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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

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 ◆ 3329号(11月25日発売号掲載)

セミ一匹、うたえばババア

民衆の、民衆による、民衆のための歌をうたえ
評者:栗原 康

 カネだ、カネカネ、カネカネ、カネだ
 くそくらえったら死んじまえ

  「カネだ、カネカネ、カネカネ、カネだ。カネだ、カネカネ、この世はカネだ」。これはいまから一〇〇年まえ、演歌師の草分け、添田唖蝉坊がつくった「金金節」っていう歌だ。なにをやってもカネ、カネ、カネ。ひとがカネでふるいにかけられる。政治家、カネもち、ご主人さま。税金はらってあたりまえ。たくさんはらえば、エラいひと。はらえなければ、クソである。国民、すなわちノーゼイドウブツ。カネがなければ、生きてゆけない。くれるひとはエラいひと。もらうひとはムチうたれ、もらえなければクソである。労働者、すなわちイノチウル。明治時代、やれ開化だ、文明だっていっていたら、そんなクソみたいな世のなかになっていた。だから、唖蝉坊はうたったのだ。カネ、カネ、カネ。政治家、カネもち、ご主人さま。くそくらえったら死んじまえ。くそくらえったら死んじまえ。カネで買われた奴隷だけれど、心はオレのもの。

 ダイナマイト、どん

 さて、本書はそんな唖蝉坊の評伝である。おもしろい。

 唖蝉坊は一八七二年うまれ。神奈川県大磯のひとだ。一八歳のとき、街頭で自由民権運動の壮士が演説を歌にしてうたっていたのをきいて大感動。オレもオレもとやりはじめる。これが演説歌、略して演歌ってよばれるようになったやつだ。もちまえの歌唱力をいかして、自分で歌なんかをつくりながら全国をまわる。でも一九〇四年、三三歳。もうあるていど名のしれた歌い手になっていたころのことだ。当時、浅草に住んでいた唖蝉坊は、渋井のババアってよんでいた近所のおばあさんに、こういわれてショックをうける。てめえら、エラそうに上から目線でうたいやがって、てめえらの歌はカタすぎて、なにいってんのかわかんねえんだよと。くそくらえったら死んじまえ。ガーン。民衆のためにとかいってうたってきたのに、だれもうたえねえんだよっていわれたのだ。クソババア!

 しかも、このころ日露戦争がはじまって、自由民権とかいっていた連中が、やれ愛国だ、やれ国威の発揚だみたいなことをいいはじめた。貧乏人が戦地におくられて、バシバシバシバシと死んでいく。それに戦争景気だのなんだのっていって、ひとにぎりの資本家だけがボロもうけして、工場ではたらく貧乏人たちは、給料もかわんないのに、お国のためだからしかたないんだようっていわれて、ひたすらコキつかわれる。血の汗をながすのだ。ああ、わからない、わからない。それでも、みんなでバカ騒ぎ。なにがお国だ、このやろう。ああ、わからない、わからない。ダイナマイト、どん。

 唖蝉坊は、気づいちまったわけだ。これまで自由民権の壮士たちは、藩閥政府はいかんぜよ、ひとにぎりのエリートが民衆を支配するのはいかんぜよ、ニッポンを洗濯するぜよっていってきたわけだが、かりにかれらのいっていることがかなったとしても、それまでとたいしてかわりはないんじゃないかと。だって上から目線で、民衆に命令をくだしてくるエリートがふえるだけなんだから。てめえら、だまって税をはらいやがれ、だまってお国のために死んできやがれ、だまって血の汗ながし、シコシコシコシコはたらきやがれっていうだけだろう。文明開化の音がする。洗濯、浄化、オッペケペー。どん!

