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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

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 ◆ 3332号(12月16日発売号掲載)

資本主義の「外」へ

いま自分が生きている社会を撃て
対談 白井聡×丹羽良徳

 ■恒例の年末回顧・読書アンケート号をお届けする。今年はロシア革命から100周年だったが、あまり話題にはならなかったようだ。もはや革命は歴史のゴミ箱に捨てられたのか……。そのあたりの消息を考えるにあたって、比較的若い世代のアーティスト、オーストリア・ウィーン在住の丹羽良徳氏の日本滞在の折に、政治学者・白井聡氏と対談していただいた。(対談日・11月19日、東京・高田馬場にて。須藤巧・本紙編集)

 ■ソ連圏という「リアリティ」

 白井 今年はロシア革命から一〇〇年ということで、様々な媒体から原稿を依頼されたのですが、色々あってなかなか書けませんでした。歴史的事実の探究はいまも続いていますが、今日の視点からスターリンやレーニンの暴力がどうだったのかということがあらためて語られているなかで、自分の視点をどこに置いたらいいのかがよくわからなかった。どうしたものかと考えていたら、面白いことをやっているアーティストがいることを知りました。レーニンに関するグッズなり記憶なりが家にありませんかと、モスクワで訪ね歩いている日本人がいると。それが丹羽良徳さんでした。こういう迫り方があるのかと思いました。丹羽さんの作品は懐古趣味ではなくて、いかに資本主義社会と対峙するか、どう異化するかを考えているように見えます。そのように真正面から取り組んでいる現代アートの人は少ないのではないかと感じました。

 丹羽 二〇一一年と一二年にかけて、国際交流基金の企画した展覧会のためにモスクワに三回行きました。それまではロシアには行ったことがなかったのだけど、その土地の歴史認識が市民生活へどんな影響を及ぼしているのかを作品にできないかと考えていました。合計で二か月くらい滞在し、ネットでの広告や地下鉄駅でチラシを配ったりして、「レーニンだとわかるオブジェクトを持っていたら、何でもいいので、連絡をください」と一般市民に呼びかけたところ、かなりの市民が連絡をくれました。一軒ずつ訪ねていって、展覧会の期間中だけ貸してもらい、展覧会会場のモスクワ市近代美術館に一つずつ持っていき合計で一五〇点ほどが集まりました。その過程の一部始終をビデオで記録し編集したのです。

 「共産主義をめぐる四部作」というのがありまして、このモスクワの作品はその二つ目なのですが、その前段階としてルーマニアで作品を制作しています。首都ブカレストで、共産党の人を胴上げさてほしいと懇願しにいくプロジェクト「ルーマニアで社会主義者を胴上げする」を実施しました。大学生の頃、一九八九年のルーマニア革命の様子をアマチュアカメラマンが撮影したドキュメンタリーを見て、「こんな革命があった国が、日本で生きているぼくらのリアリティの一直線上にあるだなんて」と衝撃を受けました。それでその日のうちに、あらゆるルーマニア国内のアートセンターにコンタクトしたんです。ブカレストのアートセンター「パビリオン」が強い関心を示してくれて、胴上げの企画を提案したところ「やろう!」と五分くらいでメールが返ってきた(笑)。彼らも革命について語りたいんだけれども、「胴上げという、自分たちではできなかったことは、外からやってきた君にしかできない」「自分たちの歴史を語ることの難しさを代弁してくれる人が欲しいんだ」と言われました。このアイデアを作品にしたのが二〇一〇年冬ごろです。のちに、それが東欧革命や社会主義や共産主義といった歴史を考え始めるきっかけになりました。それ以前は、突発的なパフォーマンスをしていました。例えば、二〇〇四年に制作したのは、旧東ベルリンの水たまりの水を飲んで、旧西ベルリンに吐きに行くというものでした。当時は共産主義といった大きなテーマが念頭にあったわけではなく、かつて存在したものと、現在目の前に存在する風景の違いをどう自分のなかで消化できるのかと考えていました。

 白井 ぼくは一九七七年生まれで、丹羽さんは一九八二年生まれで、五歳差ですね。この差は、時代経験としては結構大きいのではないかと思います。というのは、ぼくはかすかにですが、ソ連圏があった時代を小さいころの記憶として持っています。ゴルバチョフが登場して、どうやら大きく変わるらしいぞということで、大人たちが騒いでいた。湾岸戦争もあったりしました。おそらくぼくがギリギリの世代で、ほんのちょっと年下になっただけで、ソ連圏があったことは教科書では知っていても、「リアリティ」としてそれがあったかというと、幼いので難しくなってくると思います。

