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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

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翻訳文学も日本語文学

クッツェーを読むとき、読者もまたクッツェーに読まれてしまう
くぼたのぞみ インタビュー

 ■このたび人文書院からJ・M・クッツェー著『ダスクランズ』が刊行された。二〇〇三年にノーベル文学賞を受賞し、その後も精力的に執筆を続けている作家の若き日のデビュー小説がなぜいま、日本で新たに出されたのか。本書並びにクッツェー文学をめぐって、訳者のくぼたのぞみ氏に話をうかがった。(11月16日、東京郊外にて。聞き手・村田優〔本紙編集〕)

 ■実験的な、野心の塊のような作品

 ――このたび、ノーベル文学賞作家のJ・M・クッツェーのデビュー小説『ダスクランズ』(一九七四年)がくぼたさんの新たな訳で刊行されました。まずは本書の刊行の経緯についておうかがいしたいと思います。そのことと関連して、本書のような現代作家の海外小説がなぜ人文書院から出ることになったのでしょうか?

 くぼた 人文書院からは以前、南アフリカの詩人、マジシ・クネーネの民族的叙事詩『アフリカ創世の神話――女性に捧げるズールーの讃歌』(竹内泰宏との共訳、一九九二年)を訳したことがありました。だからまったく縁がなかったわけではないのですが、今回は編集者である赤瀬智彦さんと出会ったのがきっかけです。以前、南アフリカ関連の本でお世話になっていたので(そのときもクッツェーをめぐるコラムを書かせていただいたのですが)、本書の企画を提案したらすごく乗ってくださって、そのまま話がとんとん拍子に進みました。

 もともと、『ダスクランズ』の新訳は前からやりたいと思っていました。とりわけ、『サマータイム』(二〇〇九年、邦訳では『サマータイム、青年時代、少年時代――辺境からの三つの〈自伝〉』に収録、インスクリプト・二〇一四年)を翻訳したとき、クッツェーが登場人物のヴィンセントという伝記作者に、いまは亡き「ジョン・クッツェー」が作家になった三〇代はじめに注目したい、と言わせているのを読んで、これは腹話術的なクッツェー自身の考えかなと思ったんです。『夷狄を待ちながら』(一九八〇年)以降、クッツェーは国際的に有名になって、二度もブッカー賞を取り、そしてノーベル文学賞まで受賞しましたが、初期作品とその中身についてあまり語られることがなかった。だから、『サマータイム』にはもうちょっとそこも見てほしい、というメッセージが込められているのではないかと……。

 それだけでなく、私自身のクッツェーの翻訳作業は『マイケル・K』(一九八三年、邦訳は筑摩書房・一九八九年/岩波文庫・二〇一五年)から始まったのですが、当時『ダスクランズ』はよくわからない小説だと思っていました。『サマータイム』まで訳したときに、やっと「そういうことか」と、クッツェー自身が「自分のスタートラインはここなんだ」という矢印を出している気がしたんです。クッツェーのような、伝記とフィクションの境目をなくそうとしている作家の場合は、デビュー作『ダスクランズ』にも伝記的な部分が含まれているかもしれない、そこまでちゃんと見ていかないといけないと思い、自分で訳してみたいと考えるようになりました。実際、訳しているなかで、そうだったのか、と本当にいろいろな発見がありましたね。

 ――本書の前半部分である「ヴェトナム計画」では、ヴェトナム戦争における戦略機関で働いているエリート青年が出てきます。それと関わる伝記的な事実の一つとして、クッツェーは当時講師をしていたニューヨーク州立大学でヴェトナム反戦運動に関わらざるを得なくなり、滞米ヴィザがおりなくなって講師を続けられなくなる。

 くぼた クッツェーがアメリカにいたのは一九六五年から七一年までで、これはヴェトナム戦争でいえば北爆が始まった直後から戦争末期にあたります。当時アメリカ国内では反戦運動がすごく盛り上がりを見せていました。ヴェトナム戦争というのは、戦闘場面や人間の死や痛みがテレビなどでニュース映像として直接流れた最初の戦争でした。『ダスクランズ』でも、朝にラジオ番組が突然聞こえてきて死者数を知らせるシーンがありましたが、実際に生々しい戦争の現場情報が日常生活のなかにもろに介入していたわけです。それはクッツェーにとっても衝撃的な体験だったのではないかと思います。