 勝手にしやがれ、
 ヘイ、ブラザー

 ということで、唖蝉坊がつくったのが「ラッパ節」だ。寄席芸人の演目からヒントをもらって、トコトットトっていうラッパの擬音をつかい、それにあわせて、民衆目線で、民衆の生活をうたっていく。「あたしゃよっぽど慌てもの、がま口ひろって喜んで、家に帰ってよくみたら、馬車にひかれたヒキガエル、トコトットト」。ヒャハハ。こんなかんじの歌をうたってみたら、もうバカ売れだ。歌本が売れる、売れる。みんながうたう。すげえいきおいで流行歌になった。

 ホレみたことかと、渋井のババアもしたり顔。クソババア! 国民はこうあるべきだとか、労働者はこうあるべきだとか、上から目線で命令されんのはまっぴらごめんだ。オレはオレ。自分の生きかたは自分できめる。自分の生きかたは自分でうたう。うたえ、うたえ、おまえがうたえ。ラッパをふいてあおりまくれ、唖蝉坊。考えてみれば、歳をくって死にそうなクソババアの域にまでたっしちまえば、ものなんてなにひとつない。納税、賃金どうでもいいね。いつでも死ぬ気でやっちまえ。政治家、カネもち、なんぼのもんじゃい。オレ、オレ、オレ。セミ一匹、うたえばババア。トコトットト。

 でも、まだまだたりない。唖蝉坊はおもった。貧乏人はクソみたいなあつかいをうけている。コキつかわれて、ふみにじられて、ひとりで泣いている。だから、それをふきとばすような歌じゃなきゃダメなんだ、くそくらえったら死んじまえってさけべなきゃダメなんだ、それが民衆の生活をうたうってことなんだと。で、おもったのだ。これ、社会主義じゃねえ? それでコンタクトをとったのが社会主義者、堺利彦。あいにいってみたら、超いいひとで、すぐに意気投合した。唖蝉坊が「ラッパ節」を替え歌にして、貧乏人のさけび声を歌にしたいというと、ぜひやろうという。堺からしても、超売れっ子の演歌師がやってきて、社会主義の歌をうたいてえみたいなことをいってきたわけだから、うひょお、こりゃすげえと興奮したことだろう。

 堺がなかまから歌詞をあつめ、それをつかって唖蝉坊がうたう。「華族の妾のかんざしにピカピカ光るはなんですえ、ダイヤモンドかちがいます、かわいい百姓の脂汗、トコトットト」。「当世紳士の盃に、ピカピカ光るはなんですえ、シャンパーンかちがいます、かわいい工女の血の涙、トコトットト」。「待合茶屋に夜明かしで、お酒がきめる税のこと、ひとが泣こうがこまろうが、委細かまわずとりたてる、トコトットト」。「名誉々々とおだてあげ、大切なせがれをむざむざと、砲の餌食にだれがした。もとのせがれにして返せ、トコトットト」。一九〇六年、「社会党ラッパ節」の完成だ。

 このころ、堺たちは日本社会党ってのを旗揚げしていたから、それにちなんでこのタイトルになった。でも、唖蝉坊は「党」ってことばをイヤがっていたらしい。自由党だろうが、社会党だろうが、これが民衆のただしい生きかたですよ、こうやって生きるんですよ、こうやってうたうんですよっていって、上から指導して、みんなに唱和させるようじゃダメなんだとおもっていたからだ。唖蝉坊本人は、「社会主義ラッパ節」っていうタイトルをつかっていた。民衆にうたっちゃいけないものなんてない、なにをどううたおうがぜんぶ自由だ。勝手にしやがれ、ヘイ、ブラザー。

 よお、兄弟!
それで自由に
なったのかい
 

 だいたい、「ラッパ節」のメロディだって、唖蝉坊が他人のうたをパクってきたものだ。もとはビゼーの戯曲「カルメン」で、それが日本の軍歌、「抜刀隊」のメロディになった。これ、テンションのあがるメロディなのだが、西洋の楽曲をそのまんまあてはめたものなので、ちょっとうたいにくい。じゃあ、それをより庶民的なものにしちまおうってことで、唖蝉坊が「ラッパ節」のメロディをつくったのだ。ようするにこれ、はじめから替え歌なのである。パクリなのだ。だから自分の歌を民衆が好きにうたい、好き勝手に歌詞をかえていったとしても、いっしょにうたいこそすれ、怒るすじあいなんてない。歌は作者ひとりの所有物じゃないのだ。流行、伝染、爆破にラッパ。パクって、パクって、パクりまくれ。コピペ、コピペ、コピペ!

