自然の美とが織り成す光景のみを伝えようとしているのではない。女性たちが地位向上と母性・児童保護に苦闘してきた場所、淀橋浄水場建設、関東大震災の被害者が避難した淀橋……などに鋭い視線を注いでいる。戦後、青梅街道やガード脇でアコーディオンを弾いていた傷痍軍人の姿も伝えている。

 ところで、堀江の両親が住んでいた向かい側に林芙美子が住んでいた。林の家の隣には大泉黒石も住んでいたと思う。拷問・殺害された小林多喜二の遺体が戻ってくると聞いて、堀江の両親は急ぎ駆けつけたのだが、多喜二の遺体にとりすがっていた女性と堀江の母は交流があり、多喜二と交流のあった若林つやとは堀江自身も交流があった。そういえば、堀江は『白き薔薇よ――若林つやの生涯』と題する本も書いている。

 上野壮夫が「人物評論」に掲載した尾崎一雄の「暢気眼鏡」が芥川賞を受賞した話、堀江の母が多喜二の遺骸の幻影にうなされ続ける話もある。「落合文士村はプロレタリアートの集う場所」で「野心に富んだ文学青年たちの梁山泊」、「目白文化村が功成り名遂げた人の居所」という把握も見事だ。

 古代からの新宿の歴史が記され、江戸期の内藤新宿の叙述が詳細である。内藤新宿の飯盛女を弔った成覚寺。不幸な生涯を閉じた女性たちへの優しい眼。それが〈作家堀江朋子〉を支える根本精神である。だから、旭町を拠点に戦災母子や戦災孤児に愛の手を差し差しのべた徳永恕、「フェミニズム運動の嚆矢」矢嶋楫子、社会貢献に力を注いだ相馬黒光らに心惹かれるのであろう。尾張屋銀行を創立した峯島喜代の激しい人物像も面白い。新宿に誕生した学校の沿革についてもよく調べており、堀江の視点は女子教育にあるようだ。

 本書は新宿文士村を綴っている印象も強い。また、芥川龍之介の「羅生門」に登場する老婆が新宿の太宗寺・正受院に祀られている脱衣婆と重なるという指摘も面白い。

 堀江が親しんだ音楽・映画・喫茶店について記され、酒場「みち草」や草野心平の「火の車」、「ナルシス」の記述も詳しい。その意味で本書を新宿の〈文化・風俗史〉として読むこともでき、索引があれば立派な新宿事典である。

 檀一雄や亀井勝一郎を「優しい人」と述べた、堀江の母の言葉も心に残る。作中、詩誌「詩の座」に掲載された上野壮夫の詩「美しき国ありて」は焦土に立った悲しみとは別に、上野が美しい浪漫精神を持つ詩人であったことを認識させる。本書にさりげなく解き込まれている田山花袋・萩原朔太郎・浅見淵・佐多稲子らの作品。行間に滲み出る作者の〈新宿〉愛。次々と示される酒場列伝(?)は圧巻。末尾に柏木地区に住んでいた社会主義者のこともよく調べている。内容の詳細、緻密さに舌を巻く。貴重な新宿文人・文化物語が完成した。

 (相模女子大学名誉教授)