 ――『ダスクランズ』もまた、クッツェーの自伝的な要素と密接に関わっているように思えます。

 くぼた ただ、いまだから自伝的な要素が見えるのであって、最初に『ダスクランズ』が出たときはそうした部分はまったく見えない状態でした。クッツェーが“All autobiography is storytelling,all writing is autobiography.”――自伝はすべてストーリーテリングであり、書くということはすべて自伝である――と言ったのは、一九九二年に出たエッセイ集『ダブリング・ザ・ポイント』のインタビューでです。だから『フォー』(一九八六年)あたりまでは、クッツェーがフィクションと自伝の境目を壊そうとしていることはあまり知られていなかった。『ダスクランズ』はフィクションとして、ものすごく入り組んだ、実験的で、野心的な、よくわからない小説として世に出ました。旧態依然としたリアリズム小説が主流だった南アフリカ文学界では非常に衝撃的な作品として受け取られて、最終的に南アフリカ最高のCNA賞の次点となりました。そのとき受賞したのはナディン・ゴーディマのブッカー賞受賞作The Conservationistsでしたが。

 とにかく、クッツェーにとってこの時期は野心の塊みたいな時代です。次作である『その国の奥で/In the Heart of the Country』(一九七七年)は映画や写真の影響が濃い。最初から一作一作、誰もやってこなかったことをやると自分に課していたようです。

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真なる暗黒を求める昏い熱気を継承すること

包括的な「ベルギー文学」としての幻想文学再評価
評者:岡和田 晃

  戦後日本における怪奇幻想文学の黄金時代は、主として一九六〇年代の終わりから一九八〇年代の中盤にかけてであった。イデオロギーや資本の動きに呑み込まれるのをよしとしなかった孤高の精神が、世界を呑み込まんとする堪えざる渇望の向かう先として、真なる暗黒を求めたのである。日本的叙情から遠ければ遠いほど、それだけ優れているとされた。数十年から百年以上も離れた過去に欧米で紡がれた幻想の精華を、読者は我がことのように受け入れてきたのだ。こうした動きを代表するものとして、「血と薔薇」(一九六八~六九)、「幻想と怪奇」(七三~七四)、「牧神」(七三~七八)といった専門誌が出ている。雑誌だけではなく、〈世界幻想文学体系〉(七五~八六)、〈ドラキュラ叢書〉(七六~七七)、〈妖精文庫〉(七六~八三)といった叢書群を重視する向きもあろう。白水社ほか翻訳文学の版元が各国の幻想小説のアンソロジーを刊行してきたことも無視できない。

 けれども、九〇年代も半ばに至ってこうした動きは壊滅したかに見え、わずかにアカデミズムの一角へと押し込められた。ほぼ唯一、静かな抵抗として二一世紀まで刊行を続けたのが、研究・批評誌「幻想文学」(八二~二〇〇三)。その中心的な役割を担った東雅夫は、増刊にあたる「小説幻妖」(八六)にも関わった。わずか二号で途絶したが、高原英理や牧野修といった作家を輩出。のみならず、森茂太郎による長文のベルギー幻想文学論が載った。本書にも収められた作家も、多くはこの時に紹介されていた。「小説幻妖」はジャン・レーのグラン・ギニョール風短編、ミシェル・ド・ゲルトロードのバロック的な宗教小説群などを訳載することで、研究の土壌を静かに整えていたのだ。

 本書は東雅夫の序文を添え、「小説幻妖」の「ベルギー幻想派」特集の衣鉢を継ぐものとしてパッケージングされている。そのことも手伝い、往時の昏い熱気を今に伝えることに成功した。象牙の塔に篭ったままでは、決してなしえないことだ。編訳者の三田順は本書の解説で、フランス・オランダ・ドイツから地政学的に引き裂かれながらも、とりわけフランドル地方ではゲルマンとラテンが混淆した独自の文化的アイデンティティが形成されたと述べている。もう一人の編者・岩本和子は、ボッスやブリューゲル(父)らフランドル絵画などの伝統やアンソールら象徴主義時代の画家と作家の親和性を鑑み、絵画性をベルギー文学の重要な特質だとも書いている。興味深いのは、そこからの試行錯誤で、“見えないものを視る”幻想性こそが、ベルギー文学の魅力あるコンセプトとして重ねられたことだ。編訳者らは、ベルギーの全言語圏を視野に入れた新たな「ベルギー学」の創出を提唱しているが、恰好の足がかりとして、マージナルなものであったはずの幻想文学に着目したのだ。ヴォルフガング・カイザーによれば、自然を「グロテスクなもの」として、視るものに驚異を与える地獄めいた不安はフランドル絵画が広めたもの。その現代性が再評価されているのだろう。