 ちょうど、この「社会党ラッパ節」ができたとき、東京では市電運賃の大幅値上げがあって、ガンガン反対運動がおこっていた。そりゃそうだ。電車じゃなきゃかよえないところに、ボンボン工場をぶったてておいて、いざみんながはたらきはじめたら、じゃあ運賃値上げ、よろしくねっていってきたのだから。カネ、カネ、カネ。くそくらえったら死んじまえってことで、唖蝉坊も社会主義者といっしょにデモにでて、歌をうたいまくった。堺利彦も大杉栄も荒畑寒村もいっしょにうたう。きいていたみんなが、われもわれもとうたいだす。それがドンドンひろまって、流行歌になっていった。よお、兄弟!

 民衆にひろまればひろまるほど、唖蝉坊っていう作者の固有名は消えていく。社会党もへったくれもない。なんとなく、うっすらとメロディや歌詞をおぼえていた人たちが、好きに勝手に自分のことばでうたいだす。権力者をおちょくって、ゲラゲラわらって、またうたう。そうこうしているうちに、替え歌に替え歌をかさね、もはや原型をとどめていないかもしれない。でもそれでもかまわない。というか、そうじゃなきゃダメなのだ。これまで、よき国民であれ、よき労働者であれ、よきノーゼイドウブツであれっていわれ、上からの命令にしたがうだけだった民衆が、とつぜん反旗をひるがえす。いうことなんてききやしないね。おら、うたいてえ。

 権力者にツバをはきかけて、自分のことばで自分のことをうたいだす。党も作者も関係ない。うたいつぎ、うたいつぎ、その歌をだれのものでもない匿名のなにかに変えていく。きっとうたっている本人も、それまでの自分の殻をかちわって、よき国民でも、よき労働者でも、よき党員でもなんでもない、なんにもしばられない、何者かになっていることだろう。マジで自由。しかも、なんかわかんないけどうたっていると、おんなじことを考えているクソみたいな連中が、ぜったいに、そこかしこにいるってことがわかってくる、しりもしないのにね。よお、兄弟! こういうのをフォーク(Volk)っていってもいいだろうか。民衆だ。民衆の、民衆による、民衆のための歌をうたえ。

 さて、そろそろまとめよう。一九〇六年、東京市電値上げ反対デモは、大暴動に発展した。数千人の群衆が東京市役所を襲撃し、投石につぐ投石、そしてツルハシをつかって建物をぶちこわした。考えてみりゃあ、暴徒ってのはすごいもんで、それまでの自分なんてぶちぬいちまっているわけだ。納税も賃金も関係ないね。なにをいわれても、でてくることばは、カネはらわんぞ。もはやなにものでもない、匿名のなにかになっちまっている。フォークだ。あとはアォアォアォとおたけびをあげ、まだみぬなかまをよびおこすだけだ。よお、兄弟! そういう意味じゃ、唖蝉坊は暴動の歌をうたっていたといってもいいだろう。本書はこのへんのくだりがむちゃくちゃくわしい。ぜひ、ご一読いただきたい。演歌とはなにか。洗濯、浄化、文明開化。東京、ブタ箱、五輪自由。ああ、わからない、わからない。オッペケペッポーペッポッポー。それで自由になったのかい。それで自由になったのかよ。セミ一匹、うたえばババア。トコトットト。

 (アナキズム研究)