 丹羽 はい。ぼくもソ連圏が存在していたリアリティを持っていないんです。例えばベルリンの壁の崩壊にしても、それが何を意味していて、実際に何が起こっているのかは当時わかりませんでした。だからこそ、余計な偏見を持たずにルーマニアやモスクワに行ったりすることができたのかもしれません。

 白井 ぼくらから上の世代は、イデオロギー的な刷り込みがあります。日本は西側であって、東側は別世界であると。東側は基本的に自由がない世界で、おっかない警察国家だと。そこにゴルバチョフが登場し、安堵が広がった。なぜなら、一つには核戦争の恐怖からの解放です。米ソのトップが「これ以上の軍拡をしてもしょうがないですよね」と合意した。二つ目には、ようやく同じ世界観で話ができる相手が出てきた、という雰囲気になった。人間の尊重というような普遍的価値観を共有できるから、やっと話が通じそうだぞ、と。しかしその後、あれよあれよという間に東側が崩壊していく。いまとなっては、両者が歩み寄っての和解は見かけだけのことで、さまざまな側面から西側が攻撃をかけて、東側を潰したということがわかるわけですが。

 その直接的な帰結が現在の消費社会化と新自由主義(ネオリベ)化です。あの当時ほとんど誰も予期していなかった、ソ連圏がなくなることの帰結をわれわれは経験しつつあるわけです。あの世界があることによって、西側の資本主義に一定のブレーキがかかっていた、つまり社会主義的な原理をある程度入れないと、体制の正当性が持たないということで修正資本主義になっていた。ところがいまやそんな粉飾をする必要がなくなった。

 ぼくらより上の世代は殺し文句を持っていました。「お前、ソ連の世界に戻りたいのか?」と。「トイレットペーパーがないんだぞ。真冬でも行列して物を買わないといけないんだぞ。そんな世の中でいいのか?」と。それが殺し文句になりえたのは、そのリアリティをみんなわかっていたからです。このことが、ブレーキのない資本主義の無制約の全面化という状況になって、その弊害がドンドン可視化されてきても、「資本主義以外の選択肢はないよね」という発想を支えてきました。

 ところが、現実のソ連や東欧を知らない世代が、だんだんと世の中の中心になりつつあります。このことの政治的な帰結は、例えばイギリスではっきり出てきているのではないかと思います。つまりジェレミー・コービンの人気の高さです。コービンは一時期、労働党の内部でも「話にならない」と言われていました。トニー・ブレアが出てきて、「ニューレイバー」(新しい労働党)だと言い出して、政権も獲った。コービンは「そんなものはダメだ。俺は本当の社会主義を貫くんだ」とし、まったく主流派ではありませんでした。しかし巡り巡って、ニューレイバーの路線は否定され、特に若い人たちがコービンをものすごく支持している。「あのおじいちゃん、いいこと言うね」と。「あんなソヴィエトおやじのどこがいいんだ」と中年以上の連中は呆れていますが、若い人たちからすると「ソヴィエトの何が悪いんだ」となるわけです。

 丹羽 まさにそうだと思います。ぼくの世代くらいから、社会主義や共産主義社会が「どうやらあったらしい」と想像することしかできないんです。大学あたりでそういう世界がかつてあったことに気づきますが、日本に住んでいる限りは、目の前にそれが「リアリティ」として存在しない――働いても働いてもお金も喜びも生み出さない社畜として無限に搾取される資本主義社会のリアルな生活のなかで、「こんな辛い生活なんて、もううんざりだ」となってくると、本当に「資本主義以外の選択肢はないよね」っていう結論は正しいの? って疑問が出てくるんです。そういえば、かつて社会主義っていうのが輝いていた時代があったらしい、資本主義の生活がこんなに辛いなら、もう社会主義に戻ってもいいじゃないかと。もしかしたら、社会主義の目指した理想それ自体は間違ってなかったのかも? と考えが進むんです。だからかつて社会主義体制を敷いていたルーマニアやロシアに行かないと、何も始まらないという「思いこみ」がありました。

 白井 ルーマニア共産党はいまどのくらいの勢力なのですか?

