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 ◆ 3331号(12月9日発売号掲載)

『メタヒストリー』以降の歴史学

新たな転回の局面を迎えている
評者:長谷川貴彦

 ■二〇一七年の日本は、「ホワイト元年」といってもよい年であった。ヘイドン・ホワイトに関する一連の書物が翻訳・刊行されたからである。三月には上村忠男氏の編訳になるアンソロジー『歴史の喩法――ホワイト主要論文集成』(作品社)が刊行された。また一〇月には『実用的な過去』(上村忠男監訳、岩波書店)が刊行されている。なかでも四〇年越しとなった九月の『メタヒストリー――一九世紀ヨーロッパにおける歴史的想像力』(原著一九七三年、岩崎稔監訳、作品社)が刊行され、遅きに失したとはいえ、言語論的転回以降の歴史学を論じる場合に不可欠の書物だけに、大きな議論を呼び起こしそうである。事実、一〇月には、国際シンポジウム「『メタヒストリー』の射程で考える歴史叙述と記憶の問題系」が東京外大で開催されている。

 『メタヒストリー』の中身については、すでにあまたの解説本が刊行され、ここで屋上屋を重ねる必要はないだろう。それは、一九世紀の歴史家のテクストを詳細に分析、歴史叙述の深層意識を解明して、彼らが研究に先立つ認識目標から特定の様式を選択していることを明らかにしている。歴史叙述といっても、ひとつはプロットについてであり、ロマンス(ミシュレ)、喜劇(ランケ)、悲劇(トクヴィル)、風刺(ブルクハルト)というかたちで、歴史家は叙述に先立って「物語」(プロット)を選択していたという。もうひとつは、喩法(レトリック)の選択に関する問題であり、換喩(ヘーゲル)、提喩(マルクス)、隠喩(ニーチェ)、アイロニー(クローチェ)というかたちで、一九世紀の歴史哲学者たちが特定の喩法を特権化しながら立論していた点を論じている。

 このように、『メタヒストリー』は、プロットやレトリックに焦点を合わせて、一九世紀の著述家の文学理論的分析をおこない、「歴史の場が詩的に形象化」されていること、すなわち歴史記述によって創出される「現実効果」を検討し、「書くこと」がもつ「深層構造的な内容」を解明したのである。そこには、歴史学に対するいくつかのラディカルなメッセージが含まれており、当然、反発と疑念を招くことになった。すなわち、ホワイトのいう「歴史の詩学」は、歴史学とフィクション(詩・文学)の差異を曖昧化させはしないか、「歴史叙述の構築性」を認めることは、歴史家の主体性を復権させる一方で、事実のリアリズムを欠落させはしないだろうか、さらにいえば、競合する物語間の「価値相対主義」は、「何でもあり」の歴史叙述に帰結して、歴史家の倫理性を担保できるのか、といった「表象の歴史学」につきまとう問題が生じることになったのである。事実、日本での言語論的転回は、文学と歴史学のあいだの境界線をめぐる論争として、また、従軍慰安婦論争での実証主義史学かオーラル・ヒストリーかといった問題を軸に展開されてきたように思われるが、その背後には常に『メタヒストリー』が蠢くように存在していたのである。

 

 一連の訳書が刊行された二〇一七年の日本における知の地平は、『メタヒストリー』を中心とするホワイトの歴史哲学の論理構成の立体的な把握を可能にしているといえる。

 第一に、『メタヒストリー』執筆の直接的な動機である。一九六〇年代にもともと中世史家でもあったホワイトが目にしていたのは、一九世紀の歴史学への誤った理解による歴史家の理論的無気力状態(アパシー)であった。つまり、歴史を芸術と科学の中間形態に位置づけ、理論的な問いに対する抵抗・拒否を示していたのである。ホワイトによれば、実際の科学や芸術は自己反省的で自己意識的な発展をし、構築主義的性質を保有しているのであった。「歴史家の責務」とは、「歴史という重荷」から現在を解き放ち、「芸術や科学をわがものとせよ」ということにあった。「重荷」とは、歴史学を専門科学化すると見せかけ、客観性を追求するとしながらも、抑圧的な画一主義に陥らせていること、したがって「解放」とは、歴史家の個人的次元、未来に関する次元、文学的次元、つまり主体性や倫理性を復権することにあったのである。