闇をみつめつづけた巨人

昭和ひと桁生まれの反骨の画家の作品世界からはつねに現実へのみずみずしいまなざしを感じる
評者:寺村摩耶子

 二〇一六年、八四歳で他界した画家・絵本作家の井上洋介は、晩年、なつかしい生き物たちを描きつづけた。蝉やトンボ。とりわけ梟。二〇一一年四月、というと東日本大震災直後のことだったが、「水墨梟展」と題する個展が東京・京橋のアートスペース繭でひらかれたのがはじまりだったと思う。以来、会場が時ならぬ梟の森と化すこと、二度や三度ではなかった。ナンセンスの笑いを原点とする梟たちに、もとより意味や理由などあるはずもない。だが闇の彼方からあらわれた賢者たちは、何かをしずかに語りかけてくるようでもあった。

 『ホウホウフクロウ』はそれらの水墨画や木版画をもとにした詩画集のような絵本である。表紙には一見かわいい梟の大きな目玉。ひらくと地底から現れた怪獣のような蝉がいる。菩薩のようなミミズクがいる。大判の天地いっぱいにのびひろがる命の大きさ、太さ。ちっぽけな人間などは思わずひれふしたくなってしまうほどだ。が、そんな人間をもつつみこむようなおおらかさがあり、向きあっていると、心がのびのびしてくる。子どものような天衣無縫さに、ふつふつとした笑いもこみあげてくるようだ。

 「ふくろう/おおきな/メダマで/ほう ほうって うたう/なに/みて/うたうの」

 だがこの自由はもちろん、子どものそれとは異なり、大人のたたかいの末に獲得されたものだった。たっぷりとした筆の流れ、にじみ、かすれ。禅画のような味わいもある墨絵にはときおり金や銀、緑青もきらめく。豊饒な闇。折しも没後一年の大きな展覧会につづいて『井上洋介獨画集 1931―2016』も刊行され、画家がみつめてきた闇の深さにあらためて呆然とする思いである。絵本作家として長く愛されてきた氏の原点。そこには五〇年代から六〇年代にかけて熱い時代を築いたナンセンス漫画のブラックな笑いがあり、それと連動する新しい芸術のいとなみがあった。漫画と美術と絵本。というとなんだか身構えてしまうが、井上洋介はまさしくそうした枠のあいだをしなやかに行き来しつつ、みずからの世界を創りだしていったのだ。

 一九三一年東京生まれの井上は武蔵野美術学校西洋画科在学中より投稿漫画で注目され、小島功に誘われて漫画集団「独立漫画派」に参加。以後、精力的に漫画を発表していく。一方で、五五年第七回「読売アンデパンダン展」出品をはじめ画家としても活動。詳細な年譜によると、初期にはいくつかの美術団体の展覧会にも出品していたらしい。が、その後は独自の方向を模索しながら、描きつづけた。『獨画集』はその貴重な記録である。自宅に残された五百枚近いタブロー(!)。そのなかから油彩を中心に編まれた画集にはずっしりとした重みがある。だがこれらはいったいなんだろう。  

 餓鬼たちの行進。地獄のカーニヴァル。ざわざわ、もぞもぞ。異形のものたちが、いつ果てるともしれず蠢きつづけている。土色や灰色。黒。火色。塗り重ねられた油絵具のごつごつ感。どしゃぶりの雨のような狂気みなぎる線。過剰で、匂いたつような迫力に、ひたすら息をのむ。とりわけ前半にはグロテスクなイメージも多い。「極楽図」という絵があるが、どう見ても地獄図である。そこに笑いがこめられているのかもしれないが、しかし笑えない。もっとも、地獄図がそうであるように、これらの絵にも目をそむけようとすればするほど吸い寄せられてしまうような、奇妙な磁力がある。個よりも群衆。人というよりも、それ以前の、あるいは人になれないものたち。長新太が「巨人ゴーレム」にたとえて絶賛した土偶怪人。一つ目一本足。六つ目。幼虫のような、地霊のようなものたち。卵。靴。赤い玉。丸いものや、ぐるぐると渦巻くもの。それらがぎっしりつまった世界。そこは有機的で、どこかあたたかく、生命力にあふれている。  

