e-hon TOPへ戻る

紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

1949年創刊。硬派な人文書からホットなサブカルチャーまで紹介する週刊の書評新聞「図書新聞」とe-honのコラボ企画!

「図書新聞」の紙面で紹介した書評や、対談記事をご紹介します。【週1回更新】
取り上げる本や評者を厳選し、確かな見識で深く掘り下げた書評は「読み応えアリ」です!
「図書新聞」定期購読はこちら

 ◆ 3328号(11月18日発売号掲載)

多角的作家の知られざる面

ポーランド語の原典から訳すことでレムの本来の味わいを伝えることができた
対談:沼野充義×巽 孝之

 ■二〇〇四年に国書刊行会が刊行を開始した「スタニスワフ・レム・コレクション」。この七月『主の変容病院・挑発』の刊行によって完結となった。全六巻からなる本コレクションをめぐって、それぞれ翻訳に携わった沼野充義氏と巽孝之氏に対談していただいた。(対談日・10月17日、新宿区・高田馬場にて〔村田優・本紙編集〕)

 ■日本/アメリカにおけるレムをめぐる動き

  二〇〇四年に沼野さんが訳した『ソラリス』、私も訳者の一人として参加している『高い城・文学エッセイ』からはじまり、このたび刊行された、最も初期の作品を収めている『主の変容病院・挑発』によって「スタニスワフ・レム・コレクション」が完結となりました。忘れていたころに出たと思っている人もいるかもしれませんが(笑)、意外にこの一三年間のレムをめぐる動きのなかで非常に重要なのは――その間に本人が亡くなってしまったということもありますが――レム原作の新たな映画が公開されたことだと私は思います。イスラエルのアリ・フォルマン監督が実写とアニメを自由自在に融合した『コングレス未来学会議』(二〇一三年)のことですが、これがとても素晴らしいんですね。

 沼野 そうですね。レムは自作の映画化についてはとても厳しい人でしたが、もし生きていたらこの映画は褒めていたかもしれません。

  また、二〇一二年には沼野さんのポーランド語からの新訳『ソラリス』と旧訳でロシア語からの重訳である飯田規和の『ソラリスの陽のもとに』を徹底比較する論文で日本SF評論賞を受賞した忍澤勉氏がデビューしています。長くレムを読み継いできたSF評論家でフランス文学者の島村洋二氏も昨今ではレムとジュール・ヴェルヌの比較研究に邁進している。だから、このコレクションが出たあとに、映画作品のほうでもSF評論のほうでも抜本的な変化が起こったということになる。その意味でも、「レム・コレクション」発刊以後の一三年間は重要です。

 沼野 翻訳について言いますと、このコレクション以前にもレムの作品はたくさん刊行されていましたが、かなりの部分がロシア語からの重訳と思われ、またポーランド語を参照していた場合でもやはりちゃんと読めていないんじゃないか、というものが多かった。その後日本のポーランド専門家の水準が飛躍的に高くなって、本コレクションでは基本的にレムをすべてポーランド語の原典から訳しています。ただ、一つ例外をつくりましたが……。

  『高い城・文学エッセイ』に入っている私の重訳版「メタファンタジア――あるいは未だ見ぬSFのかたち」のことですね(笑)。あれはデュポー大学教授のハンガリー系アメリカ人学者イシュトヴァーン・チチェリイ=ローナイによる英訳が北米を代表するSF学術誌〈SFスタディーズ〉一九八一年三月号に発表されたのがきっかけでした。

 沼野 早川書房などから出ていたそれまでのレムの訳書は主に小説なので、小説家としてのレムはかなり知られていたのですが、レムの書いた膨大な評論や研究書はほとんど知られないままでした。しかし、レムの評論は文章がとても難しく、分厚い本ばかりなので、訳書という形では長年手つかずの状態でした。『高い城・文学エッセイ』に入っている、巽さんが英語から訳した「メタファンタジア」は、以前どこかの媒体で先に発表されていて……。

  あれは一九八二年に創刊された批評誌『SFの本』第五号(一九八四年)のレム特集です。当時、沼野さんはハーバード大学にいて、私もちょうどその号の刊行直後の一九八四年七月からコーネル大学へ留学しようとしていたころでした。

