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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

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 ◆ 3322号(10月7日発売号掲載)

「無階級社会」の神話が社会をいっそう階級化する

いかなる条件が日英両国の政治文化の現在を分岐させているのか
評者:片岡大右

 「サッチャーさん」と日本

 メリル・ストリープ主演の伝記映画の日本公開を控えたある冬の日の昼下がり、丸ノ内線本郷三丁目駅前のカフェに入ってきた若い男女は、卓上に置かれた教科書からすると法学部生らしかった。「サッチャーさんって日本ではいいイメージじゃない?」女子学生はそう確認し、続ける――「でもイギリスでは、サッチャー改革のせいで格差が拡大したとか、そういう言い方もされちゃうみたいなんだ。……それから、フォークランド戦争っていうのがあって……」「ポーク?」「フォ! フォークランド。アルゼンチンと戦争して、それで人気を回復して……」。ひとしきり語った彼女が英国の女性政治家のうちに見ているものを、男子学生はひとことで要約する――「憧れなんだ」「うん、誰も決められないならわたしが決めるって……。サッチャーさんには憧れるな」。

 当時の日記的覚え書きからこの会話を掘り起こしてきたのは、膝の上で互いの手を重ね、親密そうに肩をぶつけあいながら「鉄の女」について語りあっていた二人のその後に思いを馳せるためではない。二〇一二年初めにはいまだ、マーガレット・サッチャーについての否定的イメージはわたしたちの国の文化的常識に組み込まれておらず、それゆえエスタブリッシュメント予備軍のひとりの若い野心家にとって、親しい学友に是非とも伝授すべきとっておきの知識たりえたのだという歴史的事実を、ここで共有しておきたいのである。この保守党の政治家の統治が英国社会に残した傷跡の深さといった程度の事柄が、さほど知られていない外国の実情のカテゴリーに属し続けるようではやはり困るだろう。そして、以後五年八か月ほどの月日が事態を根本的に改善させたとはおそらくいえないのだから、この観点からするなら、オーウェン・ジョーンズ『チャヴ』(原著二〇一一年)の日本語訳刊行が、一九八〇年代に英国の社会的風景を一変させたサッチャーの黒い業績に立ち返る数々の試みのうち最も強力なもののひとつの出現として、大きな意義を持っていることは間違いあるまい。

 『NO LOGO』から『チャヴ』へ

 しかし本書の意義はそれに尽きるものではない。労働党の政権復帰を見た一九九〇年代以降の経験の意味を問い直し、保守党。と「ニュー・レイバー」の政策的収斂とそれを支えたレトリック上の戦略を跡づけつつ、一九八四年生まれの英国のコラムニストは――カミング・アウトしたLGBT当事者でありながら――「新しい階級政治」を展望する。「女性やゲイや民族的マイノリティの解放を目指す諸々の闘争は、もちろんこのうえなく重要な大義である」けれども、そのためになされる「進歩的立法」が、「労働者階級を政治の領域で脇に追いやることと好都合に共存してきた課題」だという事実を忘れてはならないというのだ。じっさいそうした取り組みこそが、「ニュー・レイバーに、サッチャー式の政策を推進しつつもラディカルな一面を保つことを可能にさせ」たのだった(結論)。

