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 ◆ 3323号(10月14日発売号掲載)

「運命」としての光源氏

現代語訳をどの“程度”わかりやすいものにするか
角田光代氏インタビュー

 ■2014年11月に河出書房新社が刊行を開始した「池澤夏樹=個人編集日本文学全集」(全30巻)。そして、このたび池澤版日本文学全集の最後を飾る、角田光代氏による新訳『源氏物語上』が刊行された。これまでも多くの作家・研究者が訳してきた『源氏物語』について、訳者はどのように向き合ってきたのか。全3巻からなる『源氏物語』の第1巻目の刊行を記念して、訳者の角田光代氏に話をうかがった。(9月4日、東京・神田神保町にて。聞き手・村田優〔本紙編集〕)

 ■物語を前面に押し出す

 ――六月末に河出書房新社で行われた新企画説明会で、角田さんは『源氏物語』について「何の思い入れもなかった」と語っていました。しかし、これまでの人生、作家生活において『源氏物語』にまったく触れなかったというわけではないと思います。たとえば、学校の授業では必ずと言っていいほど源氏を読まされますよね。角田さんはその『源氏物語』について、作家になる前でもよいのですが、これまでどのような文学として位置づけていたか、まずはそのあたりをお聞きしたいと思います。

 角田 高校の授業でやる『源氏物語』はやはり勉強という側面が非常に強くなると思います。私自身は学校の国語の授業がとても好きで、古典もそうでした。ただ、私は『源氏物語』よりも『方丈記』などのほうが自分の気持ちにしっくりくるところがあり、当時『源氏物語』の印象は本当になにもないんですよね。なぜなんとも思わないかすらも考えませんでした。

 今から何年か前に新潮社で『ナイン・ストーリーズ・オブ・ゲンジ』(二〇〇八年)という、九人の作家で『源氏物語』を自由にフィーチャーする企画がありました。私もそれに関わったのですが、そのときは『源氏物語』を嫌な物語というか、男尊女卑の最たるもの、女性が男性に屈するものとして描かれている世界、などといったネガティブなイメージしかありませんでした。実のところ、この新潮社の企画に至るまで、なんの印象も持っていなかったのですが。

 ――ただ、このたびは角田さんも尊敬している池澤夏樹さんの指名もあって、『源氏物語』の新訳に取り組むことになりました。その際に「読みやすさを第一に考えようと思った」とも語っていますが、実際に角田さんは具体的にどのようなことを意識して『源氏物語』と向き合いましたか。

 角田 一番意識したのは、物語において一体なにが起きているか、それがはっきりわかるようにしたところです。つまり、一つ一つの言葉や状況、あるいは当時の文化、習慣などの説明よりも、ストーリーテリングとしての物語を前面に押し出せるように意識しました。

 ――『源氏物語』について、主語が省略されていたり文章の長さにそれぞれ違いがあったりすることが多いと思いますが、なにか角田さんのほうでその都度文章を作り直したりはしましたか。ストーリーを重視するということで、訳文のほうも多少わかりやすいものに変わっていったかもしれません。

 角田 実は私の訳は単語や文脈といった側面では原文にできる限り忠実にしています。他の現代語訳と私の訳の大きな違いとして、地の文から敬語を排したところです。敬語において関係性を表すということはやっていません。そういった関係性の面白さよりも、やはり話を前に進めることを重点に置きました。質問にあった訳文の長短については、自分から文章を長くすることはありませんでしたが、原文が長めの箇所はところどころ短くしながら主語を補っていきました。

 ――訳していくなかで、特に苦労した部分などはありますか。

 角田 訳していて一番難しかったのは、特定の場面というよりも、私自身が『源氏物語』そのものに思い入れがないことです。だから、どこを立ち位置として訳せばいいかわかりませんでした。『源氏物語』を愛する人たちはみんなそれぞれ愛するポイントがあると思いますが、私には本当になんにもない。訳すにあたってこうしたい、ここをわかってほしい、といったこともない。まずはなにをやればいいのか、それがわかりませんでしたね。