 丹羽 ちょっと複雑な状況で、二〇一〇年当時まだ共産党が合法か違法かがルーマニアのなかで揺れていました。

 白井 革命によって打倒された側ですからね。

 丹羽 「共産党」という名前をつけること自体が、革命直後からずっと違法だったわけです。しかしルーマニアがEUに加盟するために、共産党も認めなければいけない。それで国内がずいぶん揺れていたようです。ぼくが行った当時はまだ共産党は違法だったみたいです。ぼくが取材した党が二つあるのですが、そのどちらもが「俺らこそが正統な共産党だ」と言い張っていました。その片方が、党内で決議をし、「ルーマニア共産党」に党名変更の宣言をしたところ、ぼくが日本に帰ってきた直後くらいに、テレビのニュースで「手続きしたけど、やっぱり違法」という裁判の結果が出たと報じられていました。そのあとのことはわからないのですが、当時、支持率は0・04%の、超ミニ政党でした。

 白井 面白いのは、ロシア共産党はいまだに強いですよね。最大野党のはずです。ぼくがロシアに行ったのは一九九九年から二〇〇〇年にかけてのあたりですが、最大野党であるとはいえ、その候補が大統領選で勝つのは無理だと言われ、また、支持者の高齢化が進み、「未来がない」と言われていました。しかしそう言われながら、いまもなお有力野党の座を守っている。ルーマニアでそこまで共産党が衰退したというのは、それだけ嫌われていたのでしょうね。

 丹羽 共産主義へのアレルギーがひどかったようですね。共産党によって国がボロボロにされたという記憶が残りすぎていた。

 白井 そうですね。圧政がひどかったからこそ、チャウシェスクもあそこまでやられた。

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翻訳不可能性の象徴ともいうべき「ギャバガイ!」

思考を刺激し続け、30年も“生き残って”きた本の邦訳
評者:氏家達夫

 ショウペンハウエルは本について次のような悪口を書いている。「分厚い図書目録をながめながら泣きたい気持に襲われない者がいるだろうか。だれでも、十年たてば、この中の一冊も生き残ってはいまいという思いに打たれるはずである」(『読書について』岩波文庫)。本書『ギャバガイ!』は1986年に出版されたものなので、10年どころか、30年も“生き残って”きた本である。

 もっとも、ショウペンハウエルはそんなことを本に書いているのだから、あまり当てにはならない。本書のタイトルは、クワインのいう翻訳の不可能性の象徴とでもいうべき“語”である。翻訳不可能性は、厳密にいえば、異なる言語をもつ人々の間で問題になるだけでなく、ことばをもたないもの(動物や赤ちゃんなど)とことばをもつもの(動物心理学者や親など)の間のたがいの理解可能性や、そもそもおなじことばをもつ者同士で交わされていることばをたがいが正確に理解しているかどうかという問題でもある。としてみると、クワインは真空に向けてギャバガイというエピソードをいいはなったのだろうか?

 よい本は長い間生き残り、しかもそこで書かれたことは、著者の思惑を大きく通り越して、後の人々の知識となり、思考を刺激する。プレマックが本書のタイトルになぜこのことばを選んだのか、もちろん私にはわからない。しかし、想像することはできる。プレマックは、そんな壁の上に立ち、ギャバガイ!と叫んだ。そしてクワインも、当然のことながらそんなことは百も承知だったに違いない。ただ、ショウぺンハウエルのことばによれば、それはおそらくとても人間的なことなのかもしれない。この毒舌家は、「読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない」といい放つ。われわれが本を読む時、もちろんいつもというわけではないが、それだけで済むことはない。本書でプレマックは、クワインの推奨するテストをヒト以外に適用してみた結果として、ヒトの奇妙さを次のように述べる。「我々ヒトは、個別に同意した多種多様な文を結合しようとする、あるいはすることができる唯一の生物なのかもしれない」。そしてそのことは、毒舌の哲学者の次の2つの警句を思い起こさせる。「熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる」。「紙に書かれた思想は一般に、砂に残った歩行者の足跡以上のものではないのである。歩行者のたどった道は見える。だが、歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない」。その意味で、本書のタイトルは「ギャバガイ!」なのだろう。

