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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

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 ◆ 3333号(12月23日発売号掲載)

語り口が小説を導く

小説を機械化、分業化していった先に一体なにが残るのか
対談 磯﨑憲一郎×円城塔

 ■このたび、磯﨑憲一郎氏が『鳥獣戯画』を講談社から上梓した。二〇一七年に作家生活一〇周年を迎えた著者が小説の可能性を極限まで追い求めた、野心的な長篇小説である。本書の刊行を記念して、奇しくも同時期にデビューした小説家の円城塔氏とのトークイベントが11月27日、紀伊國屋書店新宿本店にて行われた。本稿はその採録である(村田優・本紙編集)。

 ■簡単に文章が書けてしまうことの不幸

 磯﨑 今日は一応『鳥獣戯画』刊行記念ということになってますが、ただこの本が面白かったとか感想を言っても予定調和みたいでつまらないので、そうならないよう、今回は二人で雑談しようと思います(笑)。

 まず、僕と円城さんとの関係を説明しないといけませんね。人前で二人で話すのははじめてです。実は僕たちは同じ二〇〇七年にデビューしまして、円城さんは「オブ・ザ・ベースボール」で上期の文學界新人賞を受賞し、『Self‐Reference ENGINE』(早川書房)も同じ年に刊行されました。僕は「肝心の子供」で文藝賞を受賞したので、厳密に言えば円城さんのほうが半年デビューが早いです。

 僕が最初に円城さんを意識したのは、二〇〇七年の秋に読売新聞の文芸時評でその年の新人を紹介していまして、僕と円城さんの写真が並んで載っていたんですね。円城塔ってこんな顔しているんだ、と。そのすぐ後のことだったと思いますが、円城さんのブログで二〇〇七年のベスト本に、僕のデビュー作の「肝心の子供」を選んでくれていたのを僕はたまたま見つけました。そのときに「円城塔っていいやつじゃん」って思って(笑)、すぐにメールを送りました。そこからいつかお会いできるといいですね、みたいなやりとりがあったのですが、円城さんと実際にはじめて会ったのがいつだったか覚えていないんですね(笑)。

 円城 僕も覚えてないです(笑)。

 磯﨑 おそらくなにかの賞の授賞式だったと思います。その後お互いの作品を読んだりはしていましたが、やっぱり円城さんっていい人だなぁ、としみじみ思ったのは二〇〇九年に僕が芥川賞を受賞したときのことです。芥川賞の選考会の後に記者会見があって、その前に控え室みたいなところで編集者や友達の作家たちが会いに来たりするのですが、その場所はまだ受賞していない人は来づらい雰囲気というか、来ないという暗黙の了解みたいなものがあるんですね。だけど、僕が控え室へ行ったらなぜか円城さんがすでにそこにいたんですよ(笑)。円城さんはまだ芥川賞を受賞する前だったのに。そのときにはもうそのぐらい親しい関係だったのでしょうけど、当日そこに来てくれた作家は円城さんだけでした。だから、暗黙の了解とかルールみたいなことに関係なく、来たいと思ったら来る円城塔は立派なやつだと思ったわけです。僕はそれがうれしくて、円城さんが芥川賞をとったときには自分も絶対にお祝いに行こうと思い、実際に「道化師の蝶」で受賞したときには行きました。

 円城 トランクを引きずって現われましたね。すぐに帰ってしまいましたが(笑)。

 磯﨑 (笑)。あのときは円城さんはしきたりみたいなものに従わない人だと思っていましたが、今では円城さんは円城さんだから来たんだと思っています(笑)。

 ところで、僕は二年前に会社を辞めて、今は東工大で授業を持っていますが、東工大に限らず、大学生で習慣的にいわゆる「純文学」を読んでいるのは百人中一人、二人いるかどうかですね。そうしたなかで、授業アンケートで好きな作家を書かせてみたら、意外に円城塔ファンがいました。僕の講義で円城さんをゲストとして招いたときは、普段一〇人ほどの講義だったのが三〇人ぐらいに増えました。これはその東工大の講義のときにも話しましたが、小説を読ませたり書かせたりしてみても、文学部の子よりも理系の子のほうがセンスがあるんじゃないかという気がします。

 円城 僕も今近畿大学で創作文芸の講座を一コマ持たされてもう二年になるのですが、今の子って文章はうまいですよ、割とそれっぽい感じに書けちゃう。昨今は本を読まなくなったと言われていますが、結局ずっとスマートフォンなんかを見ているんで日々目にしている文字の量は昔よりはるかに多いのは間違いありません。だからみんな、そつのない文章は書けてしまう。

 磯﨑 そうですね。僕もどちらかというと世の中一般で言われているほど、今の若い人たちは捨てたもんじゃないと考えているほうです。円城さんは大学で創作文芸を二年間教えてみてどうでしたか?