 本書には、一八八七年から一九六〇年までの八作家九作品が収められている。知人のベルギー出身者に訊いてみたところ、いずれの作家もどこかで読んだことがあるという。『青い鳥』のモーリス・マーテルランク、『死都ブリュージュ』のジョルジュ・ローデンバックなど、日本でも古くから親しまれている作家の作品がある。『黒い玉』と『青い蛇』の二冊の短編集が訳され(ともに二〇〇六)、熱狂的に迎えられたトマス・オーウェンの作品もある。加えて、マルセル・ティリーのように本邦初紹介の作家もいる。なまなかな救済よりも読者を絶望の淵へと叩き落とすような得体の知れぬ不安に満ちた作品が揃っており、人間の内奥が社会ダーウィニズム的な「進歩」を拒否できるという可能性を伝えてくれるのだ。

 なかでも巻頭のマーテルランク「夢の研究」(一八八九)に評者は引き込まれた。ド・クインシー『阿片常用者の告白』を下敷きとし、フロイトの精神分析に先駆けて夢と狂気の端境をたゆたう佳品だ。この作品は「アメリカの古都セイラムの古い家」や「マサチューセッツの太古の森の奥に打ち捨てられた古い孤児院」が、語り手を阿片の幻覚に走らせた「出口のない、悲しみと先の見えない孤独」の出発点になっている。「オランダの古い家柄の出」にもかかわらず、どうしてアメリカでの孤独に、原罪めいた後ろ暗さを抱かねばならないのか。中核に置かれた水に溺れるイメージの垂直性は、大西洋をはさんでオランダとアメリカを結んで示される「謎」の水平性と見事に交錯している。E・L・ホワイト「セイレーンの歌」にも通じる神話的イメージが提示されたかと思えば、セイレムをモデルに幽冥都市アーカムを創造したH・P・ラヴクラフトをも彷彿させる。このように、ベルギー幻想文学を読み直すことによって、旧来の幻想文学観すら相互交流史の観点から再考することが可能なのだ。本書はフランス語で書かれたベルギー幻想文学を紹介するものだが、ベルギーは複数言語の国。近い将来、オランダ語やドイツ語のベルギー幻想文学も翻訳されることで、より多角的な成果が生まれることを期待したい。

 (文芸評論家・ライター)

普通の人にも正しい病気の知識が身につけられることを目指した本

最終的には治療の方針は自分で判断するしかない
評者:大野秀樹

 お笑い系研究者を目指す大阪大学医学部の名物教授が、実際に医学生に行っている雑談講義を、まったく医学知識がない人にもわかってもらえるようにわかりやすくモディファイして、病理学を解説した啓蒙書だ。ここでの病理学は、組織・形態の診断や剖検などを行う病理医の仕事よりずっと幅広い。われわれの体はなんとすばらしくできているのか、病気ってこうやって成り立っていたのか、などの知識が、おもしろおかしい雑談・脱線とともに吸収される仕組みだ。そのため、「内科医はなんでも知っているがなんにもしない。外科医はなにも知らないがなんでもする。そして、病理医はなんでも知っていてなんでもするが、ほとんどの場合手遅れである」とはならない。講演でも執筆でも、このオイタのスタイルが好意的に受け入れられているのは、著者の本業(サイエンス)のレベルが国際的に高いからに違いない。

 本書は、「細胞の損傷、適応、死」「血行動態の異常、貧血、血栓症、ショック」「分子生物学の基礎知識」「がんの成り立ち」からなる総論と、「がんのさまざまな進化」を述べる各論で構成されている。それぞれのキーワードをまず『広辞苑』で説明する、という正攻法(いや奇策か)を用いている。例えば、病理学は「疾病を分類・記載し、その性状を究め、病因および成り立ち方を研究する学問」という具合だ。総論、各論から、著者らしい描出を少し紹介したい。