 沼野 そうでした。私はその訳を見て「これはいただきだ!」と思ったわけです(笑)。このエッセイを含む原著は“Fantastyka i futurologia"といって『SFと未来学』と訳されますが、上下二巻、総数一〇〇〇頁ぐらいある本なんです。ドイツ語ではすでに訳されていて、英語でも一部の章だけですが出ていました。このように、レムの評論はなかなか難物だったわけですが、SFをよくわかっている巽さんがしっかり訳していましたので英訳からでもよいと思いました。ただ、レムはアメリカのそれまでの大衆SF読者から見るとかなり異質な存在ですね。私が巽さんに聞きたいのは、レムとアメリカSF作家協会の経緯です。

  七〇年代の半ばにアメリカSF作家協会がレムを名誉会員にしようとした、いわゆるレム事件のことですね。これは何度ふりかえっても面白い(笑)。レムはアメリカSFが大嫌いで、英語圏では好きな作家はH・G・ウェルズとオラフ・ステープルドンぐらい。あと、現代SFではフィリップ・K・ディックのことを評価していましたが、ディック側はレムに対してはいささかアンビヴァレントな態度だった(笑)。

 最初はレムもアメリカSF作家協会の申し出を引き受けようとします。それは、俗悪で凋落の一途をたどるアメリカSF界を内部から改革するために自分が一石を投じるのも悪くないと考えたからですが、一九七五年にレムはアメリカSFへの罵倒を公表してしまう。とりわけ、レムに名誉会員の待遇を与えるべく一筆したためた当時のアメリカSF作家協会会長ポール・アンダースンのいう「アメリカのSF作家は大衆がビールを買うカネをSFに回してくれるよう懸命になっているのだ」という言葉を受けて「いくら生活に困っているからといって、ろくでもない文学作品を書き散らしてよいという理由にはならない」とやりかえしている。それでフィリップ・ホセ・ファーマーらアメリカのSF作家たちを怒らせてしまったので、アンダースンの次に会長に就任したフレデリック・ポールは、名誉会員待遇を取り消し、一般会員にならないかと持ちかける。しかしもちろん、レムはその申し出を断ります。正式に入会もしないうちから退会してしまったかのような、まことに奇妙でスキャンダラスな事件でしたが、しかしSF文学の本質へ目を向けたという点では、まさに一石を投じただけのことはあったでしょう。

 沼野 この名誉会員の件でもわかりますが、別にアメリカの作家たちはレムをよく知っていたわけではありませんでした。アメリカSF作家協会の規定だと会員になるには英語で本が何冊か出ていないといけなくて、当時のレムにはその資格がなかったのですが、レムがすごい作家だということで作家協会側が正規会員ではなく名誉会員にしようとしただけです。その後作品も英訳されましたが、レムがアメリカSFを貶しているということが徐々にわかるようになり、さらにレム自身もそういった事件のあとで今さら正規の会員として入る気などなく、それで両者とも喧嘩別れみたくなってしまいました。

  まことに残念なことでしたが、ここで肝心なのは、時間が経つにつれてアメリカの作家もやはりレムを改めて評価しようじゃないか、という動きが出てきたことですね。八〇年代の半ばにレムの小説の英訳がペーパーバックのシリーズでどんどん出るようになったことも関係するでしょう。

 私の知る限りで公式にレムを支持し、影響を受けていた作家として、サイバーパンク作家のブルース・スターリングがいます。スターリングの傑作短篇「われらが神経チェルノブイリ」“Our Neural Chernobyl"(一九八八年)は――明らかにチェルノブイリ原発事故を意識しながら――遺伝子ハッカーの暗躍により生態系が根本から変質してしまい、地球上にバイオハザードが蔓延し、ついには動物に知性が備わっていくという作品で、友人であるグレッグ・ベアにオマージュを捧げていますが、同題の架空の書物『われらが神経チェルノブイリ』への架空の書評という体裁を見れば、レムを意識しているのは明らかです。それから、昨今では中国系SF作家のテッド・チャンも、「人類科学の進化」(二〇〇〇年)など自然科学研究の最高権威〈ネイチャー〉誌に発表した架空の学術論文は完全にレムの系統で、エイリアンとの意思疎通をめぐっても、ネビュラ賞を受賞した傑作短篇「あなたの人生の物語」(一九九八年)をドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が映像化した『メッセージ』が話題になりました。そうしたテッド・チャンやグレッグ・イーガンの影響を受けて日本では「道化師の蝶」(二〇一一年)で芥川賞作家となった円城塔がレムの『完全な真空』の路線を行っている。そう考えると、非常に長いスパンではありますが、レムが切り拓いた方法論が徐々に文学界に定着してきている感じがします。