 円城 やはり文章はわりと書けるな、という印象はありますが、それ以上は特に……。やりたいことは昔も今もそう変わらず、文章のスキルのみが上がっているように感じます。また、文芸というものに対するイメージがあまり飛躍しないで、そこはむしろ保守的かもしれない。お手本みたいなものが、日常大量に目にするものとしてがっちりあって、彼らとしては文芸のフォーマットは疑われていないんだな、というのが一番の実感ですね。ただ石が転がっていくだけの話を書く人はいない――そんなもの書かれても困るのですが(笑)。登場人物がいて、主観があって、気持ちがあって、情景描写があって、台詞があって、みたいな感じで……。思うところはありますが、創作文芸の受講生はみんなやりたいことがバラバラなので、好きに書いてもらって後はこちらでいろいろと対応しています。

 磯﨑 しかし、早稲田にしても東海大学にしても創作科がありますが、創作科出身の作家というのはほとんどいませんよね。

 円城 日本ではまだそうですね。アメリカではクリエイティブ・ライティングの講座に入って在学中に短篇を書き、それが「ザ・ニューヨーカー」かなんかに載ってから次に長篇を書いて、なにか大きな賞をとったら創作科の先生として大学にまた帰ってくる……そういった鮭のようなライフサイクルがある。日本はその流れが確立していないから、なんのために五〇人ぐらいの学生を大学で育てているのかわからないわけですね。海に帰すと死んじゃう魚を育てているみたいなところがあって、これはちょっと罪深いぞ、と僕も思うわけですが、小説を書いてみてはじめてわかることだってあるじゃないですか。そういうこともあるから、「自分が幸せになるために書け」と僕は言っています。

 磯﨑 「自分が幸せになるために書け」って、すごい授業をやっているね(笑)。円城さんがそんな授業をしているとは思いませんでした。

 円城 それぐらいしか言えることはありませんよ。だって、海に帰したら死んじゃうんですよ(笑)。書いている過程で幸せになってくれとしか僕は言えません。それを繰り返しているうちに、一匹ぐらい鮭が帰ってくればいいと今では考えるようになりました。

 磯﨑 僕の授業の受講生はみんな理系だから生まれてはじめて小説を書く人がほとんどなのですが、書いてみたら面白かったと言ってくれる子が多い。ただ、はじめてでもある程度文章が書けてしまうというのが、ちょっとつらいところでもあります。

 円城 そこなんですよ。みんながピカソみたいなもので、小さい頃から写真みたいに正確な絵が描けるんだけど、そこからかたちを崩すとなると時間がかかる。彼らはすでに「小説」というものを発見しているので、世の中で売られているような小説の文章を見開き分ぐらいならすぐに書けてしまう、そしてそれは不幸なことでもある。

 磯﨑 だけど、実際にそれが商品として流通しているということなんですよね。普段そうした文章を多く目にしているから、自分でもそのまま書けてしまうということでしょう。

 円城 基本的に人は自分が見慣れているかたちの文章を書きますからね。だから、もっと携帯やTwitterの画面なんかに変な文章をガンガン流していかないといけない。みんなで変な文章を書いたほうがいい。だいだい、人はオリジナルなことはあまり書かないでよそから文章を拾ってくるんで、それならもう量次第ってことになってしまう。これは文学とは関係のない話ですけどね。

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宇宙への想像力の扉を開ける知の技法

情報リテラシーの装置としての図書館を論じる
評者:新庄孝幸

 二〇一七年二月に公開された映画『天使のいる図書館』(ウエダアツシ監督)は、二上山から金剛葛城山系の麓に広がる奈良県中西部地域を舞台に、図書館に就職したばかりの新人司書がレファレンスの仕事をとおして成長していく地域振興の青春物語である。同地出身の評者にとっては映像の一つひとつが懐かしく目に染みるが、映画の核となるのは当地よりも、図書館のレファレンスをきっかけに展開していく筋立ての方である。図書館は、古い写真を手に訪ねてきた利用者と司書をつなぐかけがえのない場であり、主人公は蔵書資料のレファレンスをとおして利用者の記憶を探り、写真の風景を見つけだし、隠された気持ちに触れる。そして、人と人をつないで再会させる天使のような役割をはたす。スクリーンからは、レファレンスが資料を媒介に現在と過去、記憶と未来をつなぐ手だてであることが伝わってくるのである。

 著者は本書『情報リテラシーのための図書館』でこの映画に言及して、「図書館がもつ、異なった時空にある人間どうしを結びつける役割がうまく表現されている」「インターネットの世界に入ると過剰に押し付けられるメッセージ、度を越して結びつきを強いるネットワーク、いつの間にかとりこまれてしまう情報コミュニティと対極にあるものがテーマになっている」と評する。図書館を舞台にした物語に見られる対面のやりとり、すなわちこの人的空間のなかでしか、本当の情報リテラシーは学べないのではないかと問うのである。