 この点で、二〇一一年に刊行されるや国際的反響を得たジョーンズの『チャヴ』は、ナオミ・クラインの一九九九年の著作『NO LOGO』の問題提起をはるかに引き継ぐものといいうる。刊行当時やはり二〇代後半だったカナダのジャーナリストを一躍時の人とした同書において、一九九〇年代前半の学生時代を「ID闘士」として過ごした著者は、そのわずか数年後に新たな状況の訪れを認識するに至った次第を印象的に証言する。多国籍大企業はジェンダーや人種をめぐる多様性をブランド戦略に組み込む一方、地球規模の産業構造の再編を通して経済的次元の不平等を深刻化させつつあったのである――「アイデンティティ政治の数々の勝利は結局、家が燃え落ちようとするそのときに家具の配置換えをするようなものだった」。往年の喜多嶋隆の作品を思わせる『ブランドなんか、いらない』という訳題のせいなのか、初版、新版とも三千円台後半という価格設定のせいなのか、「家父長制(patriarchy)」を「愛国主義(patriotism)」と取り違え、キャンパスにおける「better lighting」の要求を「大学でより正しい認識を求めて戦い」、云々と訳す――夜間のレイプ対策という文脈がわからなかったのだ――といったところに典型的な翻訳の質のせいなのか、ともあれ、『ショック・ドクトリン』と『これがすべてを変える』の著者に最初の名声をもたらしたこの第一作は日本では――そもそも品切れ状態であり――、新書サイズの廉価版を通して現代の古典のように読まれている欧米諸国の状況とはほど遠い無関心のうちに沈み込んでいる。オーウェン・ジョーンズ――トランプ批判の緊急出版『ノーでは不十分』(二〇一七年六月)を受けてクラインにインタヴューするに際し、彼女を「ぼくの個人的なヒーロー」と呼び、「十代の頃、圧倒的なインパクトを受けた」として『NO LOGO』からの影響を公言する――のデビュー作は、それゆえ、対抗グローバリゼーションと反新自由主義の基本図書との――そして幾分かは、アクチュアリティを失ったとは到底いえないこの主題そのものとの――出会い損ねを挽回するための貴重な機会を提供すべく、今、日本語世界の読書人に差し出されているということもできよう。

 「階級戦士」集団としての保守党

 ところで「チャヴ」とは何か。ジョーンズはこの語のたどった運命を、『ガーディアン』紙からの引用によって説明する――「「チャヴ」という言葉が人びとの想像力をとらえたのは、それが何やら突拍子もないイメージを伝えるものに思えたからなのかもしれないけれど――「そんじょそこらのクズじゃない、バーバリーを着たクズなんだ!」というわけだ――、今ではこの語は多くの要素を含むようになり、「プロール」やその他の、「貧しい、ゆえに価値なし」を意味する言葉の同義語になった」(はじめに)。ストリートの若者たちの新たな流行――英国を代表するこの高級ブランドのアイテムを好んで身につけるという――に対する奇異の眼差しから生まれた「チャヴ」の一語は、こうしていつしか労働者階級の「悪魔化」(訳書ではほぼ一貫して「敵視」)の手段へと転じる。悪魔化のプロセスにより、労働者階級の人びとは社会のうちに正当な場を持つことのない存在とされ、階級構成の外部に転落した「アンダークラス」(訳書では「下流階級」)となる。そしてチャヴに対するバッシングは、「サッチャー主義が開始しニュー・レイバーが確立させた」労働者階級に対する攻撃の帰結なのだとジョーンズはいう(四章)。

 保守党は元来「ひとつの国民」を唱え、労働党が依拠する階級意識を退けてきた。といっても社会階級の存在を否定していたのではない。必要なのは、それを感じさせないことだ。ジョーンズが引く一九七六年の同党の文書は、そのことをはっきりと定式化している――「国民の一体性を脅かすのは階級の存在ではなく、階級感情の存在だ」。七九年に首相となったサッチャーはこの方向性を徹底させ、製造業と労働組合の解体という紛れもない「階級戦争」を遂行しつつも、社会的議論から「階級」の一語を追放するとともに「社会」の概念そのものさえも退けて、諸個人(と家族)からなる漠たる集合をそれに取って替えようとした。実のところ、二十一世紀の現在でも保守党の政治家たちは、非公開の席では率直に、自らの党の階級的性格を語る。学生時代にある内輪の講演会に顔を出したジョーンズは、保守党を「特権諸集団の連合」として定義する同党穏健派議員のオフレコ発言のうちに、「『ソーシャリスト・ワーカー』〔トロツキスト小政党の機関紙〕の紙面に出ていてもおかしくないような分析」を認めている。しかし法人税を下げる一方で逆進性の高い付加価値税(日本でいう消費税)を上げ、「富裕層にとってのこの世の春」を現出させる彼ら「階級戦士」たちは、公には決して、自らの政治勢力の本質をあらわに示すことがないのである(二章)。