 科学的業績は論文で発表される。1つの論文にまとめきれない大きな図やそこからこぼれ落ちるデティールは、時折本としても刊行される。本書は、そのようなアカデミックな印刷物の裏話だ。おそらく訳者のテイストも反映して、本書の語り口は軽妙だ。プレマックは、次々と問いを発し、思考実験を行い、そしてそれを、多くの場合数頭のチンパンジーや時々少数のヒトの子どもを対象に、これでもかといわんばかりの数の行動学的実験を行って検証していく。数々の仮説やモデル、理論が批判され、理解が厳密化されていくプロセスは、ある意味痛快ではある。しかし、読み進めながら、私には、ギャバガイの壁より、知的能力の壁が立ちはだかった。本書は、読みやすいが理解はむずかしいのだ。本書は嫌でも読者に熟慮を求め、自分の目で・頭で、経験に置き換えて見ることを求める。だからこそ本書はギャバガイを乗り越え、刊行後30年たっても新たな翻訳を出そうという動機を訳者や出版者に掻き立てるのだろう。

 プレマックの仕事の一部は、彼の同志とでもいえる才能あふれるメスのチンパンジーであるサラに負うところが大きい。サラは、私が専門とする領域のことばを使うと、ハイリスクだと考えられる。彼女は幼いころ故郷から“誘拐”され、遠く離れたアメリカで一流の被験者に育て上げられた(ここで私は、誘拐され有能な兵士に仕立てられた子どもたちのことを思い浮かべている)。彼女の能力はチンパンジーの標準に比べて劣ることなく成長し、ウェルビーイングにも問題はなかったようだ。本書で紹介される内容を読む限り、彼女はレジリエントだったのだ。いかに彼女がレジリエンスを発揮したのか知りたいものだと思う反面、もしかすると彼女(だけでなく、他のチンパンジー)が実はそれほどレジリエントではなかったのではないかという思いも拭えない。もしそうだとすると、プレマックの質問に対する彼女の答えは、彼女の優れた能力の表れ(したがって、チンパンジーにできることの限界)ではないかもしれない。感動的なまでに従順な研究協力者であったように見えるのもアタッチメント障害の子どもの特徴的な行動に見えなくもない。

 未来の“猿の惑星”でプレマックやサラがどのように評価されているのか見てみたいとも思う。

 (名古屋大学教授)

『存在と時間』という豊饒な書物に、読者を哲学することへと誘う

ニュースクール・フォー・ソーシャル・リサーチでの講義録
評者:柿並良佑

 時に難解な哲学書の筆頭に挙げられ、またある時には現代の古典とも目される哲学書の入口に犇めく解説書に、衒いのない題名の一冊が加わった。ハンナ・アーレントらヨーロッパからの亡命者を受け入れたことでも知られているニュースクール・フォー・ソーシャル・リサーチでの講義録という形で、題名どおり、ハイデガーの主著が読み解かれていく。著者(教師)の一人、同校で教鞭をとるクリッチリーは『脱構築の倫理』(未邦訳)や『ヨーロッパ大陸の哲学』(岩波書店)など、いわゆる「大陸哲学」の研究者として知られる一方、最近ではデヴィッド・ボウイ論なども上梓するユニークな哲学者である。

 そのクリッチリーが「初心者のためのハイデガー」という月並みながら魅力的な名の章を割いているのはしかし、ハイデガーが師フッサールから何をどのように継承し、そして批判していたのかという問題である。『存在と時間』第七節末尾の注に、同書が「現象学的地盤の上でのみ可能になった」と記されていることを知る人は多いだろうが、その言わんとするところはどれほど理解されているのか。『時間概念の歴史への序説』――クリッチリー曰く、『存在と時間』の「葬られた現象学的な序文」――など、前史にあたる講義録を随時参照しながら、ハイデガーが目を付けたフッサール(とくに『論理学研究』)の革新的な着想が順を追って説明される様はまさに入門講義であって、『存在と時間』という豊饒な書物には「初心者」として接近するべき側面が今なお残されていると思わずにはいられない。

 さらにはドレイファスなどを論争相手として英語圏におけるハイデガー解釈の現場に踏み込んでいくという点も合わせれば、このタイトルはなかなかに挑発的なものと映ってくる(蛇足ながら、本訳書冒頭の日独英にまたがる訳語対照表は訳者による小粋な贈り物の一つだ)。まさにその論争は第七節の解釈をめぐるものであって、そこを起点としてどのように「『存在と時間』を読む」かが決定的な問題となる。クリッチリーはハイデガーの書物を一方では「整合的」に提示し、「正当化」しようとも試みる一方、その記述の不分明さなどについてはしかるべく疑義を呈してもいる。古典への取り組み方の範例として同講義が単なる入門に終始しない所以である。そのうえでなお、「哲学すること」を「現象学すること」と捉え、それをハイデガーと共に行うことを主張するクリッチリーは読者を「始める人」としてのビギナーたることへと誘ってもいるのだろう。その際に必要とされる方法論的な厳密さが現象学との関連を強調する所以だが、それは多様な知的「蒙昧主義」から距離をとろうとするクリッチリー、大陸哲学と分析哲学の交差点に身を置く『ヨーロッパ大陸の哲学』の著者のなせる業だ。