 〈総論〉フランス革命の頃、他の処刑法よりも苦痛が少ない、という理由で採用されたのが、ご存じギロチンです。重い刃がざっと落ちて、クビがぽろり。さて、意識は何秒もつのでしょう? 頭が胴体から離れても、すぐに脳細胞が死んでしまうわけではないので、その瞬間に脳の活動がストップしてしまうようなことはないはずです。キリスト教の縁起の悪い数字である一三秒間は意識が残っているという、ほんとかしゃれかわからない説明が書かれていたりします。断頭の瞬間に運よく気を失ってしまえたらいいですけど、そうでなければ、短くともおそらく五秒や一〇秒は意識が残るでしょう。そういうことに配慮して、頭がごちんと落ちたら痛いだろうから、クッションをしいてあったという話まで残っています。その期におよんでそんなことをしてもろてもしゃあないけどなぁという気がしてしまいますが。

 なんとか医師の「がんもどき」理論というのがありますが、私から言わせれば理論というより愚論です。あの考え方は、がんにはそれぞれの性質があるけれど、その性質は固定したものであって、いつまでも変わらない、という前提にたって組み立てられています。これまでの研究成果から、その考え方は完全に否定されています。がん細胞は突然変異が蓄積しやすくなっているので、どんどん進化していくのです。ですから、ほうっておいたらいい、というものでは決してありません。

 〈各論〉有袋類であるタスマニアデビルは、一度に二〇~三〇匹のとても小さな子どもを産むのですが、お腹の袋の中に乳首は四つしかありません。ですから、産み落とされたとたん、兄弟姉妹の間で、いきなりとんでもない生存競争が強いられるのです。文字通りの肉食で攻撃的な性格であり、エサをめぐって争うときに、タスマニアデビル同士が傷つけ合うことがよくあります。その際に、「デビル顔面腫瘍性疾患」というがんが「伝染」し、どんどん死んでいく、という報告が一九九六年になされました。がん細胞が直接伝染していくのです。驚いたことに、わずか二〇年ほどたった時点で、タスマニアデビルがこの伝染性がんに抵抗性を獲得してきているようなのです。二つのゲノム領域(悪性腫瘍や免疫機能に関係)に変化が生じていました。たった四~六代目の子孫においてこのような変化が認められたことは、いかに、デビル顔面腫瘍性疾患がタスマニアデビルに強い進化の淘汰圧をもたらしたかがわかります。もう一つのおもしろい進化は、攻撃性の弱い固体の出現です。この病気が出現するまでは、攻撃性が強いことが、おそらく餌をたくさんとれるために、生存していく上で優位だったのです。ところが、腫瘍が出現してからは、攻撃性が強い個体は、相互の攻撃によって傷つきがん細胞に感染しやすいために、死ぬ確率が高くなってしまいました。その結果、進化の淘汰圧が逆向きになって、攻撃性の弱い個体が有利になってきたのです。人間はよほどのことがない限り噛みつき合ったりしませんから、そんな心配はないかもしれませんけれど。

 というような具合に、病理学の世界がおもしろおかしく綴られていく。

 医学は、統計的なデータを示してくれるが、個別例の将来を予測してはくれない。エビデンス、すなわち、これまでに得られた統計的データを基に、自分で判断するしかない。インフォームドコンセントを受けても、最終的には治療の方針は自分で選択しなければならない。例えば、子宮頚がんワクチンの副反応が話題になっているが、がんの原因となるヒトパピローマウイルスの持続感染をほぼ予防してくれるのは確実である。副反応のリスクとがん予防のメリットをよく考えて、接種するかどうか、最後は個人で判断する他はない。本書の主要な目的は、医師の説明を鵜呑みにするのではなく、疑問点を尋ねるなどして医師と(そこそこでも)キャッチボールができるよう、医学的に考える力を身につけよう、という点にあるように思える。

 締めのセリフも著者らしい。「がんがどの段階で発見されるかも運ならば、ベストフィットの専門家にかかることができるかも運かもしれません。がんになったら、自分のがんがどのようなものであるのかをよく理解し、最善の治療法を探りながら、自分がどう生きたいかを最優先して、あとは運だと天に任せるしかないような気がします」。

 (社会医療法人財団大和会理事長・杏林大学名誉教授)