 情報リテラシーとは著者によれば、不確実な事実を外部的な事実と突き合わせ、事実の文脈を探り、情報にして理解し、知識を取り入れながら確実なものにし、統合して思考や判断、さらには知恵へと変換させていくことである。

 日本社会で書物が一貫して重視されてきた一方で、図書館の社会的認知が遅れ、評価が低かったのはなぜか。著者はその問いを起点に、書物論から文化論、情報論、教育論を総合的に検討することをとおして、本書の主題である情報リテラシーの装置としての図書館を論じる。ネット社会の現在においてはなおさら、知的コンテンツのアーカイブとネットワークの拠点としての図書館の役割がますます重要さを増していることを、本書は雄弁に物語る。

 情報リテラシーとは、『天使のいる図書館』の主人公がはばたく羽であるだろう。レファレンスはスプリングボードである。映画のなかで主人公の上司が「レファレンスをする時には、その一冊が利用者の人生を変えるかもしれないということを、きちっと考えて本を選んでください」というシーンがある。決して大げさな言い草ではない。なぜならレファレンス=参照行為とは、事実を別のそれと照らし合わせ、そこに文脈を見出し、次なる知のステップへの跳躍を示唆することで、人間世界のさらなる可能性を拡張させる行為であるからだ。

 本書が引用する、アメリカ図書館協会傘下の大学研究図書館協会(ACRL)が発表した「高等教育のための情報リテラシーの枠組み」(二〇一五年)は、デジタル情報社会における情報リテラシーの定義という意味でも示唆的である。簡単にいえばそれは情報を反省的に見つけると同時に、情報がどのように生産され、価値づけられるのかを理解することであり、新しい知識を創造すると同時にその情報を利用するのに必要となる能力の総体を指す。反省的、批判的な思考は情報リテラシー過程を進むための推進力であり、図書館のレファレンス機能を使いこなすための、著者いうところの自己トレーニングの方法でもある。

 だが近代以降の日本は、情報リテラシーを十分に身につけるにはいたらなかったと著者はいう。江戸時代の庶民が会読や議論で多様な学びや読み方をしていた豊かさは、明治以降には立身出世のための手段に堕し、大学入試制度がそうであるように、既成の知識が身についているかの試験が重視される一方で、みずから知識を創りだしていく能力は軽視された。しかも学びの内容も方法も上から統制され、批判的思考の習得がおろそかにされた。そのことが図書館のあり方まで規定してしまっているというのである。読み書きをする能力のリテラシーは高くとも、それを情報リテラシーへと自立的に展開していくことが弱い文化史的、教育的背景を著者は説明している。『天使のいる図書館』で主人公が嘱託職員から浴びた言葉が、極端ながらもここに響いてくる感がある。「知識というものは、想像力の扉を開けるための道具なんですよ。想像力に蓋をするような、そんな知識はない方がましなんだ。そんなものは機械だ、機械以下なんです」。

 著者はアルベルト・マングェルの『図書館――愛書家の楽園』(邦訳は白水社)を出発点に本書を書いたと述べている。マングウェルは図書館を人間の自画像であると形容した。図書館は現実の日常世界そのものを与えてはくれないが、私たちは世界のイメージについて思いめぐらし、それを様々に語り続けることができる。図書館とはその可能性を与えてくれる宇宙(「紙でできたなじみ深い世界や言葉で組み立てられた意味のある宇宙」)であり、私たちは物語や詩や哲学などをとおして宇宙の存在と意味を明らかにしようとする――。マングェルの言を踏まえれば、著者の情報リテラシー学は、宇宙への想像力の扉を開ける知の技法である。それを手だてに扉を開ける主人公は、他ならぬ私たちだ。

(ノンフィクションライター)

生きている私たちには近すぎて見えない生の現実

卓越した育児書であり、教育書であり、哲学書であり、演劇書だ
評者:水谷八也

 彼の眼は異様に澄んでいる。小柄で白髪、ひげを蓄え、少し足を引きずるように歩く彼の佇まいは、しかし、やはりその眼の澄み方と同じように美しい。舞台に立てば、彼の周囲だけ空気が違うことは、何度も目撃してきた。それは彼の外形とはおそらく関係がない。もっと内面的な、もっと根源的なことと関わりがあるとしか思えない。『彼の娘』はその彼に娘が生まれてからのことを書き綴ったものだが、その本は彼の作り出す演劇と同様、簡素でありながら、一言では言い表し得ぬものがあり、そして極めて刺激的である。