 沼野 アメリカではマイクル・カンデルという翻訳家がしっかりとレムの小説を訳しています。彼はもともとは博士号も持っている文学研究者ですので、レムの作品をきちんと読み込み、わからないところは直接訊いて、長年彼と手紙のやりとりもしてきた。そういう人がいるからレムはアメリカでも、きちんと理解され、よく読まれるようになりました。ただ、版権の関係で、今でも代表作の『ソラリス』はかなり自由なフランス語訳からの重訳が市場を独占しています。この仏訳・英訳では登場人物の名前なども勝手に変えてしまっている。やはりポーランド語のようなマイナーな国の作家の翻訳には、重訳にともなう弊害も出てきますね。

  その点、日本ではレムは翻訳に恵まれたと思います。

 沼野 日本では主にソ連のSFを専門とする、飯田規和さんや深見弾さんいった翻訳家が先駆者として大きな仕事をされました。この二人の翻訳は愛情のこもった優れたものでしたが、お二人ともロシア語畑の方で、翻訳も主にロシア語訳を参照しての仕事だったようです。重訳だからいちがいにダメだとは言いませんが、『ソラリス』の場合はソ連の検閲を被ったヴァージョンで、原作の重要な部分が相当欠落したままだったんです。私も飯田訳の『ソラリス』を読んで育ったSF少年でしたからね、飯田先生には感謝の念しかないんですが、それでも『ソラリス』がいつまでもソ連の検閲版ではまずいだろうと思い、ついに自分でポーランド語から訳すことになりました。今回ほぼすべてをポーランド語から訳した「レム・コレクション」が六冊出て、評判もよいので、今後もポーランド語からの新訳を増やしていきたいと考えています。

  コレクションの最後を飾る初期小説と架空書評のカップリング『主の変容病院・挑発』の関口時正さんの訳も圧巻でしたね。

 2ページ以降はこちら

  • 『加藤尚武著作集 第1巻 ヘーゲル哲学のなりたち』
  • 加藤尚武/著
  • 未來社

ヘーゲル学と応用倫理学

永久に戦争の可能性をなくすことこそ、人類の課題である
評者:加藤尚武

  私は高校生でマルクス主義者となり、大学でヘーゲル学に取りつき、研究者となって応用倫理学の普及に努めてきた。

  「ヘーゲル弁証法の謎を完全に解明すれば、社会改革の合理的な根拠が明らかになる。そして、世界の永久平和が、善意の人々の理想的な追求目標ではなく、現実そのものの土台と結びついた世界秩序が作られる」

  大学生の私はそう信じていた。ヘーゲルのテキストの異様な難解さを解消する見込みをつけて、共同研究を進めていけば、ヘーゲル学とマルクス学が、社会科学全体に、絶えず、曖昧さと不合理を吐き出してくるという状況はなくなるだろうと期待した。

 ヘーゲルの全テキストの時代別執筆表(クロノロギー)を作って、青年時代の論文から年を追って読める体制を作る。テキストの解読に必要な「ヘーゲル辞典」を作る。ヘーゲルのテキストをコンピュータに入力して、どのような用語例も検索可能にする。この三つの柱で共同研究の体制を作ろうと考えた。

 弘文堂の『ヘーゲル事典』(1992、2014)の初版が出て以降は、コンピュータ検索を使って、ヘーゲル用語の基礎的な解釈を論文化してきた。

 ヘーゲル学の目的は、ヘーゲルのテキストを読む苦労から人々を解放することである。上手な翻訳を作れば、その苦労がなくなると思うのは翻訳を読んだことのない人である。数行のテキストに一冊の本で注釈をつけたドイツ人がいるが、隠れた引用文(connotation)、時代による用語の変化などをすべて注釈すれば、テキストの数十倍になる。どんな翻訳をしてもヘーゲル・テキストの困難さが消えない。

 ヘーゲルは、人文・社会科学のあらゆる領域に影響を与えているから、ヘーゲルのテキストの参照が必要になる。たとえば「マルクス資本論を読むためのヘーゲル用語辞典」を作ったら、『資本論』の数倍の分量になるだろう。社会科学、美学、宗教学などからの参照の要求をすべて満たすデータベースが作られていて、周辺の研究者にはテキストを読む必要がない状態をつくることが、ヘーゲル学の最終目標である。

 ヘーゲル解釈のための資料が一人の研究者が一生をかけても読み切れない分量になることは目に見えている。誰もヘーゲル研究の全領域を見渡すことのできる人がいないという状況になる。1000人の研究者=1000人の迷子というアノミー状況になる。へーゲル研究という領域だけではない。人類が作り出すデータの量を有効に縮減しないと、あらゆる合理的決定が不可能になる。