 ニュー・レイバーによる労働者階級の否認

 この二重性は、敵対する政治勢力にも継承されるに至った。「富裕層の階級政治の代弁者たちが、トニー・ブレアのニュー・レイバーの大部分を支配している」(結論)。そしてその一方で、労働党は「無階級社会」としての英国という保守党の神話をも共有して、「われわれはみな中流階級だ」と断言する。意欲ある人びとが個人的努力によって中流階級へと上昇した結果、質素ながらも自分の稼ぎで生きる「尊敬すべき労働者階級」は消滅してしまった。残されたのは、意欲を欠き、仕事もなく福祉の世話になって生きるアンダークラスでしかない、というわけだ。もちろんジョーンズはこのような見方に反対し、社会学者ロバート・マクドナルドの言葉を引いて、アンダークラスなるものは存在しないこと、「アンダークラスの典型とされている人びとの状況を記述するには、それよりもよい、もっと正確で事実に即した言葉と理論を使うことができるし、そうしなければならない」ことを確認している。マクドナルドによれば、それは例えば「経済的周縁化のプロセス」と呼ぶことができる。安定した雇用の減少が脆弱な雇用環境へと人びとを追いやっていくのであって、問題は就労を忌避する「福祉依存の文化」にあるのではないのだ(七章)。

 しかし――ブラウン内閣の元大臣ヘイゼル・ブリアーズによると――労働党は、サッチャーの労組攻撃が世論のもとで成功を収めたのを受けて、「自分たちが信頼に値するということを証明しようと断固として決意した」のだった。それはすなわち、同党が「極端で敵対的な政党、まったく分断志向の政党」ではないのだと証明するということだ。こうして労働党は、妬みをかき立て階級憎悪を煽り立てることで社会を分断させようとしているとの保守派からの非難に応えるべく、現に存在する分断を隠蔽して無階級社会の神話構築に加担したのである。じっさいには労働者階級以外の何物でもないはずの人びとが、それゆえ社会の内部に「尊敬すべき」場所を持たない最下層の存在として徹底して悪魔化されることとなった。「悲劇は、今日労働者階級を照らしている否定的な光に関し、ニュー・レイバーが大いに責任を持っているということだ」(三章)。

 悪魔化と社会的排除論の補完性

 そうはいっても、全面的な社会解体を望まないのであれば、これらの人びとの貧困を前にして、何もしないわけにはいかない。もう少し穏当な論理と修辞の要請から生まれたのが「社会的排除」の理論だ。なるほど、この理論にあっては、あからさまな悪魔化は退けられる。しかし労働社会の脆弱化のなかを生きる人びとはそこで、自らの境遇に責任を負っている者として理解される。「「排除」とは、社会によって排除されているということではなく、自分自身の行為によって排除されているということを意味すべきもの」なのである。「この語は本質的に、「アンダークラス」を語るための幾分か蔑視的なところの少ない手段であって、社会から切り離されてしまった一群の人びとを意味するというのは変わらない。そこにはチャヴ現象についてのニュー・レイバー流の解釈がある。機能不全を起こして排除された集団が底辺に存在し、残りのわれわれは幸せ、というわけである」(同)。貧困や失業は、こうして、「資本主義内部の欠陥に由来する不正義」として理解されることをやめ、「個人の振舞いと欠陥、さらには選択」の結果として理解されるようになった(はじめに)。そこから生まれる貧困対策は、例えば税額控除のようなものとなるが、それは国家の助成による劣悪な労働条件の温存に道を開くことで、かえって社会的不平等を固定化し深刻化しかねない(七章)。