 彼は常識を欠いている。その欠き方は徹底している。そのことは彼の眼の澄み方と関連しているように思う。その澄んだ眼を思うとき、いつも思い起こすのがカスパー・ハウザーのことだった。19世紀のドイツに生まれ、詳細はいまだに不明だが、生まれた直後から16年間、地下牢に幽閉され、1828年5月のある日に、突然ニュルンベルグの広場に放置され、発見、保護された実在の少年のことである。彼は16年間、「ことば」というものに触れず、光の下でものを見ることなく生きてきた。彼はことばにより世界を解釈することなく、16年間、ただ存在していたのだ。世界からは「非在」として、彼は存在していたのである。彼はことばの呪縛などとは無縁に16歳の少年になり、無垢なまま無防備に世の中に突如、出現したのだ、大きな新生児として。

 彼はかつて、マームとジプシーを率いる藤田貴大が演出する野田秀樹の『小指の思い出』で、幻の当たり屋少年、カスパー・ハウザーの母、粕羽聖子を(分身として)演じたことがある。

 16歳にして初めて、地下牢から出されたカスパー・ハウザーの眼に、世界はどのように映ったのだろうか。それは初めて視力を得た新生児が世界を見るのと同じような体験だったのだろうか。時々そんなことを思うたびに、彼の風貌が、彼の眼が浮かんでくる。粕羽聖子を演じた彼はカスパー・ハウザーのような眼をして、ずっと生きているのではないか、常に世界を初めて見るように。

 その彼に娘ができた。「なにひとつ、〈予想〉を交えることは、しまいと思った。それは、彼女に対する礼儀だと思った」と書く彼は、彼女を最初から全体(whole)として受け止める。カスパー・ハウザーは教育により言葉を獲得し、「常識」を得るにつれ、当初備わっていた様々な特殊な能力を失っていった。だが彼は、娘が生まれ持っているあらゆる可能性が損なわれないように彼女と接する。何も押し付けず、何も奪わない。失敗の可能性すらも、彼女の権利として奪おうとはしない。だから世間からすれば、著しく常識を欠いていることになる。彼女は歩き始めた最初の3年間、靴を履かずに裸足で歩いていたが、彼女がそうしたい限り彼はそれを止めなかった。彼が止めたのは、彼女が水たまりの水を飲む犬を見て、ジュースを地面にこぼし、それを四つん這いで飲もうとした時くらいだ。

 彼の眼には、発見当時のカスパー・ハウザーと同じように、様々な「/」が存在しない。だから人/動物/植物の間の/をやすやすと越境する。彼の目にそれらは等価のものとして映る。男/女、大人/子供、生/死の/も意味はなく、可能性/不可能性、過去/現在/未来、存在/不在/非在の間の/すら半透明なのだ。「そう。〈現実〉が先生。お父さんはいつも、ただ、〈現実〉に教えてもらう」。彼は娘にそう言う。現実は常に言葉に先行する。そして言葉は現実に追いつくことはない。

 最近、彼の演出でこまばアゴラ劇場において上演された『を待ちながら』に出演していた彼の娘は、落書きだらけにされた黒い壁に「沈黙」と、白いチョークで書いていた。「ものは言語に置き換えられると陰影になる。言語が取り除かれると物は物としてのアイデンティティを完全に取り戻し、別なものを表すのではなく、むしろそのもの自体を体現する」(トニー・タナー『言語の都市』)。現実を先生とする彼は、徹底したリアリストでもある。

 そして読み進めるうちに、彼の書いたものは現実の話なのか、フィクションなのか、いつの間にか基盤となる時間が判然としなくなり、読者は不可思議な感覚に陥る。彼が作り出す演劇で感じるのとまるで同じ感覚だ。浮遊感が漂う雰囲気の中に浮かぶ彼と彼の娘との会話は、ほほえましい。にもかかわらず、その話題は最初から現実の「死」にまつわるものだった。彼の父親の死をめぐる娘との会話は穏やかに、しかし、冷徹に進み、多くの古典がそうであるように、語られた死はあいまいな生の輪郭、あるいは本質を浮かび上がらせる。

 最後の章もまた死のことを語っているのだが、そこでは個人の死の気配は希薄となり、むしろその死により、連綿と続く生命、存在の連鎖(Be+ing)が、束の間、想起される。生きている私たちには近すぎて見えない生の現実だ。その生には分かちがたく死が絡みついている。いや、死に生が絡みついているのかもしれない。

 何にもとらわれていない眼を持つ彼が書いた『彼の娘』は卓越した育児書であり、教育書であり、哲学書であり、演劇書だ。読み終わって、『ブルーシート』や『教室』や『を待ちながら』を体験した直後と同じような不思議な感慨を胸に、私はすでに成人した私の娘に『彼の娘』を手渡した。

(早稲田大学文化構想学部・文芸ジャーナリズム論系教授)