 尽きることのない膨大な作品群。その根底には戦災や戦後のなまなましい体験が横たわっている。とは画家自身、くりかえし述べてきたとおりである。注目すべきは、そうした闇のイメージが生涯にわたって持続したことだ。年代順に編まれた画集をめくっていくと、そのことにあらためて気づかされる。時代はバブルを経て九〇年代になっても、また二〇〇〇年代に入っても、地霊たちはすこしも鎮まりそうにない。それどころか土の匂いはますます濃く、一つ目一本足たちはますます元気に増殖していくかのようだ。ナンセンス漫画も、数多の美術運動も、もはや時の彼方。そのなかで、いつまでも永久運動をくりかえすものたち。そのうららかさ、たくましさに感動をおぼえる。時間の流れなど、彼らには最初から無縁だったのかもしれない。

 

 無時間の国の住人たち。やわらかな線はやがて子どもと出会い、日本独特のナンセンス絵本を生みだしていった。挿絵本もふくめると、ざっと三〇〇冊近く。すごいのはもちろん量だけではない。闇のなかに何かが現れる『まがればまがりみち』。『たわし』。『あなぼこえほん』や『ヘンなえほん』。タイトルだけでも「ヘン」な魅力にみちた絵本たちは、近年ますます軽やかさと凄みを増していったように思われる。おじいさんが巨大な芋を背負って歩く『いも しょって』。カフカの不条理劇のような『ぎゅうぎゅうどうぶつえん』や『ぼうし』。晩年の一冊『つきよのふたり』も胸にしみわたる。「ふたり」はもちろん人間ではない。コウモリガサと物干し。電信柱とえんとつ。さまざまなカップルが、月夜にうかんでは消えていく。しずかで美しい幻燈のような作品だ。ここにも梟が飛んでいる。

 

 昭和ひと桁生まれの反骨の画家には、たしかに現実への不信が横たわっていたかもしれない。だがその作品世界からはつねに現実へのみずみずしいまなざしを感じることができた。とりわけ失われゆくものや風景。小さなものや隅っこにいるものたちへの共感。それが笑いとむすびついた絵本は、だから、おかしくもせつない。またふしぎにどっしりとして、見る者を力づける。なつかしい闇。「ひぐれの町」で子どもは暗くなるまで遊ぶのだ。

 

 画家が闇をみつめているあいだに、どうやら時代はひとめぐりしたらしい。これからというときに、惜しくも巨人は倒れてしまった。だがあとに残されたものははかりしれない。梟たちはこれからも羽ばたきつづけるだろう。  

 「ふくろう/なくの/やめて/とんで/どこ/いくのかな」(『ホウホウフクロウ』)。

 (絵本批評)

アイドルとファンになるということ、アイドルとファンであるということ

地下アイドルとファンの関係の密接さは、「時に実際の恋愛関係を越え」る
評者:石川 聡

 地下アイドルとはだれか。また地下アイドルのファンであり続けるとはどんな営みなのか。本書は、単なる外部からの印象論や、また当事者による独り語りのような本とは、一線を画すものである。地下アイドルの文化史から、アンケート用紙を使った実態調査、また地下アイドル当事者である著者による地下アイドルとファンの温かい交流までが描かれる本書は、地下アイドルをよく知らないひとにも、また地下アイドル当事者にも、そのファンにも読み応えのある作品である。評者もしばしば地下アイドルの現場に通う、ファンとしての当事者でもある。

 本書の意義はいくつかある。まずひとつには、客観的なデータにもとづく調査のかたちをとっているところである。アンケート記入方式で行われた調査では、100人以上の地下アイドルと、ほぼ同数の地下アイドルファンの回答がある。思い込みにもとづく偏った意見に比べて、客観的な数値によってあらわされ、またそれを同世代の「ふつうの」若者たちと比較している方法によって、地下アイドルがどのような性質を持ち、またどんな体験を持つものが地下アイドルになりやすいのかを説得力のあるかたちで示している。