 一方のライナー・シュールマンは本邦ではほとんど紹介されていないと思われるため、少しばかり生涯を追っておこう。一九四一年、ドイツ系の両親のもとにアムステルダムで生まれ――自伝的物語『さまざまな起源』によれば「戦争を見るには早すぎ、忘れるには遅すぎた」出生――、一九七一年にアメリカへ居住、一九七六年以降、一九九三年に没するまで本講義が行われたニュースクールの哲学科教授を務めた。著作はすべてフランス語で出版されており、六〇年代のドミニコ修道会での研鑽の成果としてパリ大学に提出された博士論文『マイスター・エックハルト、あるいは彷徨する歓喜』(一九七二年)は、ハイデガーの影響を受けつつ神秘主義者のテクストに翻訳と注解を施したものであった(付言すればシュールマンはアメリカでの教育活動をドミニコ会の司祭として開始している)。続く国家博士論文『アナーキー原理――ハイデガーと行動の問題』(一九八二年)は理論/実践という対の脱構築に着手するもので、西洋的思考の根本原理の崩壊を分析し、思考と行動の「アナーキー原理」へと向かうことを試みる。一九九六年に出版された大著『砕け散ったヘゲモニー』はこの仕事を承け、ギリシア・ローマ・近代をそのつど統べてきた原理の構築と崩壊を終生問い続けたシュールマンの遺稿であり、それまでの彷徨・アナーキーといった主題がここに集約されている。

 さて、本書の配列とは異なり時代を遡るシュールマンの講義は、『存在と時間』の内的構成を浮き彫りにしていくものだ。しかしいわゆるハイデガーの後期思想との一貫性を強調する点でクリッチリーのそれとは対照的であり、この姿勢が現象学の捉え方にも反映されている。その現象学が「解釈学的」であること、「基礎的存在論」が要請される際の「基礎」という語の意味……等々、序盤に現れながらも書物全体の理解を左右するポイントが丁寧に説明されるほか、どの解説書でも取り上げられる用語の端的な言い換えは、本書の理解に今一つ自信が持てないでいる初学者あるいは再入門者に強力な指針を提示してくれる。例えば「世界内存在」という構造がまだ「余りに形式的」なため、いわば「気遣い」がこの構造を「充填する」、等々。そのようにして『存在と時間』という書物の基本構造を、ハイデガーの記述に立ち戻りつつ進むシュールマンの講義は、例えば新書サイズの入門書を踏まえてからこの哲学書に挑んで呻吟した経験のある人々を鼓舞し牽引する一方、その「体系的」な理解がもたらす困難な点に取り組むことも忘れない。〈本来性と非本来性〉の優先順位をめぐる矛盾した記述や、〈理論と実践〉という対のハイデガーによる乗り越えの企図とそこにみられる問題はアクチュアルだ。

 先に触れたとおり後期思想に重きを置くシュールマンの講義だが、技術の問題などについては本題をはみ出すこともあってか、多くは語られていない。『アナーキー原理』の執筆・出版はまさにこの講義の行なわれた時期(一九七八、一九八二、一九八六年)に重なっている。そうしたシュールマンのさらなる思考が日本語でも読めるようになることを一読者としては願わずにはいられないが、これも本訳書が開く可能性の一つだろう。

 その点を補うかのように第三部として収録されたクリッチリーの講義は、本来性を軸にした〈哲学と政治〉の結束を切断するために、非本来性を根源的なものとして把握し直す試みである。ハイデガー哲学の解釈としては議論を呼ぶところだろうが、人間と動物や自然の境界を問いに付す哲学が「植物状態」や「英雄的でない死」といった現代社会ならではのテーマとどう格闘するのか、その際にあらためて(あるいはいかにして)ハイデガーを読むことができるのかどうか、一つの方針を指し示すものと言える。

 ハイデガー哲学を専門とする研究者による翻訳が学術的信頼に足るものであることは言うまでもないが、講義であることを意識して採用された敬体がこの少し風変わりな解説書を多少なりとも読みやすいものにしていることは、最後に明言しておかねばなるまい。

 (現代フランス哲学)