 「社会主義が帰ってきた」

 「階級によって深く分断されている社会」(はじめに)の現実を見定め、労働者階級――典型的な形象が炭鉱労働者からコールセンターのオペレーターに変わったとはいえ(五章)、この階級は今なお、紛れもなく存在している――の集団的力の再建を展望するからといって、本書の意図は決して、「中流階級を悪魔化すること」にあるのではないとジョーンズはいう。じっさい――原著のキンドル版で最も多くハイライトされた箇所のひとつでありながらなぜか訳されていない一節を引くなら――「わたしたちはみな、自分の階級の囚われびとである。しかしだからといって、階級的偏見の囚われびとたるべく強いられているわけではない」(はじめに)。問題は、「「わたしたちはみな、一緒にここにいる」という虚構」(二〇一二年版序文)を退けたうえで、階級間の力関係を組み替え、社会構築をめぐる「新しいコンセンサス」を打ち立てることだ。

 この最後の言葉は『チャヴ』には見られず、二〇一七年の労働党大会(九月二四日~二七日)の熱気を伝える最新の記事から取ってきたものだ。ジョーンズはそこで、この「コンセンサス」の語を用いて第二次大戦後の英国社会の変容をたどり直している。終戦直後にアトリー労働党政権が、そして一九八〇年代にサッチャー保守党政権が、それぞれのコンセンサスを打ち立てた。以後、ニュー・レイバーによるサッチャー主義との妥協、政権復帰した保守党による過酷な緊縮財政を経て、ジェレミー・コービンの労働党はようやく「新しいコンセンサス」を約束しえたように見える――これが、英国の野党第一党の周辺を代表する知識人のひとりとしての彼の診断だ。「古い秩序は崩壊に向かっている。それを示す徴候はいたるところにある」(『ガーディアン』二〇一七年九月二七日)。こうして彼は、同日のフェイスブックで威勢よく宣言する――「Socialism is back,baby.」日本の選挙民主主義における二〇一七年九月二七日は、「All for All」の名のもとにニュー・レイバー風の階級政治を模索しつつあった野党第一党が、突如として結成された「寛容な改革保守政党」にあっけなく吸収されてしまった日だ。大枠でいえば新自由主義段階の資本主義という同じシステムのもとにありながら、いかなる条件が両国の政治文化の現在をこのように分岐させているのか。オーウェン・ジョーンズ『チャヴ』の導入は、日本の読書人をこの切実な問いに直面させずにはいない。

 (東京大学研究員)

〈狂気〉をどう語るのか?

ダダイスト新吉再び
評者:大川内夏樹

 昨年は、ダダ一〇〇周年を記念して、世界中でダダに関するイベントや刊行物が相次いだが、本書は日本のダダイスト詩人・高橋新吉の短篇小説集である。新吉の詩が、今でも比較的よく読まれているのに対し、小説、特に短篇小説の場合は、それほど多くの読者に恵まれているとはいい難い。その一因としては、編者・松田正貴氏が、「解説」で指摘するように、「新吉が戦前に書いた短篇小説のいくつかは、いわゆる文芸誌に発表されたものではなく、『相対』『変態心理』『脳』といった性科学や精神医学の専門誌に投稿されたもの」であり、その中には「『高橋新吉全集』(青土社)未収録のものも多い」ことが挙げられる。このような新吉の短篇小説から「選りすぐりの名作十二篇、加えてダダの時代を彷彿させる詩が二篇」(「編者あとがき」)収録された本書の刊行は、そうした状況に一石を投じることになるだろう。