 調査者が地下アイドル本人であることも興味深い。だれが聞くかという問題は、いかなる答えが返ってくるかに対して重要な役割を持つ。本書では地下アイドルの給料や恋人の有無にまで踏み込む調査を行っているが、回答に一定のバイアスをかけてしまう危険性をはらみつつも、当事者が聞かなければ答えなかった可能性もある問題に踏み込むことができた可能性を持っている。

 ふたつめには、地下アイドルとファンに対する温かいまなざしである。本書が否定するのは、地下アイドルとファンに対する思い込みにもとづく偏見である。とある事件の報道や取材のなされ方が、地下アイドルとファンに対して非常に一面的で偏見に満ちたものであることを、著者は明確に批判する。地下アイドルは「オタクっぽい女の子」や「ちやほやされたくて面倒くさい女の子」であり、そのファンは「キモい」存在であるという見方を否定しながら、著者は自らの経験を踏まえて、地下アイドルとファンの温かい営みを描いていく。

 前作『潜行 地下アイドルの人に言えない生活』(サイゾー、2015年)にならって、著者は地下アイドルを「深度」という言葉で説明する。「深度」とは「地上のアイドルに近ければ近いほど浅く、知名度の低い地下アイドルほど深く」なり、「深度を測れる物差しは、知名度とアイドルとファンの距離感にある」と述べる。

 地下アイドルとファンの関係の密接さは、「時に実際の恋愛関係を越え」ると、著者は述べる。地下アイドルのファンは、どんなに応援するアイドルに対して恋心を抱いたとしても、ほとんどのファンは地下アイドルやほかのファンとの関係を壊さないように態度にださないという。それでも平日土日問わず、近所遠方問わず、いつでもライブを見にいくファンの熱心さを、著者はお金を払って「女の子を落としに行く場所」であるキャバクラと対比させながら、地下アイドルの現場では地下アイドルとの関係を保つためにファンがお金を払っていると述べる。一線を越えないがゆえに恋愛関係を越える密接さが維持されること。著者は、地下アイドルに通うファンが、同じお金を落とすならなぜキャバクラではいけないのかという問いに対して、ひとつの答えを出している。

 データやファンとの交流を通して、著者が語り続けるのは地下アイドルの女の子もファンも「普通」であるということである。たとえ地下アイドルの女の子が悩み、「病んでいる」としても、それは地下アイドルの子が特別「病み=闇」を抱えているのではなく、一般の社会に存在している「闇」がわかりやすく存在しているだけなのだと、著者は語る。著者にとっては「地下アイドルの女の子たちも、そのファンの人たちも、生活するための居場所が確保された現代の中で、高次元な欲求を満たすために精神的な居場所を探している人たち」なのである。

 密接な関係性、イベントやライブの日常化、またそれらを一緒に「つくっていく」こと。アイドル文化をより歴史的に前の時期から文化史的に位置づけながら、アイドルとファンの居場所の歴史をゼロ年代後半のAKB48以降の「会いにいけるアイドル」の流れに位置づけていくことで、著者は現在の地下アイドルとファンをめぐる状況が一過性のものではなく、歴史の中で続いてきたものだし、ゆえにこれからも続いていく可能性を十分に持ったものだと言っているように読める。

 地下アイドルは、アイドルであり続けるために努力をし、またファンもファンであり続けるために努力をする。宇野常寛は『新しい地図の見つけ方』(KADOKAWA、2016年)の中で「アイドルファンというのは、そのグループの誰かが好きだからアイドルファンになるわけではなく、本当はアイドルファンになると決めてから誰を推すかを決めている」という。アイドルファンであることは手段ではなく、目的である。アイドルも同じである。人に見られたい・何者かになりたい手段としてのアイドルが、いつしかアイドルとして居続けることそれ自体を目的に、いろんな動機や方法を語り考える。お互いがお互いの欲望を満たし生き続けていく、相互補完的な存在としてアイドルとアイドルファンの関係が続いていく、そのただなかに地下アイドルの現場はある。

 (アイドル評論家)