 そのため大変だったのは、具体的な箇所というよりも全体的にどの“程度”わかりやすいものにするか、というところですね。読みやすい、わかりやすい訳を心掛けたと言っても、たとえば現代の「やばい」とか「超○○」まで使うのか、あるいはカタカナも織り交ぜるのか、といったような“程度”の問題がありますよね。どこまで今の言葉に近づけるのか、その“程度”を決めるのが一番難しかったし、訳していて常に迷いがありました。訳文の正確さとわかりやすさの幅というのが、今でもとても悩んでいます。

 ――角田さんの訳文は他の現代語訳と比べるとまるで現代小説のような、語りに対して親しみやすさがありました。これまでの作家や研究者がかなり凝った文体で訳しているなかで、角田さんの文章はある意味で異色です。これは逆に『源氏物語』に思い入れがなかったからこそ生まれたものと言えるのではないでしょうか。

 角田 たしかに言葉の正確さや敬語による身分の違い、あるいは食生活でも服装でも結婚の生態でもいいですが、この物語についてなにか知りたいと思えば、別に私がやらなくてもすでにすべてが出揃っていますよね。だから、それぞれが興味のあるところに行けばいいじゃないか、みたいな気楽さはありました。私に細かい正確さを求めるのは違う、という意識は、訳すにあたってのプレッシャーがある程度なかったから持てたとも言えるかもしれません。

 ――先ほど出ました、訳すにあたっての悩みや意識の話ともつながってくると思いますが、読者のなかにはわかりやすさを求める人がいる一方で、やはり原文に忠実に訳してほしいといった正確さを求めている人たちもいます。専門的な知識とのバランスも保たなくてはならないところがどうしても出てくる。

 角田 そうですね。ただごくふつうに考えて、正確さを求めている読者は私の訳本は手に取らないのではないでしょうか。研究者による訳本もたくさんありますから。そのことについては、なぜ私という作家に依頼したのかということを幾度も考え、それは「原文に忠実」な正確さとは違うものを求められているはずだという結論を出しました。今回の訳文では本書の解題も書いています東京大学教授の藤原克己先生に全面的に見てもらっているんですけれど、やはり藤原先生も作家が訳すということで、訳文の正確さよりもなにか別のことに重きを置いているということをわかってくださっていて、すごく丁寧に見てくれました。だから、ちょっとした訳の間違いがあっても大目に見てくれているところはあると思います。ただ、やはり藤原先生は研究者ですので、どうしてもこれは違うということはあると思うんですね。そういうところは手を入れてくださっています。

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日本は世界の舞踏を知るべきだ

舞踏を「身振り」から分析し、「型」でない舞踏の本質と海外の理解に迫る
評者:志賀信夫

 本書の原題は『フランスにおける舞踏――欲望と誤解』、フランスでの舞踏の受容ということである。だが日本で舞踏は知られていない。舞踊と舞踏という言葉が長く混交されてきたこともあり、日本人の大半は、土方巽と大野一雄が創り出し、世界で公演されている「舞踏」を知らない。

 一九五九年に『禁色』で始まった舞踏は、いまや世界各地で舞踏フェスティバルまで開催され、一番熱心なのがフランスだ。だが、「欲望と誤解」とはどういうことか。欲望とはエキゾチズムも含めて「舞踏」を求めた強い欲望、誤解の一例は、白塗りで動く姿を原爆被害者と結びつけてとらえる眼差しだ。来日した外国人から「舞踏と原爆の関係」を尋ねられるが、土方巽、大野一雄いずれも原爆を語りも示してもいない。

 本書で注目すべきことの一つは、フランスの舞踏に対する批評には、それまでの批評と異なり描写が多いということだ。舞踏家の動きや表情、姿などを細かく描写する。例えば次のようなものだ。