 本書に関して、まず注目すべきは、新吉の希望により全集には収録されなかった「桔梗」が収められている点だ。「桔梗」は、杉田直樹や斎藤茂吉が編集同人として名を連ね、精神衛生学会から発行された雑誌『脳』の一九二八年六・七・九・一〇月号に連載された短篇小説である(のち『狂人』〔学而書院、一九三六年〕に収録)。新吉は、一九二二年に、タクシーの運転手に対して突然暴行を加えようとするという〈発狂〉騒ぎを起こし、一九二八年には、正眼寺で坐禅を習った折の接心中に再び〈発狂〉している。新吉は、この二度目の〈発狂〉後、郷里・愛媛で数年間の療養生活を送っているが、その間の動向については不明な点も多かった。だが、松田氏の「解説」によると、新吉は、「桔梗」以外にも、「一九二八年一月から一九三四年五月頃まで」、『脳』に「数多くの創作を寄稿しており」、「この数年間は決して空白状態などではな」く、「「面白い『脳』的創作」を求める編集者の要望に応えながら、「狂気」を物語りつづけていた」という。さらに松田氏は、新吉が「のちにそれらを纏めて『狂人』という長篇小説に仕立てなおした」ことを指摘しているが、つまり長篇小説『狂人』が、〈発狂〉から時間的に一定の距離を置いた地点でその体験を再編したものだとするならば、「桔梗」等の『脳』掲載の短篇小説群は、まさに〈発狂〉体験そのものの中から生み出された作品であるということだ。本書には、この「桔梗」をはじめとして、新吉が自らの〈狂気〉について語った小説が多数収録されている。〈狂気〉というテーマが、高橋新吉という一人の表現者について論じる上でも、また広くはダダを含むアヴァンギャルド/モダニズム全般について考える上でも欠かせないものであることは言うまでもないが、本書は、この〈狂気〉の問題にアプローチするための新たな手がかりを与えてくれるだろう。

 本書のもう一つの大きな魅力は、編者・松田氏による三本の「解説」だ。これらの「解説」は、それぞれ「高橋がダダ新吉になる瞬間」、「狂気をどう語るのか」、「いま高橋新吉をどう読むか」と題されており、新吉の作品に異なる角度から光を当てている。とりわけ、最もボリュームのある「いま高橋新吉をどう読むか」は、「一九三〇年代以降」の新吉の「足跡」を追い、この〈戦争〉の時代を覆う「マクロな狂気」の中で、新吉が何を書き、またどう振る舞ったのかを詳細に論じていて興味深い。また本書では、「散文も詩も解説も年譜もあえてモンタージュ」(本書の栞『共和国急使』による)するという編集スタイルがとられているが、その結果、読者は松田氏の「解説」から収録作品の背景にある〈発狂〉事件等に関する知見を得つつ、小説を読み進めることができるようになっている。

 では最後に、本書収録の小説を読み、強い印象を受けた点について記しておきたい。新吉が自身の〈発狂〉体験を材料として書いた小説では、警察や家族によって監禁されている〈狂人〉が、そこからの脱出を試みる場面が繰り返し描かれている。「桔梗」から一つ例を引こう。「私は国の警察に留置されている時、一度其の留置場の錠前を破壊して飛び出した。すると巡査達が五六人でよってたかって頭から袋をかぶせたりして私を又元の留置場の中へ入れた。錠前を私は井戸の中へ放り込んだのであった」。この他にも、「留置場」の「金網」を「手でほどいて大きな穴を開け」る、「巡査の顔に糞を打っ突け」る、「巡査のメガネや万年筆を取」る等、その脱走と抵抗の手口は枚挙に暇がない。いま私たちの生きる社会は、再び「マクロな狂気」に覆われようとしている。だが、ここで絶望してしまうわけにはいかない。いま必要なことは、新吉の小説が描く〈狂人〉のように次々と新たな手口を発明し、自らの自由のために、目の前を覆う「マクロな狂気」に〈穴〉をあけることだろう。

 (日本近代文学)