 しかし、私がヘーゲルの全テキストの完全解明に成功したとしても、現代世界の課題にこたえることはできない。臓器移植、遺伝子操作、地球温暖化、資源枯渇などに、ヘーゲル学を含めて、古典と伝統は役にたたない。

 20世紀の後半、生命操作の可能性、自然の歴史性、地球の有限性について決定的な科学的な認識が確立された。この自然像の転換は、人類の文化史のなかで千年規模の転換点であるにもかかわらず、多くの思想家は前近代、近代、近代の超克という百年規模の尺度しかもっていない。

 自然と技術(たとえばAI)、貧困、国際間紛争(ミサイル問題、シリア紛争)、資源管理など、未来世代を視野に入れた長期的責任主体の形成が人類の課題となっている。やっと国民国家主義の原理に達したヘーゲルには答えの出せない問題群である。

 生命倫理学、環境論理学などの応用倫理学の英語文献を日本に紹介する必要があると思った。合意形成によって社会的ルールを決めて問題を解決するという姿勢を日本に培うためである。民主主義は、側面から支える科学と倫理がないと、ポピュリズムから抜けだせなくなる。

 平和主義は、坂道を転げ落ちるようにして押しつぶされ、ナショナリズムが戦争の引き金を引く危険が高まっている。永久に戦争の可能性をなくすことこそ、人類の課題である。そのために魚の取り方、石油の使い方、ごみの捨て方から学んでいくのが、応用倫理学の道である。

 人生は誤算だらけ。最初に片づけようと思ったヘーゲル学に死ぬまでかかわることになった。せめて「弁証法」という言葉の用語例だけは、自分が生きているうちに注釈を完成しようと決心した。ヘーゲル自筆の原稿で数えたら263例で、全集が完結しても、この二割増しにもならない。最近「弁証法22用例in法哲学」を書き上げて(雑誌『ヘーゲル論理学研究』)残りが、約220例になったが、ヘーゲル弁証法の全体像がはっきり見えてきた。私の課題の一つには解決のめどが立った。もう一つの課題、平和主義の確立について、カントの平和論、ヘーゲルの戦争肯定論を超える思索をまとめてから死にたい。

 私の著作集(未來社)15巻は、ヘーゲル学と応用倫理学のあらゆる拠点を結びつける対角線の群れを描き出すだろう。それは乱流の束のように見えるかもしれない。私のつかまえようとした限りでの、人類の課題の姿である。

 (京都大学名誉教授)

悲しむ者、寄り添う者に一つの示唆を与えてくれる

幼くして旅立った二四人の子どもたちとその家族の記録
評者:澤田郁子

 青空に浮かぶ白い雲、雲にかかった梯子を昇る少年の微笑み――その表紙からほのぼのと和む物語を想像してしまうが、本書には難病や交通事故ゆえに幼くして旅立った二四人の子どもたちとその家族の記録が収められている。旅立ちの時期は誕生死から一三歳まで。一部では、それぞれの家族の思い出を、詩を思わせる短文と鮮やかなカラー写真で紹介している。二部には両親や祖母など遺された者、三部には医師や看護師、院内学級教師など治療または支援に携わった者の思いが綴られている。

 本書は二通りの読み方ができる。一つは、愛する幼い命を喪った体験を持つ遺族が、悲しみを受けとめる端緒として。もう一つは、病む幼い命に寄り添う職種をより深く知るガイドとして。一部の終わりに添えられたデータや図解は、日本の小児医療の現場を概観するのに有用であろうし、三部の母親たちの座談会は、その後の遺族の在りようや、単に悲しみ一色ではない日常など、生の声を拾って興味深い。

 人生の途上で出会う、忘れることのない悲しみ。子を看取る親のグリーフ(悲嘆)はその最たるものであろう。監修の濵田裕子氏は看護師・保健師として臨床を経た看護教育の専門家であり、「喪失から目をそらさず、悲しみを悲しみ抜くこと」の大切さに触れている。足早にグリーフからの回復を促すのでなく、なぜこのような別れがあるのかという疑問、もう少し何かできたのではないかという後悔、いつかまた会えるという期待……綯い交ぜになったさまざまな感情をありのまま受容する。しかし、いずれも納得できる回答は用意されていない。

 それでも、本書は悲しむ者、寄り添う者に一つの示唆を与えてくれる。周囲の助けを借りながら、答えが出ないままグリーフを受容する生き方があってよい、ということである。思慕も回想も、決して徒労ではない。それはグリーフに取り組む作業であり、そのプロセスこそが、嘘のない答えとなりうるのだから。

 (ライター)