 「影と皺に刻まれた、白い顔。黒い瞳。青く塗られた瞼。(中略)広げられた両手、時を超越するかのようなゆっくりしたごくわずかな身振り。とぎれとぎれの跳躍。大野一雄は踊る、彼のダンスは単なる体の動きではない。それは一呼吸、心臓の鼓動の素描である」

 そして、「理解不能」だから描写せざるを得ないと述べる。そうなのだ。舞踏はわからない。大野一雄の『ラ・アルヘンチーナ頌』を一九七七年に見たときに、なぜか涙を流していた。同じ体験をした人も多い。しかしその「感動」がどうしてなのかわからない。フランスの「熱狂」した批評家たちも表現するには描写するしかなかった。定式化された言説で表現できない。バレエのように型があれば「あのパが」などといえるのだが、舞踏には「型」がない。

 そして本書が重要なのは、舞踏の「動き」を論じている点だ。体の動きを「身振り」として分析し、どういうものかを詳細に研究している。身振りの分析によって舞踏を解明しようと試みているのだ。土方巽の「体が動けば心はついてくる」に対し、大野一雄は「心が先だ」と言い、舞踏に精神性を見いだす人も多い。この精神性を述べるのは難しいが、外国人が知るにはさらに壁がある。その意味でも土方の言う「体」の「身振り」を分析することは重要であり、その困難な身振りの分析に挑戦したことは刺激的だ。また踊り手にとっても、身振りの分析を知ることは、自分の踊りがどう受けとめられるかを知ることである。つまりそれは自分が「どう踊るか」にもつながるのだ。

 本書が「受容」を述べる大きな目的は、舞踏とフランスのコンテンポラリーダンスとの関係である。日本と同様に六〇年代に米国のモダンダンスに影響を受けて、ヌーヴェル・ダンスからコンテンポラリーへと展開したフランスに、舞踏がどう関わったかは重要な問題であり、その論述もとても興味深い。ただ、舞踏にドイツ表現主義舞踊の影響を見いだすという点は、どうだろうか。

 土方巽、大野一雄ともにその時代にドイツに学んだ舞踊家たちを師とし、大野はクロイツベルクの踊りも見ている。だが二人は、同じ師に学んだ日本のモダンダンスの舞踊家たちとはまったく異なる踊りを創造した。また著者の述べるように、表現主義が内的な感情表現というならば、舞踏は感情の表現自体を排除している。大野自身は、ピナ・バウシュに同じドイツ表現主義の影響下にあると親近感を感じ、ヴィグマンの弟子パルッカのスタジオを訪れてもいる。だがムンクの「叫び」に似て表現主義だという論述もそぐわず、表現主義舞踊の継承者の日本公演を何度か見たが、舞踏との類似性はまず感じられない。むしろ類似しているのは日本のモダンダンスだ。日本のモダンダンスにはまずドイツの影響があり、次に米国に影響を受けた。舞踏はそれらに対する反(アンチ)でもあるゆえにこそ、世界でも認められたのではないだろうか。

 舞踏家たちのフランスでの活動年表はとても興味深い。日本公演の少ないフランス在住の舞踏家、詳細がわからない舞踏家、日本では舞踏家としては認識されていない人なども並んでいる。私たちはもっと世界の舞踏について知るべきだ。日本で舞踏を学ぶ外国人は毎年数十人以上、海外でも各地でワークショップが開催され、舞踏家を名乗る外国人も増えている。舞踏が海外に伝わってほぼ四〇年なのだから、グレイシー柔術のようなものが生まれてもおかしくない。だがそのなかでも「型」ではないという舞踏の思想、体と踊りを自らに問う思想が広まればいいと思う。

 本書はそんな舞踏の世界における位置と価値を知るために重要な一冊といえよう。これを読むことは、舞踏を通して日本と欧米の「近代」や「文化」を知ることでもある。欧米文化の流入、中国文化の影響による日本とは何なのか。本書は、そういう問いを私たちに抱かせるという意味でも、重要なのだ。

 (批評家)