無関心から差別がはじまる

ひとりの医師が生涯をかけて取り組んだ病を通じ、
日本という国の歩んできた一世紀が思い浮かぶ不思議な本
評者:増田幸弘

 不思議な本である。ひとりの医師が生涯をかけて取り組んだ病を通じ、日本という国の歩んできた一世紀が思い浮かぶのだ。

  著者の成田稔は一九二七年に生まれた。一九五五年から九三年まで東京・東村山にある多摩全生園に医師として勤務し、九〇歳になる今日まで、ハンセン病を見つめてきた。かつては「らい」と呼ばれて怖れられ、全国一三カ所にある国立療養所に収容された。患者はみなそこに隔離されるのが、「らい予防法」(一九五三年施行、一九九六年廃止)で定められていた。入ったら最後、出ることについての規定はなかった。

 昨二〇一六年、ぼくは日本滞在時、先生とハンセン病の元患者を取材した。そのときはじめて全生園の中に入った。すぐ近くに親戚が住んでいて、幼いころから、そう五〇年近く前から、その存在を知っていた。「近づいてはいけない」ときつく言われ、大人たちに「らい」について聞かされた。いつしか「ハンセン病」と名前が変わったが、同じ病気であるはずなのに、どうしたわけか、ちがうものに思えていた。

 「らいとハンセン病は、医学的にはまったく同じ病気です。しかし、社会学的にはちがいます。ハンセン病が確実に治り、共生できるのに対し、らいは一生隔離せざるを得ない、不治の病でした」

  ぼくの疑問に対し、先生は言葉を選びながら説明した。そのとき本を書いていると言っていたが、それが本書になる。「異常な現場で働いている認識はさらさらなかった」との自己批判が、本書の根底に流れる。それを踏まえ、「戒め」という強い言葉が繰り返し出てくる。

 二〇〇五年あたりから日本で新たにハンセン病に罹る人はほぼゼロになった。ほぼというのは外国で感染する人がいるからである。もちろん医学の進歩で、完治可能になったのもある。しかし、それ以上に「明るく平和で、私たち一人ひとりの生き方が大切にされ、健やかに人なみに生活ができようになった結果」だと成田は指摘し、それを可能にしたのが日本国憲法だと看破する。第九条「戦争放棄」であり、第一三条「個人の尊重」であり、第二五条「生存権」である。それを国民自身がひたすら努力し、堅持したからこそ克服できたのだ。

 「もしひとたび戦争がまた起きれば、ふたたびハンセン病は流行るでしょう」

 先生が取材で預言するかのように口にしたのを思い出す。憲法を「みっともない」とし、国民を指して「こんな人たち」と語気を強め、改憲を迫る政治家への違和感を、ずっと抱いてきた。それがなぜかぼんやりしていたが、成田の綴る言葉を通じ、カミュのペストのように、ハンセン病がその理由を明らかにしているように思えてならない。国の強硬な姿勢は、戦後を築いてきたすべての人への冒涜なのだ。

 成田は「『どうあっても人は人』『私も同じ人』という倫理と共存の理念」を揺るがしたのが、日本のらい対策であったと指摘する。病は病であって、人そのものでないのに、「病人」「障害者」などとしてしまうところに、日本特有の意識が生まれる。そして、「自分はそのような病気になるはずがないという無関心」から、差別がはじまる。意識の深層にあるものが、言葉に露呈しているのだ。

 巻末に成田がいま館長をつとめる国立ハンセン病資料館に展示される写真が並ぶ。「『わが身』に置き換えてほしい」と迫るものの、それでわかったつもりになるのは問題だともする。

 「ハンセン病について一般の人々のもつ知識は、極めて乏しいといってよく、そこを補いたいと思うほどの関心もないまま何かのきっかけがあると、無知をよそに感情(特に忌避感)剥き出しの反応を示す」

 まったく同じことが、いまの日本ではありとあらゆるところで起きている。それは「これまでの在り来たりの社会啓発」では、「わかっていてわからない」からだと成田は諭す。迫り来る危機の分岐点に立ちすくみながら、本書に綴られる老医師の言葉を手がかりに、いましばらく時代を見つめ、問い直してみたい。

 (フリー記者、在スロヴァキア)