 第二に、『メタヒストリー』の知的起源である。それは人文科学における言語論的転回を象徴する書物であり、その起源がソシュール構造主義言語学にあるとされてきた。論文「歴史の喩法」(同名訳書、所収)によれば、ホワイトにとってのインスピレーションは、一八世紀イタリアの思想家ジャンバッティスタ・ヴィーコの『新しい学』(第一版一七二五年、第二版一七三〇年、第三版一七四四年)にあった。そこで、ヴィーコは、歴史法則と喩法の関連性を論じて、歴史は「神々の時代」~「英雄たち(貴族)の時代」~「人間たちの時代」という発展段階をとって展開するとし、その発展段階における移行の解釈において、隠喩(神)~換喩(英雄・貴族)~提喩(民主制)~反語(堕落社会)というかたちでの文化・意識の比喩的変容を説明原理として用いている。ホワイトが『メタヒストリー』で用いた「歴史叙述の深層構造」への関心は、ソシュールではなくヴィーコから得られた着想だったのである。

 第三に、『メタヒストリー』のもつ射程についてである。「表象の歴史学」のアクチュアリティのリトマス試験紙となったのが、ソール・フリードランダーとの「「最終解決」と表象の限界」をめぐる論争であった。背景は、ドイツ歴史家論争の形態をとって現れる歴史修正主義の登場であり、そこでのナチズムやホロコーストをめぐる評価の問題であった。フリードランダー「ホロコーストは語りうるか」によって提起されるのは、ひとつには「競合し合う物語」のあいだに優劣の判断基準はあるのかという相対主義がはらむ認識論的問題であり、また歴史修正主義の「受け入れがたい」プロットが登場した場合における修正主義的言説の評価に関わる倫理的問題であった。その後、直写法(リアリズム)か比喩形象的表現かという「歴史の詩学」に関わる表現技法の問題が加わることになるが、ホロコーストをめぐる思索は後期ホワイトの中心的な関心事となっていった。

 

 こうした『メタヒストリー』は、歴史学の「本流」にどのようなインパクトを与えてきたのであろうか。

 ホワイトが『メタヒストリー』を刊行した当時、社会史研究が隆盛を極めていたが、それは戦後の経済史研究を批判するなかから登場してきた。その社会史でも、ナタリー・デーヴィスやカルロ・ギンズブルグらのミクロストリアの歴史家によって「物語の復権」が唱えられていた。アナール学派の社会史が社会集団(民衆・農民・労働者)に着目したのに対して、より個別の対象に注目したのがミクロストリアであった。ギンズブルグのいう「歴史を逆なでに読む」とは、テクストを細心に読むことで民衆文化の痕跡を発見し、歴史の全体像を再構築しようとするものだった。ギンズブルグらは、歴史叙述の物語性に共感しながらも、あくまでも資料の痕跡を解読する論理として物語論を活用する点で、ホワイトと異なっている。それは、歴史学の主流派の問題関心が社会史から文化史へと移行していくなかで引き起こされた物語論をめぐる論争であった。

 『メタヒストリー』がひとつの象徴ともなった「言語論的転回」以降の現代歴史学は、さまざまな「転回」を内含するものであり、それらは新たな転回の局面を迎えている。ひとつは、空間論的転回であり、それは、具体的には、グローバル・ヒストリーやトランスナショナル・ヒストリーというかたちで進行している。もうひとつは、時間論的転回であり、具体的には、ビッグ・ヒストリー(宇宙史)、ディープ・ヒストリー(人類史)、そして「人新世」(気候変動の歴史)などのかたちで登場している。それらは、宇宙論・物理学・地質学などの自然科学の影響を受けつつ、また新興の生命科学・神経科学などを援用することによって、共通して超長期的視点で歴史を捉えようとしている。現代歴史学は、時間論的・空間論的スケールを拡大して「大きな物語」へ回帰を示しているといえる。

 現代歴史学において時間論的ならびに空間論的転回が進行していくのには、いくつかの背景がある。空間論という観点からすれば、これまでの「国民国家」単位の歴史叙述が、グローバリゼーションによって機能不全に陥っていること、また、ミクロストリアなどへの文化論的転回によって、分析対象がミクロ化・断片化してしまったことへの反発がある。他方で、時間論の観点からすれば、かつての歴史学は、因果関係論的思考にもとづいた長期的視点から、現実への問題提起を積極的におこなってきた。だが、史料の氾濫や研究史の蓄積によって研究対象が狭隘化していくにつれて、「近視眼思考」が蔓延してしまった。こうした研究状況が、「小さな物語」の氾濫と「大きな物語」の消失というポストモダン状況を生み出して、長期的・広域的視点の欠如はまた、歴史学の実践性の喪失をも招いているというのである。

 最近のホワイトは、「歴史の重荷」論を発展させて「実用的な過去」という概念を提出している。かつて「歴史の重荷」として提出した近代的な専門の歴史家によって組織化され構築された過去を「歴史的な過去」と呼び、それに代わるものとして実践的な問題を解決するのに必要な情報や考え方を「実用的な過去」と呼んでいる。時間論的・空間論的転回という現象に見られるように、歴史家のなかでも、歴史研究のスケールを拡大して、現代の人間社会が抱える諸問題に取り組むことにより、歴史学の実践性と倫理性を復活させ、歴史学の存在意義を再確認しようとする「歴史学のマニフェスト」(D・アーミテイジほか『これが歴史だ!――21世紀の歴史学宣言』刀水書房、二〇一七年参照)が広く共感を集めている。そこでは、たとえば、グローバル・ガヴァナンス、格差と貧困、気候変動や環境問題への取り組みが求められている。この提言にもみられるように、ホワイト『メタヒストリー』のメッセージは四〇年がたったいまでも、歴史家の実践に深く沈潜して影響を与え続けているといえるだろう。

 (北海道大学教員、イギリス近現代史・歴史理論)

笑いがはじけるうたになって凱旋

啄木の心的多面性が、肉感的に迫る
評者:工藤正廣

 一九一二年に亡くなったから、いま、一〇五年たって、啄木のうたが「おんば」訳の装いで、もどってきた。笑いがはじけるうたになって凱旋。どうやら勝ち戦。大船渡のケセン語があふれかえる。こころと声、着のみ着のまま、生の声を聞かせてくれて。

 ためしに声を出して読んだら、笑いがとまらなくなるし、かなしさもしみじみと切になり、また啄木の心的多面性が、肉感的に迫る。抒情歌だとばかり思い込んでいたら、まちがいだった。二十六歳の啄木は、大船渡の「おんば」だぢにとっては、かわいくてならない若い衆なのだ。取り澄ました才木のうたを愛撫し裸にする。

 岩手県大船渡の杉下、沢川、長洞、永沢、後ノ沢、などの仮設住宅に集い、詩人で大学の先生もやっている新井高子さんこと・あらたかさんが二〇一四年、震災の三年後から去年一六年まで都合九回通いつめて、八十路の坂をなお越える海のおんばだぢと交歓しあって生まれた一冊。

 わたしはまずページの左にある啄木の名歌を久しぶりに眼で読む。久々に対面して、やはりいい。まだ死ねないことばだ。で、こんどは、ページ冒頭の「おんば」共同訳を眼で読む。大船渡の山浦玄嗣さんの福音書訳を思い出した。啄木のうたは、ちょっと、福音書みたいになる。それから編者あらたかさんの口上を盗み読む。眼だけはあぶない。そこで、啄木の原語をそのまま共通の日本語で、アクセントも少し気取って澄まして高めの声で読む。心持ち薄い。平べったいかな。そのあと、ゴチックの肉厚のおんば共同訳を、声をあげて読む。なんだこれは!? 突然、歌体が一変、笑いがはじける。これを全ページ繰り返した。日本の詩歌を読んで笑いがこみあげてくるのは初体験であった。

 啄木のうたがこんなに愉快な笑いを秘めていたとは! もちろん、五章の『悲しき玩具』からの十七首は、切ないが。実は、わたし自身が津軽ことばを母語としているので、これはたまらない。

 東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる――、これが「ヒンガスノ・コズマノ・エソノ・スカッパデ・オラァ・ナギザグッテ・ガニド・ザレッコシタァ」となる。日本国という小島の砂浜で若い啄木が時代閉塞の現状に泣くとも聞こえ、函館の海ではなく、いやここは大船渡の砂浜、啄木が盛岡中学の旅行でここに来たとき、津波後の光景にも重なるようだ……。

 訳集ノートのエッセイにはうならせる卓見が沢山。啄木のうたの裏には岩手の土地ことばの不定形が隠されている。それを、大船渡のおんば(御婆? 老媼?)だぢが楽しげに訳語り。土地のことばは一枚岩というわけではない。個々人の土地ことばがあるだけ。それがうたのポリフォニーだ。どれもみなよくて例をあげたらきりがないので読者に委ねる。東北日本語に疎くても、声を出して読みさえすればできあがりだ。

 二〇一七年、「東北おんば訳」は、啄木のうたの音域(本音)をとりだして歌ってくれた。

 

 ふと思い出す。今は亡き坂口昌明さんが、自身も含めてだと思うが、「東京弁こ者」と言っていた。そしてある時、自分で「津軽のことば」で詩を書いていいものか問いが来た。その収穫はすさまじ創造だった。あらたかさんがこのプロジェクトの座元になったのにも、同様に現代詩人としての創造の文脈がある。おんばだぢのもとに通いながら、彼女自身がケセン語に誘惑されのりうつって、現代詩民譚として、土地の民譚を土地のことばで生まれ変わらせた経緯がある。

 内国向けのスタンダード日本語だけでなく、地方語が秘める音像の豊饒世界を、どんなふうに世界の人々に聞かせていくのか、あらたかさんはそんな夢があるにちがいない。これも世界語ですよとでもいうように。

 啄木のうたのおんば訳は、世界から来てこれから日本語を学ぶ留学生にとっても必読のテクストだろう。賢治ではなく、啄木のうたを名指ししたおんばだぢの功績だ。

 わたしは哄笑しながら、啄木がもっと好きになった。お笑い芸人もやれたかな。津波の天災の死にもめげず、高齢もなんのその、おんばだぢは、どっこい生ぎで、若死にした啄木を、そのうたを、めごがって、おぶって歩いてくれたのである。有り難いことだ。

(ロシア文学者)

姉をテロで亡くした十歳の男の子と崩れた家庭

テロが身近なことになってしまった現実を子どもたちに知らせる児童文学
評者:名取弘文

 「ぼくの姉さんのローズは、暖炉の上においてある壺の中にいる」。これが書き出しだ。「五年まえの九月九日」にローズは公園で遊んでいてテロに遭って亡くなった。父と母は墓をつくるか、火葬にして遺灰は海にまくかでけんかになる。ばらばらに見つかったローズの体を二人は分けて、父は遺灰にし、母は墓に埋める。母は美術大学の教員だが、建設業の父は失業中。やがて母はテロ事件サポートグループで出会った男と暮らすことになり家を出ていく。父とローズと双子のジャスとぼく、そして猫のロジャーはロンドンから地方に引っ越す。母からは音信がなく、父はアルコール依存症になる。

 ぼく=ジェイミーの誕生日。郵便屋を待つが、手紙もプレゼントも届かない。二日後にスパイダーマンの絵柄のTシャツだ。ジェイミーは毎日着ることにする。

 事故や病気で家族の誰かを亡くしたあと、絆が強まったという例もあれば、ジェイミーのようにバラバラになってしまう例もある。福島・飯舘村でベコ屋をやっていた長谷川健一さんが「核っていうのは、村も家族も分裂させる」と言っていた。テロも核もたんなる事故ではない。意図的な加害者がいる。

 ジェイミーの父親はイスラム教徒、特にパキスタン系の人たちを犯人の一派と思いこみ敵意を持つ。はたしてそうなのか。

 テロのニュースは毎週のように流れる。イギリス、フランス、トルコ、イラク、シリア、アメリカ、ロシアと続く。時限爆弾、自爆、車にしかける、車で突っ込むとやり方もいろいろだ。しかも、人々が集まるイベント会場、スポーツ試合場、公園、駅と場所も選ばない。被害を受けるのも、年齢、性別、職業を問われない。だからテロは卑怯だといわれる。

 映画『アルジェの闘い』の中でアルジェリア民族解放戦線のリーダーが逮捕され記者会見の場でテロは卑怯といわれたのに対し「では、ベトナムを空爆するのはどうだ。住民は男女も赤ちゃんも子どもも効率よく殺されている」と反論する。その指摘に私は共感してしまう。

 日本軍の重慶爆撃はどうか。スペイン・フランコ軍のゲルニカ爆撃はどうだ。ヒロシマ・ナガサキの原爆投下は大量テロではないかと言いたくなる。

 物語に戻ろう。

 転校したジェイミーの席はスーニャの隣。スーニャはイスラム教徒だ。授業は作文で題は“たのしい夏休み”。ジェイミーにはスパイダーマンのビデオを観たことだけの夏休みだ。作文が書けないで困っていると、スーニャが「つくっちゃえば」とささやく。ジェイミーは父母と姉二人と海に行ったという話を書く。

 姉のローズはテロで殺されている。それがもとになり家庭は崩壊したのに、なぜジェイミーはローズが生きているかのような作文を書いたのか。この物語の中には心理は分析されていない。読者の想像力が問われている。

 ジェイミーには前の学校でも友だちがいなかった。今度の学校ではどうか。昼休みに一人で校庭の芝生にねそべっていると、スーニャが「わたしが仲間だって気づいた」と話しかけてきた。ジェイミーは意味がわからず「仲間なんかじゃない。ぼくの姉さんは爆弾で殺されたんだ」と叫んでしまう。

 ジェイミーはスーニャと仲良しになる。が、イスラム教徒と友だちになったことを父が知ったらどうなるかが心配だ。

 テロのことをテーマにした児童文学作品はなさそうだ。でも、テロは身近なことに残念だけれど、なっている。テロを口実に日本では「共謀罪」が作られてしまった。

 そういう現実を子どもたちに知らせる必要がある。その意味でこの作品をすすめたい。

 原題は「姉は暖炉の上で生きている」なので「さよなら、スパイダーマン」はとってつけたようなタイトルで私は好きでない。

(おもしろ学校理事長)