著者の発想を単なる仮想と片付けず、
ここから新しい発見をする必要がある

「芸術が出来ること」を重要視する発想
評者:宮田徹也

  今日、アートに関する研究書に変化が訪れている。多様に変貌する作品、アートを取り巻く環境の変化、アートの価値観の変容など様々な要因が考えられる。最も重要なのは従来の哲学から派生した美学、歴史学を基礎とした美術史という近代に生まれた学問そのものの見直しが問われている点ではないか。

 アダム・スミス(1723~1790)『富国論』(1789年)によると当時の学問とは人文学、法学、医学、神学であり、人文学は古代ローマの自由七学芸のことで文法・論理・修辞・算術・幾何・音楽・天文であり、美術はない(岩波文庫〔四〕19頁)。つまり美術について考える学問とは、近代以前は存在しなかったことになる。

 例えば皆本二三江は幼児画を研究することによって、男女が描く色や対象の相違を明らかにした。皆本の研究はジェンダーがバックボーンではない見解なので、学問の領域では無視されることが多々あった。しかし美学と美術史が対象にしない、作者の人間としての、人類の成り立ちに対する見解は今後、不可欠となろう。

 岩田誠の『ホモ ピクトル ムジカーリス』もまた、新しい視点からの考察である。岩田は医師である。岩田は早い段階からアートが人類にとって不可欠であることを考えていたが、なかなか自らの専門だけでは解決に至らなかった。「孫たちの造形行動の発達過程を、直接観察する機会が得られた」(ⅴ頁)ことが、長年の疑問を解くきっかけとなった。

 本書の第一章「直立二足歩行革命」では生物科学から人間だけが行なう歩行について、第二章「ホモ ロクエンス」では神経心理学から人間だけが携える言葉について考察する。なぜ脳が発達したのか、喉を震わすことが出来たのか等、様々な原人の動向を科学的に述べている。専門でない人でも充分に読み解けて説得力のある内容だ。

 第三章「ホモ ピクトルと美の誕生」では洞窟壁画を、第四章「ホモ ピクトル ムジカーリス」では旧石器時代の楽器を考察している。「現実世界の事物の表象としての「絵」を描くためには、語という分節構造を持った言語を操る能力がなければならない。この能力を持つに至ったのは、われわれホモ サピエンスのみである」(119頁)。

 本書の題目も、この二つの章で明らかになる。「ホモ サピエンスとは「賢い(知恵のある)ヒト」を意味する」が「地球という生息環境を破壊し、他の生物を駆逐しつくしながら、自らは数のみ増加してきた存在である」ので、岩田は現存の我々ヒトを「描くヒト=ホモ ピクトル」と呼ぶことを提唱した(114~115頁)。

 また、岩田はネアンデルタール人が絵は描けないが音楽はできたというこれまでの学説に対して、ホモ ピクトルは音楽を演奏できるので「ホモ ムジカーリス=音楽するヒト」とし、絵を描くこともできるので「ホモ ピクトル ムジカーリス=音楽し描くヒト」と呼んではどうかと考える(142~143頁)。岩田は「芸術が出来ること」を重要視する。

 第五章「アートの役割」でギリシャ時代から近代におけるまでの東西のアートの歴史を「賢いヒト」ではなく「ホモ ピクトル ムジカーリス」の見解から振り返り、検討する。すると大切なのは、古代、神々に「祈り」(169頁)を捧げるパフォーマンス(173頁)が近世において「民衆が求める娯楽」(189頁)になることだ。

 第六章「アートの現在」では、パフォーマンス・アートが日本では安土桃山時代に発達した能楽によって「職業的アーティスト」となり(207頁)、「依頼がないのにも関わらず製作された作品に金銭的な価値が付与されるようになった時、それは商品化されたアート作品」(212頁)となったのが、世界に先駆けて江戸期であったと考察する。

 岩田の発想を単なる仮想と片付けず、ここから新しい発見をする必要がある。それは美術関係者だけではなく子育てをして親を介護する、今日を生きる我々全てに必要である勇気と言えるだろう。

 (京都嵯峨美